55頁 不思議な小学生
「……誰?」
声がした教室の扉の方へ振り向くと、そこに立っていたのは制服姿の女子生徒だった。ブレザーの上からでも分かる大きなバストにセミロングの黒髪。
「ぁ……」
扉の前に立っているその女子の顔を見た瞬間、俺の口から再びソプラノボイスの吐息のような声が漏れた。
北条……。
久しぶりに見た北条の姿は、この前よりも痩せて見えた。
しかし、祐馬の席を雑巾で拭いている俺の姿を見た北条は、俺が男だった頃には見たこともないような敵意丸出しの顔つきでギロリと俺を睨んでいる。
「誰? って聞いてるんだけど。何組の子?」
まるで俺のことを不審者扱いするようなキツい口ぶりで問いかける北条。
教頭から正式に許可を得てこの学校にいるとはいえ、勝手に教室に転がり込んでゴソゴソと何かやっている姿を見れば、不審者扱いされるのも仕方がない。
とはいえ、扉の横で立っている女子は俺の知っている控えめで大人しい雰囲気の北条とはまるで別人だ。
あの内気で地味で柔らかな印象が強かった北条が、まさかここまで強気でキツい言い方をする女子だったなんて正直信じられない。
よく分かんないけど、女って生き物は同性が相手だとここまで態度を変えられるのだろうか……。
とにかく、俺には目の前にいる北条と、昔の北条が同一人物だなんてとても思えなかった。
「えっと……その……」
動揺したせいか、はっきりしない言葉が無意識に出てしまった。
それにしても困った……。
「誰?」と聞かれて答えようにも、「宮川瑠伊です」だなんてとても言えないし、新しい名前の「瑠璃です」って言うのも、なんか感づかれそうで怖い気がする。
姿が完全に別人になってしまったとはいえ、やはり瑠伊と瑠璃じゃ名前が似すぎている。
みんなとは二度と会うつもりがなかったから似た名前に改名したけど、まさかこんなすぐに再会して会話を交わすなんて、想定外にも程がある。
何はともあれ、安易に本名を教えるのはマズい。
苗字は宮川のままだから、ここで正直にフルネームで「宮川瑠璃です」なんて言ってしまったら、ややこしいことになるのは間違いない。
「こ、ここの机が荒れてたから、お片付けをしてたんだ」
「いや、だから誰なのって聞いてるんだけど。キミ、話聞いてる?」
「……」
いつもの癖で咄嗟に違う話へと持ち込もうとするが、北条はその手に引っかかることもなく、俺の喉元に、刀の切っ先を突きつけるように言った。
「あの、えと、ごめんなさい。私、ここの学校の生徒じゃなくて劇団員なんです」
まだ正式な団員じゃないけど。
「それで、今日は舞台のお仕事のお手伝いで学校の見学とか、舞台の下見とか色々……」
「舞台?」
「あ、あれ? 聞いてないですか? 2月14日にこの学校でお芝居があるって話」
「2月14日? ……あ、もしかして文化鑑賞会の事?」
「あ、きっとそれかも! お、私達はその日、この学校でお芝居をする予定なんですよ! この制服だって舞台合わせのための借り物で……」
「えーっとつまり、あなたはここの生徒じゃなく部外者で、お芝居する人ってこと?」
「は、はい、まぁ」
「でもキミって小学生だよね? ウソついてない? その制服だってぶかぶかだし」
ち、ちくしょう!
好きでこんなちっこい姿になんったんじゃねーよ!
大体、こんな可愛い子(俺)がウソなんかつく訳ねーだろうが!
「ついてないよ! こ、これでも一応中三なんですから!」
「中三って……本当に? わたしと同じなの?」
「本当ですから! この服だって借りもので今日初めて着たし……」
「そっか、そこまで言うのならウソじゃないんだよね?」
「う、うん」
「あ、ごめんね。わたしてっきり、近くの小学生がこっそり学校見学に来たのかと思ってた。もう少ししたら卒業シーズンでしょ? この時期ってそういう話とかよく聞くから」
あぁ、確かに俺も小6のときにこの学校に侵入したっけな。
柱の位置を確認して、どこにTNT爆薬を仕掛けたら校舎を効率よく爆破できるかとか検証ごっこしたり……ってあれ? この話って、いつだったか北条にも喋った気がする。
あれはいつ頃だったかな……。
俺が昔の思い出そうとしている間に、北条はゆっくりと教室に入ってきた。
「で、その可愛い部外者さんが、なんで一生懸命にその机を拭いてるの? もしかしてキミ、佐田君の知り合い? 妹さん?」
「ゅ……、さ、佐田くん?」
あっぶねぇぇ!
祐馬の苗字出されて素で反応しそうになったぞ、おい!
宮川瑠璃は佐田祐馬なんて知らない事になってんだからな!
祐馬が俺の幼馴染で親友で、そして盗撮と脅迫事件起こしたどうしようもない変態野郎に堕ちたなんて、俺はまるっきり知らない事になってんだからな!
一人で勝手に焦っている俺に気付いた様子もなく、北条は祐馬の右斜め前の机の上に半ばもたれかかるように浅く座ると、北条は俺を美術品の品定めでもするかように、顔や髪や、靴などを見回す。
「そう。その机が佐田君の席」
「ふうん……。えっと、私ね、ここを通りかかったら、花瓶が割れてたのが見えたから……片付けようかなって」
「やめたようがいいよ?」
「え?」
軽蔑交じりの冷たい口調で北条が言った言葉に、思わず俺は驚いた。
たった一言だけど、その言葉一つで北条の仮面の内側が見えた気がしたから。
「佐田君は盗撮常習犯の大変態で、女の子達を脅迫してたヤツなんだよ? だから絶対関わらない方がいいよ。それにそいつ、前からアブナイやつだってみんな言ってたんだから」
「で、でも、だからって……こんなの放って置けないから……」
「変なの。気持ち悪くないの? 盗撮したんだよ? そこの席の人」
「で、でも、だからと言ってこんな事するのって、絶対間違ってるって思うから」
「ふーん。なんか宮川君みたいな事言うんだね」
う……。今の答え方は失敗だったか?
宮川くんみたい、って言われても本人だし……。やはり、俺の心はそう簡単に変えられないって事か?
いや、違う。
以前と同じってのなら、知らない誰かの席が荒らされているのを見ても、俺は平気でスルーしていたはずだ。
しかし、女の瑠璃が荒らされた机を掃除するって行動は、客観的に見れば男だった宮川瑠伊がやろうとは思わない事をしているってわけで。
けれど、完全に別人である瑠璃だったら、ここが祐馬の席だなんて知らないはず。
もしも本当に『何も知らない瑠璃』という子が実在するのだとしたら、その子はこういう時どうするのだろう?
きっと、北条の話を聞いた瑠璃は、佐田とかいうヤバそうな男について、頭の中でだいたいの人物像ぐらいはイメージするかも知れない。
例えばそいつはキモオタ眼鏡デブで、ニキビ面の油ギッシュで、成績は中の下ぐらいで、近づきたくもない独特の悪臭がするような醜い男……ってな具合にさ。
でも現実は、盗撮男の話を聞いても顔色1つ変えることもない小学生みたいな子が教室にいて、しかも祐馬の悪行を聞いてもなお「こんな陰湿な事するのは間違っているから」と、平然と言ってのけるような子がいるとなると、これはもう完全に《男の》宮川瑠伊とは別人だ。
あぁ、そうか。
姿や立場が変わるだけで、同じ行動をしても意味合いがまるで変わってくるのか。
とはいえ、得体の知れない盗撮男をかばうような言い方までしたのは、度が過ぎているというか、不自然だったかもしれない……。
と、とにかくだ。
今は、正体がバレないようどうにかやり過ごさないと……。
「み、宮川君……っていうのは?」
「あなたには関係ないわ」
誰かに八つ当たりでもするかのように北条は言った。
関係ないんだったら名前出すんじゃねーよ、ちくしょう!
「ぁ……。ご、ごめんなさい、キツく言うつもりは無かったの」
「あ、うん、ち、ちょっとびっくりしたけど……。でもその宮川君って子はさ、きっと優しい子なんだと思う」
「えっ?」
おいおいおい!
今になって自分の事をサラリと持ち上げようとしてんだよ! バカなのか俺は。
「あ、いえ……、なんとなくだけど、その子もこんなの嫌だと思うから」
俺は祐馬の机の上の落書きに触れて呟いた。
「う、うん……。宮川君なら、きっと同じ事言うかもね。ふふっ」
北条が少し笑みをこぼすと、俺は再び祐馬の机を雑巾でゴシゴシと拭き始めた。
「あ、それじゃたぶん消えないよ? ちょっと待ってて」
北条は掃除用具が入ってるロッカーの中から真新しい霧吹き状のクリーナーを取り出して戻ってきた。
「これ、うちのクラスの秘密兵器」
そんな物騒な兵器が教室にあったなんて知らなかった……。
北条は手に取ったクリーナーを祐馬の机の上にシュッ、シュッと吹き付けた。
祐馬の机の上には、普通の洗剤と同じような小さな泡が立っている。
「これでいいよ。拭いてみて」
「う、うん」
俺が祐馬の机を何回か拭くうちに、薄汚い言葉で埋め尽くされていた祐馬の机の落書きは、みるみると水に溶け、まるで魔法が掛かったかのように落書きは綺麗に消えた。
「す、すごいねこれ! 消えたよ! ありがとう、北条さん!」
「でしょ? って……えっ!?」
「え?」
……あ。しまった。
「あの、どうしてわたしの名前知ってるの?」
「……」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!
や、やっちまったぁぁぁぁぁ!
俺、じゃなかった、瑠璃は……って瑠璃は俺か。俺は北条とは初対面のはずで、名前なんて知らないはずだろっ!? なんで今の「北条さん」なんて言ってしまったんだよっ! おいおいおい、どーすんだよっ! そ、そうだ、何か設定は? 自然にごまかせる設定考えろ瑠伊……じゃなかった、瑠璃! 例えばさっきクラス名簿見たとかさ、……ってねーよ! 冬休みに教室にクラス名簿なんて置いてねーよ! ていうか違う違う違うっ! 名簿じゃ目の前の女子が北条だって特定できるわけねーだろ! バカか俺は! そ、そうだ! 座席表!! 座席表だっ! 後ろに張り出されてる座席表を見たからって言えば……って、オイコラ! それも違うだろ! 北条は自分の席に座ってねーだろ!?
あー待て待て待て待て、大丈夫だから落ち着け俺! とりあえず北条のおっぱいでも見て深呼吸しろ! 深呼吸! とにかく落ち着こうぜ!
……あ。
そ、そうだよ!!
どうして気づかなかったんだよ! こんな簡単なことに!
「……ど、どうしてって、ほら、胸のとこの名札に名前書いてるでしょ? 違った?」
ち、ちょっと答えるまでに間が空いた気がするけど、大丈夫だよな?
たぶん1秒ぐらい台詞のタイミング遅れたか?
もしもこれが舞台での台詞だとしたら、会話のリズムが完全に止まってしまうぐらい不快な間だと思う。なんとなく。
「あっ、そ、そうだね! ご、ごめんなさい」
今度は北条がなぜかぎこちなく謝る。
「あーでも良かった。な、名前を間違えてたらどうしようって一瞬思った。『きたじょう』さんだったら謝らないと……とか思っちゃって」
「あ、うん。わたしは北条めぐみって言うの。あなたの名前は?」
あ、来た。ブーメラン。
でももうこの雰囲気なら下手に誤魔化したり、偽名言ったりする必要は無い気もしてきた。
それでも北条の様子を見ると、まだどこかしら「部外者がなんでこんなところにいるのよ」って雰囲気が残ってる気がするけど大丈夫だろう。
俺の正体がかつての「宮川瑠伊」本人だと気づいてる様子は全くない。
まぁ多少は雰囲気とか似てるかもって感じてるかもしれないけど。
いや、やはりここは新しい偽名でどうにかやり過ごすか……?
いやいや待てよ。
奈良屋さん達が来たらややこしくなりそうだな。
あまりここでモタモタしてたら「瑠璃ちゃんここにいたのか」とか言って割り込んで来そうだし。
よし……。
「あの、瑠璃って言います。苗字はその……、家の事情があるから言いたくないです。……ごめんなさい」
「あ、それってもしかして、ご両親が離婚したとか……?」
おお! その設定もらった!
俺はそのまま黙って俯く。
「……」
「あ、ご、ごめんね。変な事聞いちゃって」
北条は勝手に俺の両親が離婚したと思い込んでいる。
一応、俺は離婚だなんて一言も言ってないからな北条。ただ家の事情で、3学期から俺だけ別居暮らしする事に少し悩んでただけだからな。
ほ、ほら、退院したらりさちん先生の家に住むことになってるから、先生んちの玄関に「宮川」って表札付けないといけないだろ?
あー実は、どんな表札にするかすっごい悩んでたんだよなー。
木製の板に漢字がいいかなーとか、大理石にオシャレなアルファベットの筆記体の表札がいいのかなーとか、漢字のハネの具合とか、横線の角度とか、なんか細かい事いろいろとさ。
でもそんな小難しい話を、出会ったばかりの女子中学生なんかに話したくないだろ? ていうか、話してもさっぱり理解されないだろ? いや俺ですら表札の何に悩んでるのか自分でもまるで理解できないんだもん。一体俺にどうしろって言うんだよ。
「あ、手伝うね、掃除」
「ありがとう。でもそこはまだ花瓶の破片があるから気を付けて」
「うん、平気」
俺の親が離婚したと思い込んだ北条は申し訳なく思ったのか、床に散らばった花瓶の破片をそっと拾い始めた。
「今日は花壇の水やり当番でね、ついでに教室の花瓶も気になっちゃって」
「そうなんだ」
「それでちょっと寄ってみたら、知らない子が机で何かしてたから、わたし、すごいびっくりしちゃって」
「あはは、私、完全に不審者扱いだったよね」
「う、うん。ごめんね」
「いいよ。許す」
「あ、何それ? すっごい偉そうー」
「あははははっ」
俺と北条は、そのまま祐馬の机を片付ける。
「……あのさ、瑠璃ちゃん、変なこと聞いていい?」
散らばった花を拾い集めながら、北条が小さな声でそっと呟いた。
「え? 何?」
「えっとね、瑠璃ちゃんの使ってる香水ってどこのかな?」
「こ、香水?」
「うん。だって、とってもいい匂いするから」
香水なんかつけてないんだけどな。
「私、香水なんてつけてないけど……」
「へぇー。でもすごいいい匂いするよ? この前もね、お友達が瑠璃ちゃんと同じ匂いの香水つけてたから気になっちゃって」
「じゃあ、その子に聞いてみたらどうかな?」
「そ、それがね、今は病気で入院してて、お話しもできないんだ」
北条のいう『友達』って、たぶん、ていうか、絶対俺の事だよなぁ……。
「そ、そうなんだ……」
ん? ちょっと待てよ。
つまりというか、これって、今の俺の身体から男の頃の宮川瑠伊と同じ匂いがするよって言ってるようなもんだよな?
それはマズい。
かなりマズい。
体育祭以降、北条とは物理的な距離が近くなることがかなりあった。
特に修学旅行の帰りの新幹線の中で俺は、北条にずっと膝枕されてたみたいだから、俺の匂いが気になるっていう北条のこの反応はかなりマズい。
何しろ宮川瑠璃と宮川瑠伊を繋ぐ糸の存在がバレてしまったのようなものだから、下手したら俺の正体が手繰り寄せられてしまうことになってしまう……。
迂闊だった。
もしもこの匂いがきっかけで俺の正体がバレるなんて事にでもなれば、きっと大変な事になる……。
ちょっとしたミスが切っ掛けで、赤い蝶ネクタイをしたクソ生意気な小学生に追いつめられた人達を俺は何人も知っている。
とにかくこのまま放置すれば、俺の正体がバレてしまう可能性だって十分に考えられる。
なんかこう、一発逆転の神の一手のような言い訳で切り抜けないと。
「あ、あー……、実はね。その、か、彼氏からプレゼントされた香水だから……ブランドとかよく分かんなくて。えっと、誰にも言わないでね」
おいィィィ!?
言うに事を欠いて「彼氏」かよ! 死ね! というか死にたくなってきた……。
ていうかなんかもう、自分のアドリブ力の無さに絶望した。
よくよく考えれば小学生みたいな女子に香水プレゼントする彼氏て誰だよ!
ロリコンなのか!? あ……同じ歳なら合法なんだっけ?
あぁダメだわ。年齢以前にこの国の法律だとリア充は問答無用で死刑だったはずだ。
となるとアレか? 彼氏ってのはおこずかいをたーんとくれる『パパ』の事か? ……ってそれじゃビッチじゃねーか俺!
大体、俺が男だった頃でさえ脳内彼女なんてものは作らなかったぞ? それが、か、か、彼氏って……。
あ、ハーレム設定でオカズにしてたクラスの女子ならいっぱいいたけどな。
例えば保険体育の『実習』の授業って設定かなんかで……
『えー今日の相手は宮川なのー? うわっ、きっもーい!』
『ふん、その生意気な口は俺のコイツを見てからにしてもらおうか!』(ボロォーン)
……って止めておこう。
今更そんな事考えても虚しくなるだけだ。
「いいなぁー。彼氏いるんだぁ」
「う、うん……まぁ」
表向き照れる仕草をする俺。
けれど北条は疑う様子もない。意外と北条って鈍感なのかな?
──でもな、ありふれた話を面白く見せるのって、実は相当難しいんだぜ?
──そうなんですか? でもさっき、すごい簡単そうに言ってましたよー?
──まぁ俺の場合はさ、おかゆ作ろうとしたらステーキになる人だから……あ。
廊下から話し声が近づいてきたかと思ったら、奈良屋さん達だった。
ほんの一瞬だけど、奈良屋さんが「他にも人が居たのか」っていうどこか間の抜けた表情を見てしまった。
なんか、全く隙が無さそうな人だと思ってたからちょっと意外かも。
「ここでしたか、瑠璃さん」
奈良屋さんが教室の戸を開けながら静かに入ってきた。
部外者がいるせいか、奈良屋さんの口調は落ち着いたジェントルマン気取りだ。
「会話が丸聞こえでしたよ、奈良屋さん。それと今さら紳士口調になっても手遅れですから」
俺はそう言いながら「ここに北条がいるぞ」と言わんばかりに、チラッと北条を見た。
「あ、こら。そういうメタい事言ちゃダメだろ瑠璃ちゃん。あーあ、参ったなぁ」
吐いた言葉とは裏腹に、ちっとも参った様子を見せない奈良屋さん。
ゆらゆらと揺れる柳みたいに全てを受け流している感じがする。
「おや、そっちの子が持ってるその花は水仙かい?」
「は、はい……」
怯えたように北条は小さく返事した。
へー。これが水仙なのか。
奈良屋さんって、花の名前とかも普通に知ってるんだな。
ぶっちゃけさ、俺なんかよりも女子力高くないか?
「水仙と言えばまだ季節には少し早いと思ったが……。いや、ニホンズイセンなら丁度今ぐらいからか。ふむ」
自分で確認するように、小さく呟く奈良屋さん。
「で、瑠璃ちゃんはそこで何してるの?」
「あ、この机の上に割れた花瓶が散乱してたのを見つけたから片付けてたんです。そしたら偶然ここの学校の子と会って、片付けお手伝いしてもらったんです」
「へー偉いね瑠璃ちゃん。もちろんそっちの可愛い子もね」
そう言いながら奈良屋さんは北条を見ながら俺の頭をパーで掴むような感じで軽く撫でた。
「あ、あの、この方は?」
「あぁ、失礼しましたお嬢さん。私は劇団の座長をしている奈良屋義春と申します。うちの子がご迷惑かけたみたいで悪いね」
「いえ、迷惑だなんて……。でも本当に劇団の方だったんですね。えっと、わ、わたしは3年6組の北条めぐみと言います……」
奈良屋さんが来てから北条は臆病になったと言うか、最初の頃の人見知り状態に戻ってしまっていた。
「北条めぐみちゃんね。よし覚えた。……ま、そうだよな。劇団なんて一部の大手を除いたら知名度なんてどこも無いようなもんだからなぁ。めぐみちゃんさ、ここで舞台やるって話は知ってるかい?」
「あ、はい……、さっき、えと、る、瑠璃ちゃんから聞いたので……」
「へぇ。もう瑠璃ちゃんって呼んでるんだね」
「あ、いえ、その……、苗字は教えてもらえなかったから」
「なるほどな」
奈良屋さんはちらりと俺を見つめた。
「まー、イロイロとワケありだからね、瑠璃ちゃんは。それはともかく楽しい舞台にするから、めぐみちゃんも期待しててよ」
「は、はい! 楽しみにしてます! そ、それじゃあ、わたしはこれで……」
「あれ? もう帰るのめぐみちゃん? 悪いね、なんだか追い出すみたいになって」
「あ、いえ……丁度片付けも終わりましたから」
北条はまるでナンパしてきた中年男から逃げ出すみたいに、そそくさと教室から出て行った。
そして、北条の階段を下りる足音が聞こえなくなると、奈良屋さんは教室を少し確認しながら呟いた。
「今の子が瑠璃ちゃんの元同級……いや、いいか。それより瑠璃ちゃん、ポスター撮影だけどこの教室でして良いかな?」
「なんかそう言うんじゃないかって気がしてましたよ、もう! ……私、まだ撮影のモデルになるだなんて、一言も言ってないんですけどー?」
「いや、さっきのめぐみちゃん見て思ったんだが、やはり今回は瑠璃ちゃんでないとダメだと確信したからさ」
そんな確信しないで欲しいんですけど……。
「頼むよー瑠璃ちゃん、一生のお願いだからさ」
「どこの小学生ですか、先生」
ひかりさんは俺が思った事を即座に代弁してくれた。
「頼む!」
そう言うと奈良屋さんはいきなりその場で土下座した。
「ちょっ! 何してるんですか! 止めてくださいよ! そういうの」
「いや、俺の中のイメージにピッタリなのは瑠璃ちゃんだけだから、土下座ぐらいするって!」
はぁ……。
なんていうかさ、中年バージョン奈良屋さんが土下座してるとこ見ると、小学生というよりかは、女子中学生に必死に売春を持ち掛けるスケベおやぢに思えてきた。
いくらお願いだからって、こういう事は止めてほしいな。された側からしたら戸惑うっていうか、情けないっていうか、ほっとけないっていうか……。
まったく、しょうがない人だなぁ。
「瑠璃さん、騙さ……」「あーもう! 奈良屋さんともあろう方が、土下座なんてしないでくださいよ! 私の知ってる奈良屋さんは、もっと自信家で、偉そうで、逆に頭を足で踏んずけてくるような、ものすっごいオーラ出してるカッコいい人なんですから!」
「いや、俺の頭踏んずけてもいいからさ、瑠璃ちゃんがモデルになってくれるならこれぐらい容易いから」
「もう! 分かりました! 頭上げてくださいよ奈良屋さん、そ、そこまでされたら私、断れないじゃないですか! えぇ、えぇ! やればいいんですよね! 撮影モデル。……や、やってやりますよ! いえ、やらせてください!」
「よし!! 瑠璃ちゃんが『やる』って言ったぞ! みんな聞いたよな?」
へ……?
奈良屋さんはものすごい速さで立ち上がると、小学生みたいに回りに同意を求めた。
「はぁ、この男は……」
遅かったと言わんばかりに、ひかりさんは俺を見ると頭に手を当てなら溜息を吐く。
ひかりさんは俺を見ながら続けて言った。
「見事に誑されましたね、瑠璃さん」
「……は、はい?」
プライドの高そうな奈良屋さんがいきなり土下座なんかするから、意表を突かれたというか、『俺ってすごい期待されてるんだ!』とか、ものすごい意識しちゃったんだけど、ま、まさか……。
「瑠璃ちゃんは簡単だからな。もっとおだてて乗り気にさせた方がいいかとも思ったが、ま、それはともかく、最終的に自分から『撮影やらせてください』って言ったのは瑠璃ちゃんだしな。よし、じゃあ早速撮影始めるか」
「えっ? マジで?」
「マジマジ」
俺が戸惑っていると、ひかりさんはテキパキと教室の机を動かして奈良屋さんが描いたポスターのイメージイラストと同じように机と椅子を並べ始めた。
奈良屋さんはかばんからカメラと見慣れない黒の円盤状のケースを取り出すと、その円盤状のケースから中身を取り出して広げた。すると広げた中身は金魚すくいのポイみたいな大きな丸いレフ板へと早変わりした。
「ここって、るーちゃんの教室よね? 3年6組って」
りさちん先生が俺の耳元に口を近づけると、とても小さな声で言った
「う、うん……」
「そかそか、るーちゃんはここで授業受けてたんだねー」
「妻木先生、これ持ってくれます?」
「あーはいはい」
「瑠璃さん、こちらへどうぞ。ここにお座りください」
「あ、はい……」
りさちん先生とゆっくり会話をする間もなく、奈良屋さんはりさちん先生にレフ板のレクチャーを始め、ひかりさんは俺を椅子に座らせて髪型を整える。
「瑠璃さんの髪って柔らかくてサラサラですごい綺麗ね。オイルとか使ってるのかしら?」
「いえ、何も……」
「あら、そうなの? でもこれは本当凄いわ。瑠璃さん髪のお手入れ完璧なんですもの」
確かに、俺の髪については実際かなり凄い。
切っても切っても寝て起きたら元に戻るからな。まるで日本人形みたいだろ?
………
……
…
「ヤバいなぁこれ。最高じゃないか」
「見てもいいですか奈良屋さん! ……あら、ちょっと何この子!? すっごい可愛いよ! るーちゃん!」
撮った写真の出来が凄いのか、デジカメの液晶を囲んで覗き込む奈良屋さん達。
まぁ、被写体の素材がSランクなのは俺自身認めるけど、一体どんな出来なんだろう……。
──おい岡田、止めろ!! それを離せ!!
──ヤバいヤバい! みんな逃げろ!! 危ない危ない!!
俺が立ち上がって写真の出来を確かめようとしたその時、いきなりグラウンドの方から大人たちの悲鳴と怒号が聞こえてきた……。




