54頁 消えないラクガキ
「あーごめんごめん、忘れてた。瑠璃ちゃんさ、ちょっとモデルになってくれる?」
は?
「いやなに、舞台告知のポスター作ったほうが良くなると思ったからさ」
「はぁ?」
頭の中で思ったことが、今度は声になって漏れ出てしまった。
「ポ、ポスターって、お……、私を撮るって事ですよね!?」
「うん、そう」
確かにここに来た時、奈良屋さんは俺をモデルに撮影がどうのこうのって、教頭に出まかせみたく言ってた気がするけど、でも確かそれはあくまで《テスト撮影》ってことで、それはさっき体育館でひかりさんがこっそり撮ってたやつだと思ってたんだけど……。
「ちょっ、聞いてないですよ奈良屋さん! さっき「外部に出すものじゃない」とかナントカ言ってましたよね!?」
「うん、言ったけどね、理科室を見たら気が変わった。ほら、学校ってどことなく殺風景だろ?」
そうかな?
殺風景だなんて一度も考えたこと無かったけど。
「だから校内の掲示板にバーンとポスター張り出してさ、事前に生徒達の期待感とか煽ってやろうかって思ってね。ほら、瑠璃ちゃんみたいな可愛い子ならインパクトも大きいだろ?」
それってつまり、俺の写真を校内に張り出すって事かよ?
じょ、冗談じゃないからな!?
何が「期待感」だよ!? ただの公開処刑じゃねーか!!
体育館でひかりさんがカメラ回してたのは、あくまで七色座内で使う舞台の資料という事でしぶしぶ納得してたけど、さすがに今回は譲れねーぞ!
この件だけは絶対にお断りだ!! 絶対に、だ!
「ていうか、そもそもどうして私が出ない舞台のポスターモデルをしないといけないんですかっ!? 普通そういうのって主役の人とか撮りますよね!?」
「あー、そこ言われると説明が面倒くさいんだけどな、今、俺の頭の中でメインプロットの完成が見えてきたんだよ」
「え……?」
「それで丁度俺の目の前に、俺のイメージ通りの制服着た女の子が偶然いるわけで、そうなったらもう撮るしかないだろ?」
「はぁ!?」
い、意味わかんねーよ!
つーか、そんな都合のいい偶然あってたまるか!
元々最初からメインプロットとかいうのがとっくに出来上がってて、そんでもって単に俺に制服着せたいから、わざわざここまで連れてきたんだろ?
要は元から計算済みってヤツなんだろ!?
「奈良屋さん、本当は私をここに連れてくる前からストーリーがもう出来てたんじゃないですか? わざわざ制服まで用意して、準備良すぎですって!」
「いやいや、そうでもないさ。一応この学校の生徒を題材にするっていう大まかななイメージはあったんだけどな、プロットはいつも即興さ。車の中でも聞かせただろ? 俺か思い付きで語った『瑠璃ちゃんの3学期』の話。まぁ、あんな感じだ」
ああ、あの吐き気がしそうな転校生のヤツ……。
「ということはポスター撮影ってやっぱり、わ、私も舞台に立つって事ですよね? だって、ああいうポスターって、メインキャラがズラリと並ぶじゃないですか!」
「いや、さっき言った通り瑠璃ちゃんは舞台に出さないよ」
「えっ……?」
「そもそも今作の登場人物は全員大人だからな、瑠璃ちゃんみたいな若いキャストは出る幕がない」
「あのー、奈良屋さん? ちょっといいですか?」
「どうかしましたか? 妻木先生」
「そのストーリーってどんな内容なのですか? どうして役無しのるーちゃんがポスターのモデルにならないといけないんです? その撮影って、代わりの子じゃダメなんですか?」
流石のりさちん先生も奈良屋さんの考えが理解できず、俺をかばうように少し語気を強めて奈良屋さんに奈良屋さんに質問した。
「そうだな……。確かに撮影は他の子でも別にいいんだが、俺としては瑠璃ちゃんがいちばんぴったり合うと思うんだ。いろんな意味で」
「いろんな意味?」
「うん。まず今回の舞台の物語は至って真面目な話。中学を卒業して大人になった同級生達が再会し、その後どういった人生を歩んできたかを語り会うっていう同窓会的なストーリーで、いまいちパッとしなかった子が大成してたり、中学で優秀だった子がどんどん落ちこぼれて崖っぷちだったりとかな。要は、将来はどうなるか分からないぞっていう大人からのメッセージを込めた舞台さ。まぁ、こんな説明だと、押しつけがましいだけの舞台にしか聞こえないか」
「あ、でも、奈良屋さんの事ですから、色々と外してくるんでしょう?」
「多少はね。でも中学生の教育向けの舞台だし、あまり無茶はしないさ」
教育向けねぇ……。
元・夕凪台中の問題児(?)をポスターにする時点でもうダメな気もする。
たぶん舞台を見終わった後、みんなの瞳が俺みたいに濁ってるんじゃないかな。
「それで今回のポスター撮影なんだがな、本番の舞台では日が暮れて真っ暗な教室の中で物語が展開していくわけだけど、告知ポスターの方は逆に、昼の教室に光が降り注ぐような、明るくて輝かしい雰囲気で、そこに佇む普通の中学生の姿を撮りたいんだよ」
「つまり、再会した大人たちの中学生の頃バージョンみたいな?」
「いや違うんだな、瑠璃ちゃん。こいつにはちょっとした意味があってだな……」
そう言うと、奈良屋さんは今回のストーリーを具体的に語り始めた。
◇ ◇ ◇
奈良屋さんが今回の物語の全貌を語り終えると、ひかりさんは疑問点を一つ一つ奈良屋さんに問いかけた。
奈良屋さんはひかりさんの質問に、悩むこともなく淡々と答えていく。
二人の具体的なやり取りを傍から聞いていると、奈良屋さんのストーリーはほぼ完成していると言っていい。
そして少なくとも、奈良屋さんは考えなしの思い付きだけで「撮影する」って言い出したのではないと思えた。
「……てな具合でそこはそうやって対処すればいい。あとはどうとでも回せるだろうから心配いらない」
「なるほど、上手いこと考えましたね。お話もよく纏まってますし、余計な手間もかかりませんし、予算的にも良い内容かと思います。何より今回は以前のように急に船を手配するような目に遭わなくて済みそうで助かります」
だから船ってなんなんだよ……。すっごい気になる。
「ははははっ。あの時の映画とは違うからな。まぁ体育館に集まった生徒を巻き込んでドンパチできりゃ一番面白かったんだけどな、ついでに校庭に戦車でも横付けして、劇に合わせて外で空砲ぶっ放したりとかさ」
「却下ですっ!」
ひかりさんが大きな声で否定した。
「一回やってみたいんだよなぁ、スピーカーに頼らないリアルな音響使った舞台とかさ」
「却下ですから!!」
本気で止めないと、この男は本気でやりかねない。
ひかりさんの「却下」にはそんな意味が含まれているような気がした。
「あー分かってるよひかりさん。今回はしないって。そういう面倒なのするときは誰かに監督任せるからさ」
「全然分かってないですね……却下ですから! まったく、どこの中学生の発想ですか!? そんな事したら近隣の方から苦情が来て、ネットで大炎上しますよ!?」
「ネットねぇ……。そんなのはどうでもいいけど、現実ってのは融通利かないよなぁ……。あ、そうだ。妻木先生はどう思いました? 俺の話」
「え? わたくしですか? いやー、戦車はさすがにどうかと思いますよー? あ、感想でしたっけ?」
「ええ」
「そですねー。さすがって感じですね。作家さんなんて職業、わたくしには無理だと確信しました」
それでも、「面白い」とは言わないりさちん先生。
「ありがとうございます」
奈良屋さんそう言うと、コクコクと小さく2回頷いた。
りさちん先生の言葉そのものよりも、そのしぐさから感想を聞き取ったみたいだった。
「じゃあ瑠璃ちゃんはどうかな?」
「うーん、なーんかひっかかるんだよなぁ……。あ、引っかかりります」
ひかりさんはどちらかというと舞台の手配とか、裏方仕事の方に関心が向いてて、俺の言う引っかかる何かに気づいてなかった感じがする。
りさちん先生の方はもうド素人丸出しって感想だから、よく言えば素直とでも言えばいいのかな。毒にも薬にもならないみたいな。
けれど、俺の感想は二人とは違って、何かが引っかかるものを明らかに感じていた。
奈良屋さんが語ったストーリーは綺麗にまとまってはいるものの、わざと歯抜けにしたような気さえするんだ。
ひかりさんやりさちん先生は、そのことに全く気づかなかったのか、あるいは他の事に気を取られて流したか、知ってて無視したのか……。それは全然は分からないけど、その小さな歯抜け部分が、俺にはとても大きく感じた。
「流石だな。瑠璃ちゃんは気づいたか。まぁ実際の舞台みたら丸わかりなんだけどな」
「あの、たぶんですけど、今回のお芝居ってもう一人誰か……」
………
……
…
「正解だ、瑠璃ちゃん。つまりキャストの立ち位置はこうなってて、それからこれから撮影するポスターは同じようにこんな感じに撮りたいんだよ」
奈良屋さんはカバンからぼろぼろのノートを取り出し、白紙のページに舞台上のキャストの立ち位置を上から見た上面図を書いた。
そして次のページには、これから撮るであろうポスターのイメージイラストをサラサラと、あっという間に書き上げた。
「つまりだな、本来ここに一緒に居るべき女の子の役が瑠璃ちゃんだ」
舞台の上面図に、半円状に並ぶ学校机の真ん中の、一つ右の席を指さして奈良屋さんは言った。けれど、奈良屋さんが指さしたそこには「空席」と書いてあった。
「この子は本番の舞台に登場しない。そしてこれと同じ座席配置のポスターには、逆に女の子が一人だけ映ってるって具合だ」
「あ……。そっかそっか、へぇーそういう事なんだ!」
りさちん先生も奈良屋さんの意図に気付いたようだ。
ひかりさんは澄ました顔して聞き流している。
どうやら奈良屋さんのやろうとする事に最初から気付いていたみたいだった。
この物語で、真夜中の教室で語り合う生徒たちの中に『女の子』は居ない。
なぜならその『女の子』は、突然入院してしまって居なくなった、って設定だから。
舞台はその『女の子』の席をわざと空けたまま進行し、女の子については一言二言語られるだけで何事もなく終わってしまう。
けれど、奈良屋さんの書いた告知用ポスターのイメージイラストは真逆で、明るい陽射しを浴びた『女の子』しか映っていない。
舞台と同じように半円状に並ぶ学校机の真ん中少し右に、『女の子』が一人座っている。
空席だらけの不自然な構図に座っている『女の子』。
不自然なだからこそ、逆にどこか印象に残る告知ポスターだ。
でもこのイラスト通りに告知ポスターを張り出すのなら、これは明らかにミスリード狙いだ。
このポスターを見れば、本番の舞台の主役はこの女の子だと誰もが思うだろう。
それなのに舞台本番ではこの女の子は一切登場しないのだから意地が悪い。
実際にどんな舞台になるのか、今の俺には想像もつかないけど、告知ポスターの女の子が本番に出ないんじゃ、見終わったあとに広告詐欺だと思われかねない。そうでなければ急病で出演できなくなったとか勘違いされたりとか、いずれにしても、きっと消化不良な感想を抱かれると思う。
「この女の子の元ネタが瑠璃さんなのは分かりますが、でも先生、どうしてわざわざこんな事をするんですか?」
「あれ? ひかりさんそこ分からないかな? 将来を夢見ることができなかった子もいるぞっていう、俺なりのメッセージなんだけど」
「……」
……。
「うーん、でも、ちょっと分かりにくいかもですねー」
「あれっ? 妻木先生も? そうか……まいったな。なら、もう少し肉付けして、それからもう一枚ポスターを用意するか」
「え?」
も、もう一枚……だと!?
いやらしい撮影でもさせられるのかと身を構える俺。
そんな俺の心配を他所に、奈良屋さんは、女の子が一人いるポスターのイメージ図に何かを書き加えている。
「こんなもんか」
女の子一人佇んでいたポスターのイメージイラストに、舞台で登場する出演者全員が女の子の周りに集まって楽しそうにしている様子が描かれていた。
「ポスターはこれに変更するんですね。なら先に役を確定させてから撮影ですね」
「あー違う違う。こいつは舞台の本番中、みんなが劇に夢中になってる間に張り替えるんだよ」
「え?」
「あーちなみに、真ん中の瑠璃ちゃんは半透明にするから」
「つまり、幽霊みたいな? あっ、もしかして……」
「ああ! そういう事ですか!」
俺もひかりさんも奈良屋さんの意図に気付いた。
どこか歯の抜けたような穴のあるストーリーは、暗に俺が幽霊としてみんなの側にいた事を示していた。
この物語は、病気で突然居なくなった女の子の存在が、他の生徒達に善かれ悪かれ影響を与えている。幽霊が超能力か何かで助けるのではなく、それぞれが人生の分岐点で誰かの事を思い出す。ただその誰かの中に、偶然、その『女の子』がいただけのこと。
ただ単に、その女の子が居たか事によって人生が大きく変わっていただろうという、それだけの話だ。
「舞台が終わって生徒たちは廊下を通るだろ? そのときにポスターがこいつに変わってるわけだ。今回の物語の裏に、一人の少女が居た事に気付くって寸法さ」
女の子の周りに全員が集まったこの差し替え用のポスターが、説明不足気味の物語を補完する。
普通の感性があれば、このポスターを見れぱ物語の不自然な穴の答えに気付くだろう。
けれど、頭の悪い馬鹿が見たら最後まで意味が通じないかもしれないけど……。
「でも邪道ですよね。舞台の上で完結させないなんて」
「まあそこはな。答えを教えたらつまらないだろ? 要はヒントなんだよこいつは。そもそも世の中ってのはむしろ、ヒント1つ出してくれないものだしな。そのくせそこら中に堂々と転がってたりもするものだから意地が悪いよなぁ」
そう言いながら奈良屋さんは、女の子を囲む生徒達のイメージイラストを人差し指でコツンコツンと叩く。
「瑠璃ちゃん、長くなったけど瑠璃ちゃんをモデルに撮りたいってのはそういうわけなんだ。完全に顔出しになるけど、撮影させてくれないかな?」
顔出し……。
「別に嫌なら無理強いはしないさ。瑠璃ちゃんまだ正式な団員じゃないしな」
「えと、あの……ちょっとだけ考えさせてくれますか?」
「ああ、いいよ」
俺は理科室の扉を開ける。
「るーちゃん、どこいくの?」
「校内を散歩……かな。ちょっと考えたい」
「それならわたくしもついていくわ」
「ごめん、りさちん先生。少し一人にしてくれる? 頭の中整理したい」
「わ、わかったわ」
「瑠璃さん、私たちは引き続き各実習室の撮影を続けますので、迷子になったら携帯か職員室に来てくださいね」
「はーい」
◇ ◇ ◇
結局のところ、奈良屋さんは男だった「宮川瑠偉」の存在をみんなに示したかったのかも知れない。それも目立たせることなく、ごく自然に。
でも、そう思ってしまうのは俺の一方的な妄想でしかなくて、奈良屋さんは単に舞台を面白くしたかっただけかも知れない。
正直、今回の舞台は一つの物語としては面白いとは思えない。
というか分からない。
あの説明じゃ、オトナからの上から目線で説教くさい舞台ってイメージが強くて、なんか鼻につくし。
たぶん学校で演じるものだから、思い通りにやれないんだろう。
甘いケーキが食べたい客に甘くて美味しいケーキを提供したいのだけど、健康に悪いからシュガーレスのケーキしか出せないのと同じっていうか……。
よく分かんないけど、教師とか教育委員会とか、頭が固くて無思慮で身勝手な大人達の要望が、この舞台を台無しにしてる気がするんだ。
当の中学生の事なんかどうでもよくて、大人の見栄とかプライドとか立場とか、なんかいろんな思惑が、舞台を汚しているというか。
それでも不思議と、観客の心のどこかに、何かしら残るものがある舞台になると俺は思う。
映画で言えば、商業的に大ヒットしなかったけど「知られざる名作」みたいな。なんかそんな感じがする。はっきりとはしないけれど。
無意識に校舎の階段を上がる。
この階段の先に、いつもの3年6組の教室がある。
「撮影……か……」
階段を登りながら呟く。
たぶんポスターの撮影程度なら、俺の正体がバレる事は無いだろう。
俺自身もその辺は心配していない。
そもそも実際にあいつらと直接会うわけでもないし。
ただ……。
一度は過去をすべて捨て去ると決めたのに、昔のことを掘り返すような事をされ続けて、なんていうか、運命みたいのを感じるというか、リセットして新しい人生なんてのはやっぱりどこにも無くて、過去から逃げることもできなくて、あの人に、奈良屋さんに翻弄されつづけてるだけの気もして……。
階段を登り終えてまっすぐ廊下を歩き、自然と3年6組の教室に入る。
──おっす瑠偉! 今日は早いな!
──おはよう宮川くん。
登校して教室の扉を開けると、いつも誰かが居て、俺に挨拶してくれるんだよな。
でも今は、ここに誰も居ない……。ひとりぼっちだ。
あのいつも騒がしい教室が、これほど寂しい空間だったなんて、思いもしなかったな。
あの騒がしい日々は偽りない本物だった。
けれど、女になってしまった今となっては、それはもう他人の思い出話でしかない。
強気で生意気で臆病で、背が低くて冴えない見た目の、とある男子生徒Aの思い出なんだ。
誰もいない静まり返った冬の教室の中、とある座席だけが、ひどく荒らされていた事に気付く。
「あっ……」
思わず声が漏れた。
それは高いソプラノの、吐息のような声。
変わり果てた俺の声だ。
まだこの声が自分の声だという自覚が足りてないのか、自分の声に驚いた自分に戸惑ってしまう。
それでも、俺は荒れた座席を見つめたまま視線がブレる事はなく、机の上には割れた花瓶と、まだ枯れていない白い花が散乱してびしょ濡れになっいて、机には油性ペンで『死ね』『変態盗撮野郎』など、目を覆うようなひどい言葉が書き殴られていた。
祐馬の……席だ。
散乱した花はまだ瑞々しさがある。ここに花瓶を叩きつけて割ったのはおそらく今日なのだろう。
おかしな異臭が漂うので、俺は膝を曲げて屈み机の中を覗く。すると机の中にはビニール袋に包まれて緑色に変色した腐った魚のフライみたいなのが入っていた。
「ここまで……やるのか……?」
やることが小学生並に幼稚だとも思った。
けれど祐馬は盗撮した写真か何かを使って、大人しそうな女子生徒を何人か脅迫したというから、された側からすればこれでもまだ手ぬるいと思うかもしれない。
だけどこれが、脅迫された女の子達の仕返しだとは、俺には到底思えない。
何故なら被害者の子達は、みんな内気な性格だっていうから。
おそらくこれは、何の関係もない第三者が余計な大義名分を得てやった事なのだろう。
──こいつには何をしてもいい と。
でもそれは違う。
ううん、違うというか、これは卑怯だ。間違ってる。
あれからどうなったのか全然分かんないけど、こんな事をするのは間違ってるというのだけは分かる。
佑馬のやつ、学校に来たのかな?
金髪に染めたまま、ここで誰かと殴り合いとかしたのかな?
ネット上で嫌がらせとかされてないかな?
そういえば俺、もう随分とネット見ていなかったっけ。ははっ……。
気付けば、俺は雑巾をもって走り出していた。
雑巾を水で濡らし、備え付けの石鹸を雑巾にこすり付けて、再び教室へ戻る。
散らばった花を丁寧に取って隣の机の上に並べ、割れた花瓶の破片を片付け終えると、佑馬の机をゴシゴシと拭く。
机の中から漂う悪臭が鼻についたので、ビニール袋に入った腐った魚のフライをつまみ出してゴミ箱に叩き込むと思いっきり蓋をした。
「くっそ、石鹸じゃラクガキが取れないな……」
放課後の掃除をサボっていた事が今になって悔やまれる。
もしも真面目にやっていたら、もしかしたら特殊な洗剤を使う日だってあったかも知れない。
きっとどこか探せば、ちゃんとした洗剤が置いてあるのだろうけど、俺にはそれがどこにあるのか皆目見当がつかない。
それでも俺は、無駄な足掻きだと分かりつつも、佑馬の机のラクガキを拭い続けた。
なんでこんな事してんだよ。
ポスターの撮影の事を考えていたはずなのに!
性別が変わって、姿が変わってしまった俺は、もはや「宮川瑠偉」とは完全に別人になったはずだろ!?
なのに、どうして知らない男の、盗撮魔の机なんかを必死になって拭いてんだよ!?
白く小さな俺の指先は、冬の寒さに悴んで赤く変色していた。
消えろっ! 消えろっ! 何もかも消えろ!
このラクガキも、俺の過去も、全部、全部! 全部消えちまえっ!!
俺自身の過去を消し去る事が出来てたなら、今さら見ず知らずの他人の机を必死に拭いたりなんかしない。
どこか矛盾めいた想いだと気付いた俺だが、それでも必死に祐馬の机を磨き続ける。
「やっぱり……消えないのかな」
俺の過去も、祐馬の過ちも、このラクガキも……何もかも。
ふと奈良屋さんが語った物語を思い出す。
あの舞台の登場人物は、誰一人として夢や理想に辿り着いていない。
昔の事を後悔しながら語る役もいれば、過去の失敗を誇らしく思う役もいる。
共通しているのは、誰もが肯定的であれ否定定であれ、過去の事を受け止めている事だ。
受け入れざるを得ない現実を、皆が皆、いろんな形で受け止めている。
けれど、消えてしまった『女の子』だけは、ずっと消えたままだ。
消えたままで、物語は終わってしまう。
もしも舞台の告知ポスターが校内に張り出されなければ、あの『女の子』は物語から完全に消えてしまうだろう。
そしてきっと誰にも気づかれることなく、奈良屋さんの舞台は、誰の心にも残らない味気ない終焉を迎えるのだろう。
それは皮肉にも、俺自身が理想とする『誰かの心を動かすような』ものとは真逆の、何も残らない、無意味で無価値な演劇になる。
自分の過去を消し去りたいと思う俺自身と、消し去ってはいけない『女の子』を重ね、矛盾した想いが頭の中を交錯する。
「……誰?」
突然、教室の扉の方から困惑交じりの声が聞こえた……。




