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月桂樹の唄  作者: 松山 京平
転変編
48/73

48頁 虹色の原石

 地上5階の俺の病室内が、張り詰めた空気で覆われている。


 この部屋にもうすぐあの人(・・・)がやってくる。

 ついさっき、りさちん先生の電話に到着したとの連絡が入って、先生はあの人を出迎えに行っている最中だ。


 傲岸(ごうがん)不遜(ふそん)、怖いもの知らず、人生がゲーム感覚、腹黒。


 それが修学旅行2日目の夜に見た、生の(つるぎ)雪斗(ゆきと)の第一印象だった。

 そして昨夜、あの公園で剣と話をした後でも、俺の中では最初の印象から大きく変わってはいない。


 ただ、昨夜の帰り際に聞いた話だけど、剣は俳優を引退してからも暇を見ては各地のボランティア施設を回っていたり、俺みたいな難病を患った子供達のために僅かながら寄付をし続けたりしているらしい。

 そんな話を聞くと、剣雪斗という男の本性がますます分からなくなるというか、俺なんかじゃ到底測りきれないとても大きな器量の持ち主だと思った。

 それになんか、売名とか、あるいは自己満足感を得るためだけのボランティア活動って感じがしなくて、おそらくきっと何か理由があるのかなって気もした。


 ともあれ、俺の心境はまだ複雑だ。

 期待、不安、希望、恐怖……。

 俺の頭の中でいろんな感情がごちゃ混ぜになってるけど、一つ言えるのはこんなチャンスはおそらく二度とないって事だ。

 父さんにはかなりキツい事言われたけど、劇団に入ると決めた以上は、これから何を言われようが、とにかく全力でぶつかってみるつもりだ。


 心の準備は、もう出来ている……。



………

……



 ──コンコン



 病室のドアをノックする音がすると、ホテルのような立派な病室内にりさちん先生と、それから先生の後に続いて、スーツ姿の大人の男女2人が静かに入ってきた。


 2人とも帽子を深くかぶり、街中でもよく見る白のマスクを着けている。

 素顔の見えない2人は父さん達に軽くお辞儀をして帽子とマスクを外すと、もう一度父さんと母さんに向かってお辞儀をし、丁寧に挨拶を始めた。


「突然このようなところにまでに押しかけて誠に申し訳ありません。私は劇団七色座の座長の奈良屋義春と申します。以前は剣雪斗を名乗っておりましたので、世間的にはそちらの方が有名かと存じますが……」


 マスクをとった男の方は剣雪斗だった。

 その顔はテレビに映っていた中年男ではなく、昨夜の若返った(?)顔と同じだった。

 そしてもう一人の女性の方は、昨日会った庶務の米沢ひかりさんだ。

 ひかりさんは昨日と同じくスーツ姿で、今日もまたVIPを警護するSPみたいな雰囲気を漂わせている。

 案の定と言うべきか、やたらと声の大きかった熊みたいな熊谷さんの姿は見当たらない。

 きっと今頃、コンビニの外で繋がれて放置された飼い犬みたいになってるんだと思う。


「これはご丁寧に……。妻と一緒にテレビでよく拝見しておりました。私は瑠伊の父の宮川(たける)と申します。こちらが妻の詩織(しおり)です」


 俺と一緒に病室内でずっと待機していた父さんは挨拶を返すと軽くお辞儀をした。

 そして父さんに紹介された母さんは、何度も何度もキツツキみたいにペコペコと小さなお辞儀を繰り返すだけで何も言えず、半ばパニック状態といったところだろうか。


 それにしても大丈夫かよ母さんは……。

 動きがガチガチだし、今にも失神しそうだし。

 母さん、いつもはテレビに剣雪斗が映るだけでハムスターがひまわりの種を夢中で(かじ)るみたいになってたけど、流石にこの様子じゃいきなり剣に抱きつくような真似はしなさそうだ。


 母さんの様子を見て、ひとまず俺の中の心配の種が1つ減った。

 でも、俺の頭の中には心配の種の残りがあと9999万9999個ぐらい残ってる気がするんだけど。



 剣は両親との世間話をそこそこに切り上げると、ゆっくりと俺の方へとやってくる。

 そして、ベッドの上で上体を起こして病人らしく座っている俺に向かって、にこりと微笑(ほほえ)んだ。

 この無垢な笑顔。おそらくは長年の俳優業で身に着けた作り笑顔テクなのだろうけど、その笑顔を一瞬直視してしまった俺は、つい顔を(そむ)けてしまって、剣のいる位置とは真逆の窓側の方を見てしまった。


「やぁるりちゃん、こんにちは。あ、照れてる?」


 な、なに顔背けてんだよ俺は……。馬鹿か?

 もしこれが喧嘩直前だったら、戦う前から負けを認めたのと同じだぞ?


「こ、こんにちは……」


 だ、だから、なにドモってんだよ!

 挨拶ぐらいしっかり声張れよ、ちくしょう!


「昨夜は遅くまで悪かったね。る()ちゃん疲れてないかい?」

「はい、大丈夫……です」


 そういえば男に「ちゃん」付けで呼ばれたのって、この人以外だと幼稚園の頃ぐらいが最後だっけ?

 その後大抵は苗字で呼ばれたか、あるいは「瑠伊くん」とか、「瑠伊」って普通に呼び捨てか、その時のノリでコロコロ変わる「ノコノコ」とか「パタパタ」みたいな意味不明なあだ名か、あるいは生倉(なまくら)登呂杉(とろすぎ)みたいなクズ共から言われた「キモ川」といったような悪意ある呼ばれ方されたぐらいだろうか。

 それはともかく、俺の名前って間違って覚えられてるんだよな。


「あ、あの……すいません。違うんです。瑠伊(るい)って言うんです。……私の名前」

「あー! ごめんごめん、瑠伊ちゃんだったんだね。あっ、てことはもしかして俺、昨日ずっと間違えてた?」

「は、はい……」

「なんだ。それなら遠慮せずに言ってくれればよかったのに」


 ははははっ、と乾いた笑い声の剣。

 「言ってくれれば」なんて簡単に言うけどさ、昨日はなんか(しゃべ)ったら殺すぞみたいなオーラ出してた気がするし……。


「あの、剣さん。お……、私をスカウトするって、やっぱり本気なんですか?」

「本気だよ。でなきゃここまで来ない」

「で、でも、病室にまでスカウトしに来るなんて話、聞いたことがないですよ?」

「そう? なら俺が1番だな。ついでだからギネスにでも申請してやろうか?」

「は、はぁ……」


 いや、でもさ、俺の退院が近いからって病室にまで押し掛けてスカウトしに来るのってどうなんだ? 新作ソフトのフライングゲットじゃあるまいし。

 てかやっぱり、俺って本気で期待されてるって事でいいのか?


「というよりな、瑠伊ちゃん。スカウトの切っ掛けなんて、それこそ人の数だけ逸話があるもんなんだから、いちいち気にする必要はないよ」

「は、はい……」


 そうは言うけどさ、俺、今パジャマ姿だし……。

 いかにも病人ですみたいなオーラがドバドバ出てるから、やっぱり色々気にするって言うか……。

 ほ、ほら、昨夜と違ってこのパジャマ姿だと貧相で華奢な身体つきが丸わかりだろ?

 やっぱりスカウト辞めますゴメンナサイなんてことになっ……


「それから、はい、これは俺からのお見舞いプレゼント」


 俺の心配を(さえぎ)って剣が差し出したのは、透明なブックカバーが施された手作りの本……いや、これはおそらく台本だ。


「これは……台本ですか?」

「うん。昔俺が出演した映画の脚本。『24人の殺人鬼達2』って知らない?」


 『24人の殺人鬼達』と言えば、過去から現代まで、世界中の『殺人鬼』が1つの館に集められて殺し合うデスゲームの話だっけ?

 確か、殺人鬼達の殺人方法はそれぞれに特殊なやり方が指定されていて、必ず指定された殺し方で殺さないといけないって話だ。

 そしてもう一つ、殺人鬼達には絶対にやってはいけない禁忌(タブー)というのがあって、例えば銃に触れてはいけない禁忌をもつ殺人鬼が、ついつい銃に触ってしまったり、あるいは他の誰かにそっと触らせられたりすると死んでしまうんだよな。

 そんでもって世界中から色んな時代の色んな『殺人鬼』達がかき集められたせいで、アステカ人の勇者が人斬り侍を殺すために必死にトウモロコシ粥を飲ませようとしたり、誘拐殺人犯のニートが、古代中国の豪傑相手にテレビのリモコンを操作して俺は呪術師だとかハッタリかますものの、鷲掴みにされて窓から突き落とされて殺されたりとか、よく分かんない映画だったと思う。

 要はB級のコメディ映画なんだけど、どうせ台本くれるなら各種映画賞を総ナメにした『プリズム』の台本が良かったなぁ……。


「2は全然知らなかったです。1は見たけどすっごい面白かったです」

「あー知らないのか。残念だなぁ。俺にしては珍しい悪役だったのに」

「す、すみません……」

「ま、いいや。2はカルト的な人気があったけど、広告展開が下手すぎて興業的にはいまいちだったんだよな」

「そうだったんですか」

「うん。大人が喧嘩すると目も当てられない結果になるって典型。ま、その件については俺は蚊帳の外だったからどうでもいいんだけど。あ、ちなみにその台本は俺のサイン付きだから、読み飽きたら治療費の足しにネットオークションにでも流していいからね」

「えっ!? そ、そんな事できないですよ!?」

「おや、意外と真面目なんだな。じゃあそれ、瑠伊ちゃんが大切に保管しておいてよ。役者にとって台本は命だからさ。俺はもう役者じゃないし、ソレ、必要ないから」


 なんか言ってる事が矛盾してるというかメチャクチャっていうか……。

 普通こういうのって引退しようがしまいがずっと大切にするものなんじゃないの?


 あ……。もしかして今のって試されてたのかな?

 人間ってさ、こういう些細な反応で相手がどういうタイプか見極めようとするだろ?

 頭の切れるタイプとか性格歪んでそうなタイプなら、こんな感じでいやらしい探り入れてきてもおかしくなさそうだし。

 いや、あるいは単純に読んで演技の勉強しろってことなんだろうか……。


「瑠伊ちゃん、昨日の話なんだけど、もうご両親と相談した?」

「あ、今朝しました」


 俺がそう言うと、剣は父さんと母さんの方を見た。

 すると父さんと母さんは、無言でコクリと頷いた。


「なるほど。で、どうだった?」

「えと……」


 俺は答えに詰まって、つい父さんの顔を見つめた。


「えーっとですね……」


言葉に詰まる俺の様子を見て、父さんはすぐに察したのか


「瑠伊、自分の言葉ではっきりと言いなさい」


と、俺に言った。


「か、母さんは、剣さんの大ファンだから馬鹿みたいに喜んでたけど……」

「ちょっとるーちゃん! 馬鹿って何よ!? 失礼しちゃうわね!」


 さっきまで大人しくしていた母さんのスイッチが入ったのか、いきなりやかましくなった……。だけど無視だ無視。


「父さんには中途半端な気持ちならやめておけって言われました」

「ふむ……」

「たけど、最後は自分で決めなさいって」

「なるほどね」

「娘の言う通り、私は中途半端な気持ちでするなと釘を刺しただけですから」


 父さんが毅然と言うと、俺は「うん」と頷いた。

 そう、この事については俺自身で決めなきゃいけない。


「お父様に怒られて泣いちゃってたもんねぇー」

「ちょっ! 先生いきなり何言ってんだよっ! な、泣いてなんかねーし!」

「またまたぁ~」


 ち、ちくしょう、真剣に考えていたのに台無しじゃねーか!

 りさちん先生のくせに俺を子ども扱いしやがって!


「でさ、るーちゃん、決めたの?」


 ニヤニヤ笑っていたりさちん先生だったが、今度は真面目に聞いてきた。


「うん、決めたよ」

()かしたみたいで悪いね。今日はどちらかというとお見舞いのつもりで来たつもりだったのに、つい返事が聞きたくなってさ。でももしまだ迷ってるのなら、今日無理に返事くれなくてもいいからね」

「い、いえ、大丈夫です! もう決めましたから」

「そうか……。じゃ、返事聞かせてもらってもいいかな?」

「はい」


 俺はコクリと頷いてしっかりと返事をした。

 病室内を見回すと、みんな黙って俺を見つめている……。



 急にドキドキしてきた……。



 落ち着け……。



 俺は静かにかつ大きく息を吸うと、ゆっくりと、長く、時間をかけて息を吐きだした。

 この深呼吸を数回ほど繰り返す。

 そのうち、周りの人達一人一人の呼吸までもがはっきりと聞き取れるようになってきた。



 大丈夫。

 ありのままの気持ちを、そのまま言葉にするだけでいい。




 …………。




 よし。



「私、剣さんの、ううん、奈良屋さんの劇団に入りたいです。七色座に入りたいです! お芝居とか全然わかんないけど、誰かの心を揺さぶるような、そんな存在になりたいって思ったから……。だから奈良屋さん、私を、七色座に入れてくださいっ!!」



 剣……いや、奈良屋さんの顔をしっかりと見ながら、はっきりと言った。

 言えた!!



 …………。



 奈良屋さんは俺のめいいっぱいの言葉に全く反応することなく、ただじっと、無言で俺の目を見続けている。

 喧嘩前のメンチの切り合いじゃないけど、俺は自分の意志を貫き通すために、今度は目線を反らさない! 絶対に……!



 …………。



「瑠伊ちゃんさ、俺がキミにゴキブリ役をやれと言ったらできる?」

「できます!」

「頭を踏まれながら、本当に床を舐めさせられる役をやれと言われたらやれる?」

「やれます!」

「高くて不安定な舞台装置の足場の上であっても、臆することなく演じ続けられる?」

「は、はいっ!」

「公演の途中でアクシデントが起きて、瑠伊ちゃん1人で時間を稼いできてくれって言ったらやりきれる?」

「その時はやりきれなくても、やるしかないです! やります!」

「ふむ……」


 互いに目線を逸らすことなく問答が続く。

 だが俺はここで引くわけには行かない。


「じゃあ薄汚い暴漢に襲われて、ハァハァ抱きつかれながら身体中を撫でまわされつつ強引にキスされる役をしろと言えばできる?」

「き、キスぅ!?」


 あ…………。


 そこは「できる」って即答しなきゃダメだろうが!!



「あっはははははっ!! いい感じだったんだけどな、さすがにそれは無理か。はははははっ!」


 乾いた笑い声の奈良屋さん。

 でも、心じゃ全然笑ってない感じがした。


「き、キスぐらい普通にやれますから! よ、余裕ですよ!」

「お!? なら俺とここでキスしてみようか?」


 う……。墓穴掘ったか?

 てかこれってセクハラだろ? 最低だ。


「普通にできるんだろ? ほら、俺にキスしてごらんよ瑠伊ちゃん」


 ま、マジかよ?


 俺は父さんの方を見る。

 しかし父さんはセクハラまがいの奈良屋に対し怒る様子もなく、じっと俺を見続けている。たぶん父さんも、俺の覚悟の程を試しているに違いない……。


 だけど、よりにもよってキスかよ。

 クソッ! 俺のファーストキスの相手が男だなんて、あーもう!!



  ──覚悟はできとるんやな?

  ──はい、好きにしてください……。このままじゃ私、デビューできないから

  ──よっしゃ、ええ子や。心配せんでええ。わいが気持ちようしたるさかいな



 修学旅行の夜に見た、金満デブとアイドルの卵らしき女の子の事が頭に浮かんだ。

 強烈な嫌悪感と吐き気を(もよお)すあのシーンと似たような事を、まさか実際に自分がやるハメになるだなんて思いもしなかった。


 ポジティブに考えるなら、相手があの油ギッシュな中年男じゃなくイケメンの剣雪斗だから、世の女性からしてみればとてつもなく羨ましがられるのだろうけど、とはいえ……。


 や、やるのか? 本当に?


「ほら、俺は何もしないからさ、瑠伊ちゃんからキスしてきて」


 からかうように俺を見る奈良屋さん。

 キスも出来ないのかと言わんばかりに、スーツのポケットに両手を突っ込んで偉そうに仁王立ちしている。


 正直最低な気分だ。胸糞悪い。

 覚悟ができているとはいえ、こんな……。

 いっその事、どてっ腹に一撃ブチかましてやろうか!?

 

 ……いや、もういい。クソがっ!


 俺はベッドから降りて立ち上がると、奈良屋のすぐ(そば)に近づく。

 俺の身長が低すぎたので上を見上げてみるものの、このままじゃ背伸びしてもキスなんてできそうになかった。


 だから俺はそのまま目をぎゅっと閉じた。

 それが俺の限界だった。

 やっぱり、自分からキスだなんて、とてもじゃないが出来そうにない。


 (まぶた)にギュッと力を入れて目と閉じ、ひたすら奈良屋がキスしてくるのを待つ。

 すると、俺の両肩に奈良屋が手を乗せる感触がした。

 そっと抱き寄せられると、顔のすぐ近くに何か熱を帯びた気配……。


 は、はやくしやがれ、ちくしょうがっ!!!


 その気配は、目と鼻の先にまで来ていた。

 もう、駄目だ……。


 俺は本当に、覚悟を決めた……。







「奈良屋先生、それセクハラですから」


 横からひかりさんの怖い声が聞こえた。


「あーあ、いいところだったのに」


 俺の顔面いっぱいに奈良屋さんの声が吹き付けられると、顔いっぱいに爽やかなミントの香りの息が漂った。

 一瞬目を開けると、視界全面に奈良屋さんの顔。

 俺はびっくりして条件反射で奈良屋さんを突き放すと、横を向いて、もう一度ぎゅっと両目を閉じた。


 心臓がバクバクして、息が浅く、荒くなっていた。



「堅いなぁひかりさんは。もう少しで瑠伊ちゃんとチューできるところだったのにさ」

「瑠伊さん、それからご家族の方、大変申し訳ありません。実は事前に奈良屋に言われまして、皆さん一家がどれだけ本気であるか試させて頂きました」

「へっ!?」


 た、試した……?

 しかも父さんや母さんまで……?


「お父様お母さま、大変失礼しました。実は知人にアドバイスを頂きまして、子役をスカウトする際は本人よりも保護者の方が後々やっかいだと聞きまして、ぶん殴られるのを覚悟で試させてもらいました」

「ああ、やはりそうでしたか……。実は私も、娘がどれぐらい本気か見ているつもりいましたが、いやはや見ていて気分がいいものじゃないですね」


 流石は父さんだ。自身が試されている事に気付いていたらしい。

 一方、母さんの方はというと、さっきから目をキラキラさせて、マタタビに酔った猫みたいにヨダレを垂らしていた。

 いつもテレビに齧りついてるときと殆ど同じじゃないか……。みっともない。


「奈良屋先生。私が止めなければキスするつもりでしたよね?」

「当然」


 ひかりさんの質問に、奈良屋さんは当たり前のように答えた。


「はぁ、(あき)れた……」

「そうは言うけどさ、ひかりさん。舞台の上じゃどんな役でも息するぐらい当たり前にできないと困るんだよ」

「でしたら、いちいちエッチなシーンが無くても十分面白い脚本を書いてくださいよ。中学生じゃないんですから」

「おーこわい。る()ちゃん、この人って七色座で一番怖い人だから気を付けなよ?」

「あの……瑠伊(るい)です」

「あー、ごめんごめん瑠伊ちゃん」

「瑠伊さん、この男の言う事はいちいち真に受けなくていいですからね。調子に乗ると風船みたいにどっか飛んで行っちゃうような人ですから」


 なにそれ?

 どう反応したらいいんだよ……。


「おいおい酷いなぁ。女のいう事なんて信じたらダメだからな瑠伊ちゃん」

「あ、あの、私も一応、女なんですけど……」


 中身は男みたいなものだけど。


「あーそうだったね。ま、いっか。じゃあ瑠伊ちゃん、最後の質問いいかな」

「あ、はい」

「真面目な話さ、瑠伊ちゃん、映画の撮影で今みたいに実際男と一緒にベッドシーンをやれと言ったらやれそう? 抱き合って撫でまわされて、キスされて、そして大事なところが見えるか見えないかギリギリ全裸で絡み合うなんて感じ。もちろん撮影スタッフにはモロに見えちゃう」

「は、はぁ!?」


 あ、オワタ。

 殆ど同じ質問が来るとは思わなかったから、素で反応してしまった……。


 まぁそうだよな。

 役者ってのはさ、そういうエロいシーンも平然とこなせるぐらいでないとダメだよな。

 やっぱり俺って、考えが甘すぎだったのかな……。


「ま、そういう反応するよな、普通の子は」

「ご、ごめんなさい……。たぶん無理……かもしれないです」

「うんうん。いや別に俺さ、瑠伊ちゃんに脱げなんて言うつもりは全然ないし、映画かドラマか何かで頼まれようとも、そんな事は絶対にさせないつもりだから、そこは安心してよ」

「あ、は、はい、ありがとうございます!」


 本当かよ……?

 てか、七色座って舞台だけじゃなくて、ドラマとかもやってるのかな?


「だけどさ、さっき言ったかもしれないけど、舞台の上に立つ以上、心は全裸になってもらわないと困るワケよ。役者ってのは大衆の面前で大恥かいてナンボだからさ、いちいち恥ずかしがられたら芝居になんないんだよな。そこは常に意識しておいて」


 それは分かる気がする。実際それぐらいの気構えを持ってないと、たぶんこれから先やって行けないんだと思う。だとしたら、恥なんていくらでもかいてやるよ。

 それに、カッコイイだけの完璧人間なんてぶっちゃけ面白くないもんな!


「は、はい! 恥をかきまくればいいんですよね!」

「うん。瑠伊ちゃん退院したらさ、毎日『私っていつも全裸で街を歩いてるです!』って感じで外歩いてみて」


 前言撤回。痴女じゃねーか!


「が、ガンバリマス!」

「よし、いい子だ」


 奈良屋さんは俺の頭に手を乗せて、子犬の頭を撫でるようにぐしゃぐしゃとした。

 でも、不思議とこの人に言われると自信が持てるというか、恥をかくことすら誇らしく思える気がしてきた。

 女になってずっと何かに怯えていた俺に、右でも左でもない、思いもつかなかった新しい答えを教えてくれた気がした。


 だけど、演技だとしても実際にキスするのはたぶんまだ無理そうだ。

 さっきはなんか、ぎゅっと目を瞑りすぎてしまって小学生みたいな感じだったし。


 心は裸になれってのはきっと、そんな些細なわだかまりなんか全部脱ぎ捨てて、何でもできるようになれって事なんだろうと思う。




「えー、では改めてまして」


 突然、奈良屋さんが少し大きめの声で言うと、病室は静まり返った。



「20XX年12月25日。劇団七色座座長、奈良屋義春は、宮川瑠伊を正式に七色座へ入団する事を認めます」


 そう言って奈良屋さんは俺に右手を差し出した。

 俺はその手をそっと握ると、奈良屋さんは左手も添えて強くしっかりと握り返してきた。


「よろしくお願いします!」

「うん。これからよろしくな、瑠伊ちゃん」


 静かな病室にパチパチパチと拍手音が響き渡った。



………

……



 その後、父さんと母さんと一緒に、ひかりさんから契約条件などについての説明を受けた。

 劇団との正式な契約は俺の退院後となる。その時期はおそらくは年明け後だろう。

 それからなんと! 正式契約後は毎月結構な額のお給料が出るらしい。

 だけど、新人にはそんな金を使う暇なんて無いよと、厳しい事を言われてしまったけど。


 それでも、ひかりさんが言うには、七色座の待遇は業界でもかなり良い方らしい。

 一部芸能事務所と称する怪しいところじゃ、スカウトした子から逆にレッスン料をふんだくるところもあるから十分気を付けるようにと、ひかりさんにレクチャーされた。


 最初は意味がよく分からなかったけど、芸能界を目指す人は常に供給過多で、実際大金を出してでも芸能界デビューしたいという人がごまんといるらしく、一部の悪質な芸能事務所などではそんな夢をもつ人達を『研修生(エサ)』として扱って、毎月決して安くない金額を『レッスン料』や『手数料』と称して巻き上げているらしい。

 同時に、今回の俺みたいに将来有望だと判断された人は別枠扱いにして、事務所の成功事例として存分に活躍してもらい、世間知らずな『研修生(エサ)』達にバレないようにしているとか。

 殆ど詐欺みたいな話だけど、たとえそういう仕組みだとバレていても、それでも志願者は山のようにやって来るので止めようが無いというか、止める必要が無いのが現状らしい。


 ちなみに七色座ではそういった半端な研修生制度は採用しておらず、今回の俺みたいな新人を除けば、全員第一線で活躍している人ばかりの面々らしい。

 どういう人達が所属しているのか、名前は教えてもらえなかったけど。


 まぁとにかく、ひかりさんが言いたかったのは、よその甘いスカウトには惑わされるなという事だ。

 よそからのスカウト関係についてはくどいぐらい注意を受けて、復唱までさせられたけど、流石にちょっと大げさな気がした。




 ──コンコン




 ひかりさんの説明が終わる頃、誰かが病室のドアをノックした。


 誰だろう?

 今日は他に誰か来るなんて話は聞いていないぞ?

 それにちょっと疲れたし。

 

 そもそも、いつもの看護師さんだったらノック音がもっと乱暴だし、遠慮せずゴリラみたいにズカズカと部屋に入って来るはずだし……。



 母さんがそっとドアを開けると、フード付きコートを深く被った人物が静かに俺の病室に入ってきたのだった……。




※この物語はフィクションです。

 あくまで創作ですので、実在の芸能界事情と混同しないようお願い申し上げます。


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