2頁 九月の前兆
俺の身体に異変が起きたのは、秋葉原に出かけてから3日後ぐらいだった。
夜。俺は家のバスルームでいつものように『アルティメット・グロウ』、通称『アルグロ』の曲を熱唱しながらシャワーを浴び、それからボディタオルにボディーソープを塗りたくって体をごしごしと洗う。すると、全身の皮が気持ちの良いくらいにベリベリと捲れていった。
「この前秋葉原を歩き回ったから、すげぇ皮が剥けやがるな」
最初は日焼けした薄膜状の汚い皮がペリペリと剥がれて気持ち良かったとしか思わなかった。まぁちょっとは痛かったりもしたけど、2~3日もすれば皮は剥けなくなるだろうって、その時は思っていた。
けれど、予測に反して夏休みの終盤になっても、風呂に入って身体を洗う度に身体中から汚い皮が剥がれ続けた。しかも不気味なことに、日焼けをまったくしていない個所までもがペリペリと皮が剥がれていくものだから、これはさすがに気味悪い。
何かおかしい……。
秋葉原に行った日を最後に、俺はずっと家の中で過ごしてきた。日焼けしそうな事なんて、あの日以来一度もない。
俺の残りの夏休み生活といえば、『受験を控え、猛勉強する中学三年生』のイメージとは無縁の、実に残念な日々を繰り返してきただけだ。
午前中は一応受験に向けてそれなりに勉強を頑張ったフリをする。
一応、宿題は秋葉原に行く前に一通り終わらせているものの、その内容は実にロクでもないものになっている。
とりあえず「必死で頑張りました」アピールとして、難しそうな問題の解答欄に「てきとー」に答えっぽい事を書き込み、一旦そこに汚い消しゴムを使ってワザと汚す。
そして今度は何となく正解っぽい答えをガサツに書き込む。
いや何、宿題なんてこんな小細工を弄さずとも、俺がちょっと本気出せば、それこそ文字通り『寝てても』出来るはずなんだけどな。
ただ、俺がガチで本気出してしまうと、尋常じゃない出費を強いられてしまうから、結局本気は出せないんだよなぁ……。
自称情強の俺でも、さすがに宿題代行サービスを無料でやってくれるような親切な業者を見つける事が出来なかったワケだから、結局、ガチの現金なんて出せないわけで。
色々とセコい検討を重ねた結果、あの手この手の小細工を弄して無理やり終わらした宿題は、もう二度と見返したくない出来になっているけれど、しょうがない。
そもそも本来休みなのに、宿題という無償労働を強いる学校が悪い。そんな教育制度で育った今の大人たちの多くが社畜に落ちるのも道理というものだ。
学校教育なんてものは、支配者層にとって都合のいい奴隷を育てる機関なのだ。
学校というのは、生まれた時からフリーダムな俺とは真逆の忌むべき存在なのだ。
おかげで文字の読み書きと、四則演算程度しかできない、人間の出来損ないに育ってしまったじゃねーか! どうしてくれるんだ!
と、世の中が悪意で満ち溢れていること脳内で力説しながら、部屋の机の上に投げ出された宿題を見ていると、血迷ったのか、ふと頭の中で『宿題なんて変な小細工を弄するよりも普通にやったほうが早く終わったんじゃね?』という邪な考えが思い浮かぶ。
けれど、俺が受験生みたいに真面目に勉強なんかに取り組んでしまうと、集中力が2分で切れてしまい、結局宿題を終えられない事になってしまうのは火を見るよりも明らかなので、やはり元の木阿弥というべきか、ひと手間ふた手間かけて、無駄に小細工を仕掛けた方が、「宿題すっごいやった感」ボーナスが0.2倍ぐらい加算されるので、2学期も両手を振って校内を歩き回れることは確定的に明らか。
机の上に無造作に転がっている終わらせた宿題の惨状こそが、最短ルートの攻略法だったことを証明している。
あとは2学期が始まって、放課後にクソ教師に呼び出された時の言い訳をその場でピコーン! と思いついたら完璧。
日本人が十八番とする《先送り》スキルを、若干14歳で習得してるあたり、俺も将来立派な日本を代表する大人になれる気がする。やったぜ!
ちなみに今回新たに身についた新スキルは《消しゴムの効率的な汚し方Ⅱ》だ。
たぶん変な公式をしこたま覚えるよりも、こっちのほうが将来きっと役に立つに違いない。
「なんか、だりぃなぁ……」
ため息をつきながら、部屋のベッドでだらりと横になる。
秋葉原に行った日以降の俺の夏休み生活といえば、今時の中学生らしく、家の中で充実した日々を謳歌し続けてきた。
具体的には、2階建てのボロ屋の2階に位置する自分の部屋で、扇風機の風をひたすら浴びながらダラダラとゲームをしたりテレビを見たり、あるいは人気の動画を見ながら歌ったり踊ったり……といった具合だ。
ちなみに俺の部屋にはエアコンとかいう魔法の冷暖房設備は無い。
扇風機という風を起こす魔具が1つあればそれで十分だ。そもそも冷房なんか使っても、部屋の側壁にある小さな隙間から冷気が漏れ出てしまうので、俺の部屋に密封型の空調設備なんて意味がないのだ。クソが。
しかし、扇風機が神が与え給うた魔具だとしても、これはこれで大きな問題がある。
なんと! この扇風機には電源コードがついているのだ……。
扇風機に電源コードが付いているせいで、残念ながらこの魔具を外に持ち運ぶことは出来ない。今時の女子高生はみんな持ち歩ているというのに……。
ていうか、そもそも外に出るという発想からしてもう頭おかしい。
こんな炎天下で、好き好んで外に出て日焼けするような真似をするバカは人類に一人もいないはずなのだ。
そもそも俺、受験生だぜ?
もしも交通事故に遭って入院でもしてみろよ、受験の事とか色々含めて大ダメージになるだろ? て考えるとやっぱ自宅が最強じゃねーか。
そんな訳で、外出リスクを計算に入れた賢明な俺は、秋葉原に行った日以降、1日たりとも外出はしていない。
……なのに。
………
……
…
「やっべぇ……!」
浴室で身体を洗う度に、身体中からしつこいぐらいに皮が剥けてしまう。一体これは何なんだ?
汚れたボディタオルをお湯の張った洗面器につけて、皮の剥け具合を確認しようとすると、ボディタオルから浅黒い垢のような皮が湧き出る。
クソ汚い。
洗面器の水面にはボディタオルから湧き出た浅黒い垢がぷかぷかと浮いている。
どんだけ汚いんだよ……と、じっとそれをじっと眺めていると、その汚い垢はみるみると水に溶けて消えていった……。
洗面器にはプクプクとボディソープの白い泡と濁りのない透明色の水だけが残されていた。
「溶けた……のか?」
前から少し変だとは思ってたけど、どうやら俺の身体から剥けた垢は、跡形もなく溶け消えてしまうらしい。
昔はこんなんじゃなかったはずなんだけど。
なんなんだよ、これ……。
◇ ◇ ◇
8月31日、夏休み最終日。
おかしなことに、日が経つにつれて風呂場で剥ける皮の量がどんどん増えていった……。
夜。またいつものように風呂場でボディタオルを使って体を洗うと、身体中から薄汚い消しゴムのカスのような垢が、これでもかと言うほど大量に湧き出て、ついにボディタオルが真っ黒になった。
「うわっ、今日は一段と汚ねぇなぁ」
そうか、TVのCMで夏の紫外線がどうのこうのって、やたらと不安を煽ってたのはこういうことだったのか……。
最近の紫外線強烈すぎだろ。確かにこれはヤバい。 みんな大丈夫だろうか?
始業式で再会した友達が全員アフロヘアーの黒人みたいになってたらどうしよう?
挨拶も日本語の「おはよう」じゃなくて、北センチネル島の言葉で挨拶しないと狩られるかも知れない。
そもそもだ。
この皮の向け具合、元を辿れば夏休みの前半に友達に誘われて、クソ暑い青空の下で日が暮れるまで遊び回っていたせいかも知れない。
い、いやだってさ、俺達全員、中学最後の夏休みだしさ、クソ暑い炎天下でも外で遊ぶのとか普通だろ?
それにプールに行って女子の水着を凝視したりするの楽しいじゃん。
好きな女子と花火大会とか一緒に行ったり……はしてないけど、むさ苦しい男同士で真昼間から花火大会の会場に行ってバカやって、なんかもうそれだけで楽しかったしさ。
とにかくだ。暑いからと言って直射日光を恐れてずっと家に引きこもってるとか、あまりにも勿体なさすぎだろ?
ずっと家に引きこもってるとか意味わかんねーし、ずっと家にいるなんてぞっとするし、終いには頭がおかしくなって死んじゃうぞ?
しかしまぁなんだ、夏休み前半にいい感じに日焼けしていた俺の肌も、今となってはその面影なんか全く無くて、浴室の鏡に映る俺の肌をじっと見つめると、その肌の色は日焼けする前よりも色白になっているような気がして、なんとなく不健康そうにも見えた。
浴室から出ると、久々に体重計に乗る。
体重計のモノクロ液晶に表示された数値には44.1キロ。
「おお、なんかすげぇ痩せだな俺」
わずか2週間で体重が2キロも痩せていた。
ちなみに俺の身長157cm。同年代の男子と比較して約10cmほど身長が低いのが悩みだ。
悲しいけど、身長の低い男はそれだけでモテないんだよな……。
というか、男として見られないので傷つくんだよ。
◇ ◇ ◇
いよいよ、中学3年の二学期が始まった。
始業式の開始前、教室には久しぶりに会ったクラスメイト達の話で賑わっていた。
「瑠伊、お前なんか雰囲気変わったよな」
幼馴染の佑馬が、俺を見て率直な感想を漏らした。
「そうかぁ? まぁ少しは痩せたけどな。んな事より平沢の方がおかしいだろ!? なんで髪型がニワトリみたいに赤モヒカンになってんだよ」
「あいつ面白すぎだろ、何があったんだよ?」
「知らねぇよ、直接聞いてこいよ!」
他の男子が赤モヒカンの平沢を囲んでからかっているのを尻目に、俺は幼馴染みの佐田佑馬と何気ない日常会話を交わしていた。
渦中の赤モヒカンは、平沢 大地。
以前はキノコカットのガリ勉真面目君というイメージしかなくて、正直、俺はあいつの事をよく知らない。
影が薄いというか空気みたいな存在と言うか、アニメで言うと画面の端に0.1秒ぐらいしか映らない人影みたいな、なんかそんな感じ。
「そういえば瑠伊、夏休みにアキバに行ったんだろ? どうだった?」
「ああ、あれなー。なんかすっげぇ疲れたわ。あのエリアにいるだけで魂吸い取られる気がするわ。変な外人もやたら多かったしさ……。あぁでもさ、アルグロのメンバーと写真撮れたぜ!」
「おぉ、マジか! なんかお前楽しそうだな。俺も用事が無かったら一緒に行きたかったんだけどなぁー。でもま、アルグロは最近人気出てきたっぽいけど、やっぱ俺にはお前の趣味がさっぱりわかんねーよ」
「勿体ないなぁ、アルグロの良さが分かんないなんて人生の10割損してるわ」
それから佑馬と夏休みの事とか色々ぐだぐだと喋っていると、やがてクラスメイト達が続々と教室に入って来た。そして俺の顔を見るなり
「おっす、瑠伊!」
「瑠伊、お前ちょっと変わった?」
「前より背が小さくなったな。なぁ誰か虫眼鏡もってねー?」
「山田さぁ、そんなに死にたいなら、去年の冬のアレを例のナントカさんにバラすけど? 確か名前は、えーっと……」
「わーごめんごめん!」
「ふん、分かればいい」
「あっ、宮川君おはよう! ひさしぶりだねー! 夏休み終わって成長してるかなって思ったけど、ちっちゃいままで安心したよー」
「さらっと傷つくこと言うな、ちくしょうが!」
こんな風に、みんな俺を見ると好き放題言ってくるのだけど、いつもこんな感じで、絶対に身長ネタをねじ込んできやがる。悔しいけどこれが俺の日常だ。
ただ、いつもと違って「ちょっと雰囲気が変わったんじゃね?」的な事を言われる事が多い気がするけど、それに対し俺は「久しぶりに会ったからだろ」と、適当にあしらう。
そもそも俺は、風呂で皮が鬼のように剥けて体重が少し減った以外には、特別なにも変わってない。若干色白になったのせいかも知れないけど、こんなの誤差の範囲だろ?
それより俺の事なんかどうでもよくて、真面目という名の服を着て歩くだけの存在である平沢が、まさかの赤モヒカンで登校してきたおかげで、今朝のクラス内の話題はその話で持ちきりだった。
◇ ◇ ◇
二学期が始まって何日か過ぎた。
俺の身体は相変わらずで、風呂場でボディタオルを使って体を洗うと、鉋で削りだされた鰹節のように毎日皮が剥がれ続けている。
そして削り出された皮は、しばらくすると跡形もなく綺麗さっぱり水に溶け消えていくだけ……。
ある日の授業中、俺はふと思った。
一体いつまで皮が剥け続けるのだろうか、と。
いや、あんなに皮が剥がれ続けるのは何故なんだろう。
クソ教師の念仏のような声が教室内に響く中、俺は授業の退屈さを紛らわすために、手の甲の皮に爪を引っかけてベリベリッと軽く剥がそうとしてみた。
カリ……カリ……。
あれれっ!? 意外と剥がれないぞ。
風呂場で体を洗う程度のやさしい力加減じゃ上手く皮が剥がれなかったので、今度は爪を立て、張り付いたかさぶたをガリリリッ! と思いっきり剥ぎ取るような感じで力強く引っ掻いてみた。
痛ってぇ!
ちくしょう、普通に痛いだけで皮はまったく剥がれる気がしない。
風呂場でゴリゴリめくれるのとは大違いだ。
引っ掻いた箇所を見ると、以前よりも白くなった肌にピンク色のシュプールが残っていた。
あ……そうか。普通に引っ掻いてもダメで、たぶん水にでも濡らさないと駄目なんだな。
そう思って今度は休み時間に腕を濡らして皮を剥がそうと試みたが、それでもまったく皮は剥がれそうにない。
「謎すぎる……」
流石に変だなと思い、それから何日か色々と実験してみた。
日光に腕を小一時間当ててみたり、家で使ってるボディソープをこっそり学校に持ち込んでこっそりと使ってみたり、家に帰ってお湯を沸かして、その湯で肌を濡らして試してみたりもしたけど、結局、どんな方法を試してみても家の浴室以外じゃ皮が剥がれる気がしなかった。
ただ1つ分かったことは、皮が剥がれる時間は関係ないらしく、家の浴室内だったら朝だろうが夜だろうがいつでも皮がベリベリと剥ける事だった。
となると、実は家の浴室がものすっごいヤバいんじゃないかって事になってくる。
そこで俺は、夕食時に父さんと母さんに、家で使っているボディソープの話題とか、とにかく風呂に関係がありそうな話をそれとなく振ってみたものの、
「あーあれねぇ。安かったから特売で買ったのよ? それがどうかした?」
「いやいや、あのメーカーのは全部ダメだろ母さん」
「そうかしら? お隣さんも使ってるはずよ?」
「佑馬ん家も?」
「ええ。一緒にショッピングに行ったもの」
「そ、そうなんだ」
「なんだ瑠伊、浴室に不満があるのか?」
「そりゃそうだよ。ボロいし狭いし」
「そうだなぁ。ウチの浴槽もけっこう古いよなぁ。なら今度、一家そろって銭湯にでも行ってみるか?」
「あら、いいわねぇ!」
……といった具合で、いつもの日常会話が飛び交うのみ。
だが少なくとも、父さんと母さんには俺みたいに皮がごっそり剥けたといったような、おかしな事はおきて無いっぽい。
隣ん家の佑馬自身にも何も起きていないとなると、ボディーソープはハズレか……。
うーん。なんなんだろうな、これ? 訳が分かんないな。
原因が分からず、不安になって何度か医者に診てもらおうかとも思ったけど、俺の肌は至って普通だし、アレルギーか何かで斑点とか出来ていない。
とにかく、目に見える異常なんか全然見当たらないし、目に見えない痛みとかもない。
ていうか、この前みたいに強引に皮を剥がそうにも、なぜか家の風呂場以外じゃ全く剥がれないから、この謎現象を医者に説明しても、まともに取り合ってもらえる気がしない。
その上質の悪いことに、風呂場でベリベリと皮を剥がしても、水虫のときみたいに剥がしたところには境界線のような痕は全く残ってないし、剥がれた痕に痒みも痛みもなかったから、結局、俺は医者に行こうとは思わなかった。
関係ないけど、始業式で話題になった赤モヒカンの平沢は、その日のうちに生徒指導の先生に呼び出されて、翌日には綺麗さっぱり丸坊主にしてきた。
そして何事も無かったかのように、平沢は今日も独り、黙々と授業を受けている。
本当に一体何があったんだよ、あいつは……。
■人物紹介■(2015年8月6日追記)
宮川 瑠伊
初登場:1頁
市立夕凪台中学3年6組。帰宅部。学業成績は中の下。
身長:157cm 体重:44kg
誕生日:12月24日
本作の主人公。どこにでもいそうな中学3年生。
ビジュアル系ロックバンド、『アルティメット・グロウ』に心酔している、やや中二病気味の中学生。顔のは普通ランクだが、身体は中3になってもあまり成長していない。
基本的には自分の事を顧みない投げやりな人生観を持っているが、頼られると断れないお人よしな面もあり、ある意味ちょろい。その一方でやや短気なところもあり、カッとなる事もしばしば。どちらかというと言いたい事ははっきり言うタイプ。
誰とでも気軽に話せる社交性を持ってるので交友関係は広いが、瑠伊自身が親友と呼べる友達は幼なじみの佐田佑馬ただ1人だけである。
喧嘩慣れしており、クラスメイトからは怖がられている面もあるが、中学に入学してからは身体面においてあまり成長していないため、実は喧嘩はそう強くなく、実際は張り子の虎であるが、瑠伊自身もその事を理解している。
将来の夢はアルグロのような格好いいロックシンガー。(ただし本気で目指そうとは思っていないようだが……)




