26頁 ~虚実~
高村がペットボトルを強引に奪い返そうと身を乗り出した瞬間、俺は「触るな」と言わんばかりに、思わず条件反射で高村の手を振り払って飛び退いてしまった。
それはまるで、俺の胸倉に掴みかかってくる不良の手を乱暴に振り払うかのようで、少なくとも俺の事を気にかけてくれた高村相手にする態度ではなかった。
やってしまった……。
飛び退いた瞬間、そう思ってしまった。
身体に触れられる事を極度に警戒していたとはいえ、この反応は男としてあり得ない。
「ご、ごめんなさい……」
俺の咄嗟の反応に驚いた高村は、少しバランスを崩したもののすぐに持ち直して、そう呟いた。
「あ、いや……。た、高村様が抱き着いてくるなんて思わなくてさ。あ、はい、これ返すね」
俺はブタさん柄のカバーが付いたペットボトルを高村に手渡す。
今の言い訳は苦しかったかな……。
高村は無言で受け取ると、ブタさん柄のカバーに包まれたペットボトルをかばんの中へとしまった。
「まったく……。本当馬鹿じゃないかしら? ど、どうして私か貴方なんかに抱きつかないといけないの? あ、あり得ないわ」
「ふん、どうして俺が高村様に抱き着かれないといけないんだ」
「…………」
あ、あれれ?
いつもの調子でつい憎まれ口を返してしまったが、俺の吐き捨てた言葉を聞くと、高村はもう一度段差に座って俯くと、そのまま黙り込んでしまった。
「ど、どうしたんだよ高村様。さっきから様子が変だぜ? 俺、てっきりまたキツい小言が返って来るかと思ってたのに。俺の言った事がそんなに気に障ったか?」
「いいえ、気にしないで。貴方の戯言を気にしていたらキリがないもの。だけど……」
「だけど?」
「貴方が私の手を振り払ったとき、とても嫌な気持ちになったわ」
「な、殴られると思ったんだよ」
まただ。
俺はまた誤魔化してしまった。本当はそんな事を言いたかったんじゃないんだ。
高村なら俺の事を十分に理解してくれているという、何の根拠のない安心感から、つい気兼ねなく口に出てしまったんだ。
本当は謝るタイミングを計っていたはずなのに、どうしてなんだよ……。
「嘘ね」
高村の言う通り嘘だ。
高村がペットボトルを奪いに来た時、俺は殴られるなんて微塵も思っていなかった。
ただ身体に触れられる事を極度に恐れた結果、おもわず乱暴になってしまった。
だけど、そんな事を馬鹿正直に言う事なんて、今の俺にはとてもできなくて、結局何も言い返せず無言になってしまった。
だけど高村は、間を置かずに
「でも、おあいこよ。私も嘘つきだから」
と、まるで何かを悟ったかのように、そう呟いた。
でも、高村が言った事も嘘だ。
そんなことはない。
俺は高村の事を知っている。理解している。
いや、もしかしたら俺が勝手に、独りよがりにそう思い込んでいるだけかも知れないけど、高村は嘘がつけない性格だ。高村が嘘をつくときって、いつも丸わかりなんだ。
だけど高村自身は、自分が嘘つきでないとは思っていないようだから、俺はその事をきちんと言うことにした。
「違うよ高村。俺の知ってる高村は嘘付きなんかじゃなくて、言いたいことを真っ直ぐに言えないだけの、他の子よりもちょっと不器用な女の子だよ」
再生中の動画の停止ボタンを押したかのように一瞬硬直する高村。
が、それは一瞬で解けた。
「なっ……!? ばっ、馬鹿な事言わないでちょうだい!! 貴方はそうやって、いつも私の事をからかってコソコソと楽しんでるのでしょう!?」
「う、嘘じゃないって」
「う、嘘よ……。ほら、ま、また嘘をついたわ! だって宮川君は嘘付きだもの。いつもいつも嘘だらけ。ほ、本当、最低だわ」
そう言いながらも顔を赤らめて俺を見る高村。
照れた表情を必死に隠そうとする高村の顔は、今までに見たことが無いぐらい可愛らしく映った。
そう、今の俺は嘘だらけだよ、高村。
自分を守るためなら地球だって平面だと言ってのけるよ。
心の中で俺はそう呟いた。
「……でも、私最近思うの。貴方がそうやって嘘を言うときって、何かとてつもない事を必死に隠してるんじゃないかって」
げっ……。
「や、やっぱり様子がおかしいよ、いつもの高村様じゃないって」
「宮川君は2学期になってから随分変わったわ」
スルーされた……。
「そ、そりゃ変わるだろ? 育ち盛りだし」
「ううん、違うのよ。1学期の頃と違って貴方、なんだかすごく怯えてるみたい」
「き、気のせいだってば」
高村は何が言いたいんだろう……。
もしかしたら俺の身体の事にとっくに気が付いているものの、その核心にどうやって近づこうか迷っているのだろうか?
妙な緊張感。
まるで相手の手札が全く読めない真剣勝負のカードゲームをしているかのようだ。
遠くから絶え間なく聞こえる観光客の気配と、冷たい風に飛ばされた木の葉の転がる音と、秋独特のサラサラとした葉の擦れる音だけが聞こえる。
「宮川君、貴方、どうして佐伯さんに告白したのかしら?」
「な、なんだよ」
「いいから聞かせて。成り行きで好きだなんて、そんな簡単に言ってしまえるものなの?」
ど、どうしていきなり佐伯の話になるんだよ!?
「余裕で言えるな。むしろ成り行きというか、ムードって超重要だろ?」
「さ、最低だわ」
「な、何がだよ……」
本当意味が分からない。
「色々取り繕ってるようだけど、貴方って女の子なら誰でもいいのね」
「は、はぁ?」
「そ、それに佐伯さんもどうかと思うわ。貴方みたいな人と簡単に付き合っちゃうなんて……。本当に悪趣味だわ」
えっ?
「ちょ、ちょっと待て高村。緑川に何吹き込まれたのか知らねーけど、俺と佐伯は付き合ってなんかないぞ?」
「え?」
「確かに俺と佐伯は昨日の深夜、旅館の外で話してたよ。俺、旅館に着くなりずっと部屋で寝込んでたから深夜に目が覚めちゃってさ。それでロビーに降りたら佐伯と偶然会って」
「ずっと……寝込んでいたの? 宮川君が?」
「う、うん」
「そんな話、一言も聞いてないわ」
「そりゃあ原田には適当に誤魔化しておいてってお願いしてたんだし」
「そ、そう……」
少し心配そうな表情をして俺を見る高村。
だけどその表情の中には、もう何が真実なのか分からないような戸惑いが混じっているような気がした。
「それなら、私にも言って欲しかった……」
「悪いな。とにかくさ、佐伯とはロビーでたまたま会って、誰かに見つかりそうになったから一緒に旅館の外に逃げ出して、それから一緒に川を眺めながら佐伯の相談に乗ってあげたんだよ」
あ……。思い出した。
佐伯と居たあの時、旅館のロビーで階段の方からコツコツと足音がしたの、確か緑川だったんだよな?
「佐伯個人の話だから、相談内容については言えないけど、話が終わった帰りに佐伯が、『宮川は誰が好きなんだ?』って茶化してきたから、俺は冗談で佐伯って即答してやったんだ。そしたらさ、佐伯に『ないわー』って言われて、俺、告白して1秒で振られたんたぜ? だから俺と佐伯は全く付き合ってなんかないし、それ以前に元からお互い異性として興味なんて無いってわけ」
誰かが知りたがっている真相なんて、その大半は当事者からすれば本当につまらないものなんだよな。
謎というのは本来、体積がきっちりと決まっているはずなのに、人というのは、それがどれぐらいの大きさかさえ分からないが故に、その見えない空間に体積以上の思い込みをぎゅうぎゅうに詰めてしまうんだ。
疑ったような表情で見つめてくる高村を見ていると、ついそんな考えが思い浮かんだ。
「し、信じられないわ。どうしてお互い興味も無いのに相談なんてできるのかしら?」
「そ、相談ぐらい普通できるだろ?」
「いいえ、分からないわ。相談って、誰にでもそんな簡単にできるものじゃないでしょ?」
「内容にもよるし流石に誰にでも、ってわけじゃないけど……」
とはいえ、高村が疑うのも無理はない。
元はと言えば、佐伯がロビーでソワソワしながら何か隠し事をしているのを、俺が吐くように半ば脅したのがそもそもの発端だし。
それにあの相談って、よくよく冷静に考えれば例外中の例外なんだよな。
だって、常識的に考えるなら、佐伯と一緒に目撃者から逃げることはあったとしても、その後、高村が言うように、特別親しい関係でもないのにいきなりあんな重い相談をするか?
ないない。普通にあり得ないって思うのが自然だって。
それよりも前々から感じていた事だけど、2学期になってから俺の周りの人間関係って、やっぱりおかしい気がするんだ。
特に修学旅行が近くなってからは異常だ。
元々ぼっちの集まりみたいな俺達余りものグループが、短期間でここまで仲が良くなれるって、絶対変だろ?
初めは『修学旅行補正』みたいな、特別なテンションだからかなって思っていたけど、実際こうして修学旅行をしてみると、他のグループは冷めているというか、普通というか、淡々としていて、とにかく俺達のグループとは確実に温度差が感じられて、やっぱり俺達のグループの仲の良さが異様なんだってことを再認識させられた気がするんだ。
「……私、ずっと勘違いしてたみたい。てっきり宮川君と佐伯さんって付き合い始めたのかと思っていたわ」
「ど、どうしてそうなるんだよ?」
「だって今朝、貴方と佐伯さんがバスに乗るときに、嬉しそうに手を振り合っていたもの」
あーあれか。
佐伯が笑顔で手を振ってきたから、衆人に見せびらかすつもりで手を振り返してやっただけなんだよな。
ある意味自業自得だけど、もしかして、高村はあんな事まで気にしてたのか……?
「あれは、佐伯を元気づけるつもりでやったんだって」
「う、嘘ね」
「嘘じゃないって。ていうかさ、仮に俺と佐伯が付き合い始めたとしても、高村様には関係ない話だろ?」
「か、関係ないこと無いわ。私、貴方が佐伯さんに言ったあの言葉をずっと待ち望んでる女の子の事を知っているもの。だから私にとってもそれは決して他人事じゃないの」
北条の事を言ってるのか?
いや、まだ断定はしない。
高村が言ったことはあくまで居るか居ないか分からない少女Aの話だ。
だけど、俺が佐伯に挨拶するみたいに気軽に告白した事がよほど不満だったのか、高村からは怒りのオーラのようなピリピリとした何かを感じる。
「あのな高村、誤解しているようだから言っておくけど、昨日の夜、佐伯はすっごい落ち込んでたんだよ、俺が励まして……」
「いいのよ別に。そんな事はどうでも」
おい聞けよ!
「あ、貴方が、深夜に他の女の子と何を話していようが全然興味なんかないわ! ただ私は、好きでもないような子に、軽々しく好きだなんて言葉を言って欲しくなかっただけよ!」
高村の苛立ちは、言葉の重さの違いや価値観の違いから生まれたのだろう。
言葉は生き物だと言うように、使う人によって、使い方によって、あるいは使うタイミングによって、その価値はまるで変わってしまう。
麓で持ち上げた「おもかる石」だって、持ち上げる人によって物理的に重さが変わるなどというふざけたファンタジーなんて絶対にあり得なくて、あれはただ、持ち上げる人の主観が石の重い軽いを決めているだけだ。
それと同じように、同じ言葉でも人によってその重さや価値はまるで違うから、人はいつまで経っても他人とは分かり合えないんだろう。
「な、なんでそこまで他人の事にムキになるんだよ?」
「そ、それは……貴方には関係ないでしょう!?」
それを言うなら俺の事も高村には全く関係ないだろ!?
ついそう口に出そうになったが、俺は寸前でその言葉を飲み込んだ。
そう言い返すのは簡単だけど、それじゃ決して分かり合えないと思ったから。
それに少なくとも高村は、俺の事を気にかけてくれている。
こんな面倒くさくてややこしい男を相手に、必死になって分かってもらおうと俺に訴えている。
高村が本当に言いたいことは薄々気づいてはいるけれど、それでも俺は、必死に逃げ回る事しかできない情けない男なんだ。
喉元まで出かかっていた言葉を無理して飲み込まずに、怒気と一緒にあのまま吐きだしてしまっていたら、間近にまで迫ってた高村との関係をバッサリと切り捨てられたのに、それができなかった自分が情けなかった。
「ごめんなさい……」
黙り込む俺を見て高村はまたそう呟いた。
そして座っていた段差に手のひらを当ててそっと撫でると、また俯いてしまった。
いつも綺麗な高村のロングヘアーが、風と汗で絡み合って乱れて、少し痛々しく見えた。
「……そろそろ行こう高村。日が暮れるよ?」
「嫌よ」
「えっ?」
「……ごめんなさい宮川君。……貴方が言ってた事、たった今理解したわ」
「俺には高村様の事がさっぱり分からないよ」
「いいの」
意味が分からないと戸惑っていると、高村はそっと顔を上げた。
その顔を見た瞬間、俺はとてつもなく嫌な予感がした。
いつもより潤んだ高村の瞳を見ると、まるで心吸い寄せられるような気がして、そこに優しい表情が加わると、なぜか悪魔の誘惑のような、得も言われぬ不気味さを漂わせていた。
「わかった……。じ、じゃあ俺、先に行くからさ、高村様はそこでもう少し休んでなよ。みんなには言っておくからさ」
「ま、待って! 宮川君!!」
今すぐ逃げたくて無理やり会話を終わらせようとしたのに、高村はまるで捨てられた子猫のように俺を呼び止めた。
やっぱり高村の様子がおかしい。
高村は立ち上がると足元に置いていた手荷物を手に取った。
だけどその姿はまるで親に注意された子供のように幼く見えて、いつも自信に満ちあふれた面影がまるで見られない。
正直、上から目線の余裕の態度で「女の子を置いていくなんて最低ね」と、皮肉の一言でも言われると思ったのに、目の前にいる高村はまるで別人だ。
ここまで弱々しい高村は、今まで見たことが無い……。
「あ、あの……」
「もしかして、気分が悪くなったのか?」
「よ、呼び止めてごめんなさい」
「いや、いいけどさ、急がないと日が暮れちゃうぜ?」
「……………………」
何を……言っているんだ??
高村はとても小さな声で、ブツブツと呟いている。
「…………から」
思わず俺は耳を疑った。
聞こえた。
聞こえてしまった。
時々、ブツブツと何か言っているあの小さな高村の小声が、いつも以上に小さな小声で全然聞こえないはずなのに、何故かはっきりと、驚くほど鮮明に聞こえてしまった。
高村は警戒して距離を取っていた俺の方へ、1歩1歩ゆっくりと近づいてきた。
だめだ。
来るな。
おいやめろ。
言うな!!!
──宮川君、私は、貴方の事が好き。




