25泥(最終話)
どれくらい経ったのだろう。
数分、いや、数十秒だったのかもしれない。雨音だけが耳に届いてくる。咄嗟に柔道の前まわり受け身を取るように転がったのか、男の子を抱えるようにして身を丸めていた。
腕の中へと視線を向けると、男の子が僕の体にピッタリと身を寄せ、顔を埋めている。
でも、怪我はなさそうだ。
美和は……ゴリさんは……。
男の子を抱えたまま立ち上がり、走った。
階段の前で僕は立ち尽くしていた。
屋上と2階の中間辺りに2人の姿がある。
ゴリさんが片足を校舎の壁に押し当て、両手で手すりにしがみついている。茫然としたたまま丸くなっている美和を、まるでネットのようになって、転げ落ちるのを支えている。
声をかけると、むりやりにでも笑顔を作って返してくれた。そして、「あの……そろそろどいてもらっていいかな。この体制けっこう辛いんだよね」
その声に、美和はやっと我に返ったのか、ごめんなさい、を繰り返しながら、体勢を立て直した。
ゴリさんも起き上がると、問題なしとばかりに、力強く親指を突き上げた。
僕らは屋上へと上がっていた。
「なんもかんも、泥の中か」
そう言ったゴリさんの視線の先を追うと、校庭から車が消えている。ほとんどが泥の中なのだろう。いく台かはひっくり返り、泥の上に転がされたようになっている。
視線を横へと移すと体育館の下半分も泥で埋まっている。
脳裏に夢の映像が浮かんでくる。ヘリに乗ったアナウンサーが、何十人もの人が生き埋めになっていると、プロペラ音にも負けない声で叫んでいた。
今、目に映るこの泥の中にもしかしたら僕らだって、みんなだって……。
深い深い息がもれ、僕は目を閉じた。
突然、泣き声が耳に――ゴリさんの胸にしがみついていた男の子が、思いだしたかのように泣きだしている。声を張り上げ、泣き叫んでいる。その姿に、ゴリさんが大声をあげて笑いだした。
「見ろ。元気だな」僕らのほうを見て、「みんな生きてる。それだけでバン、バンザイじゃねえか」
まるで、赤ちゃんを高い高い、するように男の子を持ちあげている。
笑顔のゴリさんと元気に泣く男の子。微笑んでいる美和。なんだか胸が温かくなる。
みんな助かった。みんな――次々と込み上げてくるものがある。
「なに、泣いてんの」
そう言って笑う美和の顔も、雨ではない温かいもので濡れている。
雨の向こうでいくつものサイレンが鳴り響き、ゴリさんの携帯電話も鳴りだしている。
☆ ☆ ☆
マンションの外も中もまだ暗い。ベッドの傍らにあるスマホを手にとり、時間を確認すると、4時38分と表示されている。
未曾有の大災害――数ヵ月後のアナウンサーはそう口にしていた。
そのとてつもない大きなものに、体の震えが止まらない。
あれが最後だと思っていた。あれから、こんな夢をみることはなかった。なのに今‥‥‥。
自分に何ができる。何が。
頭ぼ中に彼女の声が広がっていく――「助けられる命を見捨てるわけにはいかない。そうでしょ、永井和人!」
未来からの‥‥‥SOS
ひとりの顔が浮かんでくる。そして、あの顔も、この顔も。6年前のあの光景とともに。
力を貸してくれ――僕はスマホを耳に当てた。




