第1話「戦闘錬金術師は定時で帰りたい」
数年ぶりになろうで新作を書きます
よろしくお願いします
第1話「戦闘錬金術師は定時で帰りたい」
「――あと金貨300枚。いや、家具の輸送費と当面の生活費を考慮すれば、あと350枚か……」
硝煙と薬品の匂いが染み付いた薄暗い工房で、レオンは羊皮紙のカタログを指でなぞっていた。
そこに描かれているのは、最前線から遠く離れた、魔物とは無縁の美しい南部の農村地帯。日当たり良好、水路あり、広大な庭付きの一軒家。
「悪くない。ここでなら、毎朝うるさい警報で叩き起こされることもなく、静かにハーブでも育てて暮らせる」
無表情のまま、しかし心の中では確かな熱意を持ってカタログを眺めていたレオンの耳に、けたたましいサイレンの音が響き渡った。
『――緊急警報! 第四防衛線に魔物の群れが接近中! 冒険者および傭兵は直ちに迎撃態勢に入れ!』
「……またか」
レオンは重いため息をつき、愛読書のカタログを丁寧に引き出しにしまった。
ここは最前線の要塞都市・グランツ。人類と魔物の生存圏の境界線に位置する、常に死と隣り合わせの街だ。
レオン・アークライト。22歳。
職業、フリーランスの戦闘錬金術師。
彼がこんな血生臭い最前線で命を懸けている理由はただ一つ。「最高級の物件を買って、一生遊んで暮らせるスローライフ資金を最速で稼ぐため」である。
皮のコートを羽織り、腰のベルトに色とりどりの試験管や触媒を詰め込んだポーチを取り付けると、レオンは無表情のまま戦場へと足を向けた。
◆
第四防衛線は、すでに泥と血と怒号に塗れていた。
群がってくるのは、分厚い皮膚と怪力を持つオークの集団だ。前衛の兵士たちが盾を構えて必死に食い止めているが、ジリジリとラインを押され始めている。
「チッ、今日の群れは数が多いな。……時給換算で最悪だ」
戦場の後方に到着したレオンは、淡々と状況を分析した。
彼は腰のポーチから青色の液体が入った小瓶を取り出すと、前衛の頭越しに、オークの群れの中央へ向かって正確に投擲した。
パリンッ!
小瓶が割れた瞬間、急激な吸熱反応が起こり、周囲の水分が瞬時に凍結する。足元を凍らせられ、体勢を崩したオークたち。
レオンはすかさず地面に手をつき、魔力を流し込んだ。
「錬成――『泥濘の槍』」
ズドォォォンッ!!
凍結した地面の下から、鋭く硬化された無数の土の槍が突き出した。
足を滑らせていたオークたちは回避することもできず、次々と串刺しになっていく。魔法使いのような派手な爆発はない。ただひたすらに合理的で、冷酷な地形操作と化学反応の連鎖。
それが、最前線で生き抜いてきたレオンの「戦闘錬金術」だった。
「よし、これで大半の処理は終わった。あとは討伐証明の耳を切り取って帰るだ――」
「うおおおおおっ!!」
レオンが本日の業務終了を確信したその時、戦場の右翼から銀色の甲冑を着た人影が突っ込んでいくのが見えた。
「はぁっ!!」
銀髪を振り乱し、身の丈ほどある大剣を振り回しているのは、要塞都市防衛騎士団に所属する女騎士だった。
猪突猛進。防御を捨てた大振りの一撃で、残ったオークを次々と両断していく。
「あいつ……また無茶な戦い方を。あれじゃあ、武器も防具ももたないぞ」
レオンは呆れたように目を細めた。彼女の名前はアリア。最近、この要塞都市に赴任してきたばかりの若手騎士だ。正義感が強く不屈の精神を持つのはいいが、とにかく戦い方が不器用で、武具の消耗が激しすぎることで有名だった。
その時、オークの群れの奥から、一際巨大な影が飛び出してきた。
通常の倍近い体躯を持つ、突然変異の『ハイ・オーク』だ。手には錆びた巨大な鉄槌が握られている。
「シッ!」
アリアは怯むことなく、渾身の力を込めて大剣を振り下ろした。
だが、ハイ・オークが鉄槌でそれを受け止めた瞬間――
ガキィィィィンッ!!!
甲高い金属音と共に、アリアの大剣が根本から無惨に砕け散った。
金属疲労の限界だったのだ。
「え……っ」
武器を失い、無防備になったアリアに、ハイ・オークの凶悪な笑みと巨大な鉄槌が振り下ろされる。
周囲の兵士たちは間に合わない。誰もが彼女の死を覚悟した。
「……あいつが死んで右翼が崩壊したら、俺の工房まで魔物が来る。引っ越し費用と修繕費で金貨50枚のマイナス……。チッ、割に合わないが仕方ない」
レオンは舌打ちをすると、一瞬でハイ・オークの足元へ距離を詰めた。
「なっ……!?」
驚くアリアの前に割り込むと、レオンはハイ・オークの分厚い胸板に直接、赤い粉末を擦り付けた。
「錬成――『発火』」
ボガァァァァァァンッ!!!
至近距離での局所的な大爆発。ハイ・オークの巨体が後方へ吹き飛び、黒焦げになって地面に沈んだ。
「……ふぅ。触媒の無駄遣いをした」
硝煙を払いながら、レオンは無表情のまま振り返った。
尻餅をついたまま呆然としているアリアを見下ろす。
「お前、騎士なら自分の武器の耐久値くらい計算して戦え。俺の平穏な老後計画の邪魔をするな」
「え……あ、あの……助けてくれて、ありがとう……?」
「礼はいい。それより、あのハイ・オークの討伐報酬は俺の口座に振り込んでおけ。口座番号はギルドで聞け」
それだけ言い残し、レオンはさっさと踵を返した。
定時を過ぎているのだ。早く帰って、寝る前にスローライフのカタログの続きを見なければならない。
しかし、レオンは気づいていなかった。
背後で彼を見送るアリアの瞳が、命を救われた安堵だけでなく、底知れぬ凄腕の錬金術師を見つけた「期待」でキラキラと輝き始めていたことに。
――これが、静かな余生を望む無愛想な錬金術師と、彼を絶対に逃がさない不屈の女騎士の、騒がしい日々の始まりであった。
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