4 未来は俺らを祝福してる
というわけで第四話です。これで完結です。
というわけで。
七ヶ月後の俺は、海を越えた遙か異国の埠頭で、本店からやってくる支店長を待っている。
並ぶ帆の林の上を、重く昏い雲の緞帳が覆っている。
そのあいだを、白い海鳥達がとびかっている。
港から少し離れた水面から、マストの先端だけ突き出しててて、それにも海鳥がとまってる。
俺が乗ってきた船だ。
「はぁぁ……」
どうしてこうなった?
ホント。人間の運命とか未来とかは判らんもんだね。
七ヶ月前。
俺は、まだ結婚もしていないのに婚約者に手を出したことで訴えられ、貴族にあるまじき不品行として学園を放校された。
ついでに実家も勘当。
平民にされた俺は、婚約者の商家に拾われ、王都から遠く離れた山奥の支店で丁稚奉公。
いやぁひどかった。
まだ大して長くない人生だが、あんなひどい目には二度と遭いたくない。
高等な読み書きが出来る分、平民出身の丁稚さんより有利ではあったけど、有利なのはそれだけ。
それどころか、新入りの丁稚のくせに生意気にも読み書きが出来ると目をつけられて、見事いびりの対象。
部屋は雑魚寝でしかも出入りする度に頭だの体を踏まれる場所。
朝早くから起きさせられて、自分で起きないと教育という名の折檻。
飯も作らされてまずけりゃ折檻。まずくなくても気分でないものを出せば折檻。
押しつけられた仕事で失敗すれば折檻。
こなせるようになると、すぐ、別の慣れてない仕事に回され失敗すれば折檻。
元貴族らしいとばれてさらにいびりにいびられて、目つきが高慢だと難癖をつけられて折檻。
仕事で重労働。罰で重労働。教育と称して重労働。昼も夜もなく折檻と重労働。
折檻、重労働、折檻、重労働、折檻!
しかも、彼女が別れ際に手紙を書くからと言ってたのに、一通も来やしない! これは見捨てられました!
こっちから手紙を送るのは、パパさんに肉体言語で禁止を命令されている。
何度も何度も死のうと思ったんだけど、あの晴れやかな笑みを思い出すと、どうしても見捨てられたと思いきれなくて、死ねなかった。
未練。みーれん。
死ねないなら生きるしか道はなく、その道はこれしかないんで、必死に耐えて、いやでもいろいろ学ばされた。
生死の境をさまよう過酷な日々のおかげで、俺の仕事スキルはめきめきと上達。
3ヶ月経って新しい支店長が来て、新入りの中でも一番見所があると目をかけられるようになったんで、ようやくいびりも収まっていった。
彼女以外の人間に、貴族の地位の他で認められたのも初めてで、少し自信にもなった。
支店長は、丁稚レベルでないいろいろをみっちり教えてくれたんで、さらにスキルはアップ。
そんであっというまの半年経過。
はじめて出来た尊敬できる上司の下で、働くのに喜びすら感じるようになり。
客の応対にも、帳簿付けにも、倉庫の効率的な整理にも、料理にも、先輩どもの服を洗濯するのにも慣れた。
その間に、学園で卒業パーティがあって、バカ王子が婚約破棄騒動を起こし、取り巻きと頭がお花畑ひっくるめて断罪されたそうだ。
バカはお世継ぎの地位を剥奪され、お花畑は庶民に落とされ辺境へ追放、実家はお取り潰し。婚約者殿は新たにお世継ぎとなった第二王子の婚約者におさまったとか。
ブタは、過去の不正を徹底的に暴かれた親ブタともども牢屋にぶちこまれ、鉱山で強制労働とか。
良心様は領地に帰ってたんでおとがめなし。
他の取り巻きはどうなったか知らん。が、ろくな目には遭わなかったこと確実。
まぁ俺には関係のないことだ。
きっと、彼女のパパは大もうけしたことだろう。
あの日。
俺は、婚前交渉をしてるところへ踏み込んできた彼女のパパに、肉体言語でボコボコにされた。
素敵なおっぱいに魅了されて堪能しすぎて時間をとられ最後まではしていないうちだった。
なにがお金だけラブな金の亡者だ。娘をきっちり溺愛してるじゃねぇか! 話がちがう!
さすがは元漁師。たくましい海の男。拳の一発一発が重い!
彼女がパパにすがりついてくれなかったら、殺されてたにちがいない。
怒り狂うパパの前に全裸で正座させられて、どうするつもりだと問い詰めに問い詰められた。
そこで俺は、バカが婚約破棄を計画していることを話した。
そうなれば、王太子交代で、王太子派の貴族達はみな失脚か力を失うことと、第二王子派が我が世の春になるであろうこと。
大臣の家を筆頭とする王太子派は皆没落するから、今のうちにその関連資産は売った方がいいこと。
騒動が起きたら、今度は王太子派の家の有用な資産を買い占める準備をしておくべきだということ。
今のうちに第二王子派に接近しておくこと。
それらの手を打っておけば、大もうけ間違いなしだと提案した。
パパは、一儲けの予感に顔をだらしなくとろかしたが、それはそれこれはこれと言い出して。
俺は、裸土下座までさせられた上にさらにボコボコに殴られた、理不尽。
彼女がパパに、あたしはこのひととしか結婚したくない、他の人と結婚させられたら死ぬ! そうでなかったら修道院へ行くと言ってくれて、なんとか命拾い。
なんだよ。全然娘には甘いじゃん。彼女もちょっとだけ意外そうな顔をしてたっけ。
……ん?
あらためて考えてみると、別に襲わずともパパに全てを打ち明けて協力してもらえばよかっただけなのでは?
金儲けのチャンスを示しつつ、彼女にすがりついてもらうコンボで、なんとかなったのでは。
……。
全部おっぱいが悪い。あのおっぱいを見て、自分を抑えられる男がいるだろうか。いやいない。
原型を止めぬほど顔を腫らし血反吐と鼻血の沼に倒れている俺に対して、パパは吐き捨てるように、婚約解消はしないでやると言ってくれた。
まぁ……解消されなかっただけだけど。それでも首の皮一枚つながった……だといいなぁ。
そんで病院に放り込まれ、なんとか見られる姿になった途端、魚臭い木箱に放り込まれて閉じ込められて支店へ送られてしまったのだ。
だから、あの日以降、彼女とは会っていない。
きっと当分会えないだろう。下手をすれば一生かも。
会えたとしても、彼女の隣には別の男がいるかもしれない。ほぼ確実に。
俺はそいつのことを若旦那とか言わないといけなくなるかもしれない。
彼女のことを信じていないわけじゃない。
あの時のお互いのきもちは本当だったろう。それは間違いない。
少なくとも俺の気持ちは今も変わらない。
変わらないんだけど、俺たちは遠ざかっていくばかり。
つい一ヶ月前、俺は支店長から別の店へ移ってくれと言われてしまったのだ。
なんでも、今、評判になりはじめている海を越えた異国の調味料を、大量に扱うようになるとかで、向こうに支店を開設するらしい。
いやな予感。そして的中。
俺はその支店に派遣され、後から送られてくる支店長と異国の調味料の仕入れルートを切り開いて、店を切り盛りしろという無茶ぶり。
ぜんぜん人脈ナッシングで言葉もわからない異国ですよ異国! ハードルたかくね?
俺、半年前まで素人ですよ素人! 言い方を変えた追放じゃね?
巨大な意志を感じちゃうよ。パパ……いや大旦那サマの『おまえは一生涯愛娘には会わせんぞ!』という燃え上がる意志を!
支店長は反対してくれると言ってたけど、尊敬できる上司に迷惑はかけられねぇ。
慌てて引き継ぎをして新たな赴任地へ向かえば、港で待っていたのは浮いてるのが奇跡のボロ船。
停泊してるだけで、少しずつ浸水していくシロモノ。
悪意だ! 絶対にパパじゃなくて大旦那サマの悪意だ! だが俺には辞める選択肢がない以上、行くしかない。
さようなら祖国。とうぶんさようならあの子。ちょっと涙がこぼれるセンチメント。
航海中、ボロ船は何度も沈没しかかったが、2週間後現地到着。港で力尽きてついに沈没。
俺は任地に泳いで上陸するはめになった。
辛うじてついたらついたで、店舗の準備も生活の準備もできてないんで走り回ったよ! 開設まで俺がやるんかい!
なんとか持ち出したカバンに入ってた予算すくねーよ!
それでも支店長が来る一週間前に店と住居を押さえた。
端っこだが大通りに面した建物で3階建て、一階は店舗と応接室と倉庫、2階は倉庫と支店長の住居、3階が従業員の住居だ。
まだ何にもそろってないけどな!
しかも、幽霊が出ると噂の物件だったけどね!
自分が七ヶ月前まで貴族とか、夢でも見てたんじゃね? って心の底から思うよ!
※ ※ ※ ※
そんなわけで俺は支店長を待っている。
待っている間に、少しずつ雲は少なくなり、日がさして来た。
気温がじりじりとあがり、生ぬるい風に肌があせばむのを感じる。
湿度は高いが、これだけ日が差せば洗濯物が乾くな……なんて、すっかり所帯じみたことを考えちゃう俺。
支店長と俺だけなら、たいした量はでないだろう。
人を雇う必要も余裕もないから、当分、俺の洗濯人生はつづくってわけだ。
先輩どもにいびられた日々でイヤでも慣れたからどうということはないけどな。
洗濯屋にだってなれるぜ!
3本マストの小型船が入ってくる。
俺が乗ってきたボロ船とは全然ちがう。最新型の船だ。
今度こそ乗ってて欲しいな支店長。
俺も大変だが、その支店長って人も大変だね。定期航路もない場所に一から支店を作るんだから。
島流し組の同類か? なんかやらかしたのか?
だとしたら気が合うかも知れない。
船から数人の乗客が降りてくる。
確か……緑と赤のしましまの布のカバーがついてる大きなカバンが目印だったっけ。
緑と赤、緑と赤……あ。あったあった。あの人か。
身長は俺と同じくらい。
雲間から差し込んだ日差しが、その人の姿を照らし出した。
「え……」
長い髪の女の人だ。後ろで無造作に結った髪が揺れている。
この頃、女の人でも働いている人は増えてる。
少しではあるが、下働きとかでない人も出てきている。
でも、うちにはいなかったはずだ。
よほど有能なんだろう。こんな開拓地を任されるんだから。
だけど、洗濯どうしよう。男の俺に洗濯されるのいやがるかも。
まぁ地味な灰色の服であんまり色気もなさそうだから、気にしないタイプか――
雲が晴れて、明るい日差しが彼女をくっきりと照らした。
「えっ……」
俺は彼女を知っていた。
地味な灰色の服で顔と手以外はすっぽり覆っている彼女を。
癖だらけの髪を、後ろで無造作に束ねた彼女を。
忘れたことはなかった。
七ヶ月前よりきれいになったけど彼女だった。
忘れられるはずがなかった。
脚が勝手に駆けだしていた。
彼女が俺に気づいた。
重そうなカバンをためらいなく放り出して駆けてくる。
たちまち距離がなくなって、俺たちは抱き合った。
言葉がなかった。
無我夢中でキスしていた。
動物みたいににおいを嗅ぎまわった。
やわらかい感触もあたたかさも、すべてがいとしくてたまらなかった。
彼女だった。
全部が混じりけのない彼女だった。
彼女の全てが俺の腕の中におさまっていた。
「いきなり……なにするのよ……もう」
彼女は恥ずかしげにうつむいたけど、俺の腕から逃げようとはしなかった。
頬が真っ赤だった。こっちもだろうけど。
「わ、悪い。でも……いや、ごめん」
「社員で下働きで丁稚さんが、支店長にこういう態度とって許されると思う?」
きっと彼女は悪い顔をしている。
「……無礼をしました。今後気をつけ――」
下がって距離をとろうとしたら腕をつかまれた。
「いいわよ。あたしはあんたの女なんだから。あの日、最後まではできなかったけど、あたしはずっとそのつもり」
そのどこか生々しい言葉にドキっとしてしまう。
「いっ今でも?」
彼女は俺の額に額を押しつけると、じっと目を見た。
「あんたはどうなの? あたしの男?」
そこには言葉と裏腹に明るさと確信があった。
「正直言って……お前がどう思ってるか不安だった……だけど、俺はずっとそのつもりだったさ」
そうじゃなきゃ、いきなりあんなことしてしまわない。
「判ってたけど……それでも言葉で確かめたかったの……手紙の一通も送ってくれないから」
「送りたかったよ! でもパパ……じゃなくて大旦那サマに手紙書いたら追い出すって言われて」
「はぁぁっ!? なによそれ! 聞いてないわよそんなの!」
いきなり顔をあげられたんで、鼻と鼻がぶつかる。
「ううっ」
「いてて、もしかして……お前も禁止されてたとか?」
「なにいってんのよ毎週送ってたわよ! だから、会ったら一発張り飛ばしてやるつもりだった!」
「ええっ!? 来てないぞなにも!?」
ぎりぎり、と歯が鳴る音がした。彼女からだった。
「うぐぐぐ。手紙も送ってこない薄情者なんて忘れて婚約解消しろってしつこくしつこくしつこーく言ってた裏には、そんなことがあったのね!」
よほどの怒っているのか、全身をぶるぶると震わせている。
苦しめられたのは俺だけじゃなかった。
彼女も俺とは違う場所で戦ってたんだ。
「そんな状況で、よくここに来られたな」
「もう我慢できなくて、お見合い受けるフリして外出して監視を撒いて、あんたがいるはずの支店へ見に行ったら飛ばされたっていうじゃない! しかも海の向こうへ!」
うわ、娘に監視までつけてたのかよ! すげー親バカ!
にしても、王都から離れたあんな山奥まで女の身一つで来てくれたのか! すげー愛かんじちゃうぜ!
「パパを問い詰めに問い詰めたら、あのタヌキ開き直って、もうあきらめろ乗っていた船は沈んだから、今頃は魚の餌だって」
本当に悪意だったんかい! しかも計画的! 生きてるのが奇跡!
「あたしをここの支店長にしなかったら親子の縁を切るって言ってやったら、それだけはやめてくれって土下座された」
あのパパが土下座! 見たかったなぁ。
「ちょっとだけ妥協したふりしてやったの。あんたが死んでるのを確認したら戻るってね」
「俺が死んでたらどうするつもりだったんだよ」
彼女は悪い笑顔を浮かべた。
「生きてるのは判ってた」
「ええっ!?」
俺の乗ってきた船は、港外れに沈んでいる。
愛の力か愛の力なのかっ。
もしかして俺は、愛の力に守られていて助かったのか!?
「パパに会う前に、あっちへ戻ってきた船の人から、乗ってた人は全員無事だったって聞き出しておいた」
そうか。俺は2週間かかったがこの航路は普通1週間。
2週間+1週間で3週間目なら、無事なことは向こうへ届く。
パパに会いに行く前に、報せが届くよう手配してたのか。
つまりあの親バカパパを騙したってことだ。
親子だ。間違いなくあの親バカごうつくばりな大旦那サマの娘だ。
そして多分。親より大物だ。
「じゃああたし達の家へ案内して」
彼女は、すっと手を差し出してきた。
俺は女王様をエスコートするみたいに手を取った。
「……」
「どうかした? ペンだこだらけでがっかりした?」
「いや、こうやって手をつなぐの初めてだなと思って」
握ってくる手に力がこもった。
「ば、バカね。あんたはあたしのどこに触ったっていいんだから、手ぐらいでドキドキしないでよ」
「ど、ドキドキとかしっしてねぇよ」
お互い妙に意識してしまってなんとも言えない空気を振り払うように、
「よ、用意した物件、婚約者サマに、気に入ってもらえるかな?」
「心配してないわ。だって、あんたのこと、あんたの上司だった支店長が褒めてたもの。万事気が利くし、あと2年鍛えれば店も任せられるって」
人生って不思議なもんだ。
七ヶ月前まで貴族の三男坊だった俺が、今では商会の店員だ。
バカ王子の引き起こした騒ぎのせいで何もかも失いかけたけど、そのおかげで、彼女とお互いの気持ちに気づけた。
婚約者の父親の悪意でいきなり丁稚にされていじめぬかれたけど、それで鍛えられたし、彼女以外で俺を初めて認めてくれた人にも出会えた。
またも悪意で殺されかけたけど、だからこそ彼女がここに来ることが出来た。
歩き出そうとして気づく、
「あれ? お前がもってたカバンがない!」
さっき彼女が放り出したのが、早速盗まれちまった!
「多分、港をうろついてる浮浪児どもだ! くそっ」
「いいのよ。あれは単なる目印。どうせ大したもの入ってないし。大きな荷物は後から来るし。大事なものは身につけてる」
「どこに?」
彼女は俺をいたずらっぽい顔で見た。
初めて見る表情で、ますます俺は惹かれてしまう。
「知りたい?」
「是非とも」
耳元に寄せられたくちびるがささやいた。
「後で、ふたりきりになったら、あんたにだけ見せてあげる」
なんですかその意味深な台詞は!
だけど、俺にとって大事なものといえば、彼女自身以外なんにもないわけで。
そ、そういうことなのか。そうなのか!?
思わず顔を見ると、すっかりすまし顔で。
「なに期待してんのよ? 書類入れを見せるだけなのに」
「それだけで済むのかよ」
「それは、あんた次第かな?」
あかるい日差しの中で、彼女は笑った。
俺たちは明るく輝く道を歩いて行く。未来へ向かって。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。
宜しくお願い致します。