タイ焼きはもう泳げない
ビリーによればタイムパラドックスはあり得ないことらしい。
過去も未来もレコードに刻まれた音楽のようなモノであって、針が置かれている場所が現在なんだという。
パラレルワールド説はどうなんだと反論してみたが鼻で笑われた。俺が時間を遡ったぐらいで宇宙を丸ごと一セット創造するなんて、まるで収支が合わないんだそうだ。
確かにそういうものなのかもしれないが、大天才とか自称しているわりにあいつって頭が固いよな。
まあ、要するに、過去に来た俺が未来を変えようとしても、変わらないから問題ないということらしい。
矛盾が絶対発生しないということは、過去の俺にメッセージを送っても届かないということか。届いたら届いたでビリーの説を否定できる訳だが、面倒くさそうだし今回はパスだ。
ブラックホールが発生するタイミングがわかっているだけでも、できることは沢山ある。
ビリーは可能な限り観測する気でいる。
アルカナ星系にいる宇宙海賊仲間達には緊急避難するように警告が出された。
宇宙海賊達はアルカナ星人? 達へも逃げるように警告したようだ。海賊の癖に善人かよ。
まあ、海賊の言うことを信じる奴なんてそんなにいない。それに、他の星系に移動するのは銀河連邦の市民にとってもそう簡単なことじゃないようだ。
脱出できる人間はごく僅かだろう。
タイムスケジュールを確認すると、リンクスが地球に帰還する前にブラックホール発生イベントが起きてしまうな。
こんな時こそ瞬間移動? いや、こんなことで運を使ってしまってどうする?
失敗の可能性もある以上、あまり便利に瞬間移動するべきじゃないな。今戻ってもビリーの奴にいいように利用されまくりそうだし。
ちょっと最近いろいろあり過ぎたんで、のんびりと宇宙を漂流している時間が素晴らしく思える。
美女達にチヤホヤされるのも悪かないけど、そればかりでもすぐ飽きてしまう。
まったく人間ってのは贅沢なもんだよ。サラリーマン時代の収入だと女の子のいる店でちょっと酒を飲むだけで生活費まで消えてしまうから、夢のまた夢だったんだけどもなあ。
酒と言えば、リンリンが世界中のいい酒をコレクションしまくってるんで一通り味見させてもらえた。あれの価値こそあってないようなものだな。
もう二度と手に入らない銘酒の数々、気に入ったのもあれば思ってた程でもないのもあった。得難い経験ができたという意味ではリンリンに感謝だが、知らなくてもそれはそれで何も困らなかったかもしれない。
俺としては暑い夏の夕暮れに、キンキンに冷えた本物のビールと塩を振った枝豆があれば、高い酒なんて別になくてもかまわんな。
ま、地下都市に引きこもってる一般日本市民の皆さんには、そんな失われた日常の生活の一コマ一コマこそが、二度と手に入らない究極の贅沢ではあるんだが。
生き延びることができただけでも勝ち組だと思ってくれ。いずれ今の生活の中にも新しい喜びが見つかるさ。
リンリン達はコンテンツの配信でそれを実現しようとしているし、実際に若い層はそれで満足している者達も多い。
誰だったか……名前は忘れたが、普通の食事より合成ペレットを好み、生身の異性よりバーチャルアイドルに熱をあげてる奴もいるしな。
歪んでいる? 確かにそうなんだろうが、歪んだ世界に適応しているとも言えるな。
過去の世界を懐かしむ俺がもうオジサンってことかよ。
ブラックホール発生の瞬間、俺はちょうどリンクスを地球の衛星軌道に乗せているところだった。
偶然じゃない、だいたいそんなタイミングになるようにちょっと急いだからな。
予言の成就にビリーは大興奮だ。なんかいろいろ貴重なデータを入手できたようで良かったな。
そしてキリギリスは激怒した。俺が怒られてるんじゃないかとビクビクものだった。宇宙海賊王である俺の方が立場は上でも、あいつ、なんかドスが利いてて怖いんだよ。
キリギリスの怒りの矛先は俺ではなく銀河連邦だった。あんな危険な船を秘密裏に運用していたことに怒っているみたいだ。
まあ、ブラックホール砲の秘密を知れば、どこの星系も要塞艦の通過を拒否するだろう。事故れば星系ごと消滅とかリスクが大きすぎる。
それでも今までは無事故だったと言い張れただろうが、こうして実際に事故が起きたし。
俺が攻撃したから? たった一機のリンクスに沈められるのなら、まあ事故みたいなもんだろう。別にテロと言い換えてもいいけどな。
事故もテロもどこでも起き得るんだ。
今回得られたデータを、キリギリスは銀河連邦の全域にぶちまけるつもりだ。ブラックホール反対運動を仕掛けるんだそうだ。それはそれで頑張ってくれればいいと思うよ、うん。
俺は今回の件で、銀河連邦の真の狙いが分かっちゃったんだよなあ。
つまりはブラックホールの使い方だ。
銀河連邦の宇宙船はぶっちゃけ遅い。そりゃあ地球の船よりかは高速だが、SFに登場するようなスターシップに比べればノロノロだ。
そして自力でワープもできない。銀河の星々を移動できるのは、天体に関連付けられた転移門、すなわちスターゲートの存在があるからだ。
そしてそのスターゲートの大半は、銀河連邦が成立する以前に誰かが設置していたものだ。
一応新たにスターゲートを設けることも技術的には可能だそうだが、実際に新設されたものは数えるほどしかないらしい。つまり、できないと考えて良いレベルってことだ。
一方でスターゲートの破壊はブラックホールを使えば一発だ。一つの恒星系に存在するスターゲートが全て消滅する。
銀河を結ぶネットワークにわざわざ綻びを作って何のメリットがあるのか? 別に難しく考える必要はないんだよ。地球の戦争でも道を封鎖したりすることは普通にあるだろう。
太陽系を消滅させれば、カニメカの星に繋がる裏道を消せるわけだ。マテリアルを独占するには都合がいいよな?
地球人が野蛮だとかそういうのは後付けの理由なんだろうなあ。
そして、ブラックホールを上手く使えば地球の防衛にも利用できる。太陽系に向かう途中の要塞艦を途中の星系でブラックホール化してしまえば、そのルートは二度と使えなくなる。
同様にカニメカ星系に繋がるルートも全て潰してしまえばいい。太陽系とトリックスター星系、そしてカニメカ星系を残して銀河連邦から切り離してしまえるんじゃないか?
銀河からの独立? というより鎖国か?
本当に実行するとなると死人が多過ぎて、キリギリス達は嫌がるだろうなあ。宇宙海賊の癖に邪魔なんだよ正義感なんて。
まあ俺だって地球を生かすために多くの他星系を消滅させるなんてのは寝ざめが悪い。
何より、俺より強い奴と戦える機会がなくなってしまうからな。
自分はバトルジャンキーじゃないと思っていたが、凄く強い奴と戦えるなら負けて殺されるのもそう悪くはない。少なくともその覚悟していた。これはまあ、そういうことだよな。
俺が負けた後は地球が蹂躙されてしまうかもしれないが、悪いけどやっぱり自分が死んだ後のことまで責任は持てない。
子孫でもいればその辺の意識も変わってくるんだろうけどなあ。実際に子供の顔を見てみないと、自分がどう変わるかなんて想像もできやしないけどな。
結婚するかしないか、やはりそこも重要なターニングポイントになるか。なってくるか?
結婚は相手がいる問題だけれど、冗談でも俺の嫁とか言ってくれてる女性達が一定数いるわけだし。
ある意味我が人生最大のモテキだ。幸運の女神は前髪しかないとか誰かが言った。想像するとかなり珍妙な髪型ではあるが、神様だしな。
ならば善は急げ、帰還したその足でプロポーズ行っちゃうか? 何度も脳内シミュレーションしてみたが、全滅はないと思いたい。それどころか複数OKな可能性すらないではない。
重婚? いや、よく考えたら今さら日本の民法とか気にする必要あるのか? 当事者さえ了解済みならその辺はもういいんじゃないか? 全ての妻を満足させる必要があるのは当然として……問題はそこかあ! 俺は結構淡泊な方だしな。若いお嬢様達には物足りないかもしれないぞ。
プロポーズの台詞はどうしよう?
正直に今の気持ちを伝えるなら「君との間に子孫を残したい」だが……センスの欠片もないな。女の子ってのはもっとこうロマンチックなのが好きなんだ。さすがにこれでは勝てる戦も敗北必至だ。
プロポーズ作戦はまた今度にしよう。俺史上最大の作戦になるからな、準備期間が短すぎては玉砕の憂き目にあうだろう。
敵を知り己を知って百戦百勝の信念を得た後に動くとしよう。急いては事を仕損じる、だ。兵は拙速を尊ぶとも言うが、拙いのはやっぱ駄目でしょ。
衛星軌道上では宇宙戦用バンダリアが訓練していた。シミュレーターでいいのにな、そもそもあれが実際に役に立つところが想像できん。
意味があるとすれば優秀なパイロットの発掘? それだってゲームでもできることだ。 ああ、命を懸ける覚悟のある者の選別か。ビリーが戦場に出る者を特権階級にするとか言ってたな。政治的な話じゃないか。
最後まで生き残った者が勝者だとすれば、今後は志願兵はハイリスクハイリターンな選択肢になるってことか。今までよりだいぶマシにはなるな。
地下で引き籠っていたとしても死ぬ時は死ぬが、バンダリアは動く棺桶だしなあ。生存確率を天秤にかければ、余程の優遇措置がついていなければ割に合わないぞ。
今の時代、金なんていくら貰っても仕方ないしな。食料配給の優遇は当然として、地位や名誉? 遺族への補償?
志願者達の本音がちょっと気になる。その辺の話はリンリン辺りが詳しそうだな。
空間機動はコンピュータ任せの筈なのに、それでもバンダリアの編隊飛行には若干乱れがある。
チラ見しただけでどいつがヘボでどいつがマシなのかすぐわかる。
俺が敵だったら下手な奴から落とすか? どうだろうな。同じ一撃で仕留めることができるなら、できるだけ上手い奴から狙うのがお得だが……臨機応変、ケースバイケースだ。
よく考えたら戦闘中はほぼ反射的に動いてるからなあ。
ああ、バンダリアの戦術的価値は、敵に撃たれて撃墜されることだったな。
仮に理想的に運用できたとして、彼らの尊い犠牲の対価としては敵のエネルギーが多少減るくらいだ。
それで何が変わるかと言えば、俺の戦闘がちょっと楽になるかならないか?
無駄とは言わない、さすがに言えない。何もしないよりは、そりゃああんなものでも準備しておくべきだろうよ。
でも、バンダリアのパイロット達には本当のことは話せないよなあ。
結局脱出装置は標準装備されたけれど、気休め程度の性能らしい。それでも結構な量のマテリアルを提供させられたんだが。
マテリアルさえあれば、ある程度の技術格差は誤魔化せるようだ。まさに万能戦略物資と言える。だからこそ銀河連邦もやっきになって独占しようとしているわけで、ある意味全ての元凶がこのマテリアルだ。
リンクスのエネルギー源として利用する時は反物質として使っているけれど、別にマテリアルは反物質ではない。望めば反物質に変化させることもできるってことだろうな。
そもそもあらゆる物質に変化する物質って何だよ? 地球の物理学者達も頑張って研究しているが、結局良くわからないらしい。無論俺にもさっぱりわからん。
原子ってあれだろ? なんか原子核の周囲を電子がぐるぐる回ってるんだよな? マテリアルの原子を調べれば正体がわかりそうなもんだが、なんでも観測する度に結果が変って来るらしい。
観察者の気持ち一つで変化する物質とか、なかなかオカルトっぽいな。まあ、ベティちゃんは今のところ普通に扱えているし、リンクスのインベントリに貯蔵しておけば問題なさそうだ。
マテリアル増殖プラントで地道に増殖させていた複製マテリアルは、ブラックホール騒動でほぼ使い果たしてしまった。種にする生マテリアルはまだまだ残っているのでいいけれど。
ビリーが月に新たな増殖プラントを建設しているので、順調にいけばしばらくマテリアルには困らない筈だ。
足りなくなれば、またカニメカを狩りにいくか……最近はめっきり減ってしまったけどな。カニメカが絶滅したらどうなるんだ?
よくよく考えたら一番訳が分からんのがカニメカ達の正体だよな。海底の湧きスポットから出現するただのザコ敵だと思っていたが、あの湧き場って転移門じゃないか?
奴ら、一体どこから来てるんだ?
ビリーの奴、自称大天才の癖に知らないことだらけじゃないか。
俺は自分がいろいろ知らないことを自覚できている。いわゆる無知の知だ。ソクラテスかプラトンかってなもんだ。大哲人と自称してもいいくらいだ。いや、しないけどな。なんかカッコ悪いし。
「ただいま」
「お帰りなさい」
女の子達はいつもと変わらず、ただ笑って出迎えてくれた。すでにある程度の情報は掴んでいるだろうに、賢い娘達だ。
「ご飯にする? お風呂にする? それともア・タ・シ・タ・チ?」
「いろいろあって、なんだかとっても眠いんだ。でもあっさりしたものが食いたいな、冷やしそうめんが食べたい」
「それじゃあ、風呂、飯、寝るのコースね。お風呂に入ってる間に食事の準備をしておくわ」
リンリンが仕切っているように見えるが、実際に采配しているのはナンシーか? いや、最年長のアリサちゃんが陣頭指揮をとってくれているし、それで上手いこと回っている? なんだこの組織?
会社、そういや今やコンツェルンだったな。
有能な人材をただ集めても人間関係とかで上手くいかないことも多い筈なんだが、やはり爺さんの飯の効果か? 今日も厨房でスタンバってくれているみたいだ。
食材等を中心に十分な対価を渡しているそうだが、それにしても有難いことだ。
食事を期待しながらゆっくり風呂に漬かる。そうだ、ベティちゃんも召喚しておかないとな。せっかくの冷やしそうめんをきっちり記録しておかないと損だ。
切子細工のガラス鉢に、氷で冷やされた素麺。めんつゆに刻みネギ、おろした山葵に生姜。
具としては刻んだ錦糸卵にハム、キュウリやトマトなどの野菜類がガラスの大皿に綺麗に盛り付けられている。
冷やしそうめんとしてはごくごく一般的じゃないか? 今のご時世これだけの食材を揃えるとなると、金だけじゃどうにもならないレベルだけどな。
一年前はどこのご家庭でもこのくらい普通に食えたんだよ、日本は豊かだったんだよなあ。
箸をつけるとやはり美味い。つるつるっと気持ちのいい喉越し。めんつゆもウマミがなんかちゃんとしてる。
うん、人生で最高の冷やしそうめん体験だ。こんなシンプルな家庭料理でも、料理人の腕でここまで違うものなのか?
女の子達も一緒に素麺を堪能している。素麺以外にも冷奴、冷やしナス、カツオのたたきなど次々に出してくれる。
リンリンが持ち込んだ冷やの日本酒が驚くほど口当たりが良く、これがまた料理に合う合う。
一生に一度は飲んでみたい、そんなレベルの銘酒なんだろうな。
食欲はそんなになかったのに、どんどん食べてしまうな。おろし生姜と人生について深く考えさせられてしまったぜ。
今なら我が生涯に一片の悔いなしと、天に拳を掲げて言ってしまえる。
ぐっすり一眠りしたらもっと美味い物が食いたくなるんだろうが、それはまた別の話だ。
我が生涯、俺の人生、ふらふらと成り行き任せで、こうしてここまで来てしまった。
世界は正に世紀末状態だが、美味い食事に素晴らしい女達、これ以上何を望む?
勝利か? その勝利条件がはっきりしないから困ってるんじゃないか?
でもまあ、一通り手札は出揃った。銀河連邦が次どう動くか、新たな情報が入るまで俺はしばらく待機だな。
柔道で言う所の自然本体だ。
別にサボろうってんじゃない。攻防いずれにせよ即座に対応できる状況で悠然と待ち受けようって話だな。
だから一時の安らぎって話でもない。時間は有るようで無く、無いようで有る。
プロポーズ作戦くらいなら発動可能じゃないか? でも、片手間にやるようなことじゃないしな。それもまた難しい問題だ。十分に時間がある時にすべきではあるが、そんな理想的な状況は永遠に訪れないかもしれない。
俺の直観によれば、だ。
突然大番狂わせが銀河連邦以外から転がり込んでくるかもしれん。
シギとハマグリが死闘を繰り広げていたら、ひょっこりやって来た漁師が両方捕まえて漁夫の利を得たという燕の国の故事もあるじゃないか。
シギが銀河連邦、ハマグリが地球だとしたら、漁夫は何だろうな? まあ、真のボス的な何かだ。恐怖の大王と仮に命名しておこう。
ハッピーエンドに繋ぐには、シギと争うのをやめて共に手を組んで漁夫と戦う? それとも漁夫と組んでシギを倒す? シギを囮にして自分だけ逃げて助かるって手もあるよな。
あるいは、そうだな。シギと漁夫を争わせてハマグリが漁夫の利を得る! これが最適解だろう。
まあ、本当に来るかどうかもわからん漁夫の話を今しても仕方ない。ビリーやキリギリスにこんな戯言を言ったところで笑われて終わりだ。キリギリスの奴は意外に真面目だから、上司のつまらない駄洒落に付き合わされる、みたいなノリになるかもな。
自然本体であれば、あらゆる事態に対応可能なんだし。
だから何が起きても大丈夫なように、俺はしばらく休む。休むったら休む!
ああ、休んでいるかのように待機するんだったな。細かいことはどうでもよろしい。
それくらいの我儘は許される筈だ。いや我儘じゃない、世界を守るための深慮遠謀だし。
休むための言い訳だっていくらでもあるぞ。
連続戦闘はキツイもんだし、間接的にではあっても何百億人か殺しちまったのは精神的にもキツイ。
あれ? 俺、本当にちょっと働き過ぎてないか? ブラックどころの話じゃないぞ。
とにかくだ。まずはゆっくり寝る。これだけは譲れない。
俺に寝るなと言っていいのは、俺より寝ていない奴だけだ。
俺の眠りを妨げる者に、死の翼触れるべし。
おやすみ世界。一、二、三、グウ。