19☆
ソウタくんを見送った私は、しばらくのあいだ空虚感と戦うことになった。胸のなかに真空がある感じ。思っていた以上に彼は、私のすみずみに入り込んでいたらしい。
リハビリも兼ねていた1カ月の仮恋。恋に前向きになれたのかどうかは、まだわからない。それがわかるのはきっと、次の恋のときだ。いつになるのやら。
けどいいこともあったんだよね。なにしろ長く引きずっていた前の恋が、すっかり姿を消してしまった。いつかソウタくんが「俺が撃退してやる」と言ってくれたように、私の自信のなさとか、昔の男の思い出とか。とにかくチリ積もっていたもやもやを、彼はすべて連れて行ってくれたのだ――もちろんそれは、ソウタくんへと募る痛みと引き換えにではあったのだけれど。
そして夏が終わり、長袖を重ねて着るようになったころ、胸のかさぶたもだいぶ乾いたころに、突然の再会が訪れたのだ。
やっぱり残業帰りだった。
ソウタくんと出会ったコンビニの前を通るのは、思い出しちゃうからなんとなく避けていたんだけど。その日はたまたまコンビニに用があって。それを済ませて店を出たところで、突然声をかけられたのだ。
「カナさん」
「ぅわっ!」
びっくりした!! 暗いなかで急に声がしたことにもだし、それが自分の名前だったことにもだし、それに、
「…どしたの、その格好」
「え、まずそこなの!?」
つっこむトコ違くね?とソウタくんはぼやくけど、だって。
「だってそれ…」
指を指した先で彼は、ビシッとスーツを着込んでいたのだ。
「うん。報告に来た」
「報告?」
ズイッと一枚の紙を突き出され、反射的に受け取ると、なんだか手書きで細かい字が書かれていた。街灯の明るさではよく読めない。
「もらった30万、ぜんぶ使いきったから。その報告」
「ああ…」
それはまた。ご丁寧に。
「スーツと靴とカバン買った。それから敷金・礼金。あとは引越代と、必要最低限の家電」
「へえ。家見つけたんだ」
「うん。それと仕事も」
「え、そうなの!?」
まだ着慣れないスーツをもてあまし気味にいじりながら、ソウタくんはバイト先の店の本社に正社員として採用されたのだと教えてくれた。
「うわあ、おめでとう! 仕事ぶりが認められたんだね」
サンキュ、とちょっと口の端を上げた彼は、すぐに真顔に戻ると意を決したように私の目を見た。
「カナさん」
その瞳に、以前と同じ熱さが見えて――それは希望的観測も大いにあったかもしれない――私の胸もまた一瞬で熱くなった。ああこれが、私の正直な心なんだ。だって素直にうれしかった。こうして戻ってきてくれたこと。今も私を思ってくれていること。あのときの「好きだ」という言葉が嘘じゃなかったこと。
「なに…?」
だから期待してしまった。もう一度その胸に抱きしめてもらえるのを。
「俺、働いて金稼いだらちゃんと30万返す」
「……は?」
「30万円きちんと返したら、そしたら、カナさんのこと口説きに来るから」
え? てか、それってつまり。
「今日口説きに来てくれたんじゃないの!?」
すると彼は、だぁぁ~っ!と唸ると目に見えて脱力した。そうやって俺の決意を簡単に揺るがす…とかなんとかぶつぶつ言っている。その顔をのぞきこむと、困ったような表情を見せた。
「迷ったんだ、正直。採用決まったら、にしようか初給料出たら、にしようか。けどやっぱりあの金を返してからじゃないと、俺は胸を張ってカナさんを口説けない」
けど、と再び逆接でつなぐと、彼は両手で顔を覆った。
「けど30万たまるのなんか待ってたら、その間にカナさん他の奴にとられるじゃんか」
「はあ?」
「だから、金の使い道の報告っつう名目をひねりだして会いに来た」
「そんなすぐにオトコなんかできないよ」
「何言ってんだよ。前向きになったカナさんなんてモテまくりに決まってんだろ!」
はあ…それはどうも。
「それで、予告?」
「そこまでカッコつけきれなかった。自信なくて。中途半端なヘタレでごめん」
弱々しく座り込んでいる姿を見ていたら、笑いが込み上げてきた。何それ。口説く予告だなんて、聞いたことない。
「ねえ」
自信なさげに見上げてくる。
「爪に火灯して返されたって、受け取らないんだからね?」
「どゆこと?」
「無理して切り詰めて返されてもうれしくないってこと。ちゃんと健康的に生活して貯めたんじゃなきゃ」
「それって…待っててくれるってこと?」
「早くしてくれないと、しわが増えるわよ」
どうすりゃいいの!?と悲鳴を上げた彼は、そこでやっと立ち上がった。顔にはニヤリとした笑み。
「それってライバル減る?」
「ばか…」
家の前まで送ってくれた彼を、そんなもん連れ込みたかったに決まってる!!けど、私は笑って見送った。ひとり住まいの新入社員が30万円貯めるのには何ヵ月くらいかかるのだろう。けど、まあいいだろう。待ってやろうじゃないの。
「ソウタくん!」
駅に向かいかけた背中に呼びかけた。それは、彼の行動がうれしかったのと、じらされた意趣返しと。
私はビシッと彼に向かって指を突きつけた。
「口説かれてやるから!」
ぽかんとした彼がおかしくて、思わず笑いながらもうひと言。
「予告!」
そうしてさっさとマンションに入る。背中からまた「だぁぁ~!」と聞こえてきたけれど、続きは次回聞いてやろう。
そのときは、帰さないよ?
途中、長く間が空いてしまってすみませんでした。
お金で彼氏雇えるなら雇いたいなー(笑)