第3話 王都式では、辺境は救えない
晩秋の冷たい風が吹き抜ける中、領主の館の中庭には重苦しい空気が漂っていた。
荷馬車から下ろされたのは、王都製の大型魔導ポンプだ。
クレイン村の命綱とも言えるその機械は完全に沈黙しており、このままでは村の畑は三日と持たずに枯れ果ててしまう。
リナリアは令嬢らしからぬ地味な作業着に身を包み、中庭の石畳に膝をついていた。
手には廃工房から持ち出した工具が握られている。
周囲では、工房長のガスパルをはじめとする数人の職人たちが、遠巻きに彼女の行動を窺っていた。
「見事な装飾ですが、現場には不向きですね」
リナリアはポンプの外装を覆う、無駄に豪奢な金細工のカバーを容赦なく取り外した。
中から現れたのは、複雑に絡み合った魔力伝導線と、心臓部である巨大な魔導駆動器だ。
リナリアが工具を差し込み、駆動器の吸入弁を開ける。
途端に、黒く変色した泥のような結晶がポロポロと崩れ落ちた。
「やっぱり。魔力詰まりです」
王都の高級魔導具は、不純物のない高純度魔石を使用することを前提に設計されている。
しかし、辺境の村でそんな高価な魔石を日常的に使えるはずがない。
無理に領地産の濁り石を使った結果、不純物を含んだ魔力が繊細な吸入弁にこびりつき、安全装置が働いてポンプ全体を強制停止させていたのだ。
「お嬢様、何をしているのですか! 泥に触れるなど、はしたない!」
背後から、甲高い声が響いた。
振り返ると、苦渋に満ちた表情の父アランと共に、仕立ての良い外套を着た男が立っていた。
王都魔導商会連合の代理人だ。
「辺境伯閣下。令嬢の教育はどうなっておられるのですか。精密な王都の技術結晶を、素人がいじり回すなど言語道断だ」
代理人はリナリアを鼻で笑うと、アランに向かって一枚の羊皮紙を突きつけた。
「これが修理の見積書です。すぐに署名を。さもなければ、クレイン村の畑は全滅しますよ」
アランは羊皮紙を受け取り、その額面を見て顔を青ざめさせた。
「……金貨五十枚だと? ただのポンプの修理に、なぜこれほどの額が」
「当然でしょう。魔力詰まりを起こした機体は、内部の魔導駆動器を丸ごと新品に交換しなければなりません。それに、王都から専門の技師を呼ぶための特別出張費も加算されております。辺境の田舎に出向くのですから、これでも安く見積もった方ですよ」
代理人は悪びれもせず、ふんぞり返った。
アランの持つペンが、屈辱に震えている。払えなければ領民が死ぬ。それを分かった上での、あからさまな足元を見た要求だった。
リナリアは静かに立ち上がり、泥で汚れた手袋を脱いだ。
「お父様、その見積書に署名してはなりません」
凛とした声が、中庭に響く。
リナリアはアランの手から羊皮紙を抜き取ると、代理人の目の前で冷ややかに言い放った。
「駆動器の全交換とありますが、それは不要です。先ほど中を確認しましたが、本体の駆動回路に損傷は一切ありません。単に、吸入弁の手前に濁った魔力が溜まり、安全装置が誤作動しているだけです」
「なっ……素人の小娘が、知ったふうな口を!」
「知ったふうな口ではありません。事実です。弁の清掃と再調整を行えば、このポンプは動きます」
リナリアは代理人に一歩歩み寄り、見積書を突き返した。
「あなたはポンプの外装を開けすらしていない。ろくに現場の確認もせず、最も高額な部品の交換を前提に見積もりを立て、存在しない作業に対して特別出張費を請求した。これは見積もりではなく、詐欺です」
代理人の顔が、怒りと焦りで真っ赤に染まった。
周囲で見ていたガスパルたち職人も、目を見開いてリナリアを見つめている。
大貴族の言いなりになるしかなかった辺境の娘が、王都の商会に真っ向から論戦を挑んでいるのだ。
「で、でたらめだ! 王都の規格に合わない使いかたをしたそちらの責任だろう!」
「ええ。ですから、もう王都の規格には頼りません。不当な請求に対しては、ヴォルクハルト家として一銭も支払う意志はないと、商会へお伝えください」
リナリアの揺るぎない態度に、父アランもまた、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……娘の言う通りだ。我が領地を欺くような商会との取引は、お断りする。帰ってくれ」
代理人は「後悔することになるぞ!」と捨て台詞を吐き、逃げるように屋敷を後にした。
その背中が中庭の外へ消えるのを確認すると、リナリアはすぐに再びポンプの前へ膝をついた。
まだ外装を開いたままの吸入弁に工具を差し込み、こびりついていた泥結晶を丁寧に掻き出していく。
黒く濁った結晶が、石畳の上にぼろぼろと落ちた。
「お嬢様、まだ触るのか」
「今すぐ完全に直すことはできません。けれど、詰まっている分だけ除去すれば、低出力で一時的に動かすことはできます」
リナリアは魔力伝導線の接続を確かめ、吸入弁を締め直した。
そして、濁り石を動力部へ戻し、細く魔力を流し込む。
ゴトン、と重い音が鳴った。
一拍遅れて、王都製ポンプの内部がぎこちなく震え始める。
滑らかな駆動音ではない。
咳き込むように何度も引っかかりながら、それでもポンプは低く唸り、かろうじて水を押し出し始めた。
「動いた……!」
職人の一人が声を上げた。
だが、リナリアの表情は晴れなかった。
魔力の流れはひどく不安定で、吸入弁の奥では、すでに細かな濁りが再び溜まり始めている。
「これで、しばらくは持つはずです」
リナリアは手袋を外し、泥と油で汚れた指先を見下ろした。
「けれど、同じ濁り石を使う限り、いずれ必ずまた止まります」
静まり返った中庭で、ガスパルが重い溜息をついた。
「威勢よく追い返して、一応は動かしたのはいいがよ、お嬢様。駆動器が壊れてねえのは分かったが、俺たちの濁り石を使えば、またすぐに詰まって止まるぞ。どうすんだ」
王都式の欠陥を指摘し、不当請求を退けた。
応急清掃によって、クレイン村の畑を救うためのわずかな猶予も得た。
だが、根本的な問題は何も解決していない。
このまま王都式のポンプに濁り石を使い続ければ、数日か、数週間かは分からないが、必ず同じ故障が起きる。
そのわずかな猶予の間に、王都式ではない炉を完成させる必要があった。
リナリアは振り返り、不安げな職人たちを真っ直ぐに見つめた。
「王都式では、辺境は救えません。だから、私たちが辺境の魔力に合った炉を新たに作ります」
「新しく作るだと? 無茶言うな。王都様の技術でも詰まる魔力を、どうやって燃やすってんだ」
「王都の魔導具は、純度の高い魔石から膨大な魔力を一気に引き出し、力任せに機械を動かします。だから出力が高く、見た目も華やかになる」
リナリアは廃工房から持ち出していた、古い鉄の管を手に取った。
「ですが、うちの領地で採れる濁り石は、魔力の純度が低く、流れも一定ではありません。それを王都の機械に無理やり食わせようとするから、咽せて止まるんです」
前世で、古い機械をだましだまし動かし続けた経験が、彼女の言葉に熱を帯びさせる。
「一気に燃やすのではなく、細く長く回すんです」
「細く、長く……?」
「はい。濁った魔力でも無理なく通れるだけの細い道を作り、少しずつ、確実に循環させる。大出力はいりません。畑に水を送るだけの、止まらない力があればいいんです」
リナリアの言葉に、ガスパルの目の色が僅かに変わった。
彼は無言でリナリアから鉄の管を受け取ると、工具箱から金槌を取り出し、管の先端を細く叩き潰し始めた。
長年の勘だけで、リナリアが求める「細い道」を形作っていく。
リナリアの指示のもと、廃品の部品を繋ぎ合わせた不格好な試作炉が、石畳の上に組み上がった。
中心には、先ほど駆動器から取り出した濁り石が据えられている。
「点火します」
リナリアが微かな魔力を流し込むと、濁り石が不規則に赤く明滅し始めた。
細く絞られた管を通って、魔力がジリジリと燃え上がる。
「いけるか……?」
ガスパルが息を呑んだ、次の瞬間だった。
濁り石に蓄積されていた不純物が一気に気化し、魔力の流れが暴走した。
細すぎる管が圧力に耐えきれず、限界の悲鳴を上げる。
パーンッ!
乾いた破裂音と共に、試作炉が弾け飛んだ。
金属の破片が散らばり、真っ黒な煤と煙が中庭に立ち込める。
「……っ、お嬢様!」
むせる職人たちの中で、ガスパルが慌てて声を上げた。
煙が晴れた後には、顔も服も煤で真っ黒になったリナリアが座り込んでいた。
「ほら見ろ! やっぱり俺たちの手じゃ、どうにもならねえんだ……!」
職人の一人が、絶望したように膝から崩れ落ちる。
素人の思いつきで作った安物が、王都の技術に勝てるはずがない。
その場にいる全員が、クレイン村の畑の死を覚悟した。
だが。
リナリアは咳き込みながらも、泣いてはいなかった。
彼女は煤だらけの手で顔を拭うと、エプロンのポケットから真新しい羊皮紙の束と、一本の鉛筆を取り出した。
そして、まだ熱を持つ試作炉の残骸を見つめながら、静かに、しかし力強い声で告げた。
「失敗です。だから、記録します」




