第45話 王都進軍
ベスティア領最大の都市フルーランシュ。
その医療施設の一室で、エルム・クロウは静かに林檎の皮を剥いていた。
「エルム・クロウ。お前に林檎の皮を剥いてもらうなんて、思ってもいなかった。義手なのに器用なもんだな」
マクシミリアンはベッドの上で上半身を起こした状態で言った。
「気にしないで。このくらい何でもないわ。それより、調子はどう?」
マクシミリアンは腕を回し、身体をひねって具合を確かめるように言った。
「まだ少し痛むが、問題ない」
「本当に、ごめんなさい」
「やめてくれ。お前に謝られるのは居心地が悪い。第一、そういう姿が、まったく似合わないぞ」
「それはそれで、ずいぶんと酷い言われようだわ」
エルム・クロウは小さく苦笑した。
その時、小気味よいノックの音が響き、一人の兵士が入ってきた。
兵士はエルム・クロウの前に直立すると、伝信竜が運んできた小さな木筒を手渡した。
「王国に忍ばせてる、お前の仲間からか?」
「そうね」
「何て書いてある?」
「予想通りね。ルミナリアから王都へ向けて、約二万の兵が出陣したわ。アドリアン王太子に加え、あのセレスティーヌも同行しているそうよ」
「くそっ! 主力が残っていれば」
「一応、帝都へ報告の伝信竜は飛ばすけれど……正直、援軍は期待できないわね」
「フルーランシュにいる俺たちの兵は五千……いや、先の戦いで減って四千五百ほどだったか。これなら、今からでも自由に動かせるんじゃないか?」
「仮に援軍が間に合っても、王都の占領軍を合わせて一万程度。二万を相手にするには足りないわ」
「内と外で挟撃できないか?」
「倍の兵力を相手に? あなたも知っているでしょう、王都の地形は防衛には全く向いていないのよ」
「……結局、奪還されるのを見届けるしかないのか」
「それより心配なのは、暫定指揮官のシュナイダーが防衛に固執することね。軍が見込めない以上、あの五千は持たないわ」
「なんとかならないか」
「シュナイダー宛てに撤退を促す伝信竜を送るけど、後は彼次第ね」
マクシミリアンは深く息を吐き、天井を見上げた。
「皇帝陛下の件はわかる。だが、このタイミングで半数も帝都へ引き上げるとはな……本国で一体何があったんだ?」
「辺境遠征に出ていたジークフリード殿下が、帝都へ戻られるそうよ」
「!!!」
「エルム・クロウ! 俺たちも帝都に戻ろう」
「こんなことを言うのも何だけれど……皇后様は、ジークフリード殿下を警戒しているみたい。それで諸将の後ろ立てが欲しかったのでしょうね。あなたもそうなの?」
「いや……俺は、お前を一度、ジークフリード殿下に会わせたいんだ」
◇
ルミナリアから西周りで王都へ向かう王国軍。
アドリアン王太子は直属の近衛兵を百名程連れてきていた。
馬を並べるルナが、不満げに視線を巡らせる。
「……あの人たち、ずっとこっちを見てる」
「近衛兵か。辛気臭いが威圧感だけはあるな」
フェリックスが肩をすくめた。
ミリアがすかさず窘める。
「また貴方はそうやって軽口を。少しは気を付けなさい」
「へいへい」
「しかし、ついに王都を奪い返しにいくのですね」
ルークが感慨深そうに遠くを見据えた。
「セレスティーヌ様がアルクリーズ城にいらした頃が、随分と昔のことのように感じられます」
「そうね。ルミナリアに召集命令があったときは、もどかしかったけど……今思えば、決して遠回りだったとは思わないわ」
「ですね」
「ただ……ここにカイルがいないのだけが、ね」
セレスはふと、手綱を握る手に力を込めた。
ミリアがそっと馬を寄せ、気遣うように見つめる。
「不安ですか?」
「『平気です』と言ったら嘘になります。でも、自分にできることをやるだけです」
セレスが微笑むと、ミリアも深く頷いた。
そこへ、フェリックスがニヤニヤしながら首を突っ込んでくる。
「カイルがいなくて不安っていうか、一番寂しがってんのは、本当はミリアの方なんじゃねえのか?」
「刺すわよ」
「怖っ!」
「はぁ……相変わらずですな」
ルークが呆れたように苦笑いを浮かべた。
そんな賑やかなやり取りの裏で、エミールが静かにセレスへと馬を寄せ、声を潜めた。
「セレスティーヌ様。王都に入城した際、少し兵を貸してください」
「あら、改まって何かしら。敵の残兵掃討なら、ライネル将軍と手分けして行う手筈になっているけれど」
「いえ、叔父さんに頼まれてることがあって」
「ふーん……。カイルにね」
セレスはそれ以上追及せず、納得したように頷いた。
「わかったわ。好きに使いなさい」
「理由は、聞かないんです?」
「わざわざそんな小声で耳打ちしてくるくらいだもの。聞かない方がいいのでしょう?」
「はは。さすが叔父さんの二番弟子ですね」
「……一言多いわよ、エミール」
セレスがジロリと睨むと、エミールは楽しそうに身を引いた。
いつの間にか馬を寄せてきたアドリアン王太子が、笑みを浮かべながら一同を見回した。
「随分賑やかだね。いつもこんな雰囲気なのかい?」
幹部たちは一瞬で表情を引き締め、黙って最敬礼を捧げた。察したエミールは、ルナを伴って自然な動作で少し後方へと下がる。
「はい。頼もしい仲間たちです」
「……仲間、ね」
「それはそうと、何か御用でしょうか?」
「ああ。今回の王都攻めだけど。こちらは敵の四倍だ。おそらく包囲殲滅だろう?」
「……いえ。この後、ライネル将軍に意見を具申するつもりですが、全軍を以って南門から攻めるべきだと思います」
「そんな攻め方では敵に北門から逃げられてしまうではないか? ああ、いわゆる『慈悲の心』ってやつかい? 甘いな。敵に情けをかける必要などあるまい」
「いえ。そういうわけでは」
「いいか、セレス。一見すれば、無駄な血を流さずに王都を奪還できる。それは素晴らしいことのように思える。だが、それは浅はかな考えだ。無傷で撤退させた五千の帝国兵は、いずれ再び我が国に牙を向く。ここは退路を断ち、包囲殲滅すべきだ」
「殿下。包囲された敵は、逃げ場を失えば死兵となって反撃します。王都に火を放ち、住民を盾にし、一人でも多く道連れにしようとするでしょう」
セレスは諭すように続けた。
「私たちの目的は敵を皆殺しにすることではありません。王都を取り戻すことです」
アドリアンは鼻白んだ。
「……なるほど。そこまで考えていたのか」
少しだけ表情を曇らせる。
「まあ、この件はライネルに私からも相談してみよう。君の意見も伝えておくよ」
そう言い残し、アドリアンはばつが悪そうに馬首を返した。
ルナはその背中を見送りながら、小さく首をかしげた。
「あの人が王子様? ローゼンベルクって、男の人が王様になれるんだ」
エミールは思わず目を丸くした。
「エレフィンは男性が族長になれないの?」
「うん。王子は族長や姫の『守護』になるんだよ。でも、それってエミールも同じじゃない? セレス姫様の守護だよね」
エミールは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「……はは、確かにね」
(もっとも、王子とは程遠い身分だけどね……)
◇
王都の執務室。
第一騎士団副官のシュナイダーは、王国軍がルミナリアからの進軍の報を受け部下たちと対策を練っていた。
「敵の規模はどれくらいだ?」
老練な兵士が冷静に答える。
「正確な数は掴めておりませぬが、中途半端な規模ではございません。おそらく、一万は超えているかと」
別の若い兵が血気盛んに声を上げた。
「しかし、ディートハルト将軍からこの王都の留守を任されたからには、徹底抗戦を挑むべきです!」
老練な兵士は反論する。
「いや、撤退すべきだ。機を失えば王都ごと包囲される可能性もある」
意見が割れる中、部屋に慌ただしく伝令が飛び込んできた。
「シュナイダー様! フルーランシュから伝信竜が到着いたしました!」
「フルーランシュ……いま、あそこに残っているのはマクシミリアン卿とエルム・クロウ卿か。それで、何と? まあ、王国軍に関わることだろうが」
「はっ。おっしゃる通り、エルム・クロウ卿からの報告です。王国軍の総兵力はおよそ二万。そして……なんと、アドリアン王太子自らが総大将として進軍しているとのことです!」
「二万だと!?」
室内がにわかに騒然とする。
先ほどの若い兵士が食い下がった。
「総大将が実戦経験に乏しいアドリアン王太子ならば、敵の指揮を乱す好機はあるかもしれません!」
しかし、伝令は手元の書簡に目を落としたまま、声を潜めて続けた。
「……エルム・クロウ卿は、即刻撤退すべきだと強く主張されております」
若い兵士が叫ぶ。
「あのような亡命者の意見など求めていない!」
シュナイダーは黙ったまま答えない。
「……」
伝令が最後の一文を読み上げた。
「『冷静に時勢を見よ。王都だけが戦場にあらず。今、ディートハルト将軍の兵を無駄にすべきではない』と」
エルム・クロウが王都にいた頃、シュナイダーは共に治安維持の任務に当たっていた。
決して良い感情は抱いていないが、彼女が優秀な人間であることは理解していた。
シュナイダーは目を閉じた。
感情ではなく、兵力差だけを考えれば答えは一つだった。
「口惜しいが……」
「シュナイダー様……っ!」
「――王都を放棄する。全軍、直ちに撤退準備に入れ。兵は一人たりとも無駄死にさせるな」
王都陥落から約二か月。
王都は、再び王国の手へ戻ろうとしていた。




