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第37話 余燼

帝国軍の宿将エルンスト・フォン・ベルクマンは、正面のエーベルバッハと相対していた。

開戦時、約一万二千を数えた兵力はいまだ健在で、被害は千名程度に留まっている。

対してエーベルバッハは二千名を失い、約七千名まで兵を減らしていた。


しかし、帝国軍の伝令がベルクマンに伝えた内容は、最悪のものであった。

「閣下。ドルクハルト様がセレスティーヌに敗れました……」


「……!! して、ドルクハルトは?」


「ご健在ですが、両手の掌を貫かれたようです。ご本人はこちらの本隊に向かってきています。『片手用の剣ならば包帯で縛り、まだ閣下をお守りできる』と申しておりますが」


「無用だ。後方部隊へ下がらせるように言え」


(セレスティーヌ軍とエーベルバッハ軍を合わせれば一万四千前後。兵数だけならまだ凌げる。だが問題は兵の士気だ。ドルクハルト敗北の報は、すでに部隊全体へ広がり始めている。我が軍だけで相手にするのは厳しいか……。被害が多かったザイデンを隣に配置したのは失敗だったな)


ドルクハルトが敗れた時点で、全体の総兵数は王国軍四万五千に対し、帝国軍四万八千。実際は帝国軍のほうが三千多い。しかし、戦の潮流を敏感に感じ取ったベルクマンは、即座に伝令たちを呼び集めた。


「各将軍に左翼側へ援軍を送るよう命じてくれ。あと、万が一に備えていつでも撤退できるよう準備を整えさせよ」


数名の伝令たちが、砂塵を巻き上げて散っていく。


「……ふう。王国軍の弱点は右翼側と思っていたのだがな」


もしベルクマンが、王国軍の兵糧の六割が消失していることを知っていれば、事態はまったく逆になっていたかもしれない。


ベルクマンは号令を出した。

「皆の者、セレスティーヌ軍が来るぞ! 帝国軍第二騎士団の意地を見せろ。王都にいるディートハルトに笑われるぞ!」


ディートハルト率いる第一騎士団とベルクマン率いる第二騎士団は、帝国軍の中で一、二を争う実力を誇る。それだけに、第二騎士団の兵たちにとって、ディートハルトにだけは負けを認めたくないという妙な対抗意識があった。


兵たちは、王都ローゼリアの占領を成功させたディートハルトの顔を思い浮かべる。


小隊長や中隊長たちが、すかさずベルクマンの号令に続いた。

「第二騎士団の『第二』は、二番手という意味ではないことを証明してやれ!」


「おおおおーーっ!!」


地を震わせる歓声が上がり、張り詰めていた空気がわずかに和らぐ。


ベルクマンは内心で小さく安堵した。

ドルクハルト敗北の報せは、間違いなく軍全体の士気を削ぐ。ならば、将たる者が先に動揺を見せるわけにはいかなかった。



ベルクマンの猛攻を耐え続けていたエーベルバッハ子爵は、少し前、はるか後方から凄まじい勢いで右翼のさらに外側を駆け抜け、前線へ向かっていったセレスティーヌ軍の姿を確認していた。


そして今、先ほどまで執拗に攻め立てていたベルクマン軍が、わずかながら守勢へ移ろうとしていることにも気づく。


(なるほど。そういうことか)


ドルクハルトが敗れた。あるいは、それに近い何かが起きた。


そこまで察したエーベルバッハは、すぐさま決断する。

「よし、こちらも攻勢に出る! 皆の者、前進だ!」


それまで耐えることに徹していたエーベルバッハの軍が、一斉に前へ出始めた。


困ったような顔立ちから『やる気のない将軍』と揶揄される彼の号令に、兵士たちは歓声を上げる。

「おおっ、ついに閣下がやる気を出したぞ!」

「これは珍しい!」


好き勝手なことを言う部下たちに、エーベルバッハは困ったように眉尻を下げた。

もともと垂れ気味の眉がさらに下がり、なんとも締まらない表情になる。


(常にやる気はあるのだがなぁ……)


もちろん口には出さない。


だが、そんな気の抜けた雰囲気こそが、この将軍の不思議な魅力だった。

兵たちは皆、知っている。この男は決して部下を見捨てず、そして必要な時には必ず前へ出る将軍だということを。


だからこそ兵たちは笑いながらも槍を構え、再びベルクマン軍へ向かって力強く前進を始めたのであった。



一方その頃、ベルクマンの本隊へ向かって馬を駆るセレスティーヌたちは――


「カイル! 作戦は?」

馬を駆りながら、セレスが息を切らして叫ぶ。


「ここまで肉薄したら、下手な小細工は逆効果だ。お前の部隊は、俺と会う前から正面突破()()は一流だったからな」

カイルは褒めているのか皮肉なのか、ニヤリと笑いながら答える。


「ただし、お前はドルクハルトとの戦いでかなり消耗している。エミール、ルナ、並走してセレスを守れ」


「了解です、叔父さん!」

「はい! 姫様を守ります!」


「ありがとう、二人とも」


「ミリア、ルーク、お前たちはベルクマン軍の側面から攻撃しろ。だが無理をするな。エーベルバッハ子爵の軍が合流するまでは、牽制気味でいい」


「わかったわ」


フェリックスは、愛用の長斧槍(ハルバード)こそ失ったものの、戦場で拾った通常の槍の感覚を確かめながら叫んだ。

「カイル! 俺ら紅蓮騎士団はどうする!?」


「セレスの正面突破に合わせてくれ!」


目の前には、帝国軍第二騎士団ベルクマンの本隊――漆黒の壁が立ち塞がる。


「来たか、セレスティーヌ」

ベルクマンが抜刀する。


帝国兵も一斉に槍や剣を構え、迎え撃つ構えをとった。セレスティーヌたちの凄まじい勢いに、浮足立つような者は一人もいない。


セレスは大きく息を吸い、凛とした声で叫んだ。

「突撃します!!」


ズガァァァン!


鉄と肉が激突する絶叫の中、セレスたちの猛烈な一撃を、ベルクマンの「漆黒の壁」は火花を散らしながらも強靭に受け止めた。


(ルークとミリアの部隊がいなかった分、威力が削がれたか)

カイルは舌打ちした。


ベルクマンの怒号が戦場へ響きわたる。

「よし、初撃を耐えきった。ここからは混戦になるぞ! 援軍がくるまで皆耐えよ!」


第二騎士団の兵たちもそれに応えるように槍を構え直した。漆黒の壁はなお健在であり、セレスティーヌ軍の突撃を受けても崩れる気配を見せない。


しかし無常にも、封じていたと思われたエーベルバッハの軍がベルクマンに襲いかかってきた。

見計らったかのように、ルークとミリアの部隊も側面から攻撃を開始した。


ベルクマンはエーベルバッハの動きを見てため息をついた。


(ここまでか……。エーベルバッハめ、評判に反して機を読む。こちらが耐え切った瞬間を見て攻勢へ転じたか)

(王国の名のある将といえばライネルやキースばかりが目立っていたが、どうやら見誤っていたらしい。少なくとも、この男は好機を逃さぬ)


「……撤退だ。帝国軍全軍に伝えよ! フルーランシュに戻るぞ」

ベルクマンは占領しているベスティア領最大の都市の名を言った。


「ベスティア領の南半分は取られることになるが、しかたあるまい」


「はっ」



「追撃はどうするの? カイル」

馬を並べ、セレスが尋ねる。


「敵の動きを見ろ。最初から撤退を視野に入れていたような、実に見事な後退の構えだ。崩れず、整然としている。それでも追撃すればそれなりの打撃は与えられるだろうと思うがな」


「では」


「いや、こちらの兵糧がなくなっていることを敵に気づかれる前に、大半は退いたほうがいいだろう。敵はまだ四万以上はいるはずだ。大勢を決するには日数が足りなすぎる」


「そうだったわね……」

味方に焼かれた兵糧を思い出し、悔しがるセレス。


「街の規模や、帝国本土からの距離を考えれば敵はフルーランシュまで退くのではないか?」


「……あまり、開戦前と変わってないような気もするわ」


「上層部に戦略がないからな」


「戦略?」


「ああ。ベスティア領を奪われた。だから兵を集めて戦った。それだけだ。そして肝心のフルーランシュを取り返すまで必要な兵糧は味方に焼かれてなくなった。馬鹿馬鹿しい話だ」


「……そうね」


「さて、それよりも。これから帝国軍よりやっかいな相手の対策を考えるとするか」


「命令違反の件ね……」


それもそうだが、カイルはバス・ドゥの放火がアドリアン王子が裏で手を引いている可能性が高いことをまだセレスには打ち明けていない。


カイルは悩んでいた。仮にバス・ドゥが口を割ったとしても、それだけで王子を告発するのは危険だ。王家を揺るがす話になれば、国そのものが混乱する。


それに、告発するならこちらにも相応の政治的後ろ盾が必要だった。


「はぁ……まだまだ準備不足だな」

カイルは小さくため息をついた。


帝国軍を退けた王国軍は歓喜に沸いていた。

だが、その歓声の届かぬ場所で、次なる火種はすでに燻り始めていたのである。

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