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第34話 決意

バス・ドゥを捕縛し、騒がしかった本陣がようやく夜の静寂を取り戻した頃。

天幕の外、未だ燻る焚き火の微かな明かりのそばで、カイルは残された数名の歩哨の配置を確認していた。


そこに、毛布を肩にかけたミリアが足音もなく歩み寄ってきた。


「――皆、もう寝たか?」

カイルが振り返らずに問いかけると、ミリアは小さく息を吐いて頷いた。


「ええ、さすがに死んだように眠っているわ。……カイル、貴方もそろそろ休んだら?」


「ああ、そうだな、すぐ休む。……ただ、お前にだけは、先に少し言っておきたいことがあってね」

いつになく真剣なカイルの声音に、ミリアは微かに眉をひそめた。


「……なにかしら?」


「分かっているとは思うが。バス・ドゥが我が軍の補給物資を焼き払った件、あの辛気臭い男が単独で企んだことではない」


「そうでしょうね」

ミリアは苦々しく視線を落とした。

「……やはり、アドリアン王太子殿下が糸を引いているのね」


「ローゼンベルク王国は、此度のアルテール平原の合戦で負ければ、文字通り後がない。国家の存亡が懸かっているというのに、味方の兵糧に火をかけるなど、とても正気とは思えん」

カイルの声には、アドリアン王子と臨時政府の上層部に対する底知れない怒りが宿っていた。


「……せめて、フィリップ国王陛下がご健在であれば、ここまで酷い独断にはならなかったのでしょうけど」

ミリアはため息交じりに言った。


「いや、陛下が戻られたところで大差はない。どちらにせよ結局、遅かれ早かれあのアドリアン王子が次の国王の座に就くことには変わりないからな」


カイルの口から、ついに「王太子殿下」という敬称の言葉が完全に消え去った。

その明確な不敬の響きにミリアは息を呑んだが、すぐに真剣な表情で問いを重ねる。


「……それで? 貴方はこれから、バス・ドゥの犯行を殿下へ向けて直接問い詰めるつもりなの?」


「いや。そんな無駄なことはしない」

カイルは短く、冷酷に切り捨てた。

「これを見てくれ。エミールがバス・ドゥの持ち物から見つけた」


「『臨時徴収許可証』……何かしら?」


「焼いて不足になった分の兵糧は、領民から奪えということだ」


「まさか!?」


カイルは深く息を吸い、決意を表明した。

「ミリア。――俺はな、セレスの治める国を作ることに決めた」


「――ッ!? 冗談ならよして、カイル!」

ミリアは青ざめ、慌てて周囲の闇を見回した。

「そんな不敬な言葉、口にするだけで国家反逆罪よ……っ!」


「冗談ではないさ」


カイルはわずかに口元を歪めたが、その瞳は冷えたままだった。

「王太子だけに限った話じゃない。臨時政府を仕切ってる面々を見ろ。それにセレスには悪いがランカスター公爵や、彼に言いなりの国王陛下だって同じようなものだったんだ」


「……」


「それに反逆罪など、罪を裁く側の人間をこの世から綺麗に消し去るか、あるいは俺たち自身が裁く側の頂点に立てばいいだけだろう?」


「……相変わらず、恐ろしいことを平然と言うのね」

ミリアは呆れ半分、戦慄半分といった様子でため息をついた。


「俺にそこまで言わせ、踏み切らせたのは、この国を支配している上層部だ。……まあ、安心しろ。いきなり大々的に反旗を翻してクーデターでも起こすわけじゃない。そもそも、まだ決意しただけで、具体的な道筋すら定まっていないからな」


カイルは燻る灰を見つめ、これからの過酷な戦いを予見するように低く告げた。


「だからこそ、これからは本当に『勝ち目のある勝負』だけを厳選して選択しないといけない。状況によっては、まだしばらくの間、あの上層部の奴らとニコニコと迎合してやる必要もあるだろう。お前の言う通り、大恩のある国への反逆だ。――ただ、当のセレスは、王座など望まないだろうがね」


「……そうでしょうね」

ミリアは苦笑を浮かべ、心優しい公爵令嬢の顔を思い浮かべた。


だが、カイルはそのセレスを守るためにこそ、自分が喜んで闇に潜み、すべての泥と返り血を被る覚悟を、この静かな夜の帳の中で完全に固めていたのだった。



早朝。

セレスは宿営地に残った全兵士たちを集めると、毅然とした態度でこれからのセレスティーヌ軍の作戦方針を伝えた。


「――我が軍はこれより、前線へと向かいます。主力五万と合流し、グランゼイド帝国軍を打ち破るべく共に戦います!」


総大将の突然の出陣宣言に、整列した兵士たちの中から一人が困惑混じりに声を上げた。

「しかし、セレスティーヌ様……。上層部からの『後方での防衛任務』はどうなったのでしょうか? 明確な命令違反になってしまうのでは……」


その懸念に対し、横に立つカイルが頭の後ろを掻きながら、あー、と気の抜けた声を混ぜて答えた。

「それについては心配いらん。――あいにく今は席を外しているが、勲功記録騎士(インジケーター)のバス・ドゥ殿には事前にきっちりと話は通してある。私たちのやむを得ぬ出兵の事情については、バス・ドゥ殿からアドリアン王太子殿下へ直接、懇切丁寧に説明してくださるそうだ」


「なるほど、それならば……」

カイルの嘘の言い訳を聞き、兵士たちは納得して安堵の表情を浮かべた。


「分かりました。……ではカイル様、前線には一体どれほどの兵力を割いて向かうのでしょうか?」


問いかけられたカイルは、あえて自分が答えず、隣の少女へと視線を向けた。

「セレス。――前線へ行く我が軍の兵はどれくらいだ?」


「ええと……ほぼ全軍で向かいます。この陣には最低限の守備兵と負傷者だけを残します」

セレスが迷いなく言い切る。


カイルは続ける。

「その理由は?」


セレスはしっかりと顎を引き、広場を埋め尽くす全兵士たちの顔を真っ直ぐに見据えて告げた。

「――昨晩の、帝国軍による夜襲とその撤退の様子を見る限り、敵がすぐにこの本陣を再度攻めてくる可能性はゼロでありませんが、極めて低いからです。さらに、残念ながら兵糧の六割が焼かれ、これでもう長期戦は望めません。よって、前線へ打って出るからには、無駄な遊兵など一兵たりとも作ってはなりません。持てる全ての戦力を戦場へ投入し、全力で帝国と戦うべきだからです!!」


かつてただ怯えるだけだった少女の大号令。

カイルは満足げに頷くと、空に鋭く右手を突き出した。


「総大将はこうおっしゃられている! では出陣だッ!! ――先行したフェリックスたちが頑張ってくれていたと思うが、此度の合戦は『セレスティーヌ軍』の名を売りに行く戦いにしたい。 皆、気合を入れてくれ!」


「――おおおおおおおッッ!!!!」


兵士たちの地鳴りのような咆哮が、朝の荒野へと響き渡る。


「まずはフェリックスたちと合流するぞ!」


本陣の憂いを完璧に断ち切ったセレスティーヌ軍の本隊、およそ五千の軍勢は、王国軍と帝国軍が対峙するアルテール平原の本戦へ向けて怒濤の進軍を開始した。



二日目の朝、グランゼイド帝国軍は本陣の布陣を大きく変更していた。

帝国軍の中でも随一の実力者であるエルンスト・フォン・ベルクマン将軍の軍団を、王国軍から見て最右翼(エーベルバッハ子爵軍や、前線にいるフェリックスらの正面)へと配置したのだ。

初日の戦いで、ブルーノ・ザイデン将軍がセレスティーヌ軍の遊撃部隊に見事なまでにしてやられた結果を受けて、配置を入れ替えた形だ。


ベルクマン将軍は馬を並べる隣の、身の丈ほどもある大剣(ツヴァイヘンダー)を肩に担いだ屈強そうな男に、静かに声をかけた。

「ドルクハルトよ。昨日は敵が不甲斐なく、少々退屈をさせてしまったかな? ――だが、今日の相手はあのザイデン将軍を徹底的にやり込めた奴らだ。存分にその腕を振るうが良い」


「ハッ……。それは、なかなかに楽しみですな」

そう声をかけられ、不敵な笑みを浮かべたのは、ベルクマン将軍の懐刀。『鉄砕(てっさい)』の二つ名で恐れられる豪傑、ドルクハルト・イェーガーであった。


そこへ、前線から引き揚げてきた伝令兵が馬を寄せ、息を弾ませて報告を入れた。

「――報告! 前方に王国軍の布陣を確認。昨日、我が方の右翼へ強襲を仕掛けて合流した『セレスティーヌ軍の分隊』も、未だ前線に留まっている模様です!」


「『セレスティーヌ軍』……? なんだ、それは?」

ベルクマン将軍が訝しげに眉をひそめる。


伝令兵は恐縮しながら言葉を返した。

「は、いや……。初日の敗戦で逃げ戻ってきたザイデン将軍の兵たちが、『セレスティーヌ軍にやられた』と口々に怯えていたため、それに倣いました。どうやら、敵の指揮官や兵たちが戦場でそう名乗っていたとか」


「セレスティーヌ……あー、あの王国聖騎士団の寄せ集めによる混成部隊のことか。巧妙な用兵で、あのマクシミリアンを退けたとかなんとか、噂に聞いていたがね。――ドルクハルトよ。マクシミリアンよりお前を次期将軍候補筆頭にしてくれた敵だぞ。どう思う?」


ベルクマンは納得したように鼻を鳴らし、面白そうに問いかけた。


ドルクハルトは大剣の柄を太い指先で叩きながら、獰猛な肉食獣のような光を瞳に宿す。

「まあ、私のような無骨者には、小難しい用兵のことは分かりませぬ。目の前の敵をすべて肉片に変えて屠るのみです。――ただ、噂に聞くその『銀光』の将とやらと直接手合わせできるのであれば、それはもう、武人として至高の誉れ」


「ふっ、相変わらずだな。――よし、全軍前進するぞ!」


宿将ベルクマンの落ち着いた号令が響く。

こうして、『アルテール平原の戦い』の運命の二日目は、静かに幕を開けたのだった。


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