第3話 カイルとの出会い
王都郊外の森で一夜を明かした翌朝。
彼らは王都に放った斥候から、衝撃の事実を知らされた。
帝国軍一万。
損害を最小限に抑えた彼らは、今まさに王都全域を掌握しようとしている。
そして――国王、ランカスター公爵をはじめとする重鎮たちは、全員が行方不明。
「陛下や父上たちは、王都を脱出されたの?」
セレスの問いに、斥候は重く首を振った。
「わかりません。あの混乱の中、脱出は困難かと……」
絶望が胸を締め付ける。
王国の中枢は消滅した。今やセレスは、完全に孤立したのだ。
王都の象徴だったはずの聖騎士団長が、一夜にして亡命同然の身へと転落した。
そんな中、副官のミリアが静かに口を開く。
「……再起を図るために、行くべき場所があります」
ミリアは一度言葉を切り、焚き火の爆ぜる音の中で静かに告げた。
「ヴァルデン男爵領、です」
「ヴァルデン……あそこ? 南の山岳地帯にある、あの小さな辺境領のこと?」
セレスは即座に眉を寄せた。
王都から遠く離れた、何もない僻地。なぜ今、そんな場所へ。
ミリアは珍しく口ごもった。
「カイル・ヴァルデンをご存知でしょうか」
「いいえ」
セレスは正直に答えた。
「私の古い友人です」
副官の声には複雑な感情が混ざっている。
「士官学校時代からの知り合いで……彼は優秀な戦術家でした」
ヴァルデン領は王都の南の山岳地帯の麓にあり、今回の侵攻路から完全に外れている。
人口はそれほど多くないが、山に囲まれているため天然の要害を持つ。
そして何より――。
「もしカイルが協力してくれれば、必ず現状を打開できるはずです」
「あなたが、そんな風に誰かを頼るのは珍しいですね」
「彼は、特別ですから」
ミリアの声には、どこか複雑な感情が混じっていた。
その日のうちに、彼らは動いた。
王都奪還のための唯一の行軍が始まった。
険しい山道が、敗走する兵たちの体力を容赦なく削っていく。
ある晩。
セレスはふと、隣を歩くミリアに尋ねた。
「ヴァルデン卿は、なぜベスティア領防衛の主力部隊に呼ばれなかったの?」
「上官に嫌われて、軍属を外れています。今は自領で農業に励んでいると聞きました」
「農業……? 士官学校を出て、農業をしているというの?」
セレスは思わず声を上げた。
「自分の気に入らないことがあると、上官だろうと高位の貴族だろうと、容赦なく正論を叩きつける悪い癖がありますから。家督を継ぐという名目で、中央から厄介払いされたのです」
ミリアは苦笑いしながら続けた。
「ただ、彼は大局を見る目を持っています。このままでは王国が潰えると理解すれば、道はあるはず。……すべては、セレス様次第です」
「あと……彼は『ヴァルデン卿』と呼ばれるのを嫌います。どうか、名前で呼んであげてください」
ミリアはそこで言葉を切り、少し言いづらそうに付け加えた。
「それに」
「それに、何?」
「……いえ」
ミリアは目を逸らした。
その横顔には、語られぬ過去の記憶が、複雑な陰を落としていた。
***
数日後の夕刻。
彼らは目的地である小さな城に到着した。
領内に入ってから気が付いたが、山麓にしては、幾重にも重なる畑が印象的だった。
「こちらです」
ミリアが先導し、粗末な木戸を叩く。
しばらくして扉が開き――現れたのは、一人の青年だった。
カイル・ヴァルデン。
三十近いと聞いていたが、それよりも随分と若く見える。
ボサっとした黒髪と縁のない眼鏡、そしてその奥の鋭い眼差しが印象的だ。
身に纏っているのは貴族装束ではなく、泥に汚れた土色の麻衣。
その手には、不釣り合いな麦わら帽子が握られていた。
「セレス様は応接室でお待ちください。私は彼と外で話をします」
セレスは頷き、その場を離れた。
ミリアは主君の後ろ姿が見えなくなったのを確認し、カイルと共に庭へと向かう。
十余年ぶりの、再会だった。
士官学校の卒業直前、別れを告げて以来。
一度も、顔を合わせることはなかった。
「久しぶりだな、ミリア」
声は平坦だった。
だが、その瞳には無視できないほど複雑な感情が宿っている。
「カイル……元気そうで、よかった」
彼女は静かに、記憶を辿るように言った。
「士官学校を卒業した、あの時のこと……覚えてる?」
「当然だ」
二人は士官学校時代、恋人同士だった。
将来を誓い合った、熱い日々。
しかし、カイルには父の決めた縁談――母方の遠戚の娘との結婚が待っていた。
あの日の光景は、今も鮮明だ。
寮の一室。机に置かれた縁談の書状。父の厳しい署名。
「お前以外の誰かと結ばれるくらいなら、男爵家と縁を切る」
そう言って書状を破り捨てたカイル。
そんな彼を置き去りにするように、ミリアは手紙一通を残して姿を消した。
『貴方の将来を台無しにしたくない』
その後、カイルは男爵家に戻り、両親に言われるがまま妻を娶った。
だが、その妻も結婚してすぐに流行り病で息を引き取った。
カイルは深く、溜まっていた熱を吐き出すように息を吸い込んだ。
「なぜ今さらここへ? ……聞くまでもないかもしれんが」
ミリアの表情が硬くなった。
「そうよ。助けて欲しいことがある。王国が危機に瀕しているの」
「王都が陥落したことなら知っている」
カイルはまだ、あの手紙の言葉を引きずっていた。
だが、本当は理解していた。男爵家の縁など切れるはずもなかったことを。
あの日、ミリアが去ったことで、彼は「捨てられた被害者」という安全な場所を得たのだ。
親の決めた道を歩むための、卑怯な言い訳を。。
「私たちはそれぞれの道を歩んだ。今は王国のために協力して欲しいだけよ。カイル……」
「王国か。……それとも、お前の願いか」
カイルの問いに、ミリアは一瞬だけ唇を震わせ、そして強く結んだ。
「……どちらもよ」
その瞳に宿る必死な光を見て、カイルは深く溜息をつき、椅子に深く腰掛けた。
「わかった。話だけは聞こう。……だが、そのあとで『続き』をしたい。俺たちのな……」
「……ええ」
ミリアの声は、微かに震えていた。
それは、十数年前に凍りついたままの結末を。
今度こそ自分たちの意思で書き換えるという、無言の約束だった。
***
一方、その頃。
簡素な応接室で一人待たされていたセレスは、焦燥感に駆られていた。
(早く王都の人々を救わなくては……)
「――お待たせした」
不意に、扉が乱暴に開いた。
「貴女が、噂の聖騎士団長様だな」
入ってきたカイルの態度は、あまりに不遜で横柄なものだった。
敗戦の公爵令嬢。そんな立場を考慮する様子など微塵もない。
労いや慰めが欲しかったわけではない。
だが、これほど無礼な扱いを受けたのは、セレスの人生で初めてのことだった。
「あ……」
セレスは戸惑いながらも、絞り出すような声で頭を下げた。
「カイル様、お願いです。どうか、私に力を貸してください……!」
「力? 兵士のことか? 生憎、どこぞの大貴族様と違って、大した兵数は抱えていないがな」
「そ、それでも、生き残った聖騎士団の兵と合わせれば三千にはなります。それに、義勇兵として領民に声をかけてくだされば……」
「そして、無駄死にさせろと?」
カイルの冷え切った声が、セレスの言葉を遮った。
「お父上に守られて育ったお嬢様が、『戦女神』気取りで剣を振るうのも結構だが。……結果は見ての通りだ」
「――っ。先の戦いでは遅れを取りましたが、私は王都を取り戻す覚悟です!」
信念を否定され、セレスは必死に食い下がった。
「王国には戦女神の加護があります。それに、正義はこちら側にあるのです!」
「『神の加護』と『正義』か。そんなもので戦には勝てん」
カイルは吐き捨てた。
「それで勝てるのは戦女神自身か、伝記の中の聖女将軍くらいなものだ。それを貴女はその目で見たのか?」
何かを言い返したくても、それを裏打ちする言葉も経験もないセレスは、悔しそうに黙り込む。
反応のなくなったセレスを見て、カイルは「困ったものだ」とでも言いたげな、苦い吐息を漏らした。
「……まあいい。そういえば剣には相当な自信があるんだろう? どうだ、俺と勝負しないか? なんなら、貴女が勝ったら兵を貸してやってもいいぞ」
唐突な要求に、セレスは目を見開いた。
「私に、手合わせを申し込むとおっしゃるのですか?」
「そうだ」
カイルは、そこらに立てかけてあった一本の剣を掴んだ。
「話すより、その方が早い」
「カイル! 何をするつもりなの!」
二人の間に、ミリアが慌てて割って入る。
「ミリア、下がっていろ」
カイルの声は、酷く冷静だった。
「このお嬢様には、現実を見せる必要がある。……さあ、表に出ようか」
セレスは唇を強く噛み締め、カイルの背中を追って土の地面へと踏み出した。




