第17話 エレフィンの森
セレス一行は、シルヴァ族の集落へと足を踏み入れた。
集落とはいうものの、その人口だけ見れば集落の規模ではなかった。町に匹敵する規模だが、エレフィン族にとってはここが生活の拠点であり、呼び名など瑣末なことなのだろう。
だが、広場にいた民たちの視線は、厳しいものだった。
「……見慣れぬ旅人だな」
「商隊の連れでもなさそうだ。こどこの人間だ?」
集落には自由都市同盟の商人が出入りしているため、人間そのものは珍しくない。
だが、護衛の男たちを連れ、旅装で身を隠した素性の知れぬ一団が、族長の娘と共に現れたのだ。
その時、族長イルーシアが集落の中心にある広場に立ち、鋭く一喝した。
「皆の者、よく聞け! この者たちはヴァリシアの者ではない。我が娘ルナを敵の手から救い出し、無事に送り届けてくれた恩人である! 無体な振る舞いは、この私が許さぬ!」
族長の声が木霊となって森に響き渡ると、沸騰していたような不信の声は、急速に凪いでいった。
一行は、集落の中心に建つ巨大な建物へと招かれた。巨木をベースに精巧な刺繍が施された布で飾られたその場所は、さながら彼らにとっての宮殿と言えよう。
中に入ると、エレフィン族ではない商人風の男が二人、先客として待っていた。
「おお、ルナ様、ご無事でしたか! 心配しましたぞ」
セレス一行を怪訝な顔で見たが、すぐに商売人らしい笑顔になり、お互いに自己紹介を交わす。
代表と名乗る男が、愛想よく右手を差し出した。
「私はピエトロ・サヴォイア。自由都市同盟の端くれ、バザル・アムから来た商人でございます」
(ピエトロ・サヴォイアか……)
カイルの脳裏に、知識の断片が浮かぶ。
(南の出身者ではないな)
だが、商業都市バザル・アムは多国籍な人々が行き交う混沌とした商業都市だ。南の響きではない名を名乗る者がいたとしても、それ自体は気に留めるほどのことではない。
カイルたちは、ローゼンベルクの軍属であることは伏せ、旅の用心棒を装って席に着いた。
ピエトロの話によれば、ルナと森の入り口に近い街道で待ち合わせていたが、一向に現れず、心配して森から出てきた戦士と共に集落まで来たのだという。
「南のバザル・アムのからこの森まで来るとは、商魂逞しいですね」
カイルが感心したように言うと、ピエトロは肩をすくめた。
「希少な鉱石のためなら、これくらい大したことはありませんよ。商売人という生き物は、利益の匂いがすれば地の果てまで赴くものです」
イルーシアもそれに頷く。
「森には塩がなくてな。こちらとしても助かっている。アズラク海で採れる塩は質が良いと聞いているからな」
ピエトロたちは、シルヴァ族のため利益より友好を重視し、本来の相場より安く卸しているという。
そこでカイルは、突然思いついたようにピエトロへ尋ねた。
「そういえば、バザル・アムの商業ギルド長。二か月前に息子に代替わりしましたね。あの食えない男には、お二人も相当苦労されているでしょう?」
「ま、まあ。確かに食えぬ御人だ。だが、こちらがきちんと誠意を示せば、それほど影響はないですよ」
男たちはそう返答した。
その夜の歓迎の宴は盛大に執り行われ、セレスたちは用意された寝泊まり用の家へと落ち着いた。そこでカイルが、静かに口を開く。
「あの二人、バザル・アムの人間ではないな」
「えっ、なぜそう言えるの?」
ミリアの問いに、カイルは冷ややかな笑みを浮かべた。
「確かにバザル・アムのギルド長は代替わりをした。だが、跡を継いだのは――娘だ」
カイルがそう告げると、ミリアが不思議そうに首を傾げた。
「よく知っていたわね。情報収集はカイルの趣味だろうけど、バザル・アムのギルドの情報なんて、いつの間に仕入れたの?」
「伯父さんが開発した麦米餅の件ですよ、ミリアさん」
エミールが静かに横から口を挟んだ。
「もともと商業ギルドとは取引の予定がありましたからね。伯父さんは軍を離れてからずっと、農業の改良と販路の拡大に力を入れていましたから。あそこの新代表とも、近々交渉に入る手筈になっていたんです。……ね、伯父さん?」
「ああ。その通りだ。……まあ、こうして自領を出てしまったからな。せっかくの販路だったが、麦米餅の流通もしばらくは諦める羽目になったよ」
カイルは少し残念そうに肩をすくめた。
「では、あの二人というのは……?」
事態を飲み込めないセレスが顔を曇らせる。カイルは答えず、エミールにさらに問いかけた。
「エミール、例の物はどうだった」
「……あれは海の塩ではありませんね。味に角がある。色も褐色の不純物が多く混じっています。おそらく公国内にあるサリナッツォ湖産だと思われます。」
エミールは指先に残った塩を払い、冷徹な瞳で断じた。カイルは腕を組み、不敵な笑みを深くした。
「アズラク海の高級塩を装い、公国で安価に採れるサリナッツォの塩を掴ませて恩を売る……。結局のところ、ヴァリシアの回し者ということだな」
「そんで、どうするんだ? 証拠を叩きつけてふんじばるか?」
フェリックスが長斧槍を弄びながら、物騒な提案をする。だがカイルは静かに首を振った。
「いや、今問い詰めても『手違いでサリナッツォ湖産の塩が混ざってしまった』といくらでも言い逃れされる。ここは一つ、彼らに『旅の噂話』を聞かせてやろうじゃないか」
翌日の朝。
一同はイルーシアから朝食のもてなしを受けていた。同じテーブルを囲むピエトロに、カイルが世間話の体で問いかける。
「ピエトロ殿。用が済んだら、すぐにバザル・アムに戻るのですか?」
「ええ、そのつもりですが。何か?」
「それなら、ローゼンベルク方面の経由はやめたほうがいい。帝国との戦争もありますが、先日、国境に近い酒場で、アルクリーズ城からヴァリシア方面に部隊が出るという話を聞きましてね」
ピエトロの手が、わずかに止まった。
「はは……まさか」
「先の戦いでの報復のようです。どうやら狙いは公国の街、グレイヴ。あそこが前線基地として使われるのを、王国軍は懸念しているようでしてね」
「なるほど、それは貴重な情報を……。では我々は、公国側の別ルートから戻るとしましょう。助言に感謝します」
ピエトロは平静を装って笑ったが、その目は笑っていなかった。
朝食が終わるや否や、ピエトロは急ぎ足で自室へ戻り、殴り書きの密書を記した。
彼はそれを握りしめ、集落の端に停めていた馬車――その一角にある伝信竜の巣箱へと向かう。
「一刻も早く報せを届けなければ……っ!」
焦燥に駆られたピエトロが、密書を専用の筒に詰めようとしたその時だ。
背後から伸びてきた大きな手が、パシッと音を立ててその筒を奪い取った。
「おっと。失礼。んー? なになに?」
振り返ると、そこにはフェリックスがニヤニヤと立っていた。
彼は驚愕に目を見開くピエトロを余所に、筒から密書を引き抜いて朗々と読み上げる。
「『王国軍、アルクリーズ城からグレイヴへ進軍の噂あり。至急、迎撃の準備、もしくは対応の検討を乞う』……へぇ。バザル・アムの商人が、なんで公国の街の心配をしてるんだ」
「なっ……。商売の道が塞がれるのを心配して何が悪い! 戦火が広がれば我らも困るのだ!」
ピエトロが必死に食い下がるが、フェリックスは密書を指先で弾き、鼻で笑った。
「ああ、道が塞がるのを心配するのはいいさ。だがなぁ、『迎撃の準備を乞う』なんて言葉、ただの商人の口から出るもんじゃねえ。
フェリックスが冷たく突き放すと、建物の影からカイルが静かに歩み出た。
「お聞きになりましたか? イルーシア殿」
カイルの問いかけに応じるように、族長イルーシアと娘のルナが姿を現した。二人の瞳には、凍りつくような怒りと軽蔑が宿っている。
「……ピエトロ殿。商業都市の商人を装い、我らの懐に入り込んでいたとはな。その厚意すら、すべては我らを欺くための芝居だったのか」
「な、……イルーシア族長! これは誤解です! この男のデタラメだ、信じてはなりません!」
ピエトロが必死に弁明しようとするが、イルーシアはそれを鋭い一喝で遮った。
「黙れ、ヴァリシアの狗が! 我らが喉から手が出るほど欲している『塩』を餌に、今度は商人の皮を被って我らを騙そうというのか!」
「……っ!」
正体をヴァリシア人だと断定され、ピエトロの顔から一気に血の気が引いた。カイルは冷徹な視線を向けたまま、言葉を重ねる。
「公国にとって、この森の鉱石は主力産業である『黒鋼』の加工に欠かせない。だが、あなた方は過去の侵略行為ゆえに、シルヴァ族から商談の席にすら着かせてもらえない『敵』だ」
カイルは一旦言葉を切り、震えるピエトロを射抜くように見つめた。
「そうだ。ルナ殿を攫ったのも、偶然ではないな。……お前たちの商隊を迎えに行った彼女が、なぜかその道中でヴァリシアの兵に見つかった。あまりに都合が良すぎると思わないか?」
「な、……それは……!」
カイルはピエトロへ一歩歩み寄り、最後通牒を突きつけた。
「まともな取引ができないからこそ、こうした姑息な手段を選んだ……。そうだ。商談は終わりだ。ここからは『外交』の話をしようか」
ピエトロはその場に力なく膝をついた。




