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【瘴気】に関する隙間

「畜生!また失敗かよ!」


 エフライム製薬の研究開発部に勤める青年──オーメンは、期待外れの実験結果を恨みがましく睨む。


 1人で実験を繰り返していれば、独り言も増えるというものだ。思うように成果が出ない時には尚更である。


 新薬の開発というのは、一朝一夕でできる事ではない。


 基礎研究で新薬となり得る成分の可能性を模索し、非臨床試験で動物などを使った実験を行う。


 そして、仕上げに臨床試験で実際の人間に対する効果や安全性を確認する。


 その後も面倒な手続きはあるが、今のオーメンが悩んでいるのはここまでの道筋だ。


「やってられるか!」


 頭を冷やす為に少し外の空気を吸ってこよう。そう考えたオーメンは片付けを始める。


 最近、歳のせいか短気になりつつある彼だが、実験室で暴れて高価な実験器具や試料を駄目にしたくはない。


 こういった場所に置いてある物品は、軽く傷が付いたり異物に汚染されただけでも使い物にならなくなる。


 それでいて、同じ物を再度用意するには冗談のような手間と資金がかかるのだ。 


「おーい、休憩行くから留守番よろしくな」


 オーメンが声をかけると、人型の彫刻が一礼する。


 この彫刻は見た目こそ奇妙だが、高性能なロボットのような存在だ。社員の業務をサポートしてくれる。


 勿論、ここに就職して直ぐはオーメンも驚いた。


 しかし、エフライム製薬の謎の技術力と、最高経営責任者の底知れなさを知ると、そんなものかと受け入れられた。


「ああ、生き返る」


 備え付けの冷蔵庫から栄養ドリンクを取り出し、いつものように飲み干すと、濁った思考がクリアになる。


 エフライム製薬は世界的にも大手であり、実験室以外の設備も充実している。


 空調にも最先端……いや、それより1歩2歩は先の技術が使われており、休憩室なら煙草を自由に吸っても良い。


「……煙草、止めなきゃ良かったな」


 元々、オーメンは病院か薬局に就職するつもりだった。


 一応、地元の小さな大学では1位の成績を取った事もあるが、研究職として成功できるとは思えなかった。


 大学のレベルを考慮すると、2位を寄せ付けずに1位を取り続けるくらいの傑物でないと、研究職を選択肢に入れるのは厳しかっただろう。

 

 そして、医療現場で働く事を想定するなら、これからの時代、喫煙者は色々と肩身が狭い。


 大学で教授から忠告され、同じく病院勤務を目指していた友人と共に仲良く禁煙した。 


 その友人は大学の准教授になったらしいが、学閥関連のいざこざにうんざりして、最後には地元の薬局に転職したらしい。

 

 オーメンの方はというと、様々な職場を転々とした後、何故かエフライム製薬で新薬の研究開発に従事している。

 

 当然、凡人でしかない彼にとっては四苦八苦の毎日だ。人生とは本当にままならない。


「ぶっちゃけ、新薬開発って博打だよな……」


 独占販売期間の終わった新薬の後追いとして作られるジェネリック医薬品と異なり、新薬開発は時間を掛けても成果が出るとは限らない。


 唯一の救いは、研究職の最も大きな障害である予算確保に苦しむ必要がない事だろう。


 エフライム製薬の上層部、というか最高経営責任者のアスナヴァーニイは、研究開発に対する出費を惜しまない。


 申請理由が極端におかしくない限り、まず要求が通る。


 どうしてそんなに気前が良いのか、少し怖くなるほどだ。


「まあ、予算が湧き出てくる理屈なんて、俺ら下っ端が考える事じゃないな」


 研究に適した環境がある。それで良いじゃないか。




「ウーウェイ、ウーウェイ、ウォー」


 ネットサーフィン中に見付けた、世間で流行しているらしい曲を口ずさむ。


 今は仕事が忙しく、流行った経緯を確認する暇はないが、確かに中毒性はある気がする。


「お~。それ『トラップ&トラッパー(エイト)!』の曲だね~。ボクも好きだよ~」


 掴み所のない声が聞こえて、オーメンは反射的に背筋を伸ばす。


「だっ、代表……!」


「や~や~。実験は順調かな~?」


 年端も行かない少女か少年のような、橙髪で小柄な白衣の人物──アスナヴァーニイが、中肉中背のオーメンを下から見上げた。


「あ、いえ。正直、ちょっと順調とは言いがたい状況でして……」


 誤魔化したい気持ちもあったが、アスナヴァーニイに嘘を吐く方が怖い。


 彼は初めて会った時から、アスナヴァーニイの目付きを不気味に感じていた。


「げほっ、げほっ……!」


 企業のトップと対面している緊張感からか急に咳が出る。オーメンは更に焦った。


 仮病で有耶無耶にしようとしていると、思われていないだろうか。


「あ~、こっちの実験も失敗だね~」


 アスナヴァーニイは溜め息を吐いた。


「え゛……?」


 腰を折ったオーメンは、アスナヴァーニイの言葉と態度を理解できずに混乱する。


「ヴィジラ~」


「これだけ手間をかけて失敗とは、泣けますね」


 赤い花弁を模した眼帯を付けた、白髪の女性が現れる。


「瘴気を少しずつ摂取させて、理性を保てるような環境を整えてやれば、適応できると思ったんだけどな~。烙印者を作るのは難しいね~」


 オーメンには話の内容をほとんど理解できなかった。だが。


「あの゛……栄養ドリンク゛……!」


「お~、正解~。意外と頭の回転速いね~」


 アスナヴァーニイがオーメンと目を合わせる。まるで、実験動物を観察するような、その目を。


「キミ、気付いてないでしょ~?もう全身が侵食されかけてるよ~?」


「ッ……!?ウ……ガ……!」


 オーメンは自分の手を見た。両腕が音を立てて膨張し、白い骨が肉を突き破って飛び出す。


 痛い、痛い、痛い。


「ガアアア……アアアア……!!」


 激痛に叫ぶ。


「完全に戮辱者に堕ちたね~。これは次の作戦の捨て駒行きかな~」


 やっぱり10番──ツェーンが特別だったみたいだ~、とアスナヴァーニイは呟いた。


「なんだかんだで、モナルキーアは持ってるな~。……ん~?」


 ヴィジラに捕縛され、首輪を付けられて暴れるオーメンは、既にアスナヴァーニイの眼中から消えていた。


 それよりも、白衣のポケットで震える端末が問題だ。


「あちゃ~。まあ、こうなるか~」


 長い橙髪を掻き上げて、端末に入ったグロリアからの連絡を確認し、別の同族──遺失支族・上位メンバーのエンテンデールに繋ぐ。

 

「ごめん、エンテンデール~。ザイン・ラムールが動き出しちゃったっぽいよ~」


『かまへんよ。失楽園の解放準備は既に完了してはるみたいどすえ。作戦の品質には問題あらしません』


「それは良かった~。持つべきものは有能な協力者だね~」


『そやね。ほどほどに協力しましょか。摂理が崩壊するまでは』


「この世界1つくらい、可愛い後輩に譲ってくれても良いんじゃないかな~?」


『まさか』


 エンテンデールの涼やかな声が冷たい殺気を帯びる。


『黙示録が自身の願いを叶える為に必要な世界の数が666。うちが手中に納めた世界は、まだたったの257。そんな余裕あらしません』


「じゃあ、いずれは殺し合いだ~」


『そういう事どすな』


 世界を自分のものにできるのは、誰か1体だけ。だから、ビジネスパートナーにはなれても、最後まで味方でいる事はできない。


 ──それが、黙示録の運命。

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