【厄除の儀】に関する隙間
様々な店舗を乗せた船が、立体的に張り巡らされた幅の広い河川を航行している。
昼の稼ぎ時な事もあって、その数と種類は圧巻だ。
人々は最寄りの船上に飛び移って休憩しながら、売店や飲食店で小腹を満たし、水面を走って次の船を目指す。
未能者の暮らす表の六大陸の外にある、異常な天候と環境に支配された裏の六大陸──真説大陸。
その中でも商業が盛んなパシフィス遺構の中心部には、人口の多い大都市にも劣らない活気があった。
「8レプタ50ヒュステルになります。席でお待ち下さい」
レプタとヒュステルは異能者が使う通貨の単位である。この独自通貨を得る術がなければ、異能社会で生活する事はできない。
異能者と未能者の社会を分かつ絶対的な壁の1つだ。
「了承した」
紺色の長髪とレザージャケットが特徴的な女性がLITH端末を取り出し、キャッシュレスで支払いを済ませる。
見晴らしの良いテーブルに案内されると、端末を弄って待ち時間を潰す事にした。
「たまには真説大陸を歩くのも悪くないらしい。新鮮な刺激を得られるな」
大赦のレテ・ダーム。
シグネットは記憶。ライフワークは脚本。
彼女の端末には発表前の術式論文から絶版となった禁書まで、あらゆる文書データが詰め込まれている。
それらはレテが発想の幅を広げる為にシグネットを利用して集めた資料であり、中には値段が付けられないほど貴重なデータもあった。
しかし、彼女はそんな稀覯本には目もくれず、何処の書店でも買えるような大衆向け娯楽小説を選んで読み始める。
「やはり時代は関係性らしい。人と人との間に発生するドラマこそ至高だ」
レテはフィクションの世界に浸り、厳かに独り言ちた。
「だというのに、未だに異能者の大半は自分という個の昇格に執着しているらしい」
店員に出された水で喉を潤す。
「位階を上げて超越者に到達し、輪廻転生を超克する事が何よりも尊ばれる。視野狭窄で勿体ないと思わないか、無涯?」
『その意見には同意しかねるかえ、紺色の』
レテの意識に鮮明な文字列が浮かび上がった。
『その真剣さと必死さが人の輝きではないのかえ?』
無涯のプレイスホルダー。
シグネットは意識。ライフワークは調香。
精神系の超越者同士であれば、テネトの回線を通じて、LITH端末越しに意思を伝え合う事も難しくない。
『余も汝も、精神系は物事を俯瞰してしまう癖がある。それを悪いとは言わんが、一歩引いた場所からは見えない景色もあるという話かえ』
「壟断が世界の流れを変えたように、か?」
『記憶のシグネットで探ったか。確かに汝の推測通り、同志は本来の歴史を変えつつある。……邪魔立ては控えて貰いたい』
「それを決めるのは私らしい。お前の指示に従う理由はない」
レテとプレイスホルダーが睨み合う。
『ならば……!いや、待て。おかしい。異様に気が立っている。これは……精神系の干渉かえ……?』
レテの強い拒絶にヒートアップしそうになったプレイスホルダーだったが、直ぐに冷静さを取り戻した。
『おー、対処が早いな。高い位階の異能者ほど感情に振り回されやすいもんだが……回線越しに流し込んだ怒りの感情を一瞬で抑えるとは思わなかったっつーの』
レテのLITH端末の画面に、嘲るように笑う黒髪の男性の顔が映る。
『狼藉者が。自室に気を静める香を焚いておいて正解だったかえ』
『準備が良いな。ま、精神系相手なら妥当な警戒だっつーの』
思姦のネルウス・アレキサンダー。
シグネットは感情。ライフワークは心理学。
『おや、私が最後のようですな』
レテと同じテーブルの対面の席に、サングラスの男性が腰掛ける。
『紳士淑女の皆様、ご機嫌よう』
錯誤のコフ・リューヌ。
シグネットは認識。ライフワークは大道芸。
『全員がリモート参加とは、精神系の超越者ならではのコミュニケーションですな』
依然として、この場にいるのはレテ1人だ。コフが目の前にいるかのように、レテの感覚が誤認させられているに過ぎない。
「性懲りもなく、シグネットを無駄遣いしているらしいな、詐欺師」
『手品師と呼んで頂きたいですな』
コフの幻は虚空から取り出したステッキで床を叩いて笑った。
『精神系の超越者は、これで全員かえ?』
『ええ、そう言えなくもないですな』
『ん?随分と歯切れが悪いかえ』
「その条件に当てはまる人物はもう1人いるからだろう」
レテはコフの代わりにその名を口に出す。
「ソーク・ブルームーン」
『そのソークとやらはおらんのかえ?』
『娑婆にはな』
プレイスホルダーの疑問にネルウスが答えた。
『あの地雷女なら失楽園に投獄されてるっつーの』
『失楽園に……!?何をやらかしたら、そんな処分になるのかえ……?』
「お待たせしました」
そのタイミングで、鮮やかな赤色のドリンクと青色のアイスが運ばれてくる。レテは少しの間、口を噤む事にした。
慣れた手付きで涼しげな彩りのメニューが並べられる。
『失伝──頭の中の同居人』
術式発動時に特有のマナの動き。レテが咄嗟に顔を上げると、笑顔の女性店員と目が合う。
「皆、久々に会えて嬉しいよ。でも、私だけ除け者にするなんて、ちょっと酷いかも?」
可愛く小首を傾げる店員に向けて、端末に映ったネルウスの赤い瞳が鋭く光る。
『その雰囲気……雑種か?いや、あの地雷女が脱獄したなんて話は聞いてないっつーの』
「そそ、私の本体はちゃんと失楽園にいるよ?ただ、ここにもいるだけかも」
雑種のソーク・ブルームーン。
シグネットは思考。ライフワークは人材発掘。
「失楽園の中って退屈でね。凶悪犯を調教しながら、戮辱者を聖別して浄化して……の繰り返し。暇だから外の様子を見たいなと思って、こうして遊びに来たかも」
てへ、とはにかんで舌を出す店員。
レテは思わず手が出そうになったが、既のところで踏み止まる。この体を殴っても、ソークにダメージは与えられない。
「でで、私が囚われのお姫様してる間、外では何か面白い事とかあった?」
『誰がお姫様だよ。自分で調べろっつーの、地雷女』
「むむ、意地悪。じゃあ教えてくれなくても良いかも。元から大して興味なかったし!」
拗ねたように肩の辺りを払う仕草をするが、店員の両手は空振りする。
『その体は短髪だっつーの、馬鹿』
「わわ、いつもの癖で……!ヤバっ、結構恥ずかしいかも……!」
店員は顔を真っ赤にして、何処かへと走り去っていった。
『まるで子供ですな……』
『何がしたかったのかえ?』
ソークを深く知らないコフとプレイスホルダーは困惑している。
『ま、地雷女の事は置いといて、この4人がわざわざ集まったからには、目的は1つしかないっつーか?』
その空気を無視して、ネルウスが淡泊に仕切り直した。
『情報交換。精神系の超越者にしか見えない世界の話をしようか』
短い話し合いを終えたレテは、テーブルに頬杖を付いた。
「異能革命以降、この世界は基本的に安定していたとも言える」
『安定、かえ?』
まだ意識を繋いでいたプレイスホルダーが、レテに問い掛ける。
「超越者は世界を見守るだけの傍観者、動かない抑止力で在り続けた。頂点に君臨する超越者がその調子では、良くも悪くも本当の意味で世界が根底から揺らぐ事はないらしい」
『……』
その平和はプレイスホルダーを含む数多の異能者の尽力によって実現したものだ。
「だが、そんな世界にも特大の火種が眠っていた。超越者の敵になり得る理外の存在──遺失支族」
レテは赤色のドリンクにストローを刺した。
「超越者が動くに足る動機と口実ができてしまった。その上、黙示録の権能で味方戦力が寝返る可能性まで出てきたらしい。こうなっては、誰にも盤面を読み切れないだろう」
赤色で喉を潤す。甘酸っぱい。
「今は皆、様子見の段階だ。しかし、これから先、間違いなく世界は荒れるらしい」
青色のアイスをスプーンで掬った。
「そして、特異な運命を引き寄せる壟断は、否応なしに乱戦の渦中に巻き込まれる事になる」
青色を口に入れる。爽やかな甘さ。
「……ところで、無涯。私は最近、1つの難題に頭を悩ませている。壟断の近くにいる者として、参考までに意見を聞かせて欲しい」
『内容によるかえ』
レテは極めて真剣な表情で頷いた。
「では、無涯の意見を聞かせてくれ。壟断と撃針ならどちらが攻めだと思う?」
『うむ……。……は?』
真面目なプレイスホルダーは暫く考える。
『……攻撃型の戦い方という話ならば、同志が攻めではないかえ?』
「なるほど。やはり撃針受けのシホマクが正解のカップリングらしいな」
『受け……?カップル……?今時の言葉はよく分からんが、あまり他人の恋愛事情に首を突っ込むものではないかえ』
現代の異能社会において、他者の恋愛や家庭事情を深く詮索する行為は重大なマナー違反だ。
特に高位階の異能者ともなれば、交際相手や実子を人質に取られる危険性もある。
異能革命前の異能者が大人しく弾圧されていた理由としても、身内を人質に取られていた事が大きい。
それ以来、一定年齢で親との縁を切る厄除の儀という文化が発生し、異能者は身内の情報の秘匿を徹底するようになった。
異能社会に婚姻制度がないのも当然の事である。配偶者の情報を届け出るなど、徒にリスクを増やす行動でしかない。
「いや、あの2人が実際に付き合っているのかどうかを詮索する気はない。私は関係性を妄想しているだけらしい」
『それなら良かった……と言って良いのかえ?しかし、どうしてそんな真似を……?』
空になった容器にスプーンが触れて、涼しげな音が鳴った。
「尊いだろう?」
『ま、まあ、人と人が愛し合う事は尊い事ではあるが……』
「ちなみに、幻像と泡沫ならば泡沫が攻めだと推測しているらしい」
『うむ、今の時代、同性間の恋愛も社会的に受け入れられていると聞いたかえ。……それはそうと、余の友人達を使って勝手な妄想を広げるのは止めてくれんか……?』
店の奥では、短髪の店員が自由人と堅物の噛み合わない会話を聴いて、含み笑いを漏らしていた。




