【権能】に関する隙間
ここに1本のペンがある。
灰髪の黙示録──モナルキーアが広告を担当し、知名度と売れ行きを劇的に改善させた商品の一つ。
そして、私的に愛用しているペンでもある。
しかし、思い入れなどという感情的な理由で使っているわけではない。もっと実用的で合理的な理由がある。
これまで試用した中で、一番インクが滲みにくいペンがこれだった。ただ、それだけ。
意識しなければ分からない程度の違いだが、モナルキーアにとっては何よりも重要な事だった。
部屋の間取り。照明の光度。窓から見える景色。聴く音楽。服。靴。入浴剤。
モナルキーアは自身の生活に関わる全てを徹底的に選別している。
長期に渡って成果を出し続ける為には、外界から受ける不要なストレスを限りなくゼロに近付けなくてはならない。
それが、モナルキーアの持論だ。
僅かな心労が積もり積もって、やがて精神が磨耗し、消えていく。広告業界で長く働いている間に、そんな人材を何人も見てきた。
モナルキーアは愛用のペンを指先で回しながら、特注の椅子に背を預ける。程よい柔らかさに包まれながら考えた。
私は違う。黙示録として世界を滅ぼす。その瞬間まで、私は生き残り続ける。
そして、いずれは666の世界を攻略し、私自身の願いを──。
『代表。アシェル運輸のクラシーヴィ様、イッサカル資源のパビェーダ様、エフライム製薬のアスナヴァーニイ様がお見えになりました』
「通して」
モナルキーアは部下からの通信に応答し、襟元を正してから、溜め息を吐いた。
窮地を助けてくれたクラシーヴィには感謝している。だが、それはそれとして、これから自身の失態を咎められると思うと憂鬱だ。
そんな事を考えていると、部屋のドアが乱暴に開かれる。
「チッ、連絡もなしに会議を無断欠席して、何をセコセコやってんのかと思えば……。欲をかいて、足並みを乱してんじゃねーよ、ルーキー」
開口一番。ドアを蹴り開けた青髪の黙示録──パビェーダが、モナルキーアを厳しく叱責した。
「桜国にも子会社を持ってんのに、報連相って言葉を知らねーのか、コラ。クラシーヴィのバカが回収しなかったら、受肉の弊害がバレるとこだったろーが」
不良のように粗暴な態度だが、言っている事は的を射ている。意外と常識人だ。
「と言うか、もうバレてると思って動いた方が良いかもね~。楽観は禁忌だよ~」
橙髪の黙示録──アスナヴァーニイは、白衣の長い袖をパタパタと振って主張する。
モナルキーアを責めているというよりも、客観的にリスクを分析しているような口調だ。
「我々がわざわざ未能社会にまで進出した理由に勘付かれると困りますね」
銀髪の黙示録──クラシーヴィが、室内の観葉植物を撫でながら呟く。
「その点は……心から謝罪。激しく後悔」
黙示録の扱う世界改編の力──権能は、契約者の願いや欲望を燃料にしている。
それ故に、全ての黙示録は共通する弱点を持つ。
人ならざる黙示録自身の願いからは、権能を行使する為のエネルギーを捻出できない。
遺失支族にとって、それは死活問題だ。
既に契約者の意識を乗っ取っている彼らは、マナを自給できる異能者と違って、権能を行使して失うエネルギーを回復できない。
遺失支族の上位メンバーが様子見に徹しているのも、これが原因だ。
その対策として考案されたのが、人間社会に進出して、彼らの欲望からエネルギーを補充するという現在のシステムである。
「……ところで質問。後ろの女性は何者?」
三人の黙示録、というか主にパビェーダから長々と説教されたモナルキーアは、一段落した隙を見て問いかける。
「よく知らねーが、てめーが先走って独断専行してる間に、アメイズの例を参考にして、偽典に自我を持たせる研究を進めてたらしーな」
アメイズは、モナルキーアの元で偶発的に生まれた意思を持つ偽典だ。容姿も人間に近く、人間と同じく外的要因で成長する。
「そだよ~。凄いでしょ~。ヴィジラ、挨拶して~」
「お初にお目にかかります。ヴィジラと申します」
アスナヴァーニイの言葉に合わせて、赤い花弁を模した眼帯で片目を隠した白髪の女性が、恭しく頭を下げる。
それは、通常の彫刻的な質感の偽典と異なり、極めて人間に近い外見をしていた。
「降着円盤シリーズ、第2号・ヴィジラ~。って、ボクが名付けたよ~」
「過分な名前を頂き、涙が止まりません」
ヴィジラは真顔で言う。
「ちょっと大げさな物言いをするけど、良い子だよ~。多分~」
「泣けますね」
ちなみに、ヴィジラの目元は乾き切っている。
苦手なタイプだ。モナルキーアはそう思った。誇大広告と虚偽は、広告屋としてのポリシーに反する。
「と言うわけで、二番手はボク達が行くからね~。一番槍、お疲れ様~」
「ステファノスからの伝言です。暫くは派手な動きをせず、謹慎しておくように、と」
「……了解」
モナルキーアは三人の仕事仲間が立ち去った後、窓の外をじっと見詰める。
置いてきてしまった部下は、生きて戻ってくるだろうか。もはや、無事を祈る事しかできない。
「ごめん、アメイズ……」
鈍い音がして視線を下げると、強く握り締めたペンが手の中で砕けていた。
左腕で視界を覆い、暫くして悄然とした顔を上げる。
空には暗雲が立ち込めていた。




