【登山】に関する閃き
異能者は、他者に対して寛容である。
異能者には心身の成長に限界がないので、他人に嫉妬したり蹴落とす事よりも自己の研鑽に意識が向きやすいのだ。
未能者ではどうしようもない問題も、異能者ならばマナの精製量を増やし、より多くの祝福を得る事で解決できる。
だからこそ、以前の僕のように他者にまるで興味を持たない社会不適合者も稀に発生するのだが、今は置いておこう。
そのような性質を持つ連中なので、当然ながら自分という個への執着は、未能者が想像するよりもずっと強い。
異能者が自身の位階に重きを置くのも、それが大きな理由である。
位階を上げる事で、存在の格が昇華し、その魂は人の枠を逸脱していく。
超越者の領域にまで至ると、個でありながら、摂理にすら匹敵する存在強度を得る。
異能社会において、格の高い存在ほど自己を保持する能力が高い事は、既に立証されている。
だから、超越者は不老なのだ。
位階の高さによって、外部からの影響を全て弾き、永遠の個として在り続ける。
これは、超越者以外の異能者にも関係する話だ。
高位階に到達した者ほど、死後に生まれ変わった際に、前世の意識や記憶の一部を保っている事が多いらしい。
ゲームの二周目引き継ぎ要素みたいなものだと思えば、少しは分かりやすいだろうか。
そうやって、輪廻転生の超克──つまり、超越者への到達を目指し、何度も生まれ変わりを繰り返す。
それが、標準的な異能者の生態だ。
「と言うわけで、存在の格が高い超越者と共鳴を結べば、遺物による侵食を抑えられる」
「はぁ、そうなんですかい……?」
聖剣使い──デクラン・ギャグノンは、間抜けな表情で首を傾げる。
そんな仕草をしても、堅気には見えない人相の大男なので、普通に怖いだけだ。
「まぁ、俺ぁ他に行く宛もねぇんで、細かい事は王様に任せまさぁ」
渡界者は世界を渡った衝撃で記憶を失う場合が多く、転移直後は状況を理解できずに苦労すると聞く。
デクランも例に漏れず、アインを斬った剣術が何の流派なのかすら、自分でも分からないらしい。
それでも、体に技が染み込んでいるそうなので、前の世界では名の知れた剣豪だったのかもしれない。
ただし、渡界者の常だが、異能者としての位階は低い。
マナの精製量から察するに、第8位階だ。聖剣を持たせないと戦力にならない。
まあ、異能に覚醒しているだけマシか。渡界者の大半は未能者だからな。
「渡界者って大変なんだね。知らない世界で一人ぼっちなんて、流石にちょっと同情しちゃうよ」
シビュラ・クリスタルが、桃色のツインテールを垂らしながら、しんみりと言った。
「だ、だが、その剣才は役に立つ。バレンシア派閥へようこそ」
長身のドルク・バッシャールも、黒い長髪の隙間からデクランと目を合わせて、優しく背中を叩く。
「これからは、親衛隊の小間使いとして、馬車馬のように扱き使ってあげますね」
白髪のスフィア・ミルクパズルが、大柄なデクランを見上げて、親指を立てた。
「安心して下さい。人間を壊れない程度に酷使する方法は心得てますから!」
そういえば、こいつは元々、人を使う側の人間だったな。
自分より明確に立場の低い部下を手に入れて、水を得た魚のように喜んでいる。
「お手柔らかに頼んます……」
デクランは竹刀袋に入れた聖剣を撫でながら、緊張気味に頭を下げた。
「閃いた」
未能者で賑わっているファミリーレストランの一角。
「気紛れな天使。見付けた遂に」
青髪の超越者──梧桐志鳳が座っている二人掛けのテーブルの対面に、灰髪の黙示録──モナルキーアが腰掛けた。
志鳳はメニュー表に添えられた山脈のイメージ写真をなぞって、息を吐く。
「皆を誘って、登山に行こうと思ったところだったのに……」
「その願いは永遠に叶わない。今度こそ絶対に逃がさない」
以前までの志鳳は、固有術式を解除した時点で、拡張思考回路で得た情報を完全に忘れていた。
それは天使という人の身に余る固有術式で自滅しない為の、本能的な自己防衛反応である。
しかし、短期間で何度も天使を降ろす内に、処理能力の限界を感覚で補う技能を身に付けた彼は、普段時にも僅かながら情報を持ち越せるようになってきていた。
とは言っても、本人のインスピレーションに依存した曖昧なものなので、具体的に言語化できるほどの精度はないが。
それでも、理解した事が一つある。
目の前の存在はどうしようもなく、志鳳の敵だ。
志鳳のシグネットに刻まれて離れない、誰かの過去。親友の死と世界の終わりを見届けた記録が、それを確信させる。
「……」
「……」
互いに無言で睨み合い、無料の水を飲む。
「ご注文はお決まりですかー?」
「牡蠣フライ定食」
「マウ先生のどきどきオベリスクカレー」
モナルキーアが注文したのは、今話題のアニメ、百合の間に挟まる30秒広告(略称ゆりさん)とのコラボ商品だった。
カレーライスの上に大量の揚げ物が積み上げられており、写真を見るだけで胃もたれしそうだ。
果たして、これを注文する未能者は存在するのだろうか。
「……冒険し過ぎ」
「何を頼むかは私の自由。広告業界の人間として、コラボ商品は積極的にチェックするのが私の義勇」
「広告?」
志鳳が思わず訊ねると、暇そうにしていたモナルキーアが食い付いた。
「私の稼業。欲しいのは反響」
モナルキーアは饒舌に、クライアントの要望に合った広告を立案する難しさと、市場調査の重要性を説き始める。
志鳳が黙って聞いていると、テーブルに届いた巨大カレーを食べながらも話が続く。
最終的に、異能社会では異能法の範囲内で比較的自由に宣伝広告を出せるが、未能社会では各国の法に従う必要があって大変だという愚痴まで聞かされた。
「……なんか、意外。君達はもっと人間離れした存在だと思ってたから」
人間味のあるモナルキーアの言動に、志鳳はイメージとのズレを感じてしまう。
「できれば、味方として出会いたかった」
志鳳が牡蠣フライ定食を食べ終える。
「摂理の破壊は既定事項。種族的に和解は不可能」
モナルキーアも空になった皿にスプーンを置いた。
「そう」
志鳳は気持ちを切り替える。
「場所を変えよう」
「この期に及んで逆転の算段?この距離なら君を殺すのも簡単」
モナルキーアから殺気を向けられても、志鳳は無表情で受け流す。
以前の戦いでも思っていたが、この黙示録は直情的だ。連盟の超越者達のような、経験に裏打ちされた老獪さを感じない。
「ここで戦闘を始めるのは、そっちにとっても不都合なはず」
それは、志鳳の直感だ。黙示録には大衆を巻き込んで暴れられない、何らかの理由がある。
前回の襲撃でも、志鳳とプレイスホルダーだけをわざわざ異空間に隔離してから、戦闘を仕掛けてきた。
「……死に場所くらい、君の希望に沿っても良い。冥土の土産。最期の情け」
モナルキーアはメニュー表を開き、山脈のイメージ写真に触れた。
『改編──可能世界D75』
(と言うわけで、来た。ここは……手付かずの自然に定評のあるアケル……?)
気が付くと、志鳳は見晴らしの良い山脈の上に立っていた。
これが、黙示録の力の一端。
結果だけ見ればヴァルナのシグネットに似ているが、第0位階の彼でも事前準備なしでこれだけの長距離転移は難しいはずだ。
『失伝──|針の上で天使は何人踊れるか《シースレス・エンジェル》』
志鳳の髪に無数の光の糸が絡み付く。
『失伝──この世は舞台』
視界は開けているが、モナルキーアの姿は見えない。
『まずは、炙り出す。再演──痺れさせる電場』
志鳳の発する光が周囲を満たした。
『ッ!範囲攻撃……!』
志鳳の背後の空間が光に焼かれ、隠れていたモナルキーアが飛び出す。
『改編──可能世界A……』
『再演──織り成す芸術』
モナルキーアが反撃するよりも一手早く、光の繊維が全身を縛り上げる。
(やっぱり、経験が浅い)
志鳳の目に一筋の光明が見えた。
(手札は多いけど、切り方が下手。このまま、何もさせずに倒し切る)
不可能ではない。一対一の対人戦において、志鳳の複合シグネットは反則的に強いのだ。
そう。
──それが、一対一の戦いならば。
(……ぇ?)
志鳳の全身が瘴気の槍で貫かれる。
「キシシッ!油断大敵、ってな!」
志鳳の光がギリギリ届かなかった距離の空間から、中肉中背の男性が現れた。
ラフな格好をした茶髪の男性は、既に致命傷を負った志鳳の肉体に向けて、執拗に瘴気の刃で追撃を加える。
「よくやったアメイズ」
モナルキーアが自身の部下、突然変異で自我を持った特殊な偽典──アメイズを褒めた。
モナルキーアは前回も奇襲作戦を成功させている。
黙示録や偽典は、摂理の外にいる存在だ。
それらを対象にした場合、異能者の知覚にノイズが混ざり、探知誤差が生まれる確率が跳ね上がる。
更に、今回のモナルキーアには、その確率を限りなく100%に近付けられる協力者がいた。
「君も御苦労。帰りも送ろう」
モナルキーアはもう一人の功労者にも声を掛ける。
「貴方に労われる筋合いはないわぁ。私達は目的の為に利用し合う関係だものねぇ」
モナルキーアが投げ掛けた言葉に、おっとりとした声が応えた。
今回の危うげない勝利も、そこに至るまでの過程も、彼女の予知があってこそ。
明るい灰色の髪をバレッタで留めた女性。
(タヴ……!?)
残体同盟。預言のタヴ・モンド。
志鳳も面識のある超越者だ。
(どうして……?)
洗脳?思考操作?それにしては、彼女の言動は自然で違和感がない。
まるで、彼女であって彼女でない存在を見ているような、薄気味悪い感覚。
(……まさか!)
冷たくなっていく志鳳の体を他人事のように俯瞰しながら、天使は答えを導き出した。
(彼女が辿ったかもしれないイフの可能性を上書きし、世界の敵に仕立て上げた……!?これが、黙示録の奥の手……!!)
黙示録にとって最大の障害であるはずの超越者を、こんな形で逆用してくるとは。
「哀れな天使。敢えなく戦死」
「キシシッ」
「確定した未来には、誰も抗えないのよねぇ」
三人の世界の敵は思い思いの表情で、青髪の青年が死にゆく様を見届けた。
『口伝──自分自身を疑え──解除』
「!?」
モナルキーアは自身の眼を疑う。
確実に仕留めた。そう認識していた天使の遺体が──ない。
『ほう。私の手品は通じるようですな』
モナルキーアが振り向くと、サングラスを掛けたオールバックの男性が立っていた。
錯誤のコフ・リューヌ。
シグネットは認識。残体同盟に所属する精神系の超越者。
『ッ!伏兵!?まさか、この私の行動が読まれ……いや、誘導されていた……!?』
モナルキーアがコフに指を向ける。
『改編──可能世界C……』
『おや、私にばかり気を取られていて宜しいので?』
『邪魔すんじゃねぇぞ、詐欺師!口伝──大喰らいの口!』
薄青色の髪の男性が吠えると、虚空が口を開けるように歪み、モナルキーアの片腕を噛み千切った。
『おらおらぁ!全然、食い足りねぇ!』
供犠のシン・ジュージュマン。
コフと同じく、残体同盟の新世代。
『やられたわねぇ……』
溜め息を吐いたタヴは大きく後退する。
そこに。
『これは推理小説のトリックをネタバレされた恨みだお!死ね、タヴ!口伝──搾り上げる万力!』
紫髪を頭の前で二つ結びにした女性が行使する、圧縮の固有術式。タヴは紙一重で躱す。
『ああっ、外れた!やっぱり未来予知はズルだお!』
棄損のツァディー・レトゥワル。
『隙ありデス。口伝──名状しがたきもの』
暗い金髪を後頭部で丸くまとめた女性が、無数に分岐した異形の足でタヴを拘束した。
『捕まえたデス!』
擬態のレーシュ・ソレイユ。
残体同盟の介入により、戦況は逆転していく。
『これは想定外。戦略的撤退……!』
モナルキーアは逃げ道を探す。
シンに食われた腕は元に戻したが、これ以上リソースを削られ続けるのは不味い。
が、残体同盟の攻勢は止まらなかった。
『失伝──禁じられた遊び!』
橙色のフードを被った金髪の女性が振り下ろした剣の祭具は、僅かな抵抗もなくモナルキーアの体を両断した。
『あーもー!だから、私は武闘派じゃないんだってば!』
恩寵のザイン・ラムール。
『ぐ……!』
モナルキーアが自身を上書きし、死をなかった事にする。しかし。
『失伝──毒々しい爪』
今度は茶髪を逆立てた男性に猛毒を撃ち込まれた。モナルキーアの肌が病的に黒ずんでいく。
『人間相手には倫理的に試せない毒が色々あるんでね。ちょいと実験に付き合って貰いますぜ』
侵蝕のヴァヴ・パープ。
『が……!ぃ……』
激痛に悶えながら、モナルキーアは自身を上書きし……。
『失伝──周回する大地』
褐色肌の男性が放った、無数の土球に全身を吹き飛ばされた。
『一瞬で殺すのが慈悲である』
版図のへー・ランプラー。
『……!』
モナルキーアは応戦を諦めた。
地力ならば、超越者よりも黙示録の方が上だろう。だが、この旧世代の連中と自分では、戦闘経験に差があり過ぎる。
一瞬たりとも、反撃する隙がない。
『失伝──色鮮やかな花束』
毛先の黒い銀髪の女性が固有術式を発動すると、モナルキーアの足元に乱れ咲いた花々が、逃走を阻止するように絡み付く。
『こういう場所に咲く花も趣あり、みたいな?』
花唇のダレット・ランペラトゥリス。
『そのまま捕まえておくかしら、ダレット。失伝──完全無欠な矛盾』
水色の髪の女性が生み出した大量の巨大な水の矛が、渦を巻くように回転し始める。
『残機がいくつあろうと、私一人で全部削ってあげるかしら』
戦渦のギーメル・パペス。
『……っ!』
彼女の操る膨大な水の全てが、モナルキーアに照準を合わせた。
モナルキーアの目に、見た事のない景色が映っている。
原型が分からなくなるほどに、歪んだ世界。それは、自身が規格外の速度で移動している証左。
これほどの速さで動ける存在など、一人しか知らない。
『クラシーヴィ……』
『まったく、世話の焼ける後輩ですね』
毛先を巻いた銀髪の黙示録が、モナルキーアを含めた三人を抱えて走っていた。
『再演──独り善がりな栄光!』
残体同盟に窮地を救われた志鳳が射た光の矢を、爆発的な加速で回避する。
『無駄です。誰も私には追い付けません。早急に離脱し……』
『ッ!クラシーヴィッ!』
突然、モナルキーアが警告を発した。
視界に捉えたのは、暴力的なまでの、赤。
『全て、私に跪け。失伝──至上なる命令』
鮮血のような赤が、戦場に君臨する。
『──止まれ、外来種』
最強の支配系──女王ベートの命令は、最速のクラシーヴィを確かに減速させた。
そして。
『失伝──独り善がりな栄光』
『なっ!一体、何処から!?』
その瞬間を見計らったかのような、光の矢による、超々々遠距離からの不意討ち狙撃。
クラシーヴィの左腕が根本から吹き飛ぶ。直ぐに再生したが、アメイズとタヴを取り落としてしまった。
『アメイズ……!』
『捨て置きなさい。偽典の特異個体と予知能力者は惜しいですが、仕方ありません』
『うぅ……!』
モナルキーアはクラシーヴィの右腕にしがみつきながら、赤髪の女性を睨み付ける。
擅権のベート・バトゥル。
最強と謳われる異能の女王。
『良いかえ?少しでも不審な真似をしたら、赤色のの意識を目覚めさせるからな?』
山藤杜鵑花に抱えられたプレイスホルダーが、女王に対して念を押す。
今の女王は、彼の固有術式により信桜幕楽の意識を奪う事で、擬似的に封印を解かれていた。
『そう怯えるな、金髪の男。私は約束を守る女だ。その点は信用しろ』
(女王、天使、摂理の守護者。要注意人物が揃い踏みですね)
クラシーヴィは行く手を塞ぐ花々と水矛を避けながら、決断した。
『やむを得ませんね。改編──終末世界No.21』
クラシーヴィは敵を足止めする為に、自身の権能を解放する。
神殿のような様相の禍々しい異界が、現実世界を塗り潰した。
『呼吸が苦しい……!?何、この異常な瘴気濃度……!!──浄化!』
志鳳は咳き込みながら、有害な空気を払い除ける。
『ッ!浄化が追い付かない!』
瘴気が充満する退廃的な空間で、最初に動き出した超越者はタヴだった。
全てを予期していたかのように、アメイズを連れて、脱出路と思しき道を迷わず走っていく。
『逃げられるお!』
『させないデス!』
ツァディーとレーシュが慌てて追おうとするが。
「キィィィィィィィィ!」
頭が痛くなるような耳障りな鳴き声を上げて、異形の生物の群れが全方位から出現した。
『戮辱者のように見えますな』
『いや、あれはもっと危険。瘴気に侵食されたんじゃなくて、瘴気に適応進化した生物』
志鳳はシグネットで異形の正体を見破り、表情を曇らせる。
(僕はタヴを追うべき。それが最適解なのは分かってる)
クラシーヴィの展開した異空間は、モナルキーアの見せたものとは別格だ。前回のように、全員で脱出はできない。
だが、タヴと同じ知覚系である志鳳ならば、脱出経路を辿れる可能性は高い。
(だけど、ここを放置するわけには……)
『迷うな』
そんな志鳳を見据えて、女王が言った。
『お前は灰髪の女を追え。あの生ゴミ共は私達が片付けておく』
残体同盟は女王ベートが当時の最強格を引き入れて創設した結社。
総戦力では間違いなく最強。今ここにいるメンバーだけでも、この程度の状況には対処できる自信があった。
『まぁ、それが妥当ですねぇ。口伝──|存在の耐えられない軽さ《フリー・フォール》』
杜鵑花が生み出した引力が、志鳳の体を引き寄せて、タヴが向かった方向へと射出する。
『ッ!恩に着る!』
知覚系の超越者の恐ろしさは、志鳳が一番よく知っていた。
暴走した彼女を放置する事はできない。
『きゃひひ、お気を付けてぇ』
『あの娘は汝に任せるかえ、同志!』
『……私の許可なく死ぬなよ』
梧桐志鳳はタヴ・モンドの足跡を追い始めた。
「……ますか!?……りして……!」
誰かの声が、遠くから聞こえる。
「……から……!……王!」
僕を呼んでるのか?
……あれ?僕?私?そう言えば、自分は誰だっけ?
自分が薄まっていくような、得体の知れない不安感。
気持ち悪い。……でも、もう良いか。このまま消えてしまっても。
埋まらない穴を抱えて生きるのは、疲れた。
『本当にそれで良いのか?』
……。……。
『ふふ、なんだ。即答できないくらいには未練があるんじゃないか。少し安心したぞ』
五月蝿い。
『行っておいで、詩凰君』
……行ってくる。
「王……!目が覚めましたか!?」
「スフィア……」
僕はベッドの上で身を起こす。別に体に異常はない。
「何があった?」
「意識ははっきりしてるみたいですね。……狙撃が終わって暫くしてから、王が突然倒れたんです」
僕は頭を押さえて、溜め息を溢した。
「……とうとう来たか。黙示録の侵食」
『クハハッ!超越者の抵抗力にも限界があるようだな!』
悪魔の甲高い笑い声が、寝起きの頭に響く。
「それで、王から言われた事を思い出して、緊急用の黒いカプセル剤を飲ませました。その……口移しで」
「そう。的確な判断。助かった」
頬を赤くして視線を彷徨わせるスフィアに、無難な言葉を返す。
まさか、能天気なシビュラならともかく、異能者にしては貞操観念の高いスフィアが口移しをしてくれるとは。
想像以上に慕われていたのは嬉しいが、少し怖くもある。
だって、こいつ、絶対重い女だし。下手に深い仲になったら、一生粘着されそう。
いっそ、さっさと梧桐志鳳とくっつける計画でも練ろうか。彼も友人に対して重い男だし、激重感情持ち同士でお似合いだろう。
「あっ、その顔は何か下らない事を考えてますね!?」
「そんな事ない。世界平和について考えてた」
広義の意味では、間違ってないはず。
「……王って無表情ですけど、慣れると結構考えてる事が分かりやすいですよね」
なんだ、そのやれやれと言いたげな顔は。
「スフィアちゃん!!王が倒れちゃったって本当!?」
「だ、大丈夫か……?」
僕は駆け込んできた皆に無事をアピールする為に立ち上がろうとして、スフィアに押し倒された。
一応まだ安静にしとけと言いたいらしい。
「風邪じゃねぇんですか?そんじゃ、俺ぁ林檎でも剥いときまさぁ。白鳥の形で良いですかい?」
「デクランくん、そんな器用な事ができちゃうの?」
「俺ぁ刃物の扱いだけが取り柄でしてねぇ」
いつの間にか、僕の周りも賑やかになったものだ。騒がしいのは苦手なんだけど。
でも、まあ、こういうのも悪くない。
「ああ、なるほど。──これが未練か」
やっぱり、アインには敵わないな。




