act.44 信頼の代償
「ま、待ってくれ!」
聞き馴染みはないが、聞き覚えのある男の声が静寂とした森の中で聞こえる。茂みをかき分ける音で特定することは難しい。しかし、茂みから出てきた男の顔がたき火の灯りで照らされると、イグナールは昼間の記憶が蘇った。
「なんだ、あんたか……」
暗い森の来訪者は昼間に出会った商人らしき男であった。息を吐いて緊張を吐き出すイグナール。しかし、剣に添えられた手はそのままだ。
「どうしてあんたがこんなところに?」
誰にとっても当然の疑問であろう。この場にいる全員が顔見知りではあるが、旅路で二、三言葉を交わした程度の仲である。唯一わかっていることがあるならば、男が親切――人によってはお節介焼き――だということだけだろう。
「いや、あんたらのことが心配になっちまってな……引き返してきたんだよ」
たき火に照らされた男の顔には柔和な笑顔が浮かんでいる。
「驚かしちまって悪いな……で、そろそろその物騒なもんから手を離してもらっても構わんかね?」
男は少し怯えた表情を浮かべ、イグナールが腰に携えている剣を見やる。取りあえずの危険はなさそうだと判断し、剣から手を離す。それを見ると、商人の男は茂みから出てきて、その全身を皆の前に晒した。
「いやぁ、お前さん方もそっちのお嬢ちゃんも無事なようで良かったよぉ」
笑顔を崩さずにたき火の側まで歩いてくる男。イグナールはそこで一つの異変に気が付く。昼間見かけた大荷物がない。連れていた傭兵らしき男達の影もだ。これは奇妙である。この近くに村や町など、商売が行えそうな所はなかったはずだ。
「昼間の大荷物はどうしたんだ?」
「それがな……あんたらのことが心配になって戻ってきた時、盗賊に出くわしちまってなぁ。荷物をほっぽり出して逃げて来たんだよ」
先程までの笑顔が崩れ、険しいとも悲しいとも言える表情を浮かべて商人の男は話す。
「護衛をしていた二人組はどうしたんだ?」
あの荷物の中身が商品であるのならば、商人にとっては命と同価値とも言えよう。それを簡単に放り出して逃げ出すものだろうか? いや、突然の来訪者に驚いて疑り深くなっているだけかもしれない。
「なんせ、こんな暗がりで人数も多い盗賊相手は分が悪い。素直に逃げたさ。そんでその逃げた先にゴーレムがいてよう。一体だったから何とかあの二人が倒してくれたんだが、怪我をしちまってな……頼む! あいつらの怪我を治すアイテムとか持ってないかい?」
男はひざまずき、大仰な動作で懇願してくる。感情がコロコロと変わる様は昼間に会ったときの印象とはかけ離れているように思う。
「あの、アイテムは少量しかありませんけど……私が治療できます」
商人の男に答えたのはモニカだ。彼女の扱う回復魔法は一級品と言える。身をもって経験していることなので、モニカの腕前は保証できる。なので、旅で持ち歩いているのは、彼女自身が回復魔法を使えない状態になった場合に使う最低限だ。
「そうかい、お嬢ちゃん! 頼む! 二人を治してやってくれ。さぁこっちだ!」
男はモニカに手招きして暗い森の中に入ろうとする。その後を追おうと動き出すモニカ。
「待つのじゃ、モニカ」
今まで黙って事の成り行きを見守っていたヴィクトリアが、モニカの行く先に手を差し出し、止める。
「なんだ、早くしてくれ! 二人は結構な怪我なんだ!」
取り乱し、まくし立てるようにモニカを急かす商人。確かに男は急いでいるように見えるが、その目は下着姿のヴィクトリアに釘付けになっているように思う。男の目は、イグナールから見ても嫌悪してしまうような嫌な目だ。
「盗賊が近くにおるのに暗い森の中に行かせるわけにはいかん。代わりに妾の魔法でその二人をここまで運ぼう」
ヴィクトリアが男の所まで歩み出る。
「ああ! それでも構わん! お嬢ちゃんのゴーレムなら運べるだろう。とにかく、早くしてやってくれ」
急かす商人の言葉を聞いて、イグナールは携えた剣に手を掛け、一気に引き抜く。剣が鞘から抜かれる独特な音が森の中で響き、緊張感が高まる。イグナールは切っ先を商人の男に向けて問う。
「なぁ、あんた……なぜヴィクトリアがゴーレムを扱えるのを知っているんだ?」
「ちっ!」
激しく舌打ちをし、男は背中に手を伸ばしつつヴィクトリアに一足飛びに近づく。そして背中から取り出した短剣を彼女の首へとあてがった。その動きは手慣れたものだと言わんばかりの速度であり、ヴィクトリアは抵抗もできずに捕まってしまう。
だが彼女は取り乱すこともなく、変わらぬ表情を浮かべている……。
「動くな! この女の首と胴体が分かれることになるぜ? ヴィクトリアと言ったか? あんたも死にたくなきゃ抵抗しないことだな。お得意のゴーレムもこの距離じゃあ自分を巻き込んじまうぜ?」
商人だと思っていた男の言われるままに動きを止めるイグナール一行。さすがにこの距離では、イグナールが男に剣を突き立てるよりもヴィクトリアの首が落ちる方が速い。
少しでも男を信用し始めていた自分が憎い。
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