act.111 バッハシュタインの真髄、生命の水の堅牢なる壁
千をも超える魔物達が、ひしめき合いこちらに向かっている様は、最早壮観と言ってもいい程の眺めであった。
「な、なんて数だ!」
役人達や兵士はどよめき立ち、自分達の動揺を隠そうともしない。それも仕方のないことだとは思う。南に広がる平原、それを埋め尽くす影。蠢く全てが敵だと言うのだ。
イグナールでさえ、この光景には震えざるを得ないだろう。だが、今は後ろに誰がいる?
ケーニヒ王国屈指の魔法使いが二人も控えている。それとも、頼もしい両親がいるためか、イグナールは数えるのも面倒になるくらいの魔物達の大群を前に、恐ろしさを微塵も感じなかった。
「全く、どこからこれだけの魔物が湧いて出るというのか」
「本当ですね」
アルフレートとツェツィーリアの会話はまるで家に出た害虫の話でもしているかのように軽いものであり、微塵の動揺も見られない。
そればかりか、彼らの関心はどうやってこの地にこれだけの魔物が現れたかにあるようだ。
「お、お逃げになってください!」
一人の兵士が声を震わせながら言う。
彼は思ったのだろう。この数はどうしようもないと。ならば、高貴な身分であり、希望でもあるバッハシュタイン家を逃がそうと。
「ハハハハ! 私達に逃げろと」
緊迫した場面において、全く不釣り合いな笑いがアルフレートから漏れた。
「し、しかし……」
アルフレートの笑い声は恐怖と緊張で何も見えなくなっていた兵士を少しだけ落ち着かせる。そのため、ようやく彼も気が付いたようだ。
ここにいる二人の魔法使いが、全く焦りを見せていないことを。
「君は勇敢な兵士だな。だが、まだ世の中を知らん」
アルフレートはまるで日常の一ページだとでも言いたげな表情を浮かべて――
「私達にとってあの程度の魔物は物の数にならんよ」
あの程度。ゴブリン、ホブゴブリン、トロール。それにゴブリン達に飼いならされたガルム。魔物達の顔ぶれは昨日と変わらない。
一通りの訓練を積んでいれば一匹一匹は大した脅威にはならない魔物達なのは確かではある。
「しかし、昨日は……」
昨日、五百の魔物に対してアルフレートの魔法はそのほとんどを屠る程の驚くべき戦果をあげた。しかし、それでも少数の魔物達には突破されたことを言っているのだろう。
イグナールによってなんの被害もなく突破は出来たが、本日現れた魔物達は昨日の倍以上。
「なに、今日はツェツィがいる。兵士達を下がらせなさい。巻き込まない自信はないからな」
五百を超える魔物の軍勢も壮観であったが、たった一日で更に上回るとは思わなかった。
「も、もうダメだ……」
驚くべき魔物の数に最早兵士達の士気はないに等しい。大した実戦経験のない彼らには昨日の襲撃を凌いだのが奇跡の産物であり、今目の前に広がる光景はただただ絶望が押し寄せているしかない。
「心配するな! 今ここにケーニヒ屈指の魔法使いが二人もいるのだぞ!」
ただ俯き、ここにはいない家族や恋人に別れを告げている兵士達を一括するアルフレート。昨日はそれで感化され、立ち上がった兵士達であったが、今回は数が数なだけあって誰も立ち上がる気配がない。
陰鬱とした雰囲気は城門全体に波及し、ただ埋められるのを待つだけの棺桶と化している。
「全く……」
そんな彼らに対して呆れたように溜息を吐くアルフレート。
「仕方ありません。皆が皆アルフレート、貴方のように勇敢ではないのですから」
そんなアルフレートの肩に優しく触れて語るツェツィーリア。彼女の顔にも焦りや恐怖と言った感情は一切見えない。
「とは言ってもツェツィ。これからのケーニヒを担うのは我々のような老骨ではなく、彼らなのだ」
「誰が老骨ですか?」
まだまだ精気溢れる若者にしか見えない母は笑顔のまま、眉間に皺を寄せて父アルフレートに迫る。年齢からみれば確かにアルフレートの言う通りなのだが……
「いや、それは……言葉のあやと言うものでな。我々と言うのにツェツィは――」
あれ程頼りがいのある父が、母の視線だけでたじろぎ、狼狽している。彼にとって、眼前に広がる千を超える魔物よりも、目の前にいる一人の女性の方が恐ろしい存在なのだろう。
「コホン! まぁ皆のもの見ておれ」
わざとらしい咳払いをして二人の間だけで緩みかけた空気を振り払おうとするアルフレート。
「ツェツィ、アレを頼む」
「わかりました。でも、話はまだ終わってませんからね」
口調も声音も穏やかだが、何故か薄ら寒い恐ろしさを含むツェツィーリアの言葉にアルフレートは苦い顔を浮かべる。しかし、次の瞬間彼の表情は真剣そのものへと変貌する。
「『我に眠りし力よ、我が意思に従え』『全てを育みし、生命の水よ。我らを守る堅牢なる壁となれ』」
ツェツィーリアから高密度で洗練された魔力が流出し始める。近くにいるイグナールはまるで揺蕩う水の中に浮かんでいるような想像に駆られた。
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