冒険とは何たるや
「なぁ、俺に剣を教えてくれよ」
と言われたのは冒険も終わり、報酬を分配した時だった。
冒険者商会のホール、中央の大テーブルには採取してきたばかりの薬草籠やら旅荷物やらが雑然と置かれ、一息ついて酒でも1杯、あるいはそのまま荷物を引っ掴んですぐさま帰るか、そのいずれも出来そうな状態だった。
初心者冒険者は荷物を置いて、神妙な表情で切迫感のある頼み込みをする。
「わかったんだ、このままじゃまずいって、今の俺が弱すぎるって、だから、もっと強くならなきゃって」
(そんなにまずかったかな?初めてってそんなもんだと思うけど……)
トゥルーテはすこしだけ考えて、はてと首を傾げる。
やがて、まぁ請われるならば与えようという至極単純な答えを出そうとした時、その後ろから彼にゲンコツが入る。
「痛ってぇ……」
「お前が学ぶのはまず死なない事だボケナス」
説教の顔をしたバルにそっと後ずさりするトゥルーテ。
これは長いやつだ、と言うのが本能的にわかる程度には彼の説教を聞いている。
火の粉が来ないようにさっと、それとなく距離を置く。
「俺が、親父から冒険者についてうぜぇ程語られて、納得した数少ない事を教えてやる」
そう、無理やり目の前に座らせ、自分もまたどっかりと足を組んで座り込んだバル。
それはいつもトゥルーテにしているよう、彼の説教が始まった。
それは冒険者は冒険とは何たるをまず知らねばならないという事だ。
危険を冒すと書いて冒険、その真髄は冒すと言う言葉に対する意識だ。
踏み越える、冒涜する、穢す、本来してはならないことをあえてするという明確な意識。
ただ危険に突っ込むんじゃぁねえ、その危険を冒して得る何かがある時、そいつの価値と危険そのもののデカさとが釣り合った時だけ、その境界を踏み越えるんだ。
冒すってなぁな、ただ違反することじゃねぇ、それの意味を知って、よくよく理解して、その上で自らの意思で冒涜する。
熟知してなきゃ、冒すとは言わねぇ。
そこらへんが蛮勇とは決定的に違うんだ。
だから冒険者は、危険ってやつを嫌ってほど知っていなきゃいけねぇ。
ところが、何もかもを知っていたら、それはそれで危険とは言わねぇもんだ。
未知の暗闇、そこにどんな危険が潜んでいるかが分からない、というだけで潜在的な危険が本来あるんだ。
そのなかにある無数の可能性、その危険を察知する想像力こそが本当に重要になってくる。
その危険、リスクと、そこに踏み込んで得られるモノの価値とを天秤にかける、そして最後に自分の確固たる意思で踏み越える決断を下す、勇気を持ってな。
この選択に誰も介入させるな、自分しか恨めねぇと理解しろ。
「耳にタコが出来るほど聞いたもんだ」
話は終わりだとばかりだが、まだ続く。
例えばと、バルは今日の出来事や行動を振り返ってあれをどうしていて、それをこうしたな、などと挙げ連ねる。
それらに対し否定の言葉を使っていないが、言外にそれがあるのは疑いようもない。
そして、その場合の定石、そして定石がある理由、何たるかを語る。
そして、「要はだ」と言ってまとめる。
「お前は、まず1歩踏み出すっつぅ危険すら知らん、それが最大にして最低の失敗ってことだ、わかるか?」
初心者冒険者はそう言われ言葉に窮した。
自分は先程までどれだけ、ただ危険に身を突っ込んだだろうか?
それがフラッシュバックしていた。
周りから音がして、パーティから離れて1番に飛び込んだ。
敵を発見して、けれど仲間に何も言わずに斬りかかった。
そもそも、何も言われなければ2人で森に入っていた。
みんな強そうなメンバーだったから、1番に行かなきゃ活躍出来ないと思ったから。
活躍して、かっこいい所を見せなければ、そう思っていた。
だが結果はどうだ、実力が乏しい1人がパーティからはぐれるという危険を心底知る事になった。
問題は行動そのものじゃない、かっこいい所を見せたいというさかしい根性でも無い。
その危険を知らなかったこと、想像すらしなかったこと。
それを危険と知って、勇気で踏み越えなければ冒険とは言わない。
今でも思う、カッコよく活躍したい。自分は男だ。
だがこれまではどうだっただろうか、それを振り返る。
ダサい。
ダサいにも程がある。
何も知らずにただ危険に身を置く事、その無知の愚かさ、ダサさを彼は初めて知った。
そして、それが自分にとって大切な人の危険にも繋がっているという認識の甘さを恥じた。
「わかったよ、たった今」
「まずはその時の危険とは何か、それを知る事を心がけろ、ゆっくり進め、周りを見ろ、考えろ、そして仲間を意識しろ、後は勝手についてくる」
さすがにくどくどとなるのを考え、早足に付け足し、勢いで言い切って「以上だ」と締める。
そして最後。
ここまで聞き終えた彼の表情を見て、十二分に理解したことを確認したバルは、ひとつ意地の悪い質問をした。
「で、その上でだ、今こいつに剣を教えてくれと頼むか?
ちなみに、それをしたら俺はお前をぶっ飛ばす、その危険を冒すか?」
若干離れた所に居たのに指さされた彼女はビクンとはねて目をそらす。
彼はそれを見て考える。
いや、大いに悩んだと言うのが正確なところだ。
言い分はなんとなくわかる。
基本をまず学べとか、そういうことを言いたいのだと思う。
付け焼き刃で上手くいくはずないだろ、とかそういうことだろう。
しかし、彼女の剣の凄さを見て、あれ出来たら超カッコイイよなという、よこしまというか純粋な感情のままに行きたい気もする。
それにこの問いが何らかのテストかもしれない。
悩ましいばかりだった。
一方、この選択を迫られることこそが、冒険者の醍醐味だとバルは心内で笑っていた。
それを冒険者商会の受付奥、傍から見ているエイダはまったくと呆れ、やれやれと首を振る。
ややあって、やっと得心がいった彼は明確に答えを口にする。
「頼む」
「理由は?」
「今ぶっ飛ばされても死にゃしねぇ、けど、今のまま冒険を続けたら死ぬかもしれねぇ」
自信満々にそう言いきってから、自分で苦笑して、言葉を後から足す。
「まぁ、剣習っても死ぬかもしれねぇし、習ってなくて生き延びるかも知んねぇけどさ」
「なるほどな」
バルは立ち上がって、何の気なしに彼の目の前まで迫る。
そして、遠慮なく殴った。
「正解、とは言えねぇな」
そして、それをガードしている冒険者を見てニヤリと笑う。
「但し不正解でもねぇ」
そう言って、1杯奢ってやろうと受付のエイダに酒をと呼びつけた。
「ようこそルーキー、冒険者の世界へ」
そう乾杯する中には真新しい冒険者証を手に隠す薬師の娘も加わって、皆大いに盛り上がった。
そうして遠慮なく飲んだ彼と薬師、そしてついでにノリで付き合ったモーラまでも、物の見事に、あっという間に酔いつぶれていくのだった。
が、さしたる失敗でもあるまい、彼の言葉を借りるなら死にゃしない、のだから。
「バッカだねぇどいつもこいつも、今頼んだらぶっ飛ばす、なら明日頼めばいい話じゃねぇか」
エイダは酔いつぶれた面々を肴に満足そうに酒を飲む。
仕事終わりの1杯はかくも格別というものだ。
「なるほど、そいつぁ正解だな」
バルもまた、いつものオイル煮を肴にクイともう一杯飲み下す。
「だがまぁ、世の中、何でもポンとすぐ答えがでる程甘かねぇってな」
バルは満足そうに背もたれに寄りかかり、足を組み替える。
「でもバルさんもなんだかんだ言ってますけど、冒険者、気に入ってるんじゃないですか?」
机の対面で彼の顔を見ながらに聞いてみたトゥルーテはその瞬間、ダルさにも似た殺意がこもった目線を向けられ、後悔した。
「……ようベテラン、今ならまだ許してやるぞ?」
「すみませんでした!」
「大体なぁ、一丁前に先輩面してる割に、この前も罠にかかってやがったよなぁ?」
と説教が始まってしまったのは、一種の冒険の失敗と言えるかもしれない。
人はそうして、知らず知らず、冒険をしているのかもしれない。
説教をしながら、頭の端でそんなことを思う。
そして同時にぼんやりと、筋が良かったら剣でも打ってやるか、などと若き冒険者に思いを馳せていた。




