共感
私の生まれた日は。
血に濡れて咲いたお姫様が亡くなった日付けなんだ。
他にも、女帝の婚約の日だったり、いくつかの不吉さを散らつかせては暗いことを連想させる、自分では動かせない日が、私にとっての自身の誕生日というものだった。
小さい頃は無邪気にケーキをねだっていた。
誕生日には、フライドチキンとホールケーキが毎年あった。
プレゼントも貰っていた。
しかし、長じて気付いてしまった。
それらを受け取り喜ぶ私をみて、思い通りに行った、あの子が笑っている、自分は良い◯◯だ、と酔いしれている支配者の顔に醜い嘲笑が浮かんでいる事に。
また、その日とクリスマスに同じ食卓を一緒に迎えさえすれば、後はお年玉さえ与えていればそれで良いと思い込んでいる雄の浅慮に。
気付いてしまった。
私はお飾りの娘だった。
高い着物。
手間のかけられた料理。
明らかに周囲から浮いた日本庭園のある平民の家。
村八分のような扱いだった生家の不可解さが、ある日、突然に解けてしまった。
私は書物の中に逃げ込んだ。
一人で黙々と書き続けるような作家の作品に夢中になった。
黒い絵画の凄味に癒された。
自分だけではない。
自分だけが『足りない』のでは、ない。
私の読書には『貪る』、という表現が合っていただろうと思う。
私は飢えていた、渇いていた。
そこに心と血を通わせたのは過去の創作物たちだった。
そして世界史を習った。
――飢えて渇いている人々が、素晴らしい功績を成しては処刑されているのを知ってしまった。
「どうして殺すの」
私は世界史の教科書にも載らない人を探し当てる事に執着していった。
沢山、そこには偉人や英雄や巫女が斃されていた。
――せかいをかえた人達なのに――
まだ成人していなかった私の目には、人類史は、過ちを歪んだ形で修復しようと躍起になっているように見えた。
利用できる時は槍玉にあげて。
要らなくなったり怖くなったら処分する。
そして後悔をして祟りを畏れ、ずっと後になってから切り捨て燃やした人を見目よく祀り上げ平和を願う。
――それはまるで天に許しを乞うように――
何処をみても、同じ繰り返しだった。
時代が新しくなって緩やかになったように見えても、結局人は『異端』や『異分子』が恐いままなのだ。
私は人に何ものぞまなくなった。
どうせ、おんなじなのだ。
繰り返すのだ。
死してから持ち上げるのだ。
私は死んでいった人へ向けてだけ、詩を書き連ね歌うようになった。
生きている人に期待する事は出来なかった。
この世界の歴史はあまりにも私には残酷すぎたのだ。
しかし、過去の人も時に余りにも無知に甘んじているようにも見えた。
知らずに重ねる事を誇りに思い、多産である未来に頼り過ぎるところが特に嫌だと思った。
血を。
濃くするから。
忠告を聞かず、血の密度だけに頼ったから。
それは愚かしい行為だと生理的に嫌悪感を抱いた。
神代や古代なら、許容できた。
なんとなく、神様の正体が私には判ったから。
その『母体』を使って生み出すしかなかったのは、仕方が無いことだと私の脳は処理をした。
日本の古い時代に、同母の掛け合わせを避け始めたのは本当に賢いなと考えたりもした。
こんなに昔に、あの仕組みを解き明かせた人が日本には出たのだと、そう思うと気持ちが良くなった。
私は歴史においては共感ではなく、人の測度と回転の早さに是非を見出す少女だった。
そんな私が、知ってしまった。
血に濡れた、美しい、昔の西洋の姫君。
彼女を知って、最初は混乱した。
彼女の末期に総毛立った。
そしてその日が。
――私の誕生日だと理解して、ストンと私は本を片手に正座をしてしまった。
「わかったよ、エリイ」
私は初めて避けようもない共感に全身を叩かれて、涙を流してしまったのだった。
実感を混ぜましたが、私自身がこの子供という訳ではありません。フィクションです。




