【第35話】魔女ちゃんの学校戦争④
本来であればもう朝のSHRが始まっている時間帯、一年二組の教室は依然混沌を極めていた。
「大森! 流石にマズいって!」
「下手したら怪我じゃ済まないぞ!」
教室の視線を集めていたのはコレットだ。コレットは教室に押し寄せてきた別クラスの眷属達三人に、机を武器にして対抗していた。それでも眷属達はなんの効果もないといった様子で起き上がってきて、遂にコレットの堪忍袋の緒が切れる。
イライラに身を任せたコレットはそのまま教室の端に備わっている掃除用具入れに向かい、中から道具を取り出すどころか用具入れごと掴んで持ち上げていた。この掃除用具入れで殴れば、いくら並より丈夫な眷属達でもひとたまりもないだろう。これ以上の騒ぎの予感を悟ったクラスメイトがコレットを懸命に止めようとしたが、コレットは聞く耳を持とうとしなかった。
掃除用具入れを両腕に抱えて、コレットは眷属達の側に歩いていく。怪力のコレットといえど、掃除用具入れを抱えて歩くのはかなり負荷が掛かっているようだ。故に背後に迫ってくるもう一人の眷属に気付かなかった。
「危ない!」
眷属の手がコレットの背中に届く間際、眷属の後頭部に強い衝撃が与えられる。眷属の倒れる音に気付いてコレットが振り返ると、そこには掃除用具入れから床に落ちたモップを握る真琴の姿があった。
「本田さん」
真琴の息は、モップを振り下ろしただけでは説明がつかない程乱れている。まるで離れた場所から全力疾走してきた後のようだ。
「本田さん。なんかあったのか?」
教室を離れていた桂馬も、戻ってきた真琴に気付いて歩み寄る。頭を冷やしたコレットは、掃除用具入れを側に置き直していた。
「いや……特になにも」
桂馬と話をした後、自分のスマホを確認した真琴は、一目散にどこかへと走り去ってしまった。それなのに「特になにも」と茶を濁すのは、流石に説明不足だろう。しかし桂馬はなにか事情があるのかと、それ以上の追及を控える事にした。
「まぁいいや。それよりも心配なのは天宮さんだ」
数分前に教室を跳び出していった日和は、今も無事なのだろうか。そろそろ追い掛けたいところだが、生憎日和の行った先が桂馬には分からない。
「日和のとこには、今黒島が向かってる」
「黒島が?」
予想外の名前が出てきて、桂馬は耳を疑った。
「そっか……黒島が一緒なら安心だな」
最近見ていなかった大我の顔を思い出して、桂馬は表情を緩ませる。大我が日和のもとに向かっているのであれば、そこまで心配は無用だろう。安堵する桂馬を余所に、コレットは前髪の奥でじっと真琴を見つめていた。
「……なんで本田さんはその事知ってるの?」
コレットの問い掛けに、真琴は息を呑む。
「……私が黒島に頼んだから」
「なんで天宮さんの居場所が分かったの? 本田さんはどうして自分で行くんじゃなくて、黒島に天宮さんを頼んだの?」
一つ答えたら、コレットの質問が倍になって返ってきた。そのどれもが真琴の胸を突き刺し、表情を強張らせた。
本来であれば桃から日和の居場所が送られた時点で、自分で日和のもとへと駆けつけたかった。その欲望を抑えて大我に電話で頼んだ理由は、自分が依然桃の傀儡だからだ。今自分が日和のもとに駆けつけたところで、桃の一言によって逆に日和を追い詰めてしまうだろう。真琴にはそんな光景が容易に想像できた。今日和を助けられるのは自分じゃない。真琴はそう理解して、大我に電話をしたのだ。
真琴の首元には、今日も四角柱のネックレスが光っている。なにも答えられずに口を噤む真琴に、コレットは呆れた息を吐いた。
「……場所教えて。僕も行く」
「ダメだ!」
「なんで」
「お前一人行ったところでなにも変わらない!」
「そんなの行ってみないと分かんないだろ」
「落ち着けよコレット」
言い合いを始める真琴とコレットに、桂馬が間に入って仲裁する。コレットが日和のもとに向かったところでなにかが変わるとは思えなかったが、事の真相を知らないコレットは静かに向かう準備を進めていた。
「なに話してるの」
そんな三人の会話に、不意に一人の声が参戦する。
一体誰かと振り返ると、そこには見覚えのある顔が見えた。決して顔馴染みという訳ではない。しかしその王子様の様な爽やかな笑顔は、この学校の一年であれば誰もが見覚えがあった。
「その話、僕にも聞かせてくれないかな?」
首を傾げた御影に、三人は言い合いもやめて目を奪われていた。
♡
華麗な水飛沫を上げる噴水の音が聞こえる。平日の朝の自然公園で、制服姿の三人は静かに視線を交わらせていた。
「どうしてここに……」
桃の魔の手から逃れるべく、日和はここまでノンストップで走ってきた。しかし足を止めた途端に、二人は日和の前に現れた。しかも日和と違って、息切れ一つもしていない。まさかこれも、彼女の魔法の力とでもいうのだろうか。
「放送を終えてすぐ、学校から出ると思った貴女を待って、校門から追い掛けてたの。家に避難しちゃったらどうしてくれようと思ってたから、こんなところに来てくれて助かったわ」
二人の立つ背景に目を凝らすと、一台の自転車が放置されているのに気付いた。あの自転車に乗って、二人はここまで来たのだろうか。翔平に指示を飛ばしながら、後席で悠々と前髪を整える桃の姿が容易に想像できた。
桃の口振りから察するに、日和の足が家に向かっていたなら、きっと今頃無事では済まなかったのだろう。結果的に良い選択肢を選んだと、日和は息を呑む。
日和は疲れた両足に鞭を打って、もう一度走り出した。ここで捕まってしまっては、ここまで走ってきた意味が全て無に帰してしまう。
「えー、まだ走るの? 私もう疲れちゃったんだけど」
走り出した日和の背中に、桃は面倒そうな声を掛ける。その声色に疲弊の様子は見えず、どちらかというと退屈してしまっているようだった。
それでも足を止めようとしない日和に、桃は右手をスカートのポケットに突っ込む。中から取り出したのはお気に入りの口紅。桃はその口紅を日和の背中に向けて構えると、狙いを澄まして炎のビームを噴出した。
「キャッ!」
背中に焦げる様な熱を感じ、直撃こそしなかったが日和の足はもつれて倒れる。今までの疲労もあり、すぐに立ち上がって再び走り出す事は難しかった。
「もうやめなよ。涼しいところに行ってさ、甘ーいイチゴオレでも一緒に飲も?」
こちらに歩み寄ろうともせず、桃が日和を見下ろす。そんなティータイムの様な甘い時間が待っている筈ないと、日和は確信していた。
「……私を捕まえて、どうするつもりですか」
「どうもしないわよ。ただしばらく私の相手をしてもらうだけ」
桃の策略を、日和は薄らと分かっていた。桃はずっと、日和の眷属だった大我を自分の眷属にする為に動いていた。きっと今もその為に動いている。恐らく日和を人質にして、学校に来なくなった大我を誘き出そうという算段なのだろう。
「私を捕まえても、黒島くんは来ませんよ」
「……なんの話?」
学校に来なくなった大我を考えれば、日和との契約が既に解除されている事はバレているだろう。それなら大我が日和を助けにくる理由がない事も、桃は知っている筈。桃の策略が分かった上で、日和は疑問を抱いていた。
「まぁいいわ。いつまでもこんなところに居る訳にもいかないし、場所を移しましょう。翔平」
名前を呼ばれた翔平は、そっと日和の側に足を寄せる。寡黙に距離を詰めてくる翔平に、日和は倒れた体を後ろに退かせるが、それでは距離は開かない。すぐに翔平は日和の目の前までやってきた。
「大人しくしていてくれ。変に暴れたりしなければ、こちらも横暴な事をしない」
翔平は体を屈めて、倒れる日和に手を伸ばす。その掌に敵意は感じない。それでもその手を取ってはいけないと、日和の直感が叫んでいた。
日和の右手にはボールペンが握られている。いざという時はこれで抵抗するつもりだったが、今がそのいざという時なのだろうか。そうこう考えている間に、ふと遠くから足音が聞こえてきたような気がした。
足音はこちらに駆け寄ってきているようで、徐々に音が近付いてくる。すぐ側まで近付くと足音はぴたりと止まり、代わりに鮮やかなドロップキックが翔平の体を突き飛ばした。
「!」
突然の襲撃に、翔平は対応できずに体を日和から引き離す。翔平との間に割って入った背中を、日和が見上げる。黒のTシャツ姿の背中が随分と懐かしく感じられて、日和の涙腺が緩んだ。
「……来たわね」
ようやく登場した彼に、桃の唇は微笑む。自然公園に駆けつけたのは、桃が誰よりも待ち望んでいた人物である黒島大我だった。
「黒島くん……!」
名前を呼んだ日和に、大我はくるりと振り返る。鋭利に尖った大我の目付きを見て、日和はハッと我に返った。
「ダッ、ダメだよ黒島くん! 桃先輩の狙いは黒島くんなの! 黒島くんを自分の眷属にする為に、私を人質にしようとしてるの!」
ここで大我が来てしまっては、全て桃の策略通りとなってしまう。つい嬉しい気持ちでいっぱいになってしまったが、それではダメだと日和は首を振る。溢れてしまった涙も、大我に見られないように必死に両手で拭い取った。
口を開き続ける日和に、大我は無言で足を寄せる。目線を合わせようと屈んだ大我にも、両手で涙を拭う日和は気付かなかった。
「私は大丈夫だから! 黒島くんは魔女とは関係のない世界で、今までみたいに幸せに」
大我は涙を拭う日和の左手を、右手で掴む。
そして日和の口は、大我の口によって強制的に塞がれた。
突然の感触になにが起こったのか理解できず、日和は目を見開く。側で見ていた桃と翔平も、予想を上回る急展開に目を疑っていた。
日和の唇は、今も大我の唇と繋がっている。誰がなんと言おうとこれはキスだ。しかもただのキスじゃない。魔女への忠誠を誓う、契約の口付けだった。
「べらべらべらべらうるせぇなぁ」
日和の口から離して、大我は口を開く。
「最初に俺を魔女の世界に引き摺り込んだのはお前だろ。今まで散々振り回してきたくせに、勝手に決めつけて引き離そうとするな」
最初に日和と契約を交わしたきっかけは、単なる事故だった。それからずっと眷属で居続ける事を拒否していた大我。しかし彼は今、自分から眷属になる事を選んだのだ。
「……最後まで、お前の事守らせろよ」
そう言って、大我は表情を緩ませる。
「笑っ、た……」
初めて大我と契約の口付けを交わしてから長らく一緒に居たが、大我の笑顔はこれまでたったの一度も見た事がなかった。そんな大我が、今日和に向けて笑い掛けている。どこかぎこちなくて、どことなく可愛らしくて、どこまでも優しい笑顔。初めて目にした大我のその笑顔に、日和の心臓は暴れ出し、まるで真っ赤に熟れた林檎の様に頬を赤く染めていた。
あまりの衝撃に硬直する日和を置いて、大我は立ち上がる。そして視線を後方で待つ翔平に向けた。
「……悪かったな。随分待たせちまって」
二人のキスシーンを前にしても、翔平は全く動じない。それはそのキスシーンの本当の意味を知っているからでもあるだろう。
「これで本気でお前と戦える」
大我が両手の拳を握ると、淡く白い光が大我の拳を包んだ。一度契約を解除した後でも、再度契約を結べば魔力のコントロールは問題なく出来るようだ。つまりその光は、大我が日和の眷属に戻った証明でもあった。
「……いいだろう」
対する翔平も、体勢を整えて拳を構える。
「俺も一度、お前と本気で戦ってみたかった」
翔平の握った両拳が、真っ赤な炎に包まれる。眼鏡の奥に映る不愛想な瞳も、どこか闘志に滾っているように見えた。
拳を握った二人が、互いに睨み合いながら対峙する。それは正しく、魔女に仕える眷属達による代理戦争の幕開けだった。
このシーンを書く為に、ここまで頑張ってきました。この勢いで第2章は駆け抜けていきます。




