46*結ばれる縁 -01-
今回でジェシカのお話は落ち着きます。長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。次回以降はまたアイリスがメインのお話となります。
ジェシカの前に紅茶が置かれる。
城のメイドが入れてくれたものだ。高級茶葉を用意してくれたのだろう。明らかに香りが違う。ジェシカはまだ手を付けず、ちらっと目の前の人物を見る。
リアンは慣れた所作で飲んでいた。
その様子はまさに王子。
すると目が合う。
「なんだ。飲め」
「ええ。いただきますわ」
口に含めばやはり高級品。
くどさも苦さもない、まろやかな口当たりでとても美味しい。ジェシカは少しだけ息を吐く。今いるのはリアンの書斎。四方八方、本が溢れるその場所は、どこか隠れ家的な雰囲気を持ち合わせている。
リアンの側には誰もいない。おそらくどこかに隠密のガクがいるのだろう。わざわざ側近二人を外したのは、大事な話を今からしてくれるからだ。
「フェイシー伯爵は爵位と財産が没収されることになった。当然、鉱山もだ」
身柄はすでに捕まえているという。
ジェシカは小さく頷く。
机に置いた紅茶が揺れる。
不安そうな表情が映っていた。
リアンは「レイナも捕まえた」と続けた。
「貴族令嬢ならびに貴族令息を傷つけ、自分だけが優位になる行為を行い、貴族社会を振り回し混乱を起こした。裏の組織との関わりも明るみに出たことで、伯爵……ではもうないな、フェイシー氏はあっさり認めたが、レイナは気が動転しているようだ。自身の罪を認めていないが証拠は揃っている。罪からは逃げられない」
「……ええ」
「キャレットのことだが」
ジェシカは目線をリアンに戻す。
レイナの母であるキャレットは、表向き伯爵夫人のような振る舞いはしていたものの、レイナほど分かりやすく何かしていたわけではない。彼女自身罪に問えるのか、そうでなくても娘の悪事はこうして認められた。黙ったままではないだろうと予想しているが。
「自白をした」
「……自白?」
「文字通りだ。自分がしたことを全て吐いた。が、捕まる前に一度、ジェシカと話したいと言ってきてる」
思わず眉を寄せてしまう。
「私と?」
「どうする。断ってもいいぞ」
「……会いますわ」
「最後まで強いな」
リアンの口元は緩んでいたが、決して馬鹿にしたものではなかった。まるで感心するような表情で、それにジェシカは微笑んでみせた。
「護衛は連れて行け。一応監視の目はつけてるが、何が起こるか分からない」
「ええ」
護衛が誰のことを指すかは想像に難くない。それに、彼なら何も言わずに着いてきてくれるだろう。
「それともう一つ」
「?」
指定された場所はフェイシー伯爵家の屋敷。
つまり、ジェシカの実家だ。
だが、屋敷も国に没収されることとなった。現在誰も住んでおらず、ここで働いていた使用人達もいない。働き口を無くしたので、世話になった使用人達には申し訳が立たなかった。それは、周りの貴族が手を貸してくれた。
ブロウ侯爵家の屋敷、ギルベルト侯爵家の屋敷、貴族になったばかりのロイも、どうやら最近屋敷を手にしたらしい。屋敷の維持に協力してもらえたら、と、彼らしく控えめに申し出てくれた。
屋敷は没収されても、置かれていた物はそのままだ。全ての部屋を調べたわけではないらしく、証拠が追加で出てくる可能性もある。人気が無いだけで、物は全てそこにあった。当然、今までの思い出もずっと残っている。ジェシカはゆっくり歩きながら、とある部屋まで向かった。
この屋敷で一番広い部屋。
ノックもせずにゆっくりドアノブを開けて入れば、視線が少し上になる。執務をしていたであろう広い机。その上側の壁に、大きな肖像画が飾ってあった。長いブロンドの髪。大きなオパールの瞳。こちらを見て花のように美しく微笑むその人物は、母であるニーナ。その笑みを見れば誰もが虜になる。ジェシカは胸が締め付けられそうになった。
机の傍に、肖像画を見つめる女性の姿がある。
「……キャレット」
「ご無沙汰しております」
振り返りながら淡々と挨拶した彼女は、初めて会った頃と変わりない様子だった。髪をまとめている色はブロンド。瞳は橙色。娘と同じ風貌をしており、ニーナと似ているかと聞かれれば似ている方かもしれない。だが彼女の顔に笑みはない。母はこんな陰湿な顔などしていない。
今日は真っ黒なボリュームのあるドレスを身に着けていた。彼女はいつも地味な色の服を着る。母はいつも明るい華やかなドレスだった。身なりも真逆だ。
「話したいことって?」
ジェシカは早々に話を切り出す。
「娘のことを愚かだと思いますか」
「行いは愚かだと思うわ」
「あの子はあれでも貴族です」
「え……?」
「以前勤めていた先で身ごもりました」
「……」
どこかの貴族の屋敷で働いていた時、手を出された、ということか。平民であることしか聞かされていなかった。人には色々と事情がある。働く際にそこまで個人的なことを聞いたりしない。ツテでここに来たのだろうが、まさかそんな事情があったとは。
(公にしていないということは、結ばれるに至らなかったのね)
よくある話だ。
立場が弱い者は簡単に捨てられる。立場が強い者は、全ての者を自分の物にできると勘違いする。だがそんな不幸話を聞かされたところで、ジェシカの心は揺らがない。
「私は以前の主人が嫌いでした。子供が身ごもった時も、迷いました。でも産むことを決意した。……他人には愚かに見えても、私にとっては可愛く見えます」
「だから娘の行いを見逃していたの?」
「そうですね。上手く行くように手引きしました。あの子は残念ながら賢くはなかったので」
キャレットの行いは露見した。
これ以上話を聞く必要はないと思ったが、それでも聞きたかったことはある。おそらく相手も、言うつもりなのだろうが。
「私の父と結婚しなかったのはなぜ?」
すると彼女は目を肖像画に動かした。
そのまま口を開く。
「偽物として愛されて何が幸せでしょうか」
「…………」
「結局あなたのお父上は奥様しか見ていない。だから結婚するつもりはありませんでした。でも傍にいれば娘の好きなことはできる。娘が自由に動ける。私の願いは娘の幸せです」
全ては自分の為ではなく娘のため。
ここまでなら理解はできる。
もう一つ、気になることがあった。
「……少し、妙なことを聞いたの。レイナがパーティ―を開いたあの日、想像より見張りの数が少なかったって。それに、証拠の入った鞄を持って窓から逃げるなんて、思いのほか安直だわ。今まで必死に隠してきたのに、そう簡単に見つかって捕まるかしら?」
するとキャレットは鼻で笑う。
「もう疲れました」
ジェシカは部屋を出た。
「終わりましたか」
部屋の外で待機してくれていたグレイが声をかけてくれる。最初から最後までずっと、傍にいてくれた。ジェシカが集中できるよう、ずっと無言でいてくれた。「ええ」と答えると、彼は自然と手を繋いでくれる。もちろん、恋人繋ぎだ。ジェシカは触れ合う手の温かさで、少しだけ安堵できた。
そのまま二人は屋敷を出る。
屋敷の周りを待機していた数人の騎士が、屋敷の中に入っていく。キャレットを捕らえるためだろう。ジェシカは先程の会話を思い出す。
疲れた、と口にしたキャレットは、ぼんやりその場に佇んでいた。これで話は終わりなのだと悟った。謝罪は特になかった。ジェシカが部屋を出ようとすると「お互い、振り回されましたね」と言われた。
ジェシカは無意識に足を動かした。
彼女の前に立って、一発頬を叩いた。
いい音が鳴ったが相手は無反応だった。
まるで、そうなるのを予想していたようだった。
ジェシカは冷たい顔で言い放った。
『あなたと一緒にしないで』
それ以上は何も言わず、早足で部屋から出た。彼女の顔を見たくなかった。言葉も聞きたくなかった。部屋を出る前に彼女が何か呟いたような気がするが、関係なかった。
(……向き合ってみたところで、意味はなかったのかもしれないわ)
表情は思わず暗くなる。
キャレットに会うと決めたのは、彼女の真意が知りたかったからだ。彼女なりに事情はあった。だがそれで納得できるわけもなかった。
彼女は、父のことを軽視していた。
レイナと同様に。
娘である自分より愛されていたのに。
だが偽物として愛されても嬉しくないだろう。
とある貴族によってお手つきとなり、彼女の中で貴族の男とはそういうものだという認識が出来てしまったのかもしれない。父の考えや行いを陰で馬鹿にし、利用していた。ショックだった。レイナの時に感じた時と一緒だ。父のことを怒っていいのは、馬鹿にしていいのは、実の娘である自分なのに。
父の全てを批判したいわけではなかった。
与えられた仕事を立派にしていたこと、母に対する愛情は、立派だと思っていたのかもしれない。母を大事にしようとする姿勢だけは尊敬していたのかもしれない。努力をすれば、少しは見てくれるかもしれない。少しでも母に似れば、いつか見てくれるかもしれない。子供の頃はそう思っていた時代もあった。
でも結局、一度も見てくれなかった。
リアンから話を聞いた日、捕まった父の様子を見たいとリアンに頼み、牢屋まで行ってみた。彼は少しやつれていたが、小さな母の肖像画を手に持っていた。目線は絵に向かうばかりで、ジェシカが近付いてもまるで気付いていない様子だった。
『さようなら』
彼に対してただ一言だけ呟いた。
何の反応もなかった。
彼にとって最初から最後まで母しか目に入らなかったのだと、気付かされた。屋敷も、爵位も、父も、全てを失った。ジェシカにはもう、何も残らなかった。
いや、彼は妻が死んでからずっと廃人だったのかもしれない。心が死んでしまったのかもしれない。憐れだ。まるで他人事のように思ってしまう。
もう、関係ない。
もう、振り回されはしない。
彼のことを父と思う時など、もう来ないだろう。
ジェシカは手放した。父への希望を。縋ることを。自分の未来はこれからも続く。なら、過去はもう、手放した方が楽になる。そう思える段階まで来た。どうかいつか母と会うことがあれば、こっぴどく叱られてほしいものだ。
「ジェシカ殿」
不意に声をかけられ、首を動かす。
「行きましょう。皆が待っています」
「……ええ、そうね」
馬車で移動し、降りた先は、ブロウ侯爵家が持っていた一つの屋敷。最近ロイが譲り受けたという。さすが侯爵の屋敷は庭も広く立派だと思いながら進むと、段々声が聞こえてくる。
「ねぇなんでここにギルベルト殿がいるの?」
「せっかくだから招いてもらった。ノニクル、会えて嬉しい」
「私は微塵も嬉しくないんですけど」
ドスの利いた声にアイリスがなだめている。
「まぁまぁ。今回のことはゼロ殿にもお世話になってるわけだし」
「第一部隊の騎士ってものすごく忙しいはずですよね?」
「忙しいから有給もろくに使えていない。使っていいと隊長から言われた」
「部下の仕事を毎回細かく確認していると聞いている。ゼロ、もう少し仕事の加減を考えた方がいい」
ロイも労うように言葉を挟んでいた。
するとゼロは真顔で首を傾げる。
「ロイ殿も仕事人間では? 人のこと言えないと思いますが」
「……それも、そうだな……」
「あ! ジェシカ!」
クロエが気付いた声を出す。
すると皆が一斉にこちらに顔を向けた。よく知る人達の会話が聞こえるだけで、ジェシカにとっては安心できた。クロエを先頭に皆が近付いてくれる。その中には、屋敷で世話になっていた使用人達の姿もあった。皆、ジェシカを見て目を見開く。事情を知った上で、でも何も言わず、抱きしめてくれる。今日は皆で集まろうと、話していた。
辛かった思い出で心がつぶれてしまうくらいなら、これからの未来を祝おうと、計画してくれた。提案したのはグレイ、アイリス、クロエだ。ジェシカは抱きしめられたまま、大きく息を吐く。
(……私の過去は全てなくなった。でもこれから先、私は独りではないわ)
自分にはこんなにも味方になってくれる人達がいる。皆が今後はずっと傍にいてくれる。先程まで思ってしまった寂しいという感情はきっと今だけ。苦しいと思ってしまった感情はいつか、楽しいと、喜びが満ち溢れるかもしれない。
いや、もしかしたら何年先も、この出来事を思い出してしまうかもしれない。それでも味方がいる。独りではなく頼れる存在が何人もいると、もう嘆くことはないだろう。
「ジェシカ殿」
いつの間に用意したのか、グレイの手には大きな花束があった。白い百合が何本も、こちらに顔を見せてくれる。それを手渡された。
「これから先、俺はあなたの手を取り、あなたの騎士となり、あなたを愛することを誓います。俺と一生を共にしてください」
「……なんだか、プロポーズみたいね」
「そのつもりですが」
「……え」
「指輪も結婚もまだ待てと主に止められましたが、俺の気持ちは変わりません。一生、俺と一緒にいてくれますか」
「……でも、」
(私はもう、貴族ではないし)
あの後リアンから、もう一つ話があった。
伯爵家の当主にならないかというお誘いだった。
ジェシカは首を振った。
自分にはそれが相応しいと思えなかった。
爵位も返上した。だからもう、自分は貴族ではない。貴族ではない自分が、ただの文官である自分が、第二王子の側近であるグレイとは釣り合わないと思った。恋人にはなれても、結婚は難しいかもしれない。でもひと時でも一緒にいられたら嬉しいかもしれないと、消極的に考えていた。
「――ジェシカ。お前は第二王子付きの文官に昇格だ」
急に別方向から声が聞こえると思えば、どこからかリアンが現れた。まさかこの場に来てくれると思わず、驚いてしまう。今回は一応王子らしい格好でいる。城下にお忍びで行く時は、平民と同じ格好をしていると聞くが、ちゃんと場に合わせたらしい。
「よって爵位も伯爵のままでいてもらう」
「それは、さすがに」
「貴族でない者を王族の近くに置くことはシリウスが認めない。家のことはお前に関係ないし、貴族令嬢としての評価も高い。爵位を剥奪するほどの罪がお前にはない。ちなみにグレイも平民じゃないぞ」
「え!?」
「正確には貴族の養子だ。周りがうるさいからあえて公表していないが」
聞けば学者として名が通る伯爵がいるようだ。
だがその伯爵は大の社交界嫌い。貴族同士の交流を一切していないらしい。妻との間に子供もおらず、基本的に家から出ず、御年六十を過ぎているらしい。圧倒的な知識量と頭脳を活かし、論文を出すことを条件に貴族としての責務を果たしている。そんな彼のところにグレイは養子として入ったようだ。
「最初の挨拶以来あまり交流がないけどな。グレイを見て気に入ってくれた。これからグレイにはもっと側近として働いてもらう。実力を認めてもらってから貴族の養子に出したと言った方が、周りも納得してくれるからな。それにジェシカ、文官としての能力が高いと所属の上司も褒めていたぞ。最近事務処理が大変で俺の肩が凝ってる。もちろん、グレイも傍にいるし変な虫も寄ってこない。どうだ。なかなかいい職場だろう」
一気に与えられた情報量に、ジェシカは瞬きを繰り返す。
しばらくしてから、ふふふと笑顔をがこぼれた。
「私にいいものを与えすぎですわ」
「おつりが返ってくるくらいだろう。お前の過去のことを思えばこれくらい安い」
「……お優しいですわね」
「お前は我慢しすぎだ。これからはもっと周りに……グレイに甘えろ」
ジェシカはグレイに目を戻す。
彼は優しく、見つめてくれた。
「そうだよジェシカ。幸せになってくれないと許さないよ」
「いい加減、グレイのこと認めてあげてもいいわ」
クロエとアイリスが後押しするように声をかけてくれる。実はグレイのことを認めていなかったのだと知り、苦笑する。使用人達も頷いて微笑んで見せた。
百合の花束は大きく、少しだけ重い。
まるで彼の大きな気持ちのようだ。
(……言いたいことは、たくさんあるのに)
胸がいっぱいで、語りつくせない。
ジェシカは一言に、全てを込めた。
「グレイ、大好きよ。これからもよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
彼が屈んで近付いてくる。
ジェシカは迷わず目を閉じた。
女性陣のきゃあっと喜ぶ声が、辺りに響いた。




