35*恋愛初心者たち -02-
今回少し長めです。
いつも読んでくださりありがとうございます。いつも励みになっております。今回も楽しんでいただけますように。
「ジェシカは愛されてるよ」
「……!」
心のどこかで、欲しいと思っていた言葉。
その言葉の意味は理解しているつもりでも、本当の意味ではおそらく分かっていない。本質的な何かは、得られたことがなくて。
今までの自分は、愛をもらえなかった。
愛が何なのか、よく分からなかった。
腕を組み、共に笑い合う恋人達や家族の様子を、どこか羨ましく見つめたこともある。でも自分にはきっと、縁のない話で。その縁に恵まれることもないだろうと、諦めていた。諦めるのが、癖になっていた。
だが今の自分には。
「ま、まだ分からないわ。彼は自分の気持ちに気付いていないもの」
「時間の問題じゃないかな」
「……。私、どうしたらいいのかしら」
色々話を聞いたところで、結局頭がこんがらがってしまう。たくさんクロエは教えてくれたのに、結局今一番すべきことが分からない。
クロエは人差し指を上に向ける。
「まずは相手の愛を受けとめてみよう」
「受けとめる……?」
「今のジェシカは、グレイ殿に対して一歩引いているよね」
「それは……」
「まぁあんな感じで来られたらそうなるよね」
クロエは笑う。
「一歩引いているからこそ『まずは受けとめる』だけでいいよ」
「……? でも私は、返せないわ」
相手からの好意は嬉しいが、返せるものを持っていない。気持ちを返せるわけでもないし、グレイはすでに持っているものが多い。第二王子に抜擢された実力を持っているのだから、伯爵令嬢のジェシカが彼に渡せるものなど、考えてみたところでないのだ。
一方的にもらうだけだなんて、公平ではない。
そういった意味でもジェシカは悩んでいた。
するとクロエに苦笑される。
「返そうとしなくていいんだよ。相手がくれるものを、まず受けとめるだけでいいの。グレイ殿はね、無意識にジェシカに与えたくて仕方ないんだよ」
(与えたい……)
その発想はなかった。
実の父に冷遇され、使用人であった親子に場所を奪われ、その経験から周りをどこか敵のように思っていた。期待をしない。頼らない。自分で解決できる力を持たなければきっといつか足元をすくわれる。信頼できる使用人や友人が周りにいても、それ以外の人に対してはそのような心持ちでいた。
もらったものがあれば必ず返す。
借りは作らない方がいい。
利用されることは避けてきた。
そうして自分を、守ってきた。
自分に近付く人間は大体二種類だ。
伯爵家に富をもたらす鉱山を求める者。
美貌の令嬢を傍に置きたいと思う者。
相手は何を求めているのか、話せばすぐに分かった。
父譲りの美しい容姿のせいで常に目立ってしまい、そんな自分を飾りのように傍に置きたいと考える男性は多かった。家や仕事の話ばかりしてくる人も多かった。
皆が求めているのは、鉱山と美貌を持つ伯爵家の令嬢。「ジェシカ」という一人の女性を見ている者など、いなかった。
利用したいと考える貴族の下世話連中と話をするのは常に苦痛だった。だから嫌われようと高圧的な態度を常にしていたのだ。自分を偽るようなことはしたくない。その姿勢を貫けたことはよかったと思っている。
だがグレイは、違う。
何も求めてこない。あの日以来常にルーカスを警戒し、他の男性の視線からも守ってくれる。それでいて自分が一番近い距離にいるのだと示し、他の人には見せない笑みまで向けてくれる。
愛とは何か。
おそらくずっと、その答えを探していた。
母がくれた愛はおぼろげすぎて、思い出したくても思い出せない部分がある。父から愛をもらうことは不可能になり、人に対してどこか疑心暗鬼になっていた。自分は、誰かと添い遂げることなど、おそらく一生ないだろうと考えていた。
だが。
(……グレイと一緒にいたら、『愛』の本当の意味が分かるかしら)
その答えを、得ることができるだろうか。
グレイも愛の意味をよく知らない。知らないが、一緒にそれを見つけることはできるだろうか。一緒に手を取り、得ることができるだろうか。
(彼と、一緒なら)
思いを馳せているジェシカの頬は、自然と赤みを帯びていた。目を潤ませながら、誰のことを考えているのか、クロエはすぐに分かった。
「嬉しそうにしたり恥ずかしがったりするともっといいけどね」
茶化すように言えば、ジェシカは少し困ったような顔をする。今まで令嬢として、淑女の振る舞いを意識していたのだ。すぐに行うのは難しいかもしれない。
「受けとめられるようになったら、自然と相手に返せるようになるよ」
「返すって……私に、できることなんて」
するとクロエは片手を出して「ごめん余計なこと言った。それは今考えることじゃないよ」と補足する。どうやら受けとめればその先、互いの関係に変化が起こるようだ。先は長いかもしれないが、もらうだけは性に合わない。いつかそうなるのなら、まずは受けとめることだけ集中すればいい。
先程よりは落ち着いたのか、ジェシカは頷いて自分の胸の前で手を組む。その仕草が可愛らしいことを、おそらく本人は気付いていない。前に進もうとするその姿に、クロエはほくそ笑む。
ただ、忘れてはならないことが一つだけあった。
「ねぇジェシカ。アイリスともちゃんと話してる?」
分かりやすくジェシカの身体がびくっと動く。
モニカは腕を組みながら苦言する。
「一番の親友なら、色々事を起こす前に話すべきだと思うけどね」
ジェシカが王族に密告する前から、クロエは事情を知っていた。元々アイリスよりジェシカの家の事情を知っていたこと、警備の仕事を担当しているため情報を集めやすかったことなどもあるが、クロエ自身、アイリスのことは気にしていた。
王族に密告するまでは守秘義務があったので黙っていたが、クロエだってアイリスに言えないのは少し心苦しかった。
ジェシカは慌てて弁解する。
「アイリスは隣国に行く仕事もあったし忙しかったわ。私のことで手を煩わせるわけにはいかないでしょう」
「人に頼らないところ、ジェシカの悪い癖だよ。今回は協力の必要があったから私に話してくれたんでしょ。それがなかったら、一人でやるつもりだったよね?」
クロエは半眼になりながら言う。
図星な発言に、耳が痛い。
最初はそのつもりだったが、一人ではやはり限界があり、周りの人達に協力を頼んだ。あまり人に頼み事をしないせいで、伝えるのが少し難しかった。それでも皆、快く協力してくれた。おかげで無事に告発できた。
「でもこれは、アイリスのために起こしたことでもあるの。でもそれをあの子に言うつもりはないわ。知ったら気にするかもしれないから」
「人のことを考えられるのはジェシカの美点だけど、自分のことを考えられないところは欠点だね」
「そ、そんなにはっきり言わなくてもいいじゃない」
「普段口が回るお嬢様が何を言ってるんだか。で? アイリスには言ったの?」
「……言う前に怒られたわ」
グレイに助けられた日。
夕方寮の部屋に戻れば、ノックもせずにアイリスが入ってきた。密告した件を自分の父に聞いたようで、問い詰められた。その時の形相はすごいものだった。「なんで言わないの!?」と怒られてしまった。
言い訳しようとしたが、それよりも先にアイリスはジェシカの腕の痣を見つけた。「これ何!?」と話が変わり、誤魔化すことができず正直に話せば、怒る相手が変わった。「ルーカスの奴、切る」と、先輩騎士を呼び捨て。本気の勢いに、ジェシカは慌てて止めた。
その時にグレイのことも話した。納得してくれたが「……グレイが? あのグレイが?」と今度は混乱するような表情になっていた。ジェシカも同じ感想だ。
話を聞いたクロエは思わず「ははっ」と笑う。
「アイリスらしい。強引に来てくれる親友でよかったね」
「……言えない代わりに聞いてくれて、ありがたかったわ」
「友人なんだから。弱いところも出していい。頼れるところは頼っていいんだよ。……ジェシカの場合、なかなかそれを実行に移すのは難しいかもしれないけど、でも私達だって」
クロエはずいっとジェシカに近付く。
「ジェシカのこと、愛してるんだからね?」
綺麗にウインクする。
それに何人の女性が虜になったことだろう。
思わずジェシカは笑顔がこぼれる。
「分かっているわ。いつもありがとう」
「素直でよろしい。女性が最も美しく見えるのは笑顔だ」
芝居がかった動きを見せてくれる。
クロエがやると様になる。
「いつでもまた相談して。私だけじゃなく、アイリスにもね」
ジェシカは頷く。
心はいつの間にか晴れやかになる。
大丈夫だと、なんとなくそう思えた。
「――それで、話したいことってなんだ?」
ロイは柔らかい表情でいたが、握り拳には力が入っていた。無意識に緊張している。というのも目の前にいるのは銀髪の美青年、グレイ。
用事の帰りに、呼び止められた。大体彼はいつもリアンの傍にいる。まさか一人だとは思わなかった。そして、呼び止められるとも思わなかった。個別で話があると言われた時は内心驚いたものだ。
今二人がいるのは会議室の一室。
あまりに広い場所に二人でいる。
狭い場所よりはましだが、広すぎるのも色々考える。目の前に座っているため、視線を外せる空間があるだけありがたいような気もする。
相談があるなら主人であるリアンに言うだろうし、とりあえず相手の出方を待つ。自分に何ができるか分からないが、求められるなら応えたい。
「グラディアン殿はブロウ殿と婚約されましたね」
「ああ」
数日前にリアンに報告した。
彼はにやっと笑いながら祝福してくれた。
アイリスと共に報告したが、アイリスはその時のリアンの顔が気に食わななかったのか、ぶつぶつ文句を言っていた。リアンも「素直じゃない奴だな」と言い返していた。いつもの流れだ。
グレイもその場にいたので知っている。
今更それがどうしたのだろうと思えば。
「お二人はどこまで関係が進んでいるんですか」
「……えっ?」
あまりに予想外のことを言われた。
「どこまで、というのは」
あくまで濁して聞く。
するとグレイは躊躇なく答えた。
「婚約関係というのは実質恋人同士だと思います。男女のどこまで、という言葉で、グラディアン教官は理解してくださると思いますが」
(こんなに話すのを見たのは初めてだな)
普段口数が少ないため、少し面食らってしまった。聞かれた質問の意味はもちろん理解していたものの、まさかこの手のことを聞かれるとは。
理由はなんとなく察した。
「フェイシー……ジェシカ嬢と何かあったのか」
ジェシカとグレイが恋人同士のふりをしていることは知っている。事情はリアンから聞いた。ジェシカ本人からは何も聞いていないが、王族から協力して欲しいと、アイリスと共に言われたのだ。貴族界に関わることでもあるため穏便に、だが適切に対応しなければならないと。
グレイとジェシカは恋人同士という名目上、二人一緒にいることが多い。わざわざアイリスとの関係を示唆する辺り、それくらいしか思いつかない。
「どこまでが恋人の範囲か、よく分かりません」
「……なるほど」
とりあえず返事をする。だがこれは、正直答えるのが難しい。なぜなら二人は本当の恋人ではないからだ。ロイはグレイが、どこまで恋人のふりをすればいいのか悩んでいると考えた。
「一緒に過ごすだけで、周りは二人を恋人同士だと思う。俺から見ても、仲が良さそうに感じる」
友人関係の時から、よく二人は一緒に過ごしていた。ジェシカは心の底から楽しそうに微笑み、グレイも何か話していて、遠くから見てもとても仲が良さそうだった。日頃注目を集める二人だ。それに今まで二人共、男女の噂がまるでなかった。だから一緒にいるだけで十分じゃないだろうか。
グレイは少しだけ静かになる。顔色が読めないので、何を考えているのか分かりづらい。
「グラディアン殿は、ブロウ殿に触れたいと思いますか?」
「えっ? …………まぁ、そう、だな」
「どこまで触れたんですか」
「え……」
けっこうデリケートな話ではないだろうか。
さすがに答えるのに躊躇する。
ロイが迷っていると、グレイは視線を下にした。
そのまま口を開く。
「最近ジェシカ殿と過ごしていると、ずっと一緒にいたい気持ちになったり、ずっと触れていたくなります。離れている時間が少しでもあると、彼女のことばかり考えてしまいます」
「…………」
(もしかしてフェイシーのことが好きなのか?)
これを口にしていいのか分からず、ロイはとりあえず黙ってしまう。彼の恋を応援すればいいのかと思ったが、それだとジェシカの気持ちはどうなる。友人になれたことを心から喜んでいた彼女は、このことをどう思うのだろう。それとも聡い彼女のことだ。彼の気持ちに気付いているのだろうか。気付いた上でもし知らないふりをしていたら、余計なことは言えない。
「ですから、どこまで触れていいのか、お聞きしたくて」
「……え。触れる前提の話か?」
「? はい」
あまりに真っ直ぐな目を向けられる。
こちらがたじろいでしまうくらいに。
ロイは冷静を装って聞く。
「……恋人のふりをする上で、必要なことだからと?」
「必要なことでもあると思いますし、自分が触れたいです」
「それは、ジェシカ嬢も承諾していることか?」
「ジェシカ殿が嫌がることはしたくありません」
「……現時点で、どこまで触れているんだ?」
グレイは思い出すように視線を上にする。
「手を繋ぐ、髪に触れる、くらいです。恋人同士ですから、距離はできるだけ近くなるようにしています」
(絶妙なラインだな……)
超えてはいけないラインは超えてなさそうだ。その辺の常識は持っているかと、ロイは考え直す。ジェシカを大事にしたいという気持ちは感じる。
「俺に聞くより、ジェシカ嬢に聞いた方がいいと思う」
「聞くとは、どのように」
「どこまで触れていいのか、と」
「…………」
(なぜ無言)
「では参考までに、グラディアン殿の意見を聞きたいです。どこまでなら触れていいと思いますか」
「今が、妥当だと思うが」
「ということは、今のままでいいと」
「ああ。これ以上は、範疇を超えるように思う」
「……? 範疇、とは」
「今は恋人同士のふりをしているだけだ。それ以上はお互い好意がないと」
(って、俺も人のことは言えないな)
ロイは内心溜息を付く。
自身がアイリスにしたことは許されるのかと聞かれたら、何とも言いようがない。彼女に気持ちを伝えるつもりでアピールをしてきた。全然気付いてくれなかったが、意識はしてくれたように思う。だがそれを人には勧められない。やるにしても責任が伴う。
するとグレイは、顔色を変える。
何かに気付いたように。
「自分は……ジェシカ殿が好きなんでしょうか」
(俺に聞くのか……?)
むしろ答えていいんだろうか。
「こんなにもジェシカ殿のことを考えるのは、触れたいと思うのは、好きだからでしょうか」
確かめるように同じことを口にしている。彼自身も戸惑うように、視線が左右に動く。なんだか余裕がないようで、それを見たロイの方が落ち着いてくる。
「ジェシカ殿のことが好きだとは思いました。ですが確信は持てませんでした。好きには種類があると聞きました。自分の好きは、どの好きかは分からなくて」
「そうか」
「触れたくなるのは…………欲があるから」
何かを思い出すように呟いている。
その様子に、ロイはふっと笑ってしまう。
恋の応援をしていいのかは分からないが、彼の気持ちに寄り添うことはしたい。自分の気持ちに考えあぐねる様子に、手助けをしたくなってきた。
「デニール。次にジェシカ嬢に会った時、再度自分の気持ちを確かめるといい」
「……?」
「今の状態で、ジェシカ嬢に会うんだ。本当に好きなら、おそらく見え方が変わる」
「見え方が、変わる」
ロイはふっと微笑む。
「好きな人は、まるできらきら輝いて見えるんだ」
「…………グラディアン殿も、そうでしたか」
「ああ。いつも以上に美しく見えた」
「今から、会ってきます」
言い終わる前にグレイはその場を立っていた。振り向きざまに「ありがとうございました」と言い、彼は真っ直ぐ向かってしまう。その後ろ姿に、ロイは眩しいものでも見るように口角を上げた。
「きゃっ」
「すみません」
廊下を軽く走っていたグレイは、曲がり角で人にぶつかる。衝撃は弱いため当たっただけで済んだが、相手は反射で転びそうになっていた。咄嗟に腕を掴む。
「怪我はありませんか」
「だ、大丈夫ですわ」
言いながらこちらに顔を向けてきた人物は。
グレイが求めていた人だった。
思わず固まってしまう。
「グレイ……?」
ジェシカは不思議そうな顔をしていた。
いつもと様子が違っていたからだろう。
だがグレイはそれどころじゃなかった。
まるでフィルターがかかったように、ジェシカの周りに光が、花が、見える。まばたきする睫毛は長く、鮮やかな蜂蜜色の瞳は大きくてぱっちりしている。栗色の長い髪はゆるく巻かれていて、柔らかそうで。彼女が少しだけ首を傾げていたが、その少しの動きだけで見入ってしまう。
見慣れているはずの姿だ。
それなのに、あまりに綺麗に映る。
グレイの鼓動が、一つ大きく鳴った。




