265.治癒魔法は雄弁に語る⑰意趣返しとダンジョンの話-4
ちょっとグロ注意。
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本当は、全身火傷なんて可愛らしいものではなかった。
何度も顔を庇ったのだろうシアンの両腕は、皮膚が溶け崩れて筋肉組織肉が剥き出しになっていた。
酸が口に入って喉を焼かれてしまったら、呼吸ができなくなる。
それを本能的に察知していたのかもしれない。
わたしは、テーブルの上の残った焼肉に視線を落とした。
炎による普通の火傷なら、皮膚が溶け落ちることはない。
炎で焼けば、炭化するのだ。
わたしはそれを見たことがある。
昔、まだ屋敷にいたころに襲ってきた刺客の一人だ。
わたしが、暴走した魔力で焼き殺した。
ひどい臭いがした。
シアンの傷からは、それとはまた違った異臭がしていた。
血と“ヘイト集中の妙薬”とも違う、もっと鼻を突くツンとした臭いだった。
わたしはそれを知っている。
アトリエで過ごすことが多くなってきたころ、襲ってきた刺客の死体を処分したときの薬剤の臭いだ。
相手が、こちらを無力な小娘だと思って油断している隙に、毒を浴びせて死に至らしめた。
死体に軽量化の魔法をかけ、下水の流れるドブ川まで運んだ。
その近くの高架下で、死体の処理をしたのだ。
雇った刺客が返り討ちに遭ったとわかれば、お継母様を逆上させることになる。
だから、刺客の人には失踪したことになってもらった。
お継母様には、プロ意識に欠ける雑魚を雇ったから、依頼料を持ち逃げされたのだと思ってもらうつもりだった。
小娘が一人、深夜に大きな箱を運んでいるという、怪しげな光景だったかもしれない。
見咎められたら、妖精の鱗粉を使って切り抜けるつもりだったけれど、幸いにも誰にも見咎められはしなかった。
妖精の鱗粉とは、幻覚を引き起こす魔法薬の名前であり、実際に妖精の成分は入ってはいない。紛らわしいけれど、その名前で流通しているのだから仕方がない。
毒薬使いであるアイリスに対しては、そうした怪しい薬品の納品依頼も、時々あった。
アイリス(わたし)にしてみれば、致死性の毒薬を作るよりは罪悪感も少なく、簡単だったので在庫もそれなりに持っていたのだ。
なお、幻覚の種類を指定することはできない。
毒になる植物は、意外と近場の森でも採れるものである。
それだけ身近に毒草が生えているということなのだけれど、毒耐性のある人間で、なおかつ森に入って毒草を探し当てることのできる人物は、決して多くはない。
(だから被害も少ないのだけれど……)
知識のない素人が摘んだところで、簡単に使えるものではないからだ。
もっとも、誰かが見ていたとしても、声をかけようとは思わなかったかもしれない。
夜中に大きな箱を運ぶ少女──どう見ても不気味だっただろう。
わたしが運んでいた物体が、死体かもしれないと疑いたくなるような質量であれば、通報されていたかもしれないけれど、軽量化の魔法のせいでそうはならなかったのだ。
箱の大きさからして、入っているものが死体だとしたら、大人の死体である。
大人(の死体)入った箱を、年端もいかない少女が一人で持ち上げ、軽々と荷車から下ろし、中身をつかみ出すことなどできはしない。
だからたぶんあれは人形なのだ、と見た者は思い込もうとしたに違いない。
(仮に、毒で悶絶死した人間の死体だと見抜いた者がいても、)
苦悶の形相を貼り付けた死に顔に、スライムの溶解液(培養濃縮済)をたっぷりと垂らし、溶けきったそれを下水に流している小娘──の風体をした怪しい人物に声を掛けようと思う者など、王都内を巡回している警備兵くらいだろう。
が、下水の流れる下町の、さらに下流の掃き溜めになど、巡回の兵士は訪れないのだ。
そんなこんなで、わたしは刺客の死体を首尾よく始末することができた。
醜く焼け爛れ、溶け崩れる刺客(の死体)に同情などしなかった。
スライムの溶解液が、人間の肉塊を浸食するときに発生させたツンとする異臭──それは下水の臭いに紛れて消えた。
汚泥と化した刺客の死体も下水の底に流れて消えた。
シアンの傷から漂っていたのは、そのときと同じ臭い。
人の肉が酸で焼け、溶け崩れるときの臭いだった。
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