222.別れの日
何の根拠もなく、辺境までは共に旅するのだと信じていた。
レッドを解放するとしても、辺境に着いて生活が落ち着いた後になるだろう──と、漠然と考えていた。
でも、お別れする日は案外と近いのかもしれない。
アレスニーアで別れてしまったら、わたしが魔法学園に編入したところで、レッドには関係のない話になる。奴隷でなければ、わたしを待っている必要もない。
レッドに会えなくなるから、と駄々をこねて編入を拒んでみたりもしたけれど、いよいよ断る口実もなくなってきた。
実のところ、契約主のわたしのほうが立場が強いのだから、約束を反故にしようと思えばできる。
世の中には“奴隷との口約束などあってないようなものだ”と豪語し、わざと気安く約束をしては破ることを繰り返し、翻弄して弄ぶ人間もいるくらいなのだ。
(ああ、そうか……)
王都にいたときに、そうやって主人に揶揄われている奴隷を見たからだ。
可哀想だとは思ったけれど、他人の奴隷であるため、何もできなかった。
ただ、ああいう人間にだけはなりたくないと思い、絶対に約束だけは守ろうと心に誓ったのだ。
これが貴族の主従であるなら、品位に欠ける言動を取る者は、いずれ同階級の者によって嗜められる。
貴族にとっては、低俗な遊びに興じる同輩に釘を刺し、自分たちの品位や権威を保つことも責務である。
仮にも貴族なら、使用人への接し方は子供のころから親や周囲の人間を教師役にして学ぶものだ。教育を受けた身分でありながら恥ずべき態度を取り、諌める者の言葉も聞かないとなれば、すでに人として手遅れである。
しかし、成り上がりの平民というものは、身分に応じた義務や品位を学ばないままに使用人を雇うため、時として下手な貴族よりも性質が悪い。
貴族には、身分的な制約や外聞が付いて回る。大金を持っていても、完全に好き勝手な行動はできない。
──つまりは、屋敷内では使用人を虐待することが許されても、外では寛容に振る舞わなければならないのだ。
度量の大きい振りをして、何につけても対面を保たなければならないのが、貴族という生き物である。
(だからレナードお父様も、イーリースお継母様も、わたしを外へ出そうとはしなかった……)
身内に亜人種がいるなどと知られては外聞が悪いのと、それを虐待していることが広まれば、さらなる醜聞にもなりかねないため、わたしの存在は最初からないものとして秘匿された。
ローランド寄宿学校に入れられたときには、遠縁の庶子として他人同然の扱いにされた。厄介払いと同時に、庶子の面倒を見てやっている慈善家の振りをするためでもある。
一方で、平民の場合は身分という制約がない上に、金にものを言わせることができる。同等の身分の人間を奴隷のように扱うことも、奴隷を物のように扱うこともできるのだ。
それを諌める奇特な者は、同じ平民の中には存在しない。そんな義務もなければ、逆恨みされる危険を冒してまで、道を説いてやる義理もない。
そして後々、日頃の待遇に不満を募らせた者たちから、強烈な反撃を食らうのだ。
底意地の悪い会頭や使用人頭が、夜道で刺されたり、袋叩きに遭ったりするのは珍しい話でもない。
成金の平民が刺されても、商会が一つ二つ潰れる程度だけれど、貴族の場合は規模が規模だけに領地が傾く。おまけに、末代までの語り草だ。
貴族が正しく貴族であることは、平民が想像するよりは難しい。
(正しくない貴族なら、結構たくさんいるけれど……)




