おとぎ話の継母はどうして怖いのか
どうして昔話に出てくる継母は意地悪で怖いのでしょうね。どこで読んだか忘れましたが、中国の説話で、継母から苛められ、衰弱死した子どもが化けて出てきて、継母の実子を祟り殺す話がありました。継母は泣いて謝りますが、継子は許しませんでした。恩は恩で、仇は仇で返す、中華の国の物語です。日本にも「米花 糠花」とシンデレラみたいなお話あります。継母は自分の子どもばかり可愛がって、先妻の子を家事にこき使い、食事や衣服に差を付けます。
昔読んだ『グリム童話 子どもに聞かせてよいか?』(野村泫 ちくまライブラリー)で、文献を引きながら、実際継母が多かった、結婚生活の平均は十五年くらいで、配偶者と死別した場合の男の側は五人に一人は再婚、女は十人に一人しか再婚しなかった、と書かれていました。
だから継母はよくいたんだよ、と言われたってねぇ、おとぎ話の説明になってないような気もします。継父だって少なからず存在していたのですし、現代の児童虐待のニュースを聞けば、継父、或はシングルマザーの交際相手の方が注意が必要なのでは、と思わせるところがあります。
また、『源氏物語』あたりで、昔の恋人の娘(玉鬘や秋好中宮)が年頃になってきて、光源氏がモーションかけて、困惑されるなど父親代わりの男性の厄介さも出ています。
『シンデレラがいじめられるほんとうの理由』(マーティン・デイリー&マーゴ・ウィルソン著 新潮社)は生物学からみたステップファミリーの研究書です。昔話にはやはり継母だけでなく、少しは継父のお話があるそうですが、パターンは二つ、「残酷」と「好色」だそうで、物わかりがいい、懐の深い継父は昔話にいないようです。お互い様なわけです。
現代と違って、近代まで(或は状況によっては現代でも)飢餓は人間社会に付いて回っていました。野生動物の世界だってそうです。少ない資源を生き延びるために有効に使おうとすると、自分とその血を直接引き継ぐ子ども、繁殖に協力してくれそうな配偶者に優先順位が先に来ます。どうしても継子はその次になってしまう……。ライオンやハヌマンラングールのリーダーの雄が交替したした時の子殺しが、極端な例でしょう。
人類は哺乳類ですから、どうしたって乳幼児の世話は女性に掛かってきます。そこで子どもに母親はどう語りかけるでしょう。直接的に言ったって子どもは解りません。私が死んだり、お父さんに追い出されたりして、新しい女の人を家に連れてきたら、お前たちを苛めるよ、を含ませたお話を寝かしつけの時に語りかけます。だからね、お母さんに孝行してね、何かあったらお父さんよりお母さんの味方をしてね、とインプリティングしていきます。
昨今、イクメンが話題になっていますが、今の若いお父さんは子どもにどんな物語をしてやっているのでしょう。相変わらず「白雪姫」や「シンデレラ」、「さるかに合戦」なのでしょうか。鬼嫁や、暴力的な継父の物語が生まれないのでしょうか。それはそれで創作童話として楽しみでございませんか。
あ、既にあるのかな?




