離れ
人の少ない本家へ戻る。日暮れ前の傾いたまろい日差しが、屋敷の離れのすすけたあちこちに残り火のように注いでいた。
足の踏み場のない離れを二人で見分する。焦げとすすが全体的に部屋に回っていた。文化住宅風の台所はしばらく無用の長物だったらしく、しまわれた鉄鍋や包丁は錆ついていた。
冷蔵庫の中は専ら洋酒が冷やされている。猟銃が飾られた棚がある。ドイツ語や英語の書籍やフラスコやビーカーなどの器具は恐らく医者が遺したものだ。洒落た服の入った洋服箪笥、悪趣味な熊の毛皮、鹿の首の剥製は次郎伯父の戦果だろうか。
目を引くのは、大人の背よりずっと高い西洋風の姿見だ。裏面にまで細かな彫がほどこされ、かなり値の張る代物だと推測するが、目の近いきいは他のものに興味津々である。
「ねえ時さん、引き出しに変な道具があってよ。手がかりかしら」
「ああそれは葉巻切りだよ。次郎伯父は葉巻をふかすんだね」
「じゃあ箱にしまってあったこれはどう? 網が張ってあるんだけど、証拠になる?」
「それはテニスのラケットさ。そうかきいちゃんは洋風の生活を知らないんだ。君のフレッシュな感性はなかなか可憐だね」
「煽ってくれるじゃないの失礼ね! まったく大家育ちはこれだから……あ、じゃあこれは?」
きいが台所で鈍く光る羽釜を片手で掴みあげた。残念ながら僕はそれの正体も知っている。
「この羽釜、本当に金属か怪しむわ、びっくりしちゃうくらい軽いわ」
「最近流行のアルミニウム製の釜さ。軽くて錆びない新しい金属でできているんだ」
「便利ねえ、こんなに軽かったらご飯炊きもそれは重宝……あら時さん御覧なさいよ、この釜の縁、削られてる」
きいが右手で持ち上げた鍋を左手でさすった。近くに寄ってみると、確かに、上から見れば釜の周囲に丸く飛び出た縁がやすりか何かで削られていびつになっていた。傷は釜底にまで及んでいる。
台所の鉄鍋に錆が浮いているところを見ると、この台所はしばらく使われた形跡はない。次郎伯父も離れで煮炊きはしないのだろう。なのに、この釜だけが傷だらけだ。そもそも、アルミニウム製の鍋はここ数年で広まった文明の利器なのに、料理をしない次郎伯父がいる離れに、何故……。
きいに近づいて、羽釜を取ろうとした。その時僕の足が散らかしていた焦げた書類を踏んでつんのめって、勢いよくきいにぶつかってしまう。
弾みできいの手から羽釜が離れ、その軽さをもって床に積んでいた鉄鍋の上に落下して、
「うわあ!」
「きゃっ!」
けたたましい金属音と二人の悲鳴が響き渡る。
「どうしたのお!?」
廊下をぎしぎしと踏みしめ、白地の浴衣をまとった武子伯母が駆けつけてきた。湯上りのようだ。客人の前で大分しだらない恰好だが、僕らが身内の子供である故か気にされてはいない。
「あんた達、なんてとこで遊んでんの。人が死んだとこになんか入んない方がいいわよう。ほら、出た出た」
「すみません転んじゃって。おまわりさんが、離れに忘れ物をしたらしくて、万年筆なのですけれど取りに来るので探してくれろと頼まれたんです」
嘘をつくと、武子伯母は子供っぽく口をとがらせる。
「そうなの? しょうもない巡査ねえ。若造だったし仕方ないか」
「でも、いいおまわりさんでしたよ。昔ここに住んでたお医者様について話してくださいました」
「……石谷先生のこと?」




