第三十二話 おまえはなにもわかっていないのだ
「リース様!」
ドアを強く叩く音と、アヤの声が聞こえる。
「トープが階下に引きずり降ろされた! アヤ、衛兵を呼んでくれ」
「分かりました!」
アヤは執務室のドアを開けずに、そのまま廊下を走り去っていったようだった。
発煙筒の煙が床の一部に吸い込まれていく。おそらくそこに穴が空いているのだろう。リースはハンドガンを構えて穴に近づく。
私は周囲の様子を確認する。空気の流れが乱れている。細い隙間に流れ込むように煙が動いている。
「リースくん、後ろ!」
私の声にリースは振り返る。
ぼこりと床が外れる音がして煙が流れ落ちていく。さっきよりももっと大きな穴だ。ちょうどフライデーのボーラーが通れるくらいの……。
ばうん、と金属板が反発する音を立ててボーラーが飛び上がってくる。
「フライデーだ!」
リョウが声を上げる。
回転する球体の中心には銀色に輝く髪がたなびいていた。間違いない、あれはフライデーだ。
リースがボーラーに向けて銃を撃ち、他のライブラリアンが弓を引く。全員が気を取られているところに、男が床の穴から這い出してくる。彼は姿勢を低くして私のところまでやってきて
「機皇帝をこちらに引き渡せ」
とわざとらしいほどの低い声でいう。
「あれ? ヒロト」
「しーっ、ばかリョウ。黙ってろ。いいから機皇帝を渡せって」
混乱の中、穴から這い出てきた男はヒロトだった。
スチームパンク風の上着と帽子を被っていて、ガスマスクで顔が隠れているが、学生ズボンと白いスニーカーはいつものままだ。ヒロトに間違いない。
「ヒロ……、あなたなにしてるの」
「この場で殺されるのと、人質になるのとどちらがいい」
ヒロトは機皇帝に向かって銃を突きつける。
機皇帝は怯えて縮こまり私の後ろに隠れてしまう。私はライブラリアンに助けを求めようとするが、執務室を跳ね回るフライデーのボーラーに、皆翻弄されているようだった。
影武者とはいえ、だれも彼のことを守らないのはいかがなものかと思う。
「なにか理由があるんだろうけど、こんなことはやめなさい」
「マ……、じゃない。おまえはなにもわかっていないのだ。なんだその服。まるで奴らの一員みたいじゃないか」
ヒロトはテーブルの上に仁王立ちになり、芝居がかった低い声で私に話かける。
「ボク、リースくんに帽子もらったんだよ。リースくんは友達だよ」
「こいつがなにをしたか知らないんだろう」
「しらないよう。会ったばっかだもん」
ヒロトは油断をしていたのか、ライブラリアンの一人に背中を取られ手に持っていた銃を跳ね飛ばされる。
「危ない!」
「遊戯創生!」
ヒロトの手に白いコントローラーが現れ、珀刻が双剣を振るう。ライブラリアンが手にしたメイスを弾き落とされる。床の穴からトープとともに衛兵が何人も這い出てくる。部屋のドアが開き、武装したアヤと衛兵が乗り込んでくる。
「衛兵は機械人形を制圧しろ! 僕たちはあいつを捕らえる」
フライデーは数十人の衛兵に囲まれて押さえつけられ、身動きが取れなくなる。ヒロトは武器を持ったライブラリアンに囲まれ、リースに正面から銃を突きつけられる。
「その操縦機をこちらに渡してもらおう」
「くそっ」
ヒロトは白いコントローラーを床に放り投げ、両手を後ろに組む。
ふいに、リョウがなにかに気づいたように振り返る。
「リースくん、あぶない!」
リースの後ろから、紫影 の放った槍がこちらに向かってきていた。
リースはヒロトがコントローラーを複数出せることを知らない。普段はケンイチが操作している紫色のコントローラーだが、ヒロトが操作することもできるのだ。
煙幕はほとんど消えていた。ライブラリアンたちが一斉に紫影 のほうに目を向ける。間に合わない。そう思った瞬間、リースの眼前で槍は消滅した。
「奴がいないぞ!」
トープが机を指し示して叫ぶ。
ほんの一瞬のあいだに、トープを襲う槍も紫影 もフライデーも、それからヒロトも、執務室から消滅してしまった。
「あーあ、逃げられたか」
「大丈夫ですか、リース様」
アヤがこちらに駆け寄ってくる。衛兵たちは消えたヒロトを探し、廊下や階下に移動し始める。
「うん、僕は大丈夫。それより機皇帝は平気かい?」
「へ、平気じゃないよ。この人が助けてくれなかったらどうなっていたことか……」
「いい加減に、自分の身くらいは自分で守れるようになっていただかないとなあ。ヨシエ、お手柄だったね」
「いえ、私はなにも……」
私はリョウの顔を見る。
ものいいたげに私のことを見上げていたので、頭を撫でる。おそらくリョウが時間操作で時間を止めてくれたのだろう。
短い時間のあいだに、ヒロトとフライデーをどこかに逃がしてくれたに違いない。リースも機皇帝も私ではなくリョウに救われたことになる。
とはいえ、この機皇帝はどうせ偽物なのだろうけれど。




