第二十七話 もっと欲張った交渉をしなくていいのかい?
ライブラリのある中枢の建物に宿泊してから二日目の朝、アヤから再びライブラリに来るようにと告げられる。
「今回はヨシエ様だけでよいです。リース様がお伺いしたいことがあると」
「私だけ?」
私はケンイチの顔を見る。
多少訝しげにしているものの、私のみが面会することについてはとくに異論はなさそうだった。
「えー、ボクもリースくんとお話したいのに」
「リース様もそういっておられました。近いうちに呼ばれるかと」
「やったー!」
リースが話したがっていると聞いて、リョウは椅子から飛び降りて部屋をぐるぐると駆け回る。
「皆様はフォーレンの探索などご自由になさっていてください。お昼用の軽食を用意しますので、持っていかれてもこちらに戻って食べられてもよいかと」
「わーい、お弁当!」
まだ日が昇って間もないというのに、早々にライブラリに呼ばれる。リースは昨日と同じテーブルにいて、私の姿を見ると待ち構えていたように立ち上がる。
「君は辞書のスキルを持っているんだって?」
「ええまあ、戦うこともできない地味なスキルですけど」
「そんな大切なことをどうしてもっと早くいってくれないんだ。ちょっとこれを見てもらえるかな」
リースはブリキの箱からガラスの瓶を取り出し、私に差し出す。くすんだ空き瓶に見える。
「えーっと、生き字引」
リースが両手に持ったままの瓶の前に、半透明のパネルが表示される。
「すごい、文字が表示されてる。なんて書いてあるんだい?」
「トマト酒の空き瓶。二百七十年前の王都に献上されたもの。当時はガラスの瓶に入った酒は珍しく貴重であった。中身のトマト酒は色は美しいもののあまりおいしくない」
私は書かれていたことをそのまま読み上げる。
「酒の空き瓶! そうか。あまり大したものじゃなかったな。まあそれなりに歴史的価値はあるか。じゃあ次はこれ」
「木製のドアストッパー。百二十五年前、換気システムが配備される前の機械都市フォーレンで使われていた」
「なあんだ、同じ形のものがいくつもあったから、なにかを構成する部品だと思っていたのに」
リースは積み木のような三角形の物体に興味を失ったようだったが、アヤは私の言葉を全て羽根ペンでメモしている。
「じゃあこれ!」
あといくつあるのだろう。
私はテーブルの上に置かれたブリキの箱を見る。それほど多くはなさそうだったが、机の後ろにいくつもの箱が控えているのを見つけてうんざりする。
瞳をきらきらさせて、古びた人形を差し出すリースを見て、子供たちが小さかった頃のことを思い出す。こんなふうに何度も何度も、さまざまなおもちゃで遊ばされていたのだ。それに比べれば、たいしたことはないと自分にいい聞かせる。
「あの、お願いがあるんですけど」
「なんだい?」
「これらの情報を調べる代わりに、没収されている私たちの持ち物を一旦返してもらえませんか。あと、車の回収も」
ささやかな抵抗のつもりだったのだが、リースは一瞬面食らったような顔をして
「なんだ、そんな簡単なことで協力してくれるのか。もっと欲張った交渉をしなくていいのかい?」
と呆れたように笑う。
「交渉。そうですね。考えておきます」
「あとから要求するんじゃ交渉にならないだろう。ヨシエは本当にお人好しだな。じゃあ次はこの本を読んで」
差し出された古い革張りの本を見て、思わず笑顔になりそうなのを我慢する。
本! 本なんて何日ぶりに読むだろう。これを読むだけで交渉の材料になるなら安いものだし、なんの抵抗もない。
「少し休憩されたらいかがですか」
「そうだね、僕はお茶を淹れてくる」
「リース様、私が」
「アヤはヨシエが読み上げたものを筆記していて。まだまだ読んでもらいたい本がたくさんあるんだ」
私はライブラリの棚を見渡す。ここにある本を読んでもいいのだろうか。読書に飢えていた私にとっては、まるでご褒美のようなものだ。
しばらくの間、リースが選んだ本を私が音読しアヤが紙に書き写すという時間が続いた。
最初に読んだ本は薄く、どこかの国の戦争の戦略を書き記したものだった。必要な戦士の人数や魔法使いの人数、武器や補給物資などについて書かれていてなかなか興味深い。
次に読んだのは貴族の女性の日記だ。これはかなり面白かった。政略結婚に対する葛藤とささやかな恋について綴られていて私小説を読んでいるようだ。
「ヨシエはタフだな。そろそろアヤを休憩させてやってくれないか。昼食にしよう」
「えっ、もうそんな時間なんですか」
「私なら大丈夫です」
「いえ、私も疲れちゃいました。休憩しましょう」
あまりに喜々として本を読んでいると交渉材料にならないかも知れないので、私は疲れたふりをする。
本など一日中読んでいても平気なのが、ライブラリアンもその性質から見るにおそらく同類だろう。私の気持ちは見破られている可能性もある。
部屋に戻ると、ケンイチたちはいなかった。冒険者ギルドに行ってしまったのだろう。
金属製のランチボックスが一つだけテーブルの上に置かれている。中には具沢山のサンドイッチがみっしりと詰まっていた。
「飲み物をお持ちしましょうか」
「ありがとう。アヤちゃんもよかったら一緒に食べない? 私にはちょっと多すぎるかも」
「いえ、そういうわけには」
「嫌いじゃなければ、食べてもらえると助かるな」
「……わかりました」
アヤは仕方なくといった風情で部屋を出ていき、温かいお茶を二杯入れて戻ってきた。




