噂のかぐや
「爺さん、説明してもらおうか」
私は部屋で、顔じゅう血まみれでボコボコになった(ボコボコにした)爺さんの胸倉を掴んでいた。
「……だって、お前が金をしっかり渡して出来る限りの事をしてもらえって言うから、閨事指南までの一式をお願いしたまでで――」
相手はお年寄り、と心で呟いたら次の一発はやや手加減できた。が、溢れる怒りは抑え切れず、追加でもう一発殴り飛ばすのを我慢できなかった。爺さんは「ぶべぼっ」と変な声を出しながら部屋の隅に勢いよく吹っ飛んだ。
「何でも頼めばいいってもんじゃないでしょう?! 襲われかけたわ!!」
て、いうか、完全に襲われた。
これが純真無垢な菊が遭った被害でないのが不幸中の幸いだ。
幼い少女がこんなことをされていたら……と考えるだけで、身の毛がよだつ。
この世界の常識では、菊は大人と言われる年齢なのかもしれない。それでも、私から見たらまだまだ何も知らないただの幼女だ。
秋田が私を名付けの姫と勘違いしていたのは助かった。被害が私で良かったと思わなくては。
しかし、それにしてもなんで
「なんで、名付けの姫は菊だって、しっかり説明しなかったのよ。どうせ最初から、私に名付けるように爺さんが仕組んだんでしょう?」
秋田は完全に私が名づけの姫だと思い込んでいた。爺さんがそう言ったからに違いない。
すると、爺さんは張らした顔でぽつりと呟いた。
「だって……お前の方が先に名付けされるべきだろう」
ボコボコにされた後なのでどんな表情がわからないが、爺さんは私の目を見て神妙に語り始める。
「だって、この家を懸命に支えてくれているのはお前じゃ。苦労人である大黒柱のお前に、まだ名前がないなんて、そんな不憫な話があるか。わしだってお前の事は「お前」と呼んでおる。お前に早く名前を付けて、一人前の立派な姫にしたかった。お前に喜んでほしかったんじゃ」
「爺さん――」
「いいんじゃ。礼には及ばぬ。これで、おぬしはかぐや姫という立派な名前を手に入れた。宴も盛大に開いて祝おうぞ」
「爺さん」
「だから、礼などいらぬと」
そこで私はもう一発、力いっぱいじじいを殴った。渾身の一撃だった。
爺さんはF1で通りすぎるマシンのように勢いよく壁まで吹っ飛んだ。
「お前に名前を教えなかったのは、呼ばれたくなかったからだよ!! 痴漢野郎!! じじい、てめえ、私が襲われかけているときに格子からのぞいていただろ?! しっかり見えてたわ!! どうせ、今回の事だってお前が覗きをするために仕組んだ罠だろう! 美談にしようとしたってそうはいかないわ!!」
「…………」
血まみれで横たわる爺さんは意識を失ったふりをしている。しらばっくれるらしい。
まじで侮れない、このエロじじい!!
☆★☆
爺さんがエロい依頼をしたせいで、秋田に襲われかけた。
あの時は手近かの花瓶で殴ってそのまま逃げてしまったけれど、冷静に考えれば秋田はそれほど悪いヤツではないのかもしれない。
私にあれだけの狼藉をはたらかれながら、
「何、初めての女子は緊張するものです。また来ます」
と、頭から血を流しつつ、爽やかな笑顔で帰った。
元はといえば、秋田は爺さんから依頼された閨事の指南を行っただけで何も悪くない。
一応結婚も正式に申し込んで、襲う前に妻問いもしたのだから、あれほどの場面で(そこそこ)誠実だったとさえ言える。
だけど、その後がいけなかった。
秋田はストーカーになってしまったのだ。
秋田は何を思ったのか、ガンガン恋文を送ってくるようになった。
何だか歌みたいなものが書かれているけれど、時代は万葉文字(つまり漢字をあて字にして文章を書いている。夜露死苦、みたいに)。
私にはそこに何が書かれているかさっぱりわからなかった。
それを放置していたのがあだになった。
余りに大量に届けられる文に恐ろしくなって、時々来る菊の教育係の元女官・相模に読んでもらったところ「焦らされ、待たされることで恋心が募る」との意味らしく、驚愕した。
慌てて代筆してもらい、御断りの手紙を書いたが「この気持ちは奈良湖の如く深みを帯びる」とか気持ち悪い歌が再び届いたので「テメー奈良湖は最近干上がりそうだって聞いたぞ。ふざけた事いってんじゃねえ。二度と手紙書くな」と返歌したら、「私の気持ちをどの湖深と比べられましょう。焼きもちを焼く貴女もまたかわいい」みたいなトンチンカンな歌が返ってきた。
らちがあかない。相模に相談したら「洒落た恋文ですね」と、これまたトンチンカンな評価を頂いた。
もう、この時代の人間にとって、歌での言葉遊びは恋人のじゃれあいなのだ。
そんな空気感に気づかなかったばかりに、秋田のスト―キングは更にエスカレートしてしまった。
もう、こうなったら更に無視。それしかないとだんまりを決め込んだところ、意外に粘着質な秋田はとんでもない攻撃を仕掛けてきた。これが冷たくあしらわれたストーカーの末路かと私は呆然とした。
彼は根も葉もない噂を流したのだ。それが『かぐや姫ドブス説』だ。
今回の名付けの一件……手違いはあったけれど、名付けを祝う宴を大々的に行う予定は変えなかった。
そこで菊と私がすり変わりさえすれば、それでいいと思っていたからだ。
菊をかぐや姫と名付ける。それさえ達成されたなら何の問題はない。
このまま菊のお披露目を兼ねた命名発表を行ってしまえばそれでよいと思っていた。
それなのに、秋田のいやがらせで、
「かぐや姫は二目と見られぬ醜女らしい」
という噂が巷に流されてしまったのだ。
なんでも、市井ではその不細工さが伝説級と話題らしい。
私に対する中傷だが、かぐや姫へ向けて……となると、実際は菊への評価となる。菊はとてもかわいいのに、いわれのない悪口を流され、心底腹が立つ。
このとんだデマの出所は、秋田意外考えられない。
だって私に会い、実際顔を知っているのは秋田しかいないのだから。
「ぐぬぬ、そんなに私が憎いのか……っ!!」
怒髪天を突く勢いで拳を握る私に、横からおばあちゃんが「愛されているのよ。悪い虫がつかないようにそう言ったのね。誰にも渡したくないのよ」とすっかり板についた都言葉でほほほ、と笑った。意味がわからない。好きな女の悪口言うか?普通。
とにかくこの世界、週刊誌やネットがあるわけじゃなし。人の噂を否定する術がない。
秋田が「オレ実際会ったし。マジちょーブス。やめておいた方がいいよ」なんて周囲に言ったら一巻の終わりだ。噂だけで公達は寄りつかなくなる。
噂の的が私なら許せた。しかし、かぐや姫にしたかったのは菊だ。
このまま菊がかぐや姫です、とお披露目しても、彼女の人生にケチがつくのは確実だろう。実生活では顔を合わせることが少ないこの世の中。噂が独り歩きして縁談に影響してしまう。
もうこうなったら……私が醜女・かぐや姫として名乗りを上げるしかない。
菊に辛い思いはさせられない。
私が、スキャンダルの的として矢面に立てばよい。結婚相手も見つからないだろうがそれは仕方ない。
不名誉なレッテルを張られたまま堂々と生きていこう。醜女上等、悪口いわれるのは女子高生の世界では挨拶程度だ。
しかしながらこのタイムスリップ生活。確実に破滅に向かうデスマーチに突入したと評して過言でない。
オワタ。文字通りオワタ。余生はアルミホイルを丸め続けるだけの日々に決定だ。
私はひとり暗い未来を確信し、部屋の隅で歯ぎしりした。絶対逃れられないという諦観の域だ。