第二十一章 復讐の刃、第二十二章 国民投票の日
ニカラグア国内で大きな渦が巡っていた。
その潮流の出所は間違いなくクァトロである。
オルテガ政権に嫌気がさした市民が反政府デモを各地で起こして大統領の退陣を求めていた。
無論速やかに鎮圧を行い無かったことにされてしまうが人の口に規制をかけることは出来なかった。
与党に見切りをつけたら野党にと走るのが常ではあるが、ここに新たな選択肢を加えることにより収拾がつかなくなる状況を求めてパストラが活動する。
国外に在るのがマイナスではあったが、自由連合と協力体制をとることにより政権打倒の形を整えた。
現政権を退陣させた後に選挙を行い勝負の白黒をつけようと。
相手に勝ち残りの目を認めるのは痛いが何せ打破するには単独では無理と判断した結果である。
何もパストラが大統領になるのが唯一無二の可能性でもないだろうと島も様子を見守る。
そんな中、崩壊の促進を行うめにチナンデガ攻略作戦をついに発動するのであった。
奇襲だの夜襲だのというのは屋外であるからこそ有効な場面があったりする、逆は少ない。
チナンデガ北東部に展開するクァトロ部隊は無言で市街地を見つめていた。
午睡の時間帯を狙い四ッ星旗を掲げた兵士らが集団で駆け足を行う。
ある者は面倒臭そうな顔で睨み、ある者は逃げ惑い、たまに手を振って応援してくるものがいた。
白昼堂々と作戦行動をする異例なクァトロ部隊を見てあちこちへと通報が拡散する。
それと同時にチナンデガ各所に向けての電話攻勢も始まっていた。
混乱を嘲笑うかのように北の空から戦闘攻撃機がやってくる。
事前に攻撃先は通知されていたために陸軍司令部を目指し滑空した。
不意に戦闘攻撃機が左右にバラバラに散って退避する、地上からの対空砲火にさらされたのだ。
だがしかし次はなかった、発射元が露見している以上は反撃を受けて然り、とって返した機により三十㎜機関砲を撃ち込まれ穴だらけにされてしう。
予定より遅れること五分で陸軍司令部に爆撃が開始されるのであった。
アラートが鳴り響き早口のスペイン語で忙しそうに状況が告げられる。
ジューコフ少佐は渋い顔をして何とか聞き取ろうとするが困難だった。
仕方なくピストレットを腰に下げて部屋から出て司令部一階のロビーにと降りる。
あたりを見回して一人兵士を捕まえると何が起きているかを尋ねる。
「クァトロが攻めてきてグリンゴの攻撃機がここを爆撃しにきます!」
「司令部を爆撃だと!?」
ロシアならば、いや世界中の大抵の軍がある国家ならば空爆によって上物は壊されても地下は堅牢で平気なものだ。
しかしエレベーターに乗った時に地下の表示が無かったことを思い出してロシア語で毒づく。
「これだから三等国家は!」
兵にもう用事はないから行けと犬を追い払うかのようにシッシッと手をやる。
――畜生がどこが安全だ、連隊にでも逃げ込むか。
散り散りになってしまうようなところよりも秩序が保たれている方がより安心だと考え司令部を後にする。
B中隊が政庁に踏み込んだあたりで爆撃音が鳴り響いた。
窓から身を乗り出して何事かと様子を窺う人物の多いこと。
一階出入り口に簡易バリケードを設置して政庁から逃げ出せないようにする。
四人ずつに別れて館内を回り職員を一カ所に集める。
途中明らかに職員ではない窓拭きや掃除婦と擦れ違うと「気にせず続けて」など言っていたがそれどころではない。
集められた職員に向けてスピーカーでハラウィ大尉が主旨を説明する。
「現在政権交代の為に下準備中でして、現政権を支持する方はこちらに残り、そうでない方はオフィスへ戻って職務の続きをどうぞ」
そう言われてこの場に残るのは余程の大物か余程の馬鹿である。
二十名程が居残り身分証を提示させられると、局長や部長などのポストについている者たちであった。
冗談でも政権交代だの支持しないだのとは言えない立場である。
「あなたがたに選択肢を示します。一つ、速やかに退職して自らの生命を大切にする。二つ、速やかに反政府活動に染まる。三つ、いずれも拒否して銃殺」
流石にざわついて互いの顔を見合わせるが、やはりわけもわからず命を失うのは誰しもが嫌でほぼ全員が退職を選択した。
その姿勢をしめしている限りどこか違う街で再就職も簡単なのだろう。
たった一人残った局長がクァトロを支持してみようと述べると部隊から拍手喝采で迎えられ満更でもなさそうだった。
館内放送にラジオ局からの放送が流れてくる。
気を利かせた誰かがボリュームを大きくした。
「反政府組織クァトロである。たった今チナンデガ市をオルテガ政府は放棄した。国が傾き失業者が増えそれでも自らは豪奢な車に乗って贅沢をしているオルテガは許されるのだろうか! 国民から絞り上げてうまい汁を吸うなんて王家もオルテガも沢山だ! 我々の未来は自らの手で掴み取ろうではないか、もうそれは伸ばせば届くところにあるのだから!」
テレビ放送に目をやっても反政府運動のシーンばかりを繰り返して放送し続けている、テロップにはミスキート族の自治を支持するとも流れる。
オフィスに戻った職員達に対して行った残党狩り、つまりは告発された者達は十人を越えた。
彼らにはその場で退職を強制し、姓名顔写真を揃えて次に公務についていたら排除すると脅迫して追い出した。
「C中隊海賊放送開始しました」
「B中隊も政庁占拠完了のようです」
指揮車両に陸軍司令部爆撃の情報ももたらされる。
――さあ出て来いよジューコフ!
「指揮車両、A中隊、目標は確認したか」
「A中隊、指揮車両、どうやら街の東にある郊外にキャンプ中の模様」
「詳細を」
これを叩くとなるとかなりの被害を覚悟しなければならない、しかしこれ無くしてはクァトロもまた立ちゆかなくなるだろう。
「地番二十二南四、チャド空港程度の広さに凡そ八百が駐屯」
適当なサイズが浮かばずに昔作戦したことがある場所で説明する。
――やけに少ないな、中隊一つ別行動でもしているのか?
「了解、そのまま待機せよ」
「指揮車両、B中隊、現地より地番二十二南七へと移動せよ」
「B中隊、指揮車両、了解」
警察署にはC中隊から小隊が派遣されていた。
こちらは銃を構えて乗り込むと抵抗らしい抵抗はなかった。
署長クラスは当然政権側であるが、一般警官らは政治的活動を目的とした騒乱には加わることも阻害することもない。
銃撃戦を行えと命令しても遵守する警官が少ないだろうと署長も沈黙により中立を決め込んでしまう。
今更旗色を変えるわけにも行かないだろうと判断した中尉が小隊を引き上げさせる。
一応海軍側の司令部にも哨戒部隊を出したがやはり基地から避難して港から出航してゆく艦艇多数との報告が上がってきていた。
――場は整った、ジューコフが居るか居ないかは運次第だ!
じっと各部隊が配置場所にまでたどり着くのを待って目を閉じる。
戦争を起こしているのに銃撃音も無ければ飛行機の爆音も今はない。
固定の建物を壊すには適当であるが人間を狙うには速度が有りすぎる為に攻撃機は引き返していったのだ。
司令部で徴発した車で野戦連隊の駐屯地にと乗り付けたジューコフ少佐は警備兵に止められた。
「貴様等では話にならん、上級将校を連れてこい」
流石に軍事顧問の話を聞き及んでいたために伺いをたてる、するとフェルナンド大佐が自ら登場してきたものだから少佐も満足する。
「軍事顧問ジューコフ少佐です」
「当連隊長のフェルナンド大佐だ」
続きは幕舎でと誘われて奥へと進む。
駐屯地からでも市街地に爆撃があったのを確認しており、それが陸軍司令部なのも把握していた。
だからこそわざわざ郊外に軍を置いていると言える。
「少佐がやってきた理由を聞かせてもらおうか」
「司令部が爆撃により倒壊し散り散りに退避するよりも、秩序ある連隊による反撃を望むからです」
真っ向司令部批判に取られてもおかしくない内容ではあったが、フェルナンドも逃げずに戦えと叫びたかったので頷いた。
「して少佐は連隊に何をもたらしてくれる?」
値踏みするかのような視線を投げ掛ける。
「Suー25k地上攻撃機を首都から三機飛ばさせましょう」
「うむっ! あの機か……よかろう少佐を臨時で幕僚に連ねよう」
「では首都までの通信だけ繋いでいただきたい。軍事顧問らが出たら自分が替わりますので」
大佐としては空軍の許可をどのように得るのか興味あるところであった。
中隊を一つ引き連れて集落を巡察しにいった副長からの連絡が無いのが気にはなったが、まさかクァトロが士気に満ちていたとしてもわざわざ本拠地に乗り込んできた上で、自らよりも多数の軍勢に攻撃はしてこまいと落ち着いていた。
――引き揚げたところを追撃してやればいい、そうしたら敗戦の中で俺だけ勝ち組だ!
通信担当が少佐にと替わる。
「俺だ、グラーチュで三人ともチナンデガに来るんだ!」
「ダー。最短で八十分かかります」
「構わん制止は全て無視しろ、俺の命令だ」
「ポニャル!」
通信を切断して向き直る。
「部下なんてのは命令してなんぼですよ。さあ到着までの間に作戦を練りましょう大佐」
信じられないものを見たかのように目を丸くして小さく頭を上下に動かすのであった。
――まさに独断専行だな!
指揮車両に最後の部隊が戦闘配備についたと報告が上がる。
珍しく島自らが通信機を手に取り部隊全体にと向ける、敵味方全てが受信するであろうことを知って攻撃を命じるつもりだ。
「イーリヤ中佐だ。チナンデガ市街地は悉く反政府に染まった、守備兵は戦わずに逃亡する有り様、残るは郊外に駐屯している部隊のみだ、各位の奮闘に期待する、攻撃開始!」
戦闘要員だけで六百人を越えたクァトロがついに昔日の因縁相手に銃口を向けて進む。
最初に機械化小隊からの機銃が放たれた、やや遅れて歩兵ライフルが多数鳴り響いた。
不思議なことに敵からの反撃が鈍かった。
だが部隊はそれを士気の欠如だと受け取り積極果敢に距離を詰め始める。
肩付けしてロケット弾を撃ち込むとあちこちで派手な爆発が起きる。
RPGー2と呼ばれる一昔前のソ連で作られた傑作品は世界中の歩兵の頼れる兵器として利用され続けている。
後継のRPGー7より一回り弾頭が小さく威力や射程の面では劣るが、なんといっても使い回し出来る上に安価、これにつきた。
威力が小さいとは言え装甲を少しだけ追加したような、例えば島の装甲指揮車両などは命中したら砕け散るのは間違いない力位は持っている。
一番乗りを果たしたのはA中隊所属の突撃分隊であった。
その分隊長はプレトリアスと共にあの館に突入したビダ伍長で、今回も自ら先頭で分隊を率いている。
A中隊には特に多くの兵が配備されており大隊長直属の中隊として編成されている。
島がこの中隊を取り上げて替わりに大尉を他中隊に据えるか、同じ中隊に司令部を重ねるかが普通と言えば普通である。
それをせずに島が付属するような形になっているのは、遠くない未来を見据えてのことなのだろう。
広さだけならばかなりの敷地ではあるが、塹壕やら宿舎やらの施設がバラバラと存在するだけで要塞化されているわけでもない。
臨時の移動を主体とする野戦連隊が逗留先に恒久的な要塞を持つのが異常なので不思議はない。
防衛ラインを何とか維持しているような様子は先ほどから変わらない。
大佐が悠長に構えていて攻撃を受けて初めて各自反撃と叫んだなどとは島やロマノフスキーでは想像出来ないだろう。
時に人は自分が出来ることは他人も出来ると勘違いしてしまうのだ。
全体が危なげなく有利に動いている、戦闘経験の違いが現れたかのように。
「第7哨戒部隊、指揮車両、国道に履帯跡がありそちらに向かっています」
「指揮車両、第7哨戒部隊、履帯幅と跡の本数を確認せよ」
事前にキャッチ出来たと思った瞬間に突如耳をつんざくような音と、車両を上下させるような物凄い衝撃がやってきた。
乗員も一時的に意識朦朧とし、島もあちこち派手に体をぶつけて何をしている最中だったか一瞬不明になる。
「直撃でも受けたか!?」
そう聞いてもまだ皆回復しておらずに唸っている。
自らスピーカーを使い衛生班を回すようにと手配する。
指揮車両から下車してみると遥か彼方から移動してくる戦車が見えた。
「畜生がまぐれで掠ったか!」
指揮車両被弾との報を受けて慌ててやってきた衛生兵に治療を受けながら戦車の処置を考える。
運び出された通信兵らは担架のまま木陰へ並べられる、負傷はしても死亡は無いようだ。
暫く使ってはきたがこの場では利用不能と判断し、指揮車両からC中隊の指揮所に移ることにする。
島が指揮所に入ると要員が起立敬礼で招き入れる。
「きついのを一発貰ったようですが、生きているのが幸運でしょう中佐殿」
戦車砲なんか掠っただけで即死が常識とばかりに。
「俺は幸運の女神にダース単位で知り合いがいてね。暫くここを司令部としてつかわせてもらう」
ご自由にと中尉が自身の居場所を譲り隣に立つ。
「いま噂の戦車を相手にするため分隊を向かわせています。一両だけなのでどうにかするでしょう」
随伴歩兵が居なかったり単独の戦車は案外対処しやすいと言わんばかりに報告する。
「RPG2を何基か与えておけば最悪足は止まるだろう。通信兵が全滅中だ、中隊から召集して補充を」
「揃うまではこいつら丸ごと併用してもらいましょう」
幸いなことにアフリカーンズ語を理解する伍長がここにも居るため三点間での長距離無線は機密性を保てるままとなる。
ようやく椅子に座り落ち着いたので各部の状況報告を行うことにした。
A中隊が敵陣に楔のように刺さり他は包囲攻撃中、そのように簡単に整理して考える。
――B中隊にも押し出させて端を隣接させたいところだな。
「司令部、B中隊、攻撃を強めてA中隊との接点で連携可能にさせろ」
「B中隊、司令部、了解」
指揮車両から司令部へと名前を変えたが特に混乱も動揺も感じられなかった。
相変わらず敵の動きは鈍い、それなのに崩壊はなかなかしない。
頑張りなのか何かの策なのか判然としないまま少し時間が流れる。
「A中隊、司令部、B中隊と接触、同時攻撃命令を具申」
――やるならばそれがよかろう。
島が了承をと通信兵に返させようとしたその時、別の箇所で受信する。
「B中隊、司令部、後方より民兵と敵中隊が出現、予備で緊急交戦中、至急来援願う」
「司令部、B中隊、了解。敵本陣への攻撃を引き下げ防御に移れ」
返事を途中で差し止めて優先順位の高い内容から命令を与えてゆく。
「マリー少尉に機械化小隊でB中隊の後背から迫る新手を至急攻撃させろ!」
足を止めさせておいて予備を補充してやらねばと自らの総予備から二個分隊を走らせるよう軍曹に命令する。
「通信、A中隊には協調攻撃を却下と伝えろ」
他に何か忘れてないかと少し考える。
「中尉、戦車はどうなった?」
「追尾交戦中です」
――民兵を連れての側背伏兵攻撃を仕掛けてくるとは一筋縄ではいかんぞ!
A中隊でも少ししてから新手がB中隊側に現れたと知って一斉攻撃を断念する。
時間がたつにつれ数に押されて進出した陣地域を少しずつ喪失していった。
機械化分隊二つが敵増援を左手に捉えて距離を取り縦陣のまま側面を激しく機銃掃射する。
その一連射で民兵は伏せて動かなくなるが、敵中隊は変わらずにB中隊に向けて攻撃するのを緩めない。
「機械化小隊、司令部、やっこさん気合いが入ってますぜ、威嚇じゃ足留めにもなりそうにありません」
マリー少尉はフランス語で報告を上げる。
「司令部、機械化小隊、解っている可能な限りで構わない。白兵戦を仕掛けたりはしてくれるなよ」
「あの時はレジオンの独壇場だったらしいですからね。中距離射撃だけで援護しておきます」
少尉の視界先に小さく蠢く兵を射的のように狙う車両が入ってくる。
北の空から何かが近づいてきて、それが戦闘ヘリだとわかるとクァトロ兵らが活気づく。
「ヒャッハーブラザー華麗に推参だ!」
誰がブラザーなんだと突っ込みを入れたくなる、大佐の幕僚にはなかなか面白い人材がいるようだ。
「クァトロのイーリヤ中佐だ、来援に感謝する。広場に集まっているうち黒は味方なので誤射に注意を」
ニカラグア兵は緑のパターン軍服なので目視で判別可能である。
クァトロは反政府武装組織ではあるがテロリストではない、そのため軍服を着用して戦闘行為を遂行している。
この差は大きく交戦権を得られるかどうかで非常に重要な要件を占めている。
テロリストを捕縛しても捕虜になる権利は与えられず、かといって非人道的と拷問などをしてもいけず、結果として捕縛の後に処分これが何故か抗議が少ないのも不思議なものである。
チョッパーが緑の固まる場所にこれでもかとロケットや機関砲を撃ち込む、その度に黒いものが進出して陣地を奪ってゆく。
「中佐、戦車の破壊に成功したようです」
「そうか戻ったら報奨を与えたいから名前を調べといてくれ。人が戦車に立ち向かうのはかなりの勇気が必要だからな」
人を殺すためだけに生産された鉄の塊に銃口を向けられ迫られて平気なものがいたら教えてもらいたいものである。
執拗なまでのつきまといで敵中隊に攻撃を続けている機械化分隊、一定の成果は上がっているようだが劇的なところには至らない。
――マリーとビダをセットに突撃小隊を編成したら相乗効果があるかも知れんな。
緩い任務では冴えが見えないため適性が違うのだろうとメモしておく。
ふとしたところでチョッパーが慌てて北へと進路をとる、何か嫌な予感が胸を過ぎるのだった。
国際港では様々な情報のやり取りが行われていた。
その中でニカラグアとクァトロの紛争が上位に連なって数ヶ月、ついにチナンデガ市内に侵攻すると噂が流れて軍兵が姿を見せ空爆が始まったので軍艦はこぞって湾内から洋上に離脱した。
狭い箇所では何か起きても身動きが取れないためである。
その避難組の中の一隻、統合情報作戦室では士官らが無線に集中しながら成り行きを楽しんでいた。
娯楽が少ない上に訓練にもなるため室長は黙って眺めている。
そこへキュリス中佐も入室し模様眺めに加わる。
各所での会話を一カ所で集めて聞くことが出来る指揮者用の椅子に座り室長に尋ねる。
「どうだね彼らは」
「クァトロのイーリヤ中佐ってのはなかなか度胸がありますな、中隊三つで都市に切り込み守備隊は敗走しました」
どのような戦いで敗走したかまでは緊急出航している最中だったため把握していない。
「先進地域では考えられない結果だと私も思うよ。チョルチカではダオ中佐とも呼ばれてるようだ」
「するとアメリカではアイランド中佐ですね」
スピーカーから通信があれこれ漏れ聞こえてくる。
殆どが戦闘交信なのでスペイン語がさっぱりだと意味が分からない。
たまに英語やフランス語が混ざる程度ではあるが、スペイン語担当が必死に通訳を続ける。
「チャドラチュトヘヴンってなんだっけ?」
チャド空港だろと誰かが声を上げる、不明単語のメモをチェックしているのだ。
「おっ、フランス語の無線だ……何々レジオンの独壇場だった?」
その部分は出力が強い指令用が使われていたようでやけにはっきりと届いたようだ。
キュリスらもこんな場所でレジオンとは驚いた。
「まあ世界中どこに現れてもおかしくはありませんからね」
「全くだ少佐、彼らならばな。だが現在外人部隊はニカラグアに展開してはないないそうだよ」
故あってその存在を気にしていることを明かす。
レーダー監視から「チョッパー四機が戦場に向かっています」と報告が入るやすぐに「Suー25k三機も南から戦場に向かっています」と追加された。
「チョッパーとスホーイでは勝負にならん、今回はクァトロの負けになるかも知れんな」
空戦司令のキュリス中佐が地上攻撃能力の高さを理解しているためそう呟く。
「自分もそう思います。しかしいつからニカラグアはそれを保持していたか、保有宣言がなければ国籍不明機とかわりありませんからな」
機体に国籍マークがついているなら中途でも良いだろうが。
適当なところで切り上げようと腰を浮かせると士官らの会話が耳にはいる。
「俺イーリヤ中佐っての見たぜ、東洋人の男で三十歳位の格闘がやたら強いやつなんだ」
「どこで見たんだよ」
「チョルチカの市場でだ、米兵二人相手に秒殺だった」
「そりゃ強いな。東洋人って?」
「多分あれは日本人だと思うよ、自信はないけどテレビでトーキョーの人間を見たことはある、似ていた」
――日本人だと? 自衛隊以外で戦争に関係する日本人は少ないな。
「おい誰か、イーリヤやダオを日本語に出来る奴はいるか?」
通信兵がパソコンを操作して少しするとどちらも同じ単語であるため答える。
「はっ、いずれもシーマであります中佐」
「うむ!」
詰まった声だけ残してキュリス中佐は慌てて退室していった。
その日は珍しくオルテガの機嫌がよかった。
国連の議決でアメリカが提出した案が否決されたからである、内容は何でもよかった、ただ否決されたのが嬉しいのだ。
ウンベルトがそれを知ってか知らずか党首室へと報告の為にやってきた。
「閣下、定期報告に参りました」
部屋には秘書官の他に見慣れない事務官が一人いた。
「ウンベルトか丁度いいお前も報告を一緒に聞いていけ」
「はい」
何だろうと思ったが兄がご機嫌なため黙って従う。
「オルテガ中将閣下、初めまして情報部のマドラス審議官です」
自己紹介を行い一旦言葉を区切ると大統領にと向き直る。
「調査報告致します。イーリヤ中佐、チョルチカでは一部ダオと自称している東洋人で三十歳前後と判明しました。ダオはベトナム語のイーリヤなので大柄なベトナム人なのかも知れません」
――何ベトナム人だと? そうするとベトナム語をまだ隠し持っているわけか。
ウンベルトは前に感じたものを確信した、イーリヤ中佐はきっとまだ驚きを秘めているだろうと
「中佐は英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、、アラビア語を理解し恐らくはベトナム語もそうでしょう。事務をオズワルト少佐、戦闘をロマノフスキー大尉に補佐させて組織を運営。経費は現金支払いで出元は不明ですがレンピラが給与に渡されています」
「レンピラを現金払いでは地元の信用も強かろう。語学堪能な若者か、それでいて搦め手まで巧いときたら言うことはないな」
努力無しでそうなったわけではないのを承知で評価する。
オルテガに限らず有能な敵を認めることは良くある話で、無能な味方とどちらが害になるか比較されるのだ。
「そんな若者が部下にいたら権限を与えたくなるか、逆に自らの地位を追いやられるのを警戒するかですな」
「ウンベルトならどちらだ?」
「今の自分なら地位と権限を与えて孫娘でもいようものなら嫁に出したい位です」
有能な味方にするのが一番だときっぱりと答えをだす。
ダニエルもそれが出来るならそうしたいと相槌をうつ。
「して定期報告だったか」
すっかり感心してしまい来た理由を忘れてしまっていた。
「そうでした。コスタリカ方面に部隊を配備して攻撃準備をさせています」
「うむ、それでコスタリカがパストラの亡命をノとも言うまいがね」
抗議の為に武力を行使する、それが中米の常識である。
戦いもしない抗議も遺憾の意だけの腰抜け国家が近くにあったら近い将来国としての存在が怪しくなってしまうだろう。
ちらりと外を見ると戦闘機が飛び立って行くのが見えた。
「あれは?」
「ロシアからの供与機でスホーイ25ですな。現在訓練中なのでしょう」
維持管理にかなりかかるが自国で生産するなり購入するのとでは桁が三つは違うために、条件二つ返事で了承してしまったのだ。
とはいえ空戦することはまず有り得ないので、本当ならば攻撃ヘリコプターが欲しかったところである。
――しかし国連というのは列強の言い分を認めさせるための機関であると同時に、小国は票を売ることが出来る金のなる木だな。
目の前敵にばかり弾丸が降り注ぐ変則タッグマッチは長くは続かなかった。
ロマノフスキーは指揮所を前に前にと押し出して強引に中心部へと進出していた。
ボックス型に陣形を作り上げ四方を包囲されてでも戦うつもりである。
――チョッパーが急遽退いた?
その瞬間に中隊の足が止まる、正面で頑張る敵を抜けなくなってしまったのだ。
「大尉、正面の隊が連隊旗を掲げています!」
指摘されて目を凝らすと確かに旗が見えた。
その下に一人だけ容貌が違う男がちらりとだが垣間見える。
――ジューコフ!
立ち上がりあまりにも一点を凝視し続けているためプレトリアスが手を引いてしゃがませる。
「大尉危険です」
何か言い返そうとすると今度は南の空から三角の何かがもの凄い速度で飛来する。
――スホーイ! だが国籍マークは無しか。
ソ連邦崩壊後もグルジアの首都トビリシで製造され続けている、しかし殆どがロシアに輸出されている。
グルジアとロシアの紛争ではスホーイ同士が戦う為に誤射が幾度もあった。
すぐに通信機をそばに置かせる、交信は間違いなくロシア語だからだ。
「A中隊、司令部、スホーイ三機飛来、これの傍受行います」
アラビア語を使いロマノフスキー自らが交信する。
「司令部、A中隊、こちらでも試みる、そちらは戦闘に集中するんだ」
確かに傍受に意識を向けながらでは注意がそれがちになってしまう。
だが敵のロシア語を聞いた島は自身の理解度が不足しているかと思うような内容を受信してすぐにロマノフスキーに確認する。
「俺だ、連隊旗のそばに居る者以外は敵味方構わず攻撃しろ、と聞こえたが聞き違いだろうか」
「中佐の耳は確かです、そうでなければ敵が狂っている計算になりますが」
ジューコフにとってはニカラグア兵なんぞいくら死のうが構わない物でしかない。
それが現実になるまで長くは掛からないだろう。
「司令部より全将兵に告げる、地上攻撃機が接近してきたら全力で回避せよ、いつまでも飛んではいられないはずだ!」
言ってはみたが特に逃げ込める何かは殆どない。
――ジョンソン大佐に救援要請だ!
衛星電話をとりプッシュしようとすると電源が入っていない、何度かカチカチするも暗いままである。
――指揮車両に被弾したときに故障したか!?
何となくそんな覚えがある。
かといって今ある機材ではアメリカ軍基地まで出力が足りない。
旋回して戻ってきたスホーイが手始めに外周部に爆弾を降らせて包囲を緩めさせる、一機は左右の連装機関砲でロマノフスキーの中隊を中心に敵味方関係なく数を減らしてゆく。
「巻き添え覚悟でやりやがったな!」
つい声を上げてしまう。
司令部に被害報告が続々と寄せられる。
幸い旋回してまた軌道を直して突入するまでに数分は必要とするためにこの間に対策をと考えるが地上からの攻撃手段もなく往生してしまう。
どうやら本当に同士討ちに目を瞑る攻撃してきたようだとロマノフスキーはジューコフの性格を下方修正した。
陣形を保とうとすると被害が重なり戦えなくなるのは時間の問題となる。
「上級曹長一か八かだ、戦列を無視して飽和浸透攻撃で敵の連隊旗付近に混在するぞ!」
「了解、一分下さい」
プレトリアスは小隊に命令をスペイン語で復唱する。
島に言われて密かに設置したロマノフスキー護衛班はここぞとばかりに大尉に注意を向ける。
敵に聞かれても数十秒では何ともし難く、一部の犠牲を承知で無理矢理に白兵戦へと移行していった。
一度こうなると統率を回復するのは極めて困難になる、だがそうなれば確かに空からの攻撃は受けなくなるのも理解出来た。
「目の前の敵一人に二人以上で当たれ!」
大尉自ら声を張り上げて命令する、昔にあった軍制では、中隊を率いる者は自身の声が届く範囲までを指揮したらしい。
その制度が残っていたとしても彼は充分資格があることが証明された。
「空爆またきます!」
司令部で窪地に伏せるよう声がかけられ一時的に完全に機能を喪失する。
機関砲掃射のついでに爆弾を投下してゆく、憎いことに五十キロ爆弾ばかり積んでいたようで被害が広い面で発生してしまった。
また通り過ぎて行ったが繰り返されると戦闘不能になってしまう。
一旦退却命令を出そうと島が決心したところに通信が入る。
「こちらフランス軍キュリス中佐、シーマ中佐はいるか!」
突如イーリヤではなくシーマ中佐と名指しされてキュリス中佐が何者かを思い出そうとするがわからずに終わる。
「私だ、貴官は?」
取り敢えず返事をするが警戒したまま相手をする。
「元レジオンのシーマ軍曹か?」
「そうだが……」
「そうか! チャドでの恩をやっと返せるな、スホーイは任せろ!」
――チャドだと? ……あの不時着機の機長か!
「サン・ジョルジュ空戦司令、飛行小隊、国籍不明機を撃墜せよ!」
「飛行小隊、ダコール」
大きく旋回してスホーイがまた爆弾をばらまきに向かってきた。
西側海岸より途轍もない速さで何かが飛来してスホーイに一つ二つと命中して全てを空中で破壊してしまう、一瞬何が起きたか解らずに爆発した機体を眺めてしまった。
「飛行小隊、空戦司令、国籍不明機スプラッシュ、帰投する」
「サン・ジョルジュ、了解」
我に返った兵士が撃墜に大喜びして声を張り上げた。
地上からの広域整理情報提供がなければ戦闘機はあまりに無力である。
個人に捌ききれる量を越えた情報を山ほど与えられても混乱に拍車をかけるだけなのだ。
「キュリス中佐、撃墜感謝します! しかし何故あんなに早くに?」
どう考えても確認してからスクランブルをかけたら十分はかかるだろう。
「とある一件から軍人は押しが必要と知らされてね。気になったから早期離陸で滞空させていた」
とある一件の関係者としては笑いがこみ上げてきたが自分の仕事を忘れてはいけない。
「後ほどご挨拶に伺います。それでは自分は任務がありますので失礼します」
「司令部、各隊、戦況報告を行え」
まずは状態の把握とばかりに呼び掛ける。
近くにいる中尉が一足早く報告する、アフリカーンズ語を通さない分である。
「C中隊、攻囲状態維持、継続戦闘可能」
それにやや遅れて機械化小隊にはフランス語で通信してやるよう付け加える。
――正規の通信担当でないのを失念していた。
「B中隊、司令部、包囲前面戦線維持、後方の民兵は行動停止、敵中隊と激しく交戦中」
「A中隊、司令部、敵連隊本部と白兵戦中、敵味方混在のため戦況不明!」
――空爆を避けるために懐に飛び込んだのか!
だがプレトリアスが返事を寄越してきたのだから二人とも現在は無事なのがわかった。
「機械化小隊、司令部、敵中隊に攻撃中、あと半分の予備が控えています」
包囲の外側に居る敵中隊が厄介な存在と思える、事実足枷となり集中した行動を阻害されている。
「司令部、B中隊、白兵戦を支援する、切り込み部隊四十人を抜き出せ、予備を代わりに送る」
「B中隊、司令部、了解」
自身の護衛分隊二つとC中隊から分隊二つを集めて軍曹に率いさせB中隊まで走らせる。
「司令部、機械化小隊、マリー少尉に特命を下す、手持ちの二個分隊でB中隊に合流、選抜歩兵四十名を指揮してA中隊の白兵戦に加勢するんだ!」
「機械化小隊、司令部、景気の良い命令拝領しましょう」
これで穴埋め出来るところはしたと一息つく。
次をどうしようかと構えたところで報告が入る。
「B中隊、司令部、友軍らしき民兵が現れて敵中隊を更に後ろから攻撃し始めました!」
――ようやくお出ましか、さぞかし高く自分達の戦力が売れたと思っているんだろうな!
だがせっかく現れた味方を利用しない手はない。
「司令部、B中隊、白兵戦になれば包囲は緩めていい、後方の敵中隊に攻撃を集中して味方と挟撃を狙うんだ」
「B中隊、司令部、やってみます」
包囲を緩めてしまうならば一カ所だけきつくしても意味がない、C中隊も命令を変更させようとする。
戦線を縮小して出てくる余りを何に使うべきか思案して一つの賭けに出た。
「中尉、包囲の両端を退かせて本部の待機と交代させる、予備でB中隊側の敵性民兵を威嚇するんだ」
「すると動いてないのが攻撃してくるのでは?」
もっともな疑問でもありポイントである。
「わざわざ出て来てすぐに戦わなくなったならば嫌々従っているんだろう、チナンデガは放棄された政権から見捨てられた、残党狩に参加したら不問だなどと絡め捕るんだ」
「確かにそうかも知れませんね。いずれにしても敵味方不明の戦力を戦場に置かないのは賛成です」
中隊の編成を確認してあれこれと指示を出し始める。
――もう一手欲しいな! 今度は一番小さくてよいから曲線攻撃できる迫撃砲を用意しよう。
武装ジープから飛び降りてマリー少尉が声を張り上げる。
「軍曹点呼!」
四列に並んだ歩兵が順に番号を叫ぶ。
「四十名揃っております!」
「よし、フィックス バヨネット!」
そう声を上げて銃剣を装着して武装ジープの分隊長らに制圧射撃を命じる。
軽やかな連射音が流れると右手を突き上げてから敵の集団を指差す。
「チャージ!」
左右に兵を従えて小銃を構えてろくに狙いをつけずに発砲しながら突撃する。
今までとは違う方向から突然数十の戦力で一点に圧力が加わり俄に戦列に穴があく。
武装ジープが移動しながら間断無く射撃を行う、脅威を取り除こうと立ち向かう敵を真っ先に撃ち倒してしまう。
ほんの少しではあるが高い位置からの射撃はし易いらしく命中率が良い。
何より先頭に立ち銃剣を手に進むマリー少尉の活躍が凄い、不意に近付かれた相手は銃剣を装着している暇がなく銃床で殴りかかるがそれをあしらい刺し返す。
無理に引き抜こうとせずに一発撃つとその反動で刃が肉体から抜ける。
二十分程も戦いながら進むと連隊旗を廻る戦いが行われている場所にたどり着く。
そこに一つの輪が出来上がっており中で二人の男が対峙しているのであった。
銃剣を手にした男はロマノフスキー大尉で、その前にいる男は当然マリー少尉には見覚えがなかった。
周りの兵と違う軍服を着用しているが肌の色が白いため現地人でもないのがわかる、それがロシアからの軍事顧問と気付くのに数秒も必要としなかった。
「ロマノフスキー少尉、いや今は大尉かまた会えて嬉しいよ。中々同じ男を二度殺すことは出来ないからな」
ナイフを構えて舌なめずりする。
刃渡りは二十センチ見当だが油断してはならないのを大尉は知っていた。
ジューコフが手にしているのはスペツナズナイフなのを熟知しているからに他ならない。
「ジューコフ少佐、仲間を巻き添えにするような狂った命令を出したのは貴様だな。今度はロシアの圧力に屈する必要はない、手加減はしないぞ!」
銃剣をしごいて一歩二歩と距離を詰める。
「ほう手加減してもらっていたとは知らなかった、全力で掛かってくると良い、そして絶望を感じろ!」
そう言うが早いか残りの距離を一気に詰めてくる。
ナイフで首筋を狙うが銃剣を当ててそれを弾く、すると素早く二度三度突いてくるがギリギリ引き付けてかわす。
銃床で胸を打ち据えようと捻るがジューコフもそれにあわせて身を引く。
「少しは出来るようになったようだな」
「ほざけ外道が! 貴様のような奴が居るからウズベクは脅えて暮らさねばならんのだ!」
銃剣を突き出し引き際に捻り銃床で顎を砕こうとするが上体を逸らしてかわされる、膝を踏み抜こうと軍靴を少し浮かせて斜めに落とすが逃げられる。
「どうやらレジオンに居たというのは事実らしいな、泣いて許しを乞えば部下にしてやってもいいぞ」
「死んでもお断りだ! 今すぐに貴様を大佐に昇進させてやる!」
攻撃に移ろうとしたところでジューコフがスペツナズナイフのボタンを押した。
バネで推力を得た刃がロマノフスキーの喉を狙い飛来する、少しだけ身を捩る猶予を得られたのは彼の身体能力の高さからだろう。
ギッと金属が擦れて不快な音と衝撃が手に伝わる、銃口にあたり銃剣がぽっきりと折れてしまっていた。
小銃を捨てて拳を握ると殴りかかる、思い切り顔を殴ってやりたいがラッキーヒットを期待出来る相手ではないのを感じてガードの上から当てたり腹に当てたりする。
しかしここはリングの上ではなく戦場であった、流れ弾がロマノフスキーの腿を掠る。
一瞬バランスが崩れるのをジューコフは見逃さなかった。
拳を振り抜くとロマノフスキーが顔面へもろに打撃を受けてフラつく、トドメだとばかりに深く踏み込み体重を乗せて拳を突き出す。
ところが今度は弾丸がジューコフの腕を貫き転倒する。
薄れていた意識を取り戻した大尉が倒れている男に覆い被さるようにのしかかる、膝を喉に押し当て体重をかけた。
「ザスヴィダーニャ!」
じゃあな、と言い捨てる。鈍い音が聞こえ頸骨が折れてジューコフは即死した。
肩で息をしながら立ち上がりあたりを見回す、すっかり戦況が頭から抜けてしまっている。
「大尉、B中隊から白兵戦部隊が増援されたようです」
上級曹長が駆け寄り報告する。
「連隊旗を叩き折れ! 司令部に報告、A中隊は敵連隊本部を蹂躙、と。スペイン語でだ」
体のあちこちが痛むがそれを無視して命令を下す。
ご丁寧に敵に伝わると都合が良い内容を共通語にしてわざわざ聞かせる。
白兵戦隊を率いたマリー少尉がやってくる、全身返り血なのか傷なのかで凄まじい状態である。
「大尉殿、司令の命令で増援に参りました。不要でしたかね」
活き活きと言葉を発して目を輝かせる、適性はここにあると言わんばかりに。
「不要だと言いたいが無理をしてきたからな、散らばっているやつらの加勢を頼む」
「ダコール」
部隊を四つに分けて苦戦している場所に散らすと武装ジープを招く、大尉の護衛に四台残して自らは白兵戦相手を求めて繰り出していってしまう。
「司令部、A中隊、ご苦労様、顛末は後程。全軍に告ぐイーリヤ中佐だ、敵連隊本部は陥落した、我らの勝利だ勝どきをあげろ!」
戦場のあちこちで勝どきが上がると流石に勝負あったと判断したのか敵が散り散りになり逃走してゆく。
民兵もC中隊からの部隊が接近すると降伏した、これを拒否する理由もないので受け入れて武装解除してしまう。
追撃禁止命令を出して負傷者の収容を急がせる。
勝って兜の緒を締めよと注意力を高めるため、集合してから多方面に哨戒部隊を派遣する。
自身も軽く戦場を巡ると敵兵ではない民間人らしき少年、恐らく二十歳にはなっていないだろう男が横たわっているのを見つけた。
「おい大丈夫か?」
声をかけても気絶したままではあるが生きているようだ。
腹の部分に血がにじんでいるので放っておくと失血死してしまうかも知れない。
「衛生兵こっちに重傷だ!」
手招きをして治療してやるように手配する。
チョルチカから輸送トラックがやってきて中程度以下の負傷者を運んでゆく、重傷者はチナンデガの病院に運び込まれた。
衛生兵の見立てでは中傷にあたるらしくトラックへ運ばれてゆく。
ニ時間ほど戦場掃除を行い隊列を整えると部隊はチョルチカへと引き上げていった。
クァトロを見る目が好意的な者も、そうでない者も込みで争いの終わりそのものにはほっとしている。
この結果がどのように人々に受け止められるか、島の関心はその一点に興味が向いていた。
敵も味方もたくさんの死傷者を出して一つの作戦が終了しようとしている、そんな折に急遽捕虜を獲たとして報告を受ける。
その男は逃げ遅れたのか隠れていたところを兵に見つかり連行されてきた。
見たところ四十代の始めあたりの男はあちこちに浅く傷を負っていたが致命傷があり動けなかったわけでもなさそうだ。
――卑怯者の類か? それとも理由があって離れられなかったか。
「将校らしいやつを捕まえたのでつれて参りました」
その報告が年嵩の男ではなく島に向いているのを不思議そうに見ている。
「貴官の姓名階級を述べよ」
島が手柄を認めてやり何者かを確認する。
「若いな君がこの部隊の指揮官か。俺は十以上も下の若者にしてやられたというわけか……オラン・フェルナンド大佐、撃破された連隊の長だ」
「これは失礼、自分はイーリヤ中佐です。大佐殿は捕虜になられました、将校待遇をお約束致します」
敵ではあっても大佐には違いない、そのため丁寧に言葉を選んでやりとりする。
「了承した。君のような分別つく者がニカラグアに産まれていたらと思うよ」
それには特に何も返さずに下士官に事後を託す。
――悪い人ではなさそうだが大層な捕虜を得てしまったものだ。解放するわけにもいかないし、どうしたものかな。
見つけ出した兵のグループに昇進と一時金を約束して、まずは部隊を引き揚げることにする。
このまま滞在して占拠するのも可能だろうけど、流石に都市経営にまで手を出す気にはなれなかった。
定期報告を終えたばかりで国家警備軍の司令部に戻る途中でウンベルトは党本部に引き返した、チナンデガが陥落したとの一報を得たのだ。
――そんなばかな! チナンデガには海軍と陸軍の守備兵の他に野戦連隊も駐屯しているんだぞ。
顔を蒼くして党首執務室に駆け込むとまず一言緊急事態だと告げる。
「閣下、チナンデガがクァトロの攻撃で陥落したと報告があがりました!」
「……な、に?」
言葉の意味をすぐには理解出来ずに数瞬を要した。
「詳細はまだはっきりしておりません、今しばらく執務室で待機願います。自分は警備軍司令部に戻ります」
「わかった、ウンベルト、失態に対して一枚辞表が必要になる、お前が書きたくないなら誰かに書かせるんだな」
「承知しました」
チナンデガ軍管司令官を罷免しようとすぐに決めて足早に本部を去ってゆく。
自らの執務室に戻ると報告待ちの情報が山と溜まっていた。
「重要性が高い緊急のものから報告せよ」
秘書官に命令してまずは山を半分にすることから始める。
「チナンデガ陸軍司令部がアメリカ軍の空爆で倒壊しました、臨時で南のアチョリーに設置しております。軍事顧問のジューコフ少佐が野戦連隊に移動しました、スホーイ三機が少佐の命令で出撃し撃墜されています。野戦連隊も敗走しフェルナンド大佐とジューコフ少佐は行方不明、敗残兵を副長がまとめてアチョリーへ向かって撤退中です」
ウンベルトは一気に胸が痛くなり気絶しそうになった。
スホーイが全て撃墜の上に連隊が敗走して連隊長が戦闘中行方不明とは。
「海軍はどうした」
「空爆開始直前に軍艦で公海上に避難したようです」
「スホーイはどのように撃墜された?」
状況を把握するために矢継ぎ早に質問する。
「それが公海上からフランス戦闘機による空対空ミサイルで撃墜されています」
「何故フランスが我が国の戦闘機を攻撃する?」
「我が国のではなく、国籍識別不明の海賊機を撃墜と報じております」
――そう言えばまだ供与されてから編入していなかったか!
記憶が曖昧な部分をさておき不審な点を追求する。
「パイロットがニカラグア軍機だと抗議しているのでは?」
「スホーイには軍事顧問のロシア兵が搭乗してました、識別確認にも応じず無視しています」
「むむむ……」
その線からの糸口が見当たらないために他の部分をと考える。
――軍事顧問を喪ったのは自己の責任で片付きそうだが、守備隊が全然働いていないのは問題だな!
「チナンデガ陸軍司令官に通信を繋げ」
秘書官が通信室にそうするように命じると数分で目的の人物とコンタクト出来た。
「閣下、チナンデガ陸軍司令官ヴィゼ准将です」
海軍司令官が少将のため一つ下の階級が代々チナンデガでは陸軍司令官として着任していた。
「准将、チナンデガにクァトロが攻めてきた時に守備隊は何をしていたのだね」
強く詰問するような口調で不手際を指摘する。
「はっ、何分突然でしたので各級指揮官に判断を委任していました」
「結果戦わずに敗北して逃げ出したわけか。君のような司令官が何故配置されているかをよく考えて欲しい、有事に統括判断を下すためだ」
「……」
正論なので特に反論もせずにオルテガの言葉を待つ。
「君も閣下と呼ばれる者だ、指揮がとれないならせめて敗戦の責任くらいはとりたまえ。負けを認めないならば降格の上で最前線に送り出すがどうする?」
「閣下……それは……わかりました、辞表を、敗戦の責任を自分が引き受けさせていただきます」
「うむ、ならば准将のまま退役処理しよう。ご苦労だった、指揮権はすぐに次席に引き継いで君はマナグアに出頭したまえ」
伝えることだけ一方的に言い放つとすぐに受話器を置いてしまう。
――使えんやつが!
最後くらいすんなり弾除けになれと毒づいて他の問題を減らそうとする。
「フェルナンド大佐の後任に何だか言う副長をつけよう」
「ガルシア少佐です、では通信を繋げますのでお待ちください」
移動中だとしても一本中継を挟めば繋がる為に手配する。
「対クァトロ連隊副長ガルシア少佐です」
「オルテガ中将だ。大佐は残念であった、部隊の状態はどうだ」
「はっ、閣下! 残存兵を収容して現在四百名程度ですが、一日経てば六百程にまではなるでしょう」
元々が千名だったのでかなりの数が死傷したことになる。
「そうか、ガルシア少佐、貴官を中佐にし連隊長代理に起用する、アチョリーのチナンデガ守備隊から四百引き抜いて再編成するんだ。階級章と命令書を届けさせる、必ずクァトロに一撃仕返ししてやるんだ」
形はどうであれ自らに舞い込んだ幸運に感謝する。
「何としてでも報復します。つきましては越境攻撃の許可をいただきたく」
「よかろう、可及的速やかな一撃に期待する」
「後日吉報をお届けします!」
――どこまでやれるかはわからんが待つことにしよう。
それにしてもオルテガはフランスが介入したのが解せなかった。
仮に要請がなされたとしてもそんなにすぐは承認されるものではない。
――イーリヤ中佐か、不思議な奴だな。
その後に政庁で大量退職者が出たとか、放送局で海賊放送が流れたなどの一連の報告を受けて落ち着くと、すでに真夜中になってしまっていた。
久しぶりに司令部で寝泊まりをすることにして、彼はイーリヤ中佐についての興味を強く持ったことに気付くのであった。
◇
フランス軍空母サン・ジョルジュは珍客を迎えて賑わっていた。
通信機でやりとりしてしまった以上は遅かれ早かれ自らの正体が露見するのは目に見えている、そのため今はもう大して気にしていなかった。
甲板にテーブルを並べて簡単なパーティーを催してくれるらしい。
島はロマノフスキー大尉とグロック先任上級曹長のみを連れてやってきていた。
「クァトロのイーリヤ中佐以下二名、フランス軍に敬意を表します」
丁寧な動作で艦上の軍旗、次いで艦長、そしてキュリス中佐にと敬礼する。
「空戦司令キュリス中佐、クァトロの奮戦に敬意を表します。紹介します、艦長のドラクロワ大佐殿です」
「先日は助けられました、イーリヤ中佐です」
「ドラクロワ大佐だ。勇猛果敢なレジオネールだったと聞いているよ」
笑いを浮かべて仲間だと認めてくれる。
「レジオンではグロック先任上級曹長が一番長く、軍に二十年は勤めていました。現在は後進の育成に力を貸して貰っています」
グロックも改めて大佐に敬礼する。
「いずれも素晴らしい戦士だ、それは偽りようもない事実だと確信しているよ」
「高く評価していただき感謝致します。しかしスホーイの件、ご迷惑はかかっておりませんか?」
気になっている部分に踏み込んで尋ねてみる。
「気にせんで良いよ、それを何とかするのが外交官らの仕事だ。我等は最善と信じる行動をとる、それだけだよ中佐」
きっとキュリス中佐が強く進言してくれたに違いない、感謝しても仕切れない。
だが彼らはそのような恩着せがましい態度は微塵も見せなかった。
「さあささやかですがパーティーをしましょう、中佐の武勇伝を聞かせてもらいたいものですな」
「ま、失敗談ならばいくつか」
それでも大歓迎と肩を抱えられ会場へとひっぱられていった。
「ところでシーマはフランス国籍を取得した?」
キュリス中佐が何となく気になったようで尋ねる。
「いえ結局とらず仕舞いでした。将来どうするかはわかりませんが」
「と、言うと?」
「実は戦いに疲れたら大学に来ないかと誘われまして」
何故大学なのか少し考えて士官大学ではないのを確認して行き詰まる。
「どこの大学?」
「パリ・ソルボンヌ大学で語学教授に声をかけられた次第で」
「なるほど世界各地を渡り歩く中佐には打ってつけの収まり先だな!」
そんな道もあるもんだとパーティーに参加している兵士らも頷く、自然とどんな言葉を理解するかの話題にと移り変わる。
「フランス語、英語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、日本語、アラビア語、ベトナム語を少々、あとの主要な国はシノワ位でしょう」
シノワとフランス語で表すとまた納得の呻きが聞こえてくる。
「もっとも明日の今頃土の中じゃないとは保証も何もありませんがね」
それが軍人だなと締めくくる。
一々ふさぎこんだりしていたら身がもたないとばかりにさらっと流す、逆に危険だ危険だと騒ぐ奴ほど早死にしていくものだ。
「しかし一昔前には中佐みたいな日本人がたくさん居たというのに、現代では貴重だね」
「そうですね、百年か精々八十年も遡れば優秀な人間が沢山いました。軍人だけでなく政治家にも。それが昨今は情け無い限りで、国益国益と言ってどこかのチンの手先みたいな政治屋が幅を利かせている有り様」
本音を言っても問題あるまいと迸らせる。
「かく言う我が国も似たようなものだよ。チンに札束で殴られて喜んでいるような政治家の多いこと」
せめて我らだけでも頑張ろうと握手を交わして船を降りることにする。
まだまだやらねばならないことが山と待ちかまえていた。
司令室の椅子に座るとまず最初にロマノフスキーを呼び出した。
以前にも増してすっきりとした表情をしているのが嬉しい限りである。
「で、どうだった」
主語を丸ごと省略して問い掛ける。
「この手できっちりお返ししてやりましたよ。まさかニカラグアの辺境で宿願達成とは驚きの奇跡です」
「なんだ神を信じる気になったか?」
そう言われて少し考える。
「もう二、三回奇跡が起きたら検討してみましょう」
「そいつは結構なことだな。では報告を聞こうか」
満足したようで何よりと島も納得する、それにより何が変わると断言出来るものでもないが、それでもだと。
「車両三、兵士四十二、数字としてはっきり失われたものはこの二点です」
「車両は良いとして四十二人も戦死者がでたか……」
数だけでなく身近な人物らの顔が頭に浮かぶ、決して簡単な内容ではなかったが改めて聞いてみると痛みが伴ってくる。
「一方で与えた被害ですが三百は下りません。負傷者や脱走者を換算するならば千近い戦力を減じました。これは圧倒的大勝利と位置付けて良いと思われます」
比べて逆なら目も当てられないが、勝ったと言われても損失が気になってしまう、貧乏性なのかも知れない。
「わかった、兵を休めて傷を癒やし次に向けて準備しておいてくれ」
ロマノフスキーも無数に傷を受けており、腿の銃傷は意外と深かったようである。
報告書に目を通して後の論功行賞にと役立てるようする、次に上級曹長を呼び出す。
兵備の拡張をするためにこれから忙しくなる意味では一番かも知れない。
「上級曹長、よく大尉を守り通してくれた、礼を言わせてもらう」
「自分より強い人を守るのが難儀ではありました。ジューコフ少佐の腕を撃ち抜いたのが自分だとばれたら大目玉でしょう」
島に特命を受けていた彼は一対一の勝負に水を差してしまっていたのだ。
「大尉には悪いがそれで良い。秘密は墓場まで持って行くんだ上級曹長」
「ダコール」
こうしておけば絶対に漏らすことはない、後は島が知らんふりをしておけば闇の中。
「それはさて置きこれからは志願者が纏まってやってくる可能性がある、間諜だって混ざってくるだろう、武器弾薬の管理を厳重にして欲しい」
弾薬が爆発してしまえばそれだけで著しく戦力が低下する、マッチ一本で訪れる被害としては最大級だから要注意である。
「別々の班に見張らせるなどして警戒しておきます」
引き続き上等兵への引き上げ権限を付与しておき退室させる。
あまりにも兵が増加するならば兵舎を増設しなければならないなと軽く気にとめておく。
呼んでもいないのにタイミングよくハラウィ大尉がやってきた。
「中佐、二点報告がありますので参りました」
「何だろうか」
一つは島が呼び出すつもりであった戦闘結果報告などなど関連のことがらであった。
「以前に話があったマイアミの富豪が近くにやってきております、会っていただけないでしょうか?」
「そうか、それならば今夜チョルチカでもテグシガルパでも場を用意してくれ大尉」
了承すると嬉しそうに返事をして部屋をあとにした。
――少佐にも状況報告をさせねば。
机に書類が溜まってきているが今度は少佐を呼び出した。
「精力的なお仕事ぶりですな中佐」
「少佐がいるから書類がこれだけで済んでいるんだよ。率直に答えて欲しい、凡そでいいがあと兵士が二百増えたら資金繰りはどうだ?」
装備の補充や賃金、補償金などに食費までひっくるめての概算を求める。
足りなくなる前に調達しなければならない、支払いが滞ったら最後、信用は簡単に失われていくだろう。
「支出だけで言うならばあと二カ月、芥子を換金したとしても三カ月が目安でしょう。今回と同じ規模の争いがあり、同じ位の被害があれば一カ月ともちません」
少佐がそう判断したならば当たらずとも遠からずな未来が待っているだろう。
――今回の結果をもって追加資金をせびるしかないか、そうなれば新たな追加条件を課せられるだろうな。
向こうだってただで金を出すわけではなく、意のままに動く操り人形だから支払うのだ。
「わかったそれは何とかしておこう。志願者がいたら拒否せずに受け入れて欲しい」
「承知しました」
成功したらしたで悩みが増えるものだと溜め息をつく。
しかも失敗したらそれまで、何とも手の施しようがない話である。
「さて大統領をどうやって追放したものかな……」
そこまで駒を進めることは出来たが高くなる一方の壁をどのようにしたらよいか、島の苦難はまだまだ半ばの道をさまようのであった。
夜になりワリーフが迎えに現れるら、何だかワーヒドに行ったことを思い出してしまった。
「せっかくなのでテグシガルパでレストランを予約しました、一時間ほどドライブしましょう」
どこでも構わんよと答えて車に乗り込む。
用心の為にと兵が二人付き添う、運転もその若者らが担当した。
街から街へと続く道の殆どはバナナを運ぶ為に作られたもので、トラックがすれ違えるようにと結構幅は広めに出来ていた。
ユナイテッドフルーツ社が支援した事業であり、舗装こそされていないがしっかりと締固められていてタイやベトナムのように道に穴が空いていることもない。
特にトラブルもなく街に辿り着くと一件の中流レストランが見えてくる、島がそう感じたならばホンジュラスでは上流であろう。
既に何度か利用しているようでハラウィ大尉は案内も無くすいすいと奥へ入ってゆく。
席について暫し相手がやってくるのを待つ。
扉を開けて初老の男と付き添いが一人後ろからついてくる。
椅子から立ち上がり歓迎の言葉を投げかけようとして素っ頓狂な声をあげてしまった。
「――ス、スレイマンさん?」
付き添いの男に見覚えがあり記憶が呼び起こされた、あちらも気付いたらしく「シーマさん?」とまばたきを多めに呼び合う。
「あの、中佐殿はお知り合いでしたか?」
大尉もまた驚いてしまう。
その顔を見て初老の男がふぉふぉふぉと気持ちよさそうに笑う。
「ヤーン、お前は中佐をどう思うかね」
「心根が親切な人物かと」
さもありんと頷いて男は大尉に声をかける。
「ハラウィ大尉、すまんが儂はパストラ氏にこれ以上投資は出来んくなった」
「な、何故ですか!?」
血相を変えて会談の場で立ったまま抗議してしまった。
ゆっくりと椅子に座り男は続ける。
「袖スリあうも多生の縁と言うでな、儂はほれそこのシーマ中佐にならば金を出してよい」
「――!?」
何か言おうとしたが考えが散ってしまい声にならず、実はより良い内容なことに気付く。
「まあ落ち着け大尉。スレイマンさんもどうそお掛けになって、まずは飲み物を運ばせましょう」
なるようになるさと余裕の笑みを浮かべてビールを四つ注文する。
「改めまして島中佐です、もっともここではイーリヤ中佐と名乗っています」
「クーファン・スレイマンです。こっちは甥のヤーン・スレイマン、ご存知のようですがね」
流石に年長者だけあって精神的に幅を持っているようだ。
「日本で言葉で困っているときに助けて貰いました」
ハラウィ大尉もなるほどと合点行ったようである。
「たまたま英語もアラビア語も通じないホテルマンだったわけでして。再会に祝して乾杯といきませんか?」
差し出されたビールをそれぞれ手にして島が乾杯を持ち掛ける。
「広い世界で二回目の偶然に乾杯!」
ヤーンが快くそう声を上げてみなが乾杯する。
「しかしクーファンさん、よく日本のことわざをご存知ですね?」
「ニカラグアには昔様々な人種が入植したのです。その中に日本人もいました、彼らにはよくしてもらったものです」
グラスを傾けて昔話に浸る、誰しも辛く苦しい思い出があり時が過ぎると美談になるものである。
料理を適当に注文してそれを食べながらの会話になった。
「先ほどの話ですが、パストラ氏ではなく私にならばと仰有っておられましたが、あの言葉の意味を今少し詳しく教えていただけませんでしょうか」
何かの比喩であったり言葉のあやであったら困ってしまうので確認する。
「何のことはない、儂が投資したいのはパストラ氏ではなくシーマ中佐あなただ。だからあなたが必要な金額を言ってもらえたらそれを用立てようじゃないか。その先の使い道は自由だよ、ニカラグアの為にこれだと思う使い方をしてくれたらそれで好い」
投資は貸付ではないために回収の確約は一切無かった。
事業に投資するのと変わらず、もし島がニカラグアを改革したらその発言力を以てクーファンに還元しようとの色合いのものである。
「戦いは水物です、投資が全く実らないことも考えられます、それでも私に?」
ジッと目を見て思惑がどこにあるかを見抜こうとする。
「この歳になってくると何か一つでもやっておきたい、そんな気持ちになってきてな。だが自分では大事を為すこともできずに日々朽ちてゆくだけ。ならばせめて輝いている者を助けて自己満足しようということだよ」
欲がないと言えば嘘になるが、金を使ってどうにかしたいわけでもない、ただ何かの一端を担いたいそんな気持ちなのだろう。
「そのお気持ちをありがたくいただきます。実は此度の戦で勝ちすぎて志願者が殺到でもしたら運転資金が足りなくなりそうでして」
「勝ちすぎて困るとは愉快じゃな、して幾らあれば安定するかね」
――半年分もあれば活動に制約も出ないだろう。
「三百万ドル、アメリカのものならばです」
ハラウィ大尉にしてみても国家資金ですら一つ桁が少ない運用をしてきたものだから物凄い大金である。
そう言ってからスホーイ一機が幾らくらいだったのか一瞬気になってしまった。
「ギリギリだと上手くいくものもいかなくなるからな。七千万レンピラ用意しよう」
――つまりは五百万ドル見当か!
「感謝に堪えません、いずれ何等かの回答をさせていただきます」
姿勢を正して一礼する。
「金だって銀行の中に眠っているより世に出て役に立ちたいでしょう」
それ以後は食事や世間の話に終始して特別な話題があがることはなかった。
チナンデガの戦いから数週間が経って転機が訪れる、ニカラグアの大統領が必要に迫られてヨーロッパでの国際会議に出席しなければならないとの情報がもたらされたのだ。
方々に確認させてみると国連開発援助の予算獲得弁論に各国がトップを擁してくる為に、ニカラグアだけ代理では取り分が少なくなるとの懸念からの出席と回答がなされた。
会議自体は四日間の開催であり、弁論の順番は進行担当国であるスリランカ次第で直前に知らされるようだ。
最新の情報を元に方針会議を行うため要員がいつものように司令室へと集まる。
ロドリゲス中尉から報告が行われ何故召集されたかを皆が悟る。
「オルテガ大統領が国を空けることは滅多に無い、我々はここで勝負をかける」
島が決意のほどを示し計画の仕上げを行うと宣言する。
ロマノフスキーがニカラグア地図を広げて話を進める。
「大統領がマナグアを空けるのは最低でも三日、最高では六日ほどが見込まれている。それを延長させるためにはマナグア空港を使用不能にするか、政府の管理から外す手立てが必要になってくる」
他にも数カ所空港があるが国際空港として大型機が着陸出来る条件が整っているのはマナグアしかない。
隣国から乗り換えたとしてもホンジュラスもコスタリカも黙って出国をさせることは無いだろう。
海路では話にならず、陸路も似たようなものである。
「サンディニスタ解放運動党の国会議員と国家警備軍を抑えて国会を強行開催し、大統領を解任してしまえば国民投票に漕ぎ着けられる」
大尉がそう説明するのを黙って聞いている、肯定の意味合いだろう。
「最大の難関は国家警備軍を如何にして出し抜くか、だろうな。皆の考えを聞きたい」
万単位の警備軍であっても全国に散って警備しているために本部だけなら数百人規模でしかない。
ニカラグアに限らずに大抵の組織はそのような偏重具合を見せるものである。
「警備軍司令官を人質にしてしまえれば最高なんですが、彼は大統領の弟でもありサンディニスタ解放運動党の有力者でもありますから」
理想的な結果をハラウィ大尉が披露するが、相手が一番警戒している部分でもあるために達成は厳しかろうとの見通しが共有される。
「司令部を爆撃で使用不能にできる?」
上級曹長がチナンデガの陸軍司令部のような扱いが可能かを確認する。
「地下司令室があるから邪魔は出来ても沈黙はしないはずだよ」
マナグアを知っている中尉がそう回答する。
パストラ達がどのように襲撃したかを説明させようと島が口を開く。
「少佐、その昔パストラ司令官らは宮殿を占拠するにあたりどのような作戦を?」
成功へのプロセスを辿ってみようとの意識が出て来たために視線が集まる。
「宮殿近くに個人個人で移動待機し、いざ実行の際に素早く集結し突入、最後は政治亡命で国外退去があらましです」
それを聞いたロマノフスキーが唸るがニカラグア人が主力ではないために厳しいだろうと判断する。
「宮殿は警備が緩いのですか?」
「戦いの場ではないからね、司令部などと比べたら緩いと言えるだろう」
国会だけ制圧しても如何ともし難いが、事前に必要な人物や機材が全て国会に集められているならば外がどうなろうと問題なくなる。
いざ不足した時に即座に何も用意出来ないと不安要素は尽きない。
その後もあれこれと意見はでるがこれはというものが出て来ない。
結局答えを出さずに中途半端なまま会議を終えることになる。
「中尉、マナグア市内地図とそこに至るまでの地図を三十部用意してくれ。少佐は宮殿の見取り図を入手するか作成を、ハラウィ大尉はサンディニスタ解放運動党議員の顔写真を揃えておいてくれ、先任上級曹長は政治亡命の手続きや受け入れ先についての資料を、ロマノフスキーは全体の進捗を見て手助けしてくれ。俺はコスタリカへと飛ぶ、少尉も同行を」
どの道を通るにしても必要だろう内容を準備しておく。
最後はやはり首都で決着をつけることになる、それだけは間違いないと胸に刻む。
三度コスタリカへと足を踏み入れるが今回は越境を計画していない。
空港からいつもと反対へ向かいサン・ホセ市内の政庁を訪れる。
事前に訪問を伝えていたためにエンリケが出迎えてくれた。
「遥々ようこそ中佐殿。兄貴にも協力するように言われててね、何か手伝うことがあったら言ってくれ」
「そいつはありがたい。一つ頼まれてくれるかな、ポールと紐を用意してほしい」
何だそりゃと思ったようだがそれを手配してくれる。
案内されてビルの上階へと登り奥の部屋に入る。
中でパストラ司令官と夫人、そしてミランダが迎えてくれた。
「中佐よくきてくれた」
「ダオさんいらっしゃい」
同時に違う言葉で歓迎されて少々戸惑うが他に人もいないために夫人に返事をしてから司令官にと続ける。
「レディ優先ですよ閣下」
「中佐は紳士だからな」
軽い冗談を交わして席に着く、後ほど自由連合の代理がやってくるとのことだった。
「オルテガが国を留守にする、その件についてだな」
「ええその通りです、この機会を逃しては次がいつになるか」
重要な話をしているために夫人もミランダも一切喋ろうとはしない。
「出来るか、奴らだって警戒するはずじゃ」
「それについては国会次第と考えています。仮に成功したら閣下はどうなされます?」
クァトロとしてどのような未来になるかを知っておく必要があると質問する。
「国民投票はするよ、じゃが儂は負けるつもりなんだ。だから大統領には自由連合の代表がなる」
既定路線を聞かされて意味を解釈しようと反芻する。
「では閣下のお立場は?」
「オヤングレンが大統領で儂が首相になる予定なんじゃ。行政権の一部を首相に移しての新制度を考えておる」
「それならば協力可能ですね。そのためにも国民から一定の支持を受けていることを示さねばならない、と」
大統領選挙で惨敗してしまっては首相にも就きづらくなる、そこそこ、有効投票の三割から四割を得ておきたいところだろう。
「専決権限が付与されるならば名目には拘らんよ。内務相などでも」
実際に国内に限れば変わらないだろうと島も思う、海外に出たときの賓客待遇に差が出る位だろう、あとは年金の上積みが違うなど。
「閣下、入閣された際には一人側近を推挙させていただきたい」
「中佐の勧めならば歓迎じゃよ」
深く問わずに受け入れを表明する。
「クァトロのパトロンでニカラグア入植者、現在はマイアミに滞在しているレバノン系ニカラグア人のクーファン・スレイマン氏です」
「覚えておこう」
エンリケに頼んでいた品が部屋に届けられる。
少尉に持たせていた箱を受け取り少し時間をもらう。
五分程で布に紐を通してポールにくくりつけることができた。
「クァトロから閣下への贈り物です、お受け取りください」
手にしたポールに旗が付けられ、白地に星が四つとクァトロ軍旗を反転させたものである。
番号はゼロ番、コマンダンテゼロを文字っている。
「ありがとう中佐、君達の志を預からせてもらう」
ポールを持つ手に力が入る、ミランダが横から受け取り部屋の隅にと立てる。
「自由連合の方が参りました」
秘書が来客を伝えにやってくる。
島らが退室するときに擦れ違ったが、その男を見たことがあった。
何とオヤングレンその人が自らやってきたのだ。
――これなら上手くいくだろう。
後は自分達がいかに働くかで未来の道筋が増えると改めて気合いを入れるのであった。
厳重に梱包された木箱にずっしりとした重量感、クァトロ基地にそれが届けられたのは日差しが緩む夕方であった。
「中佐、リリアンの姿が見えませんが何かご存知ありませんか?」
「街に用事を頼んだんだ、少佐はこの木箱が何かわかるかい?」
箱のラベルには英語でモーターと書かれている。
「迫撃砲ですか?」
「正解。廃棄寸前の骨董品を安く譲ってもらったんだ、五十ミリの携帯用だ」
一昔前に歩兵用に普及した五十ミリ迫撃砲、射程こそ一キロそこそこと短いが軽量曲射兵器としての実績は抜群である。
低い位置に伏せられたり掩蔽がなされたりしている時に特に威力を発揮してくれる。
「立体的な攻撃手段と言うわけですか、手榴弾よりもあるいは期待出来ると」
「二秒に一発爆弾が降ってきたら大抵は驚くだろうね」
軍曹を一人呼び出し荷物の点検を命じて二人は司令室へと戻る。
「とあるありがたい援助で軍資金は充足した。後はどう使うかだが、八百程の兵員をマナグアに潜伏させるにはホテルと言うわけにもいくまい、家屋の準備が必要になるだろう」
「作戦前にちょろちょろされても困りますからね、代理を立てて物件を探しておきます」
「金さえ支払えば家主も何も言わないだろう、高級である必要はないが値切る必要もない」
大まかに概要を指示しておきもう一つの懸念を説明しておく。
「移動方法は汽車やバスで数名ずつバラバラにだ、二日もかければ余裕で到着するだろう」
一時金を与えなければならないなと気にとめておく。
またこれだけの人数が動けば少なからずトラブルも起きるだろう、いくら注意していても、だ。
「交通整理に下士官を一人専従させます、特設の連絡先がニカラグアに必要になるでしょう」
「少佐に一任するよ」
幾つかの報告を処理して一息つく。
「この作戦がうまくいったら少佐はどうするつもりなんだい」
コーヒーを傾けて少し考え答えを導き出す。
「軍隊向けの雑用代理店でも経営してみますよ、退役軍人一人が働く枠位はあるでしょう」
「人がいる限りは消費が発生するからな、安定した商売だと思うよ」
事実たくさんある業者の中の一つになるくらいわけないだろう、オズワルトにはそれだけの手腕があるのだから。
「後でマリー少尉に来るように伝えてくれ」
「わかりました、では失礼します」
潜伏蜂起するためには武器も持ち込まなければならない、全員が抱えていくわけにはいかない以上は輸送手段を確保する必要がある。
早足で近付く音が聞こえてくる、開け放たれているドアをノックして少尉が入室する。
「マリー少尉、出頭致しました」
「うむ、少尉には実行日までにマナグアへ武器を輸送してもらう。何がどのくらい必要になると思うかね?」
自分自身で考えさせるようにと漠然とした質問で切り出す、やりくちは先任上級曹長からの受け売りだ。
「陸路トラックで輸送しかないでしょう、まさか宅配便ともいきませんからね。六台は最低でも必要です」
中隊一つにつき二台、そのくらいだろうなと納得する。
「して、それをどのようにしよう」
「バラバラに走らせるべきでしょう。政府からの許可証の類があれば嬉しいですな、中味はバナナだってね」
何らかの許可証を得るのは可能だろうと判断して手段を認める。
「では実現させるために工作を始めてくれ、経費は少佐に申請するんだ」
「了解です、トラックで使う媚薬も当日申請しましょう」
トラブル回避に現金を握らせると水際対策を示して機械化部隊の長は軽やかに司令室を立ち去っていった。
一報から三週間程が経過しついに大統領が出国する日が確定した。
オルテガとしても不穏分子が動くならばこの時しかないと厳重な警戒を命じている。
もし出席しなければアメリカの根回しで援助を著しくカットされる位はするだろうと戦う意気込みを充実させていた。
マナグア国際空港に重要人物が集まり大統領を見送る、その中にはオヤングレンの姿もあった。
野党とは言え人数分配による政府の役職を得ていたからである。
専用機ではなく民間のファーストクラスを使いヨーロッパへと向かう機が見えなくなるまで皆その場で空を見つめていた。
現在のニカラグアには首相のポストはなく、大統領が不在時には国会議長が暫定的にトップを務めることになっている。
無論彼もサンディニスタ解放運動党の役員であり、オルテガの支持者である。
特に才覚があり就任したわけではなく、暫定とはいえ権力を委任する不安を打ち消すような忠誠心を持っていた、ただそれだけで地位を得ていた人物の議長である。
何か異変があればウンベルトが処理をしなければならないのであった。
「首都の警備は万全なんだろうな」
警備軍司令室に首都警備室の室長を呼んで手配を確かめる。
兄の不在時に何かあれば自らの責任になると手厳しく命令を繰り返している。
「二十四時間体制で備えております、この司令部の警備もいつもの二倍の人数を宛てております」
大佐が問題ないと胸を張って回答する。
あまりにも堂々としているため、そうか、と返事をして下がらせた。
「クァトロはどうなっている、あとコスタリカのパストラは」
秘書官に鋭く質問し即座の回答を要求する。
「クァトロのイーリヤ中佐はホンジュラスに所在が確認されております、チナンデガへの攻撃予兆もありません。パストラもコスタリカで今朝生放送に出演しており変わりありません」
「うむ……」
そいつらが動かなければ大事には至るまいと考えて息を吐く。
「そう言えば、あいつガルシア中佐、奴はどうした?」
ガルシア中佐が何者だったかを考え、対クァトロ連隊の長だったことを思い出す。
「部隊の訓練中で特に報告は上がってきておりません」
「すぐに現状報告するように急かしておけ!」
落ち着かずに秘書官に当たり散らして部屋に一人になる。
――何も無いわけがない、どこからどうやってくるかだ!
何十年と軍司令官を務めるウンベルトはこの大統領不在という好機が様々な計画の要になると理解していた。
国内外の動きを逐一監視させて情報を集めさせる。
四日から七日位の期間を緩むことなく全て警戒するのは無理な相談である。
いかに注意を払うことが出来るか、孤独な戦いが始まったのを彼は重く受け止めるのであった。
クァトロ司令室にいつものメンバーが集まった。
大統領が出国したとの情報が巡ってきたからである。
珍しく島自ら真っ先に口火を切る。
「オルテガが今日出国した、作戦を開始するぞ。奴が戻ってくることが永久になくなるよう、皆の働きに期待する」
一人一人準備が整ったことを再度報告して落ち度が無いようなので兵士を出発させる。
決行は三日後の深夜になる、真夜中に自由連合の議員を召集して国会を強行開催するのだ。
その姿を放送して駆けつけてくるサンディニスタ解放運動党議員を片っ端から拘束する、それまでにパストラにもやってきて貰う必要があったが、そちらは彼に自力で都合をつけてもらうことになる。
各自が出発しても島は司令部に残り優雅に一日を過ごしている、ここに居るのを印象付ける為である。
二日目の夜中に抜け出して替え玉を執務室に座らせておいた。
やはり一部でトラブルを起こした兵がいたが、そいつは無理矢理にホンジュラスへ引き返させてしまう。
三日目の深夜にマナグアの郊外で不審なトラックから荷物を降ろす集団が通報されたのがオルテガの執務室へと届くまでにたっぷりと三時間はかかるのであった。
市内地図を片手に国会会館であるマナグア宮殿へと進む。
真夜中だというのにちらほらとパトロールが見かけられた。
だが警官が近付いてくると背後から忍び寄りナイフで腎臓を一突きしてしまう。
あまりの激痛に声をあげることなく事切れる警官を路地に引きずっていき物陰に横たえる。
宮殿は薄暗く不気味な感じがした、警備兵が数名いただけでそれを排除すると無機質な広い空間だけが残る。
正面出入り口以外は封鎖してしまい、扉はもとより机などを集めて通行がすぐに出来ないようにしてしまう。
各部隊が守備配置につく、屋上にいたるまでクァトロの兵が軍旗を翻していた。
程なくして正面入り口に続々と車がやってくる、自由連合の議員達であった。
皆が一瞬躊躇するが正面入り口から堂々と入っていく、その姿をテレビクルーが撮影していた。
半ばを過ぎると一際豪華な車で乗り付けた男が現れる。
つかつかと入り口に向かうと島と目が合う。
「ミスターオヤングレン、ようこそ真夜中の宮殿へ」
彼はパストラの事務所で擦れ違った男が声をかけてきたのに気づき、次いでそれが中佐であるのを知る。
「ミスターイーリヤ、歴史的な瞬間を今歩もうとしているよ」
「政治は正されるべきです、と世間の声ですがね」
軽く敬礼して入館を促した。
宮殿が明るくなり周辺をライトが照らす。
こうなって初めてテレビとラジオが放送され始める。
当然多くの市民が深夜にもかかわらず何事かと注意を向けた。
マナグア警備室でもその異変に気付いてすぐさま警備兵を向かわせるが、クァトロ兵から銃撃を受けて慌てて逃げ帰る。
国会議員のうち野党勢力が揃った、サンディニスタ解放運動党議員は近くの議員宿舎から駆け付けた十名程が拘束されて中へと引っ張られてゆく。
無所属議員にも声がかけられて何とか数が揃う、総数から議長などの役員を差し引き、さらに政府閣僚と重複する人数を引いた数、これの過半数がいたら国会が成立する。
オヤングレンの呼び掛けで臨時国会が開催される、サンディニスタ解放運動党議員は後ろに銃を持った兵士が監視についての出席になるが、テレビカメラは巧みに兵士を写さない配慮を実行する。
緊急動議でまず大統領の国家に対する背信での解任が提起された。
賛成多数で可決されのを報じてオルテガ大統領が合法的に解任される。
次いで暫定措置として国会議員からオヤングレン議員が国家代表になるよう票決を求める。
これまた賛成多数で可決された。
このように既成事実を積み上げているうちにパストラが到着する。
「閣下参られましたか」
「中佐、ようやくここまできたか!」
「後一歩、これを道の半ばとするのが良いでしょう」
若いくせに慎重だなと評して宮殿へと入っていった。
深夜と表すか未明の早朝と表すか、午前四時頃に司令官室隣にある休憩室の扉を叩く音が聞こえてむくりと起きあがる。
「司令官閣下、一大事です!」
自身も司令部に泊まり込んでいた秘書官が部下に起こされてのことである、敵襲以外は起こすなと言われていたがまさに敵襲である。
「どうした!?」
「何者かがマナグア宮殿に現れ占拠してしまいました。現在自由連合の議員が集まり臨時国会を開催している模様です!」
秘書官の言葉の意味をすぐに飲み込めずに何故臨時国会がと頭の中で渦巻く。
「議員らはどうした?」
「一部連絡がとれませんが現在調査中です。殆どが自宅に居りますが、ヨーロッパへの随員は不在です」
とっさに何人が残っているのかわからず人数を調べさせる。
軍服に着替えると眠い目を擦って司令室の席へと戻る。
ぬるめに濃いコーヒーを淹れさせて一気に飲み干して気を確かにする。
「警備室に通信を繋げ」
秘書官が直通の番号を調べてプッシュする。
「儂だ、どうなっているのだ大佐!」
まず一喝して憂さ晴らしをして報告を求める。
「閣下、申し訳ございません。クァトロが突如あらわれマナグア宮殿を占拠致しました。その後に自由連合の議員が現れて宮殿入りしています、やつらはグルです!」
それまでクァトロはパストラを支持しているものだと思っていたが、ここにきて自由連合と行動を共にするとは思ってもいなかった。
――オヤングレンのガキが!
「他に変わったことは?」
「ラジオとテレビに国会中継が、ご覧になられていますか?」
秘書官に目配せをしてテレビをつけさせる、するとチャンネルを替えても同じ内容を報じていた。
「先ほど大統領閣下が解任なされましたが――」
「こんなものは無効だ! すぐに宮殿周辺に兵を集めるんだ、乗り込んで撤回させろ」
オルテガは年甲斐もなく声を荒げて怒鳴る、大佐は了解です、と通信を切断した。
「おい、軍司令官の任免権限は大統領以外にあったかすぐに調べるんだ」
俄かに判断出来ないことだけに秘書官も誰に命じようかと悩む、そして党の政治調査の部門にと丸投げした。
その間にもテレビからは国会の状況が流れてくる、様々な法律を停止する内用を議決しだしたのだ。
遅まきながら議長が党本部に到着したのを聞かされる、すぐに電話で何をしたらよいかをまとめて命じる。
「議長か、儂だ率直に答えろ今すぐに集まる議員は自由連合の総数を越えるか?」
「えー……七名足りません、現在十二名が所在不明です」
片手で電卓を弾いていたのかカタカタと音が聞こえる。
「ならば問題ないな、テレビを見てみろその間抜け共が座っておる」
議長が眼鏡をかけてじっくりと画面をのぞき込むと確かに所在不明の議員がちらちらと映る。
「議長は議員らをいつでも宮殿に入れられるようにまとめておけ、やつらの通している議題を全てチェックして執行取消にするんだ。宮殿の敵は儂が除く」
「承知いたしました」
夜が明けて国中がこの騒動を知る前に鎮圧する必要がある、そう考えたオルテガは地方の軍を首都に引き寄せるのを止めた。
――何とか首都の軍勢だけで奪還せねば! 時間との勝負だ。
続々と司令部に情報が集まってくる、その中にトラックから何かを降ろしている集団の通報も混ざっていた。
その時点で気付いていればと歯噛みするが過ぎたことは仕方無い、連中が軽装備なのが浮かび上がってきた。
だからと戦車で攻めたからと宮殿が落ちるわけでもない、周辺警備位は有利に戦えたとしても最後は歩兵での勝負なのだ。
秘書官がメモを片手に報告にくる。
「軍司令官の任免権限ですが、大統領が不在時には暫定の首長が任免可能です。つまりは議長ですが、テレビをみる限りでは国家の暫定代表にオヤングレン議員が就いたとも言えるためにどのような扱いになるか……」
調べたことについては労いの言葉をかけるが状況が良くないのを再確認しただけに留まる。
――宮殿もろとも吹き飛ばしてやりたいくらいだ!
だが国会を行う場として制定されているために破壊するわけにはいかない。
大佐に配備を急ぐようにと伝えて何か手を打てることがないかを考える。
今かけたら向こうは夜中だろうと時差を確認して兄へと電話をかける。
一度、二度とコールして側近が応答した。
すぐに重要な話があると代わらせる、留守の司令官からの一報だけに内容を確かめることもなく代わった。
「私だ、そちらはまだ早朝じゃないのか?」
「閣下一大事です、先ほどマナグア宮殿に自由連合の奴らが集まり臨時国会を開いて大統領を解任しました」
「な、何だって!?」
ホテルにいるらしく後ろからガヤガヤと声が聞こえるが場所を移ったようで静かになる。
「宮殿に乗り込んで自由連合の奴らを拘束するんだ」
「それが今はクァトロの兵が居座って警備してます、奴らはグルだったんです」
大統領もそれは予想外だったらしくすぐに反論出来ずに時間が流れる。
「明日はニカラグアの弁論日だすぐには戻れん、いかな犠牲を払ってでも宮殿を取り戻すんだ。向こうの議員が全員死傷することになっても構わん、その場を抑えたら後は私が何とかする!」
「わかった、なるべく早く戻って欲しい」
希望を述べて受話器を置く。
――多少の損害は諦めてもらうとするか!
ニカラグアには少数だが装甲部隊が設置されていた。
それらを使い宮殿に砲撃を加えて一斉に突入しようと決める。
戦車砲は初速が速すぎるために壁に向かって撃っても小さな穴をあけるだけの効果しか望めない、そのために対人のりゅう弾を装填させて少し遠くから射撃させるよう命じた。
十名の注意が足らなかった議員には一緒に死んでもらおう、そう決定を下したのである。
時計は四時半を少し過ぎていた。
「H警戒班、中型戦車二両確認、宮殿へと向かっています」
南東部分に出してある偵察員からも戦車の目撃情報が寄せられる。
都合七両の戦車が宮殿に向けて移動しているようだ。
――宮殿自体に砲撃するつもりか、集結させてしまう前に一撃入れさせよう。
島は相手の意図がどのあたりにあるかを想像して対処を考える。
「マリー少尉、分隊を四つ引き連れて南側四両の戦車に当たれ、RPG2を適宜持って行け。プレトリアス上級曹長は分隊三つで北側の三両だ、キャタピラを切るだけでも構わんからな!」
二人はそれぞれ了解を伝えて宮殿から出撃していく、未だに包囲されるまでには至っていない。
曹長の一人にも分隊を二つ与えつて空港に出張させている。
そちらは国際線滑走路に迫撃砲で無数の穴をあけるという嫌がらせである。
すぐに修理したとしてもコンクリートが強度を持つまでに四十八時間は使用不能になるだろう。
宮殿自体は頑強な建物である。
そこに土嚢を積んで防御陣地に仕立てようと軍曹らが声を枯らして叫んでいた。
通信班が仕切りに警備室の無線を傍受している、一時間と経たないうちに総攻撃になってくるだろう見通しが伝えられる。
屋上の中隊をハラウィ大尉が、地上防衛をロマノフスキー大尉が受けもち敵襲に備える。
内部に侵入された時に備えて中尉には建物全般の警戒と議員の警護をと割り振る。
先任上級曹長はというと島の隣で待機している。
「五年前だがこんなことになるなんて微塵も想像しなかったな」
振り返らずに話し掛ける、グロックが周囲に視線を配して誰にも聞こえないのを確かめてから答える。
「エリトリアやコートジボワールの一件だけでも大騒ぎでしたからな。まさか火中の栗を拾うことになるとは」
「でも……嫌いじゃないんだろ?」
「もちろん」
即答して白い歯を覗かせる。
真面目に軍人をやっている奴なんて少数派だろうとの見立てで大きく違えることもない。
「夜が明けて朝になればこの騒動もあちこちに拡散しているだろう、そうなればお節介な国々が承認してくるだろう、様々な意図でな」
グロックは態度に出さずに聞き流すが、それは肯定の意味合いだと島は解釈した。
粛々と法律改正が行われる中で同時に組閣にも着手していた、暫定政府は国民投票が終わり次第解散との前提で自由連合が占めていた。
このままで済むわけはないとこの場にいる者だけでなく、ことを知り得た殆どの人間が知っていた。
ニカラグア警備軍とマナグア軍、それに幾ばくかの警察官が動員され三千人以上が宮殿を包囲した。
クァトロの戦力は八百前後であり、通常の攻城戦ならば守りきることは難しいのがわかる。
だがしかし条件が二つ三つ付与されると話は変わってしまう、援軍無き籠城は百に一つも勝ち目がないが、国際社会の世論という目に見えない謎の援軍がやってくる予定あった。
放送局だけでなくインターネットで情報を発信する、こればかりはオルテガ司令官がいくら規制を頑張ろうとすぐには妨害出来なかった。
「A中隊、司令部、祭りが始まりました!」
「司令部、クァトロ全軍、何が何でも宮殿を死守するんだ、二日も頑張れば俺達の勝ちだ!」
島が籠城の目安を示す、二日というのは暫定政府が承認されるであろう期間である。
真っ先にアメリカとイスラエルが承認を発表する、それに続いてパナマやサウジアラビアが声明を出した。
戦いが始まり物凄い勢いでニカラグア軍に死傷者が出る、近代戦では集団突撃など愚の骨頂なのだ。
宮殿を揺るがす鈍い音が鳴り響いた、それが戦車砲だと判明すると方角を確かめる。
「C哨戒班、司令部、戦車確認一両」
マナグアには歩兵戦車に該当する小型戦車が少しだけ装備されていた、一両だけ破壊を免れて宮殿に砲撃を加えてきたらしい。
屋上から距離を測ると三百メートル程先に位置していると報告される。
――RPG2じゃ射程不足だ、外に出した部隊では倒せなかったか。
「ビダ伍長を呼べ」
例の突撃分隊を率いる褐色の肌をした男の顔が真っ先に浮かんだのだ。
「ビダ伍長出頭しました!」
中米の混血である彼は身長こそ百七十に届かないが胸板は分厚い。
「伍長、宮殿の北東にうち漏らした戦車が一両いる、破壊出来るか?」
「ご命令とあらば破壊致しましょう!」
「よし好きな装備を持って行け、ロマノフスキー大尉に援護させる」
一秒を争うかのように命令を受けた彼は駆け足で分隊にと戻り、RPG2を三基持ち出し正面出入り口へと向かう。
入り口には有棘鉄線が張り巡らされ交互に出撃路として切れ目が設けられていた。
「ロマノフスキー大尉に申告します、ビダ伍長の分隊は敵戦車を破壊の為出撃します!」
「聞いている、屋上と地上から制圧射撃を加える、東の一点に迫撃砲で準備砲撃するからそこから出るんだ」
「了解!」
すぐにハラウィ大尉の中隊五十㎜迫撃砲を宮殿東の路地に集中して落下させる、スポンスポンと気の抜けた音を残して爆弾が降り注ぐ。
伏せても効果が薄くその場から背を向けて逃げ出す兵が相次ぐ、それを狙って一斉に射撃が行われた。
伍長が「続け!」と声を張って進撃路から背を低くして駆け出す。
全自動射撃は滅多に使われるものではないが、この時ばかりはそれを利用する。
途中途中で身を潜めながら遂には路地へと辿り着く、戦車までの距離は二十秒も走れば届くだろうがそれが果てしなく遠く感じる。
食い違いの路を徐々に詰めて何とかRPG2の射程へと姿を捉える。
「俺が囮になる、お前らあいつにぶち込んでやれ!」
そう命じると自らも一基手にして建物の影からだっと飛び出して反対の影に隠れる。
戦車機銃が激しく放たれて建物の角を削り取る。
連射が収まると時期を見計らってまた飛び出す、そのままRPG2を発射して結果を確かめることなく物陰にと転がり込んだ。
弾は戦車に当たらず近くの建物を破壊した。
狂ったように機銃掃射を行うが一瞬弾が途切れる、それを待っていたクァトロ兵が二基同時に射撃すると一発が車体側面で爆発して火災を引き起こした。
「撤収!」
伍長は致命傷が無いのを確かめて早足でその場を立ち去るよう命令した。
「B中隊、司令部、C地点戦車爆発炎上確認」
「司令部、B中隊、了解」
どうやら無事に戦車を全て使用不能に出来たようでほっとする。
中には修理したらすぐに復帰出来るようなものもあるだろうが一日で完全復旧とは中々上手くはいかないだろう。
何度も攻め寄せてくる包囲軍をその度に撃退する、拠点防御は攻撃に比べたら兵士個々にかかる負担は小さい、何せ待っていたら敵が向かってきてくれるのだから。
逆に待ち続けるのが負担といえる、いつ攻めてくるのかわからないよりは攻撃を受けている今はもしかしたら精神的には楽なのかもしれない。
フランスやレバノン、アルジェリアに韓国などが相次いで暫定政府を承認した。
逆に認めないと声明を発表したのがロシアやキューバ、ベネズエラ、ルーマニアなどである。
日本はというと延々会議を続けて様子を見るとの判断を下していた。
一般人の起床時間帯が訪れて政変が起きているのが知れ渡った。
各地の政治や軍事のトップが風向きを計算しはじめる中、チナンデガは暫定政府に従うとの意志を表明した。
オコタルでも暫定政府支持を宣言する、マナグアや首都に近い州では大統領の指揮に従うと反乱を非難する。
テレビ放送ではオヤングレン暫定国家代表がオルテガ軍司令官の解任と自らの兼任を宣言した。
「少なくともこれで形だけは整ったが、攻撃が止むとは思えんね」
島がそう言った瞬間にまた揺れと爆音が響いた、今度はどこだと報告を促すと西側の壁に穴が空いたと警備から通信が入る。
「司令部、C中隊、宮殿西側の壁に大穴だ、すぐに兵を向かわせろ!」
「C中隊、司令部、了解」
ついでに会議室から机やらパイプ椅子やらを運ばせて穴を塞ぐようにと命令する。
一カ所に穴が空いたならば他にも空けることが出来るのは道理である、待機中の兵にも手伝わせて穴を塞ぐための物を数カ所に堆積させる。
一時間、二時間と宮殿を巡る戦いが繰り広げられる。
外に出ている部隊は戻ることができずに郊外で集合し、マリー少尉とプレトリアス上級曹長が空港へ行った分隊も糾合し、ついでにビダ伍長の分隊をも回収して機会を探っている。
負傷者も戦いが出来るのを確認して八十名近くが揃ったので何かやってやろうと気合いに充ちていた。
プレトリアスがいつものように堂々とアフリカーンス語で本部と交信する。
「外部部隊、司令部、包囲が厳しく帰投は不能、命令を」
――無理やり戻すよりは外で戦わせるか!
「司令部、外部部隊、現状報告を」
「指揮官マリー少尉、次席プレトリアス上級曹長。空港破壊分隊、北側戦車破壊分隊、南側戦車破壊分隊、ビダ伍長分隊が合流し兵員八十名、迫撃砲六基、RPG2十七基」
戦闘集団として充分な破壊力を近距離で発揮出来る計算である。
――一気に司令部に攻撃させてみるか? だが失敗したら全滅だな。何とかして司令部の兵力を一時的にでも引き離せないだろうか。
あと一手を、その瞬間に少し前のやり取りが頭に浮かんだ。
「司令部、外部部隊、ニカラグア警備軍司令部を襲って司令官を生け捕るんだ」
「外部部隊、司令部、厳戒態勢の中この兵力では厳しくはありませんか?」
流石に無茶だと意見があがる、何も言わないが隣にいるグロックももの言いたげな顔をしていた。
「奥の手があるんだよ。敵が司令部から出撃していったらそれを見計らって突入するんだ」
無線の向こうでマリー少尉とプレトリアスがやり取りしているだろうことがわかる。
上級曹長は黙って突入を了解しているだろうが少尉が死線に兵を送り込むのに躊躇しているのだろう、将校になったからには遅かれ早かれこんな場面を通らねばならない。
「外部部隊、司令部、司令を信じて突入待機します。移動まで六十分下さい」
「司令部、外部部隊、前進か死か、だ。健闘を祈る」
外人部隊の精神である、後ろへ下り追い込まれるならば、前進して活路を見いだせと。
単調だが数に任せて攻撃を仕掛けてくる警備軍により徐々にクァトロにも重傷者が出始めた。
搬出するわけにも治療するわけにもいかずに苦しむ兵士が部屋に集められて応急処置を施される。
弾丸摘出程度の外科処置ならば可能ではあるが、それを越えるものについてはモルヒネを打って楽にしてやることしか出来ない。
何とか予備を補充して戦線を維持するがいつまでもとは行かない、国会は未だに稼働しており暫定政府に靡いた地域から増援を出すようにと命令が下されていた。
山ほどあった弾丸が目に見えて減っていくのが感じられる、空薬莢だけでもずっしりとした重みがある。
半自動で一発ずつ射撃して消費を節約する、全自動より遥かに命中率が高くなった。
フィリピンや南アフリカ、イギリスにオーストラリア、カナダが承認を発表する、コスタリカやホンジュラス、グアテマラなどの近隣はどちらと言うこともなく沈黙を保っていた。
どうなるにせよギリギリまで態度を明らかにしないのが得策なのがはっきりしているからである。
島が通信兵の中でもニカラグアスペイン語が上手な奴を招き寄せて何か指示する、小さく何度か頷きながら内容を確認して席に戻した。
腕時計をチラリと目にする、あれから一時間は過ぎた、マリー少尉らからは遅延報告がないので待機に入ったと認識する、もし通信機を失って発信不能だとしても受信だけは小型の物が多数あるので気付くはずだ。
「よしやれ」
先ほど招き寄せた通信兵に声をかける。
「緊急警備指令、緊急警備指令、全軍総攻撃をかける、待機中の者は速やかに前線に移動せよ!」
果たしてこんなものが効果があるのかと首を傾げながら復唱した。
するとどうだろうか、敵からも緊急警備指令を繰り返す通信が発せられたではないか。
グロックがジト目で島へ視線を送るがそれに気付かないふりをして通信に耳を傾ける。
総攻撃準備と声を上げる指揮官もいれば偽指令だと叫ぶ者も居た、クァトロからだけのものならば少数しか騙されなかったであろう、だがしかし借金に苦しんでいた通信少尉が現金を握らされて一度だけ間違って命令を繰り返したものだから多くが従ってしまった。
数分で命令は誤認と打ち消したが時が戻ることはなかった。
緊急警備指令を受信したマリー少尉はそれが繰り返されて警備軍司令部から兵が出て行くのを見て驚いていた。
「本当に奥の手が飛び出すとはね。よし突入するぞ!」
あちこちで姿を見られては通報されていたのだろうがそれが反映されることはなかった。
市民の通報は警察に集まり、そこから軍へともたらされたが警察からの情報は無視されて軍からの報告のみが採用されていたのだ。
歩哨が居なくなった司令部に武装した黒い軍服が駆け込む、内部には将校や事務担当が残っていたが突然の乱入者にことごとく倒されてしまった。
地下と上階二手に別れて司令官を探す、一階では引き返してきた敵と撃ち合いが始まった。
地下へ向かった分隊から制圧報告がなされた、通信担当のみが残されていた為に抵抗が無かったようである。
一方で上は三階と四階の間で競り合いが行われている、ラチがあかないとばかりにマリー少尉がビダ伍長に突破を命じる。
「伍長にばかり頼んですまんが階段を抜けるか!」
「引き受けましょう、発煙手榴弾を独占させていただきますよ」
伍長が部隊に声をかけると七つの発煙手榴弾が集まった、それを分隊に分け与えると三つを踊場に投擲させる。
視界が遮られたところで踊場に飛び出して残りを四階に投擲してそのまま駆け上がる。
ろくに狙いをつけずに銃を撃ちながら進んでは目の前に現れる敵に銃剣を突き刺していった。
体のあちこちに熱を感じたが痛みは無かった、敵が廊下の先にまで撤退していくと三階から味方がやってきて階段を確保する。
複数の銃創が見られる伍長を応急手当てしてやり残る抵抗場所に向けて屋内だというのにRPG2を発射する。
通路の先から熱風が押し寄せてくる、射撃が一時的に止まる。
「今だ突っこめ!」
少尉の命令で黒い軍服が先へ進む、抵抗があった部屋の扉付近では黒こげになった死体が転がっていた。
中へと踏み込むとデスクを盾にして数名が抗戦してきたが手榴弾を転がしてやると爆発と共に静かになる。
兵が近付き倒れている初老の男を左右から抱きかかえて椅子にと座らせる。
「オルテガ中将閣下でいらっしゃいますね」
少尉が確認の為に声をかけるが爆風のせいで鼓膜をやられたらしく訝しげな顔を見せるだけである。
階級章を一瞥して一人しかいない中将なのを認めて少し大きめの声で怒鳴るように伝える。
「閣下は捕虜です、すぐに停戦命令を出してください」
「……儂の負けなのか……」
兵に囲まれて自身の身柄が捕らわれたのを理解すると受話器を手にして命令を伝えさせる、戦いを停止せよ、と。
「上級曹長、司令部に報告、我オルテガ中将を確保とな」
階下からの攻撃に対してはしきりに停戦命令が出たと訴えて戦うのをやめさせようとする。
最初は信じられなかったがオルテガから直接命令されてようやく戦うのを辞めるのであった。
島のところへオルテガ中将確保と伝えられるのと同時に、それを知ってか知らずか猛攻撃が行われているとロマノフスキー大尉から知らされる。
「ここが勝負所だ押し返せ!」
建物内部にやや食い込まれる形でさらに圧力を受けたA中隊はじりじりと後退していた。
大尉が何度となく激励するが戦いは数がモノを言う場面が少なからずあるもので、一歩押しては二歩下がるような状態が続く。
本会議場の隣に控えていた島が司令部要員と共に弾丸飛び交う場所に出てくると兵の士気が上がる。
「警備軍司令官は捕らえた、後は目の前の敵だけだよ大尉」
「奴らにしてみればここでクァトロを撃ち破れば何人か抜き去ってトップの地位が転がり込んでくる、簡単には引き下がらないでしょう」
多かれ少なかれ野心を持っているならば最高の条件だと指摘するがまさにその通りだと同意を示す。
「結局のところ力ではねつけるしか無いわけだ、単純明快でいいな」
「高度な政治的取引とやらと比べたら数段ましでしょう」
また防衛ラインが後退するホールを失ってしまうと連絡通路が遮断されて厄介なことになってしまう。
起死回生の一手などそうそうあるものではない、押し込まれてきた部隊に遅延抗戦を命じて一部兵力を迂回させ側背を衝かせようと考え大尉に相談する。
「ありが這い出る隙間もないとは言いませんが、犠牲をかなり覚悟しなければならないでしょう」
「逆に言えば迂回が出来れば勝算は見込める?」
「軍司令官が降伏してしまいどこまで戦えば良いか様子を見ている連中が相手ですからね、出てしまえば後方の敵なぞさして脅威ではないでしょう」
四方を囲まれてどうやって脱出するのかを問う。
「なに地上がダメなら地下があるだろう」
「下水道ですか!」
地元の人間、それも関係者でなければ下水道内で迷子になってしまう恐れがある、だが無数に張り巡らされたこれを使えたら奇襲にはうってつけと言える。
「何キロも先に行くわけじゃない、数百メートル歩くだけさ、技術の進歩を利用しようじゃないか」
そう言って衛星携帯電話を手にする、修理したそれは防水機能も備えていた。
「GPS携帯?」
「そうだ地下数メートルでは難しいがマンホール付近にまでいけば電波は届くよ、何せ地下でも利用可能だからね最近は」
一昔前までは緯度が高い地域では使えず綺麗に繋がらなかった、最近は様々な電波塔を複数経由して安定したアクセスが可能になっている。
その電波が届く小さなタイムラグを三角測点で導き出し位置を補正するらしい。
地上の経由先は補助的なものであってなくとも良い、これが強みであるので通常の携帯電話と違う部分はそこである。
もっともアメリカが保持している衛星を利用しなければならなかったり、各国の電波法に引っかかったりと制約は多い。
「そしてそんな行為を司令自らするわけにいかないとなれば、自然と身近な部下に命令せざるを得ませんね」
「身近な部下としてはどのくらいの手勢が必要だと思う?」
笑いながら調子を合わせる、こうなることが解っていて話しかけているのだから。
多すぎては宮殿が厳しくなるし、少なくては作戦に支障がでるだろう。
「ま、二十人もいたら充分でしょう」
「そんなに少なくても出来るか?」
やってみなければわからないことに一々反応することもないが、もう少し欲しいならば割くつもりで聞いてみる。
「不意をついて勝てなければ少しくらい人数が増えたところでかわりはしませんよ」
ならば隠密性を重視しますと人数に見切りをつける。
「暫く中隊は預かっておこう、欲しい装備があったら好きなだけ持って行け」
了解と告げて親衛隊らしき分隊を引き抜いて中庭へと消えてゆく。
――さて何とか支えておかなきゃならんな!
本会議場と周辺の見取り図を睨んで捨ててもよい箇所を選別して兵力を集中させる。
次いで屋上の兵を減らして一階の防備を厚くした。
何せニカラグアでは空中からの侵入は皆無とみてよかったからである。
空中機動歩兵が編成されるほどヘリがあるわけでもなく、また必要とされる場面が想定されているわけでもなかった。
「これよりA中隊は俺が直接指揮を執る、大尉ほど優しくはないから覚悟して働けよ!」
中隊から笑いが巻き起こる、それが何故だか何となく理解できる彼であった。
「曹長、軍曹、これから敵陣に奇襲を仕掛ける、俺が死んだらお前たちが指揮を執れ!」
分隊二つを眼前に並べて簡単ではないことを画策しているのを明かす。
「自分が死んだら軍曹が、軍曹が死んだら伍長が指揮します!」
外人部隊出身でドイツ人のブッフバルト曹長が第二次世界大戦で中隊を指揮した伍長を思い出して返答する。
苛烈な分隊長を持つ隊員は誰一人として怖じ気づくことはない。
「うむ、我々は下水道を通り敵の南側にと出現し、闇に紛れて奇襲を仕掛ける。ターゲットはマナグア警備室長の大佐だ、奴を死傷させたらこの戦は終結する」
脱出方法を一切説明せずに決意の程を示す、その場で全滅したとしてもクァトロの勝利に繋がるとだけ話をした。
何があるかわからないためRPG2をニ基、手榴弾を各自二倍で四個、小銃の予備弾倉も三個ぶら下げガスマスクについて無い物ねだりをするわけにいかず濡れたタオルを口に巻いて代用する。
銃剣だけでなくナイフも装備し、軽く食事をとり休憩する。
腹六分目程度に収めて短時間、十分位の仮眠を行った。
中庭のマンホールから下水道にと降りる、中世の下水網とはこんな感じだったのではと想像する。
暗闇に目を慣らすために五分ほど目を閉じてから小さなライトを点灯させる、アーチ型の天井脇に管理用の小径が繋がっていた。
南へ直線的に行けるだけ行こうと一歩ずつゆっくりと進む、歩幅は七十五㎝見当になるように日々心がけているため、四百歩で包囲軍の後方部隊あたりになる計算である。
やせ細ったネズミが鳴き声を発しながらあちこちを彷徨いている、下水が出す悪臭もさほど気にならなくなってきた。
途中で直進出来なくなった為に仕方なく右に折れる。
斜めに進んでしまい俄に方向が失われると取付階段を使い地上付近に近付いて位置を確かめる。
「宮殿から南二百五十メートル西五十メートルあたりか――」
敵陣真っ只中だろうと耳を澄ませると足音や話し声が聞こえてくる。
そそくさと立ち去り逃げるように左手に折れて進む。
二百歩手前でマンホールがあるためにまた取付階段を登って様子を窺ってみる、今度は静かなもので人気がない。
「よし、ここで暗くなるまで待機だ」
大尉が夜光反射塗料が塗られた腕時計を見る、夕刻の五時をやや過ぎた頃である。
中米の夜はあと三時間程で訪れる計算になる。
半数ずつ交代で眠るように命令するが下水道でどんなものだろうと壁にもたれかかり目を閉じる、無理矢理にでも休もうと心掛けているのがわかる。
声が漏れたら見つかるかも知れないと一言も発しない、それだけでなくライトも消してしまい闇の中で隣にいる者の顔すら見えない。
ともすれば戦う意欲すら喪いかねない状態で奇襲部隊はただただ時が流れるのを待つのだった。
不意に地上から車両の音が漏れてくる、そんなに重い車ではない、ジープやセダンタイプのエンジン音である。
大尉に腕を叩かれ取付階段を静かに登って声を拾おうとする、断片的な会話が耳にはいるがそのまま声の主が離れてまた静かになる。
「大尉、取付階段の右手から左手に向かい、車両と歩兵が夜営準備に向かったようです」
――夜営準備だと、兵等にはその場で転がるように毛布を配る位だろうから上位にいる奴らの寝床だな!
「目標の居場所を取付階段左手側のキャンプだと推測して行動する、一際大きなところか見張りがついている場所だろう」
納得の予測に兵が頷く、違ったからとあちこち探し回るのも困難なために偶然でも声が拾えたのに感謝する。
マンホールの隙間から外を覗くと暗闇だった。
ゆっくりと蓋を動かして周りの様子を窺う、どうやら近くに人はいないようだと手招きする。
手練れの上等兵と伍長が先行して支援位置につく、もし敵に見つかったなら発砲するかは難しいがむざむざやられるわけにもいかない。
全員が地上にでると蓋を元に戻して建物の影に潜む。
光がある方向に忍び寄ると歩哨を見付ける、軍のキャンプであることは明白でテントが四つあるのを確認する。
内側から灯りが漏れていないのが二カ所、恐らくは物資の堆積があるだろう場所を除外する。
――五十ミリ迫撃砲がまぐれ当たりしても爆死するんじゃないか?
全く掩蔽されていない防備なしの幕に戸惑いを覚える。
「どちらかわからんな両方襲撃する、当たりならばそちらに合流だ」
一方を曹長に任せて分隊に合図する。
歩哨に駆け寄りナイフで突然喉を切り裂く、それを見ていた兵士が二秒ほどの間をあけて「敵襲!」と叫んで命を落とす。
テントの警備が現れると遠慮なく発砲して布を切り裂き乱入する。
中には驚いて椅子から立ち上がって口を空けている男と拳銃を構えようとして腕を撃ち抜かれてしゃがみこんだ男がいた。
ロマノフスキーは手榴弾のピンを抜いて安全握を抑えたまま二人に近寄る。
「クァトロの出張だ、見たらわかるな俺が撃たれたら共倒れになる」
無事な方の男が騒ぎを聞いて駆け付けた兵士らに「撃つな!」と命じる。
「お利口だ。俺の目的はお前さんが戦を止めるか死傷することのみだ。共倒れか降伏を選べ、俺は元レジオネールだ意味はわかるな?」
「レ、レジオン!?」
大佐の階級章をつけた男はメキシコで壮絶な戦死をした外人部隊の歴史を学んでいた、目の前にいる男が本気で目的を達成するつもりならば自分が助かる方法が降伏しかないことにも気付く。
「オルテガ司令官は停戦を命令した、それに従うのが軍人だろう大佐、戦いを止めるんだ!」
目まぐるしく大佐の表情が変わりロマノフスキーの手にある手榴弾と周りをいったりきたり視線が泳ぐ。
隣のテントに行っていた分隊もやってきて同じように手榴弾のピンを抜く。
「……全軍に停戦を命じろ、オルテガ閣下の命令だ……」
ついに諦めて戦闘停止を決意する。
「ニカラグア兵士諸君、すぐに命令を徹底させるんだ戦いは終わった、これから死んでも戦死扱いにはならんぞ」
躊躇している兵達に終わりを告げる、ロマノフスキーの言葉を聞き大佐ががっくりとうなだれた姿を見て銃を下ろして停戦を叫んで回る。
だがしかし手榴弾はまだそのままにして命令が浸透するのを待つ、心変わりが手遅れになったあたりで捨てずにいたピンをゆっくりと差し戻す。
――やれやれまた生き延びたようだな!
手榴弾はピンを抜いて安全握が離れなければ元に戻すことが出来る、だから投擲するつもりでないならばピンは投げ捨てないようにと遠い昔に軍曹に教えられたのを思い出す。
「大佐を本部にお連れするんだ、将校様だから丁重に扱えよ!」
殊更に様を強調して命じる、とぼとぼと歩く後ろ姿は人生の賭けに負けた男の背中を語っているように見えた。
宮殿の本会議場前のホールにまで押し込まれていたクァトロはギリギリの戦いを展開していた。
屋上からも全て撤収させて最終防衛ラインを死守し会議場内にもバリケードを設置して待ちかまえる。
「イーリヤ中佐、最早これまでだ我々は革命に失敗した」
「オヤングレン暫定代表、敵は必ず止まります自分が最後の一人になろうとも諦めずにいてください」
ホールにまで銃弾が飛び交う状態になっても全く挫けない島を見てパストラが言葉を繋ぐ。
「コマンダンテクァトロに任せて我々は審議を進めよう、彼らはそのために命を張って戦っているんじゃからな」
オヤングレンは新たに気持ちを傾けて法律改正に臨んだ、もうどれだけ休みなく議決してきたか、それでも負けじと声を張り上げた。
十何度目か解らなくなったがニカラグア兵の突撃が行われる、そのたびにクァトロにも被害が重なり無傷の兵を探そうにも難しくなっていた。
ようやく押し返したもののすぐに別の突撃部隊が現れて死を厭わずに進んでくる。
――戦闘薬で判断力を鈍らせている?
目が何となく曇っているような感じがして麻薬の存在を疑う。
ハラウィ大尉も小銃を手にして必死に撃退に参加していた。
これまでより更に多くの軍兵がこぞって侵入してくる、一部が被弾しながらもついに本会議場の扉を抜ける。
グロックの命令で本部護衛部隊が発砲して撃ち抜くが、持っていた手榴弾が爆発し破片が飛び散る。
銃弾が切れた兵が銃剣を構えて迎え討とうと立ち上がった時にスピーカーからついに待ち望んでいた声が聞こえた。
「全ニカラグア兵に告ぐ、戦闘を停止して本部に引き返し待機せよ。これはオルテガ司令官の命令である、直ちに戦闘を停止して撤収せよ!」
銃撃が止んで目の前から敵が引き上げてゆく。
「イーリヤ中佐だ、クァトロ全将兵は重傷者を本会議場に後送しホールの警戒を継続せよ」
戦う状態を崩さずに戦力を整理させる、まだ何が起こるかわからない。
宮殿で戦いが停止したためにオルテガ司令官をようやく入城させることに成功した。
マリー少尉が身柄を島に引き渡す。
「オルテガ中将閣下でいらっしゃいますね、クァトロのイーリヤ中佐です」
畏まって敬礼して敵味方ではあるが序列を正して敬意を払う。
「貴官がイーリヤ中佐か、そうかよい表情をしておる。儂がオルテガ中将だ」
何か憑き物が落ちたかのような話し方に少し意外さを感じた。
「閣下、テレビを通じて軍に抵抗を止めることをご命令下さい。最早戦う段階は終わりました、これからは話し合いで結果を出すべきです」
「それは中佐の考えか、それともオヤングレンかパストラか?」
「ニカラグアの民の意思です、皆が家族と平和に暮らしたいそう願っているのです」
ウンベルトがじっと島を見詰めて心を見透かそうとする、だが島は目線を外すことなく受け止めた。
「そうなのかも知れないな、テレビの準備が出来次第行おう。その後の儂はどうなるかね」
「ご協力に感謝致します。閣下の身の安全は保証致します」
そうとしか答えることが出来なかった、だが謀殺されないように身の安全をとの気持ちはあった。
マナグア国際空港、緊急復旧を行い三日の後にようやく主滑走路が国際線の旅客機の使用に耐えることが出来るようになった。
ロビーにたくさんの人が集まっていた、背広姿の男達が主でぽつりぽつりと黒の軍服が混ざっている。
「イーリヤ中佐、君には感謝しているよ、儂の志だけでなく家族まで回復してくれた礼を言わせてもらう」
「閣下は自力でそうなさったのです、自分は外から手助けをしただけです」
パストラに手を握られて言葉を返す。
「例えそうだとしても儂の感謝の気持ちは微塵も変わりはせんよ。ニカラグア政府は貴官らに国籍と旅券を与える、いつでも戻ってきて欲しい大歓迎する」
島とロマノフスキー、それに望んだ将校らに旅券が発行された、二重国籍だがニカラグアは保護を与えても責任は問わない、つまりは徴税も義務も課すことはないという。
「ありがたく頂戴致します。入院している者やクァトロの事後はオズワルト少佐に一任しております、落ち着いたら軍で解体処理をお願いします」
もう活動させることもないとそのように依頼する、補償の処理などもあるため即時解散とはいかなかった為である。
「任せておきたまえ。それとだ、これもあったら便利だろうと作らせた、必要ならば使うとよい」
手渡されたのはクァトロ要員のニカラグア軍除隊証明書だった。
私設軍での階級でニカラグアが遡って契約していたと扱っている。
フランスやレバノンから連れてきた者の待遇を認める物である。
「お心遣い感謝します。きっと彼らも喜ぶでしょう」
空港にアナウンスが流れる、テグシガルパ行きの便が出発する、と。
ホンジュラスで残務処理があるためにそちらに向かう、堂々と空港から出国出来るのは嬉しいものである。
見送り関係者に敬礼してその場を離れる、希望者はニカラグア軍への編入も認められていたために黒い軍服も居残る。
旅客機の椅子に並んで座っているのはロマノフスキー、ハラウィ、マリー、グロック、プレトリアスにブッフバルトだ。
ロドリゲス中尉には兵を率いて陸路移動するようにと命じてある。
「国民投票どうなるんでしょうね」
「さあな、俺達の役目はここまでだからな」
ハラウィが疑問を口にするが答えを求めたわけでもなかった。
三日間で論功行賞まで済ませてしまっていた、残るは基地の後片付けである。
報告を受けてはいるが対クァトロ連隊、マナグアに出撃中に襲撃してきたらしくフェルナンド大佐が奪還されてしまっていた。
だが不思議なことにオズワルト少佐は抵抗らしい抵抗も出来なかったというのに、彼らは大佐を救出すると破壊もせずに去っていったという。
それなのにガルシア中佐が戦死して、遺体すら回収されずに残されていたらしい。
――連隊で何があったやら、リリアン達が無事で良かった。
後方支援のメンバーに死傷者が無く一安心である。
空港に降り立ち休むことなくすぐにチョルチカへと移動して基地に入る。
「お疲れ様です司令」
「留守番ご苦労だ少佐」
オズワルトが出迎えて全員で歓喜の声を送る。
中に見慣れない私服の男が混ざっている。
「あいつは誰だ?」
「チナンデガで中佐が拾ってきた男ですよ、傷も癒えたのに居座ってまして」
――あの時のか。
「少年、名前は?」
「ヌル・アリ」
そう答える表情に感情が見られない。
「傷が癒えたなら家に戻ってよいぞ」
「俺に家は無い。あんたが俺を拾ったならあんたが主人だ」
――な……に?
困ったような顔で左右に助けを求めるが同じく困惑していた。
「実はもうクァトロは解散になる、悪いが兵はもう必要としていないんだ」
苦い表情で少年にそう説明してやる。
「それでも俺はあんたについていく」
どうしたものかと唸るがグロックが横から声をかける。
「ヌル・アリ、お前は中佐が命令したら黙って死地に赴くことが出来るか?」
「出来る。俺はあの人に忠誠を誓い、いついかなるときも従う」
そう言って跪いてブーツにキスをした。
「中佐、一人くらい個人的な従者がいてもよろしいのでは?」
「わかった、わかったから立て。エラいもの拾っちまったな!」
感情を表さずに黙って言葉を待っているヌルを前にしてため息をつく。
クァトロ名義の家屋や物資を全て少佐に委譲して一人一人に声をかける。
そうしているうちにひょっこり基地に顔を出した男がいた。
入り口で止められるも押し切って入ってくる。
「中佐、報酬を受け取りにきましたよ」
「コロラドか、よくやってくれた!」
司令部の面々が喧嘩別れしたはずの男と親しげに話をする島に疑問の視線を投げかける。
「中佐、説明を聞かせてもらいましょう、すっかり忘れてました」
ロマノフスキーが司令室での出来事を思い出して詰め寄る。
「ああみんなには黙っていたがコロラドにはとある特命を与えていてね。実は緊急警備指令による総攻撃の誤認は彼の工作なんだ」
「へっへっへっ。うまくいったようで何よりでさぁ」
グロックの視線が痛い、だが心なしか口元に笑みを浮かべているように見えた。
「地位か金という話だが気持ちは変わっていないな?」
「はい地位を以て報いてもらいたいと思います」
悪びれることもなく対価を要求する、それに島も嫌がることなく履行を約束した。
「ニカラグア軍の軍曹に推薦しておく、お前なら務まるだろう」
そう言ってご苦労とコロラドの肩を軽く叩く。
「……俺は前に言ったようにクァトロに、中佐に拾われるまではこの国で人間扱いされませんでした。それなのに中佐はこうやって約束を守ってくれる、文句一つも無しに。お願いがあります、俺も連れて行って下さい、砂漠だろうと雪山だろうと構いやしません!」
「――なんだってどいつもこいつも、俺は皆に給料を払うことが出来る立場になくなるんだぞ?」
ヌルを見ても全くの無反応である、ロマノフスキーに至っては笑いを堪えている。
「中佐、一人も二人も変わらないでしょう、有能な部下が従うと言うなら黙って頷けばよいのです」
グロック挑戦的な目つきでけしかける。
「我が儘な部下ばかりで困ったものだ、どうなっても知らんぞ!」
「ついでに自分もお願いしますよ中佐、まさかこいつらは良くて自分がダメとは言わないでしょうな」
ついにロマノフスキーまでもがそんなことを言い始めた。
勝手にしろと言い残して島は司令室へと逃げていってしまった。
「自分もと言いたいですがレバノンへ帰らねば。先任上級曹長はどうするんだ?」
「自分は退職金があるので無給でも暫くは困りません。保護者が必要でしょうな」
したり顔で当然ついていくと宣言する。
ついでにヌルとコロラドに不要と言われた者の除隊証明書を与えてホンジュラスで旅券を用意させるようにと手配してしまう。
翌日にロドリゲス中尉らが到着すると正式に解散が伝えられる、無論皆が承知している内容だけに混乱はなかった。
中尉はニカラグアに帰属する兵らを率いてまたマナグアへと行く任を買って出てくれる。
その後はニカラグア軍に戻るそうだ。
中米共同通信でニカラグアの大統領選挙が公布されたと報道される。
結果はわかっているが一つの時代が変遷するのを感慨深く噛みしめるのであった。




