第六部 第二十三章 日米合同演習、第二十四章 マグレブの風
黒の軍服を脱いでスーツを着込んだ島はロマノフスキーと二人でホンジュラスのアメリカ軍基地にとやってきた。
「イーリヤ……いや島退役中佐だ、ジョンソン大佐に会いに来た許可を頼む」
前にランニング姿で顔を合わせた門衛が目を丸くして敬礼しすぐに内部へと案内してくれる。
以前ほど待たされることなく会議室に大佐がやってきた。
二人は起立して大佐に敬礼する。
「中佐よくやった!」
「ハラハラドキドキの繰り返しでしたが、何とか任務は果たせました、援護のお礼を改めて述べさせていただきます」
「構わん構わん、しかしスホーイをフランス軍機が撃墜したと聞いた時には俄に信じられなかった」
仕草で座るようにと促してコーヒーを三杯出させる。
「それは自分もです大佐。紹介します、ロマノフスキー退役大尉です」
視線を島からロマノフスキーにと移してじっくりと体躯を観察する。
「君が噂の副長か良い、実に良いぞ!」
機嫌よろしく握手を交わす、ロマノフスキーもジョンソンが気分の良い人物だと理解したようだ。
「ところで中佐、約束は忘れていないだろうな?」
にやにやとしながら大佐が身を乗り出してくる。
何のことだと大尉が島に視線を向けるが困っている風でも無いため黙ったままでいる。
「もちろんです、ですが少し事情が変わりました。ロマノフスキー大尉だけでなく数名が自分に付いて来るときかなくて――」
「詳細は?」
「元外人部隊マリー少尉、同じくグロック先任上級曹長、ブッフバルト曹長、元レバノン陸軍プレトリアス上級曹長と伍長三名、元クァトロ軍コロラド軍曹、そしてヌル少年です」
十人余の数になってしまいますと肩をすくめて申告する。
「全員俺が面倒を見てやる、戦闘経験を持った宝の山が沢山手に入るわけだ!」
「そう言っていただけると非常に助かります」
顔が緩みっぱなしのジョンソン大佐に甘える形で待遇保証を要求してしまったようで何だか申し訳ないと言うが、雇いたくてもどこの軍も手放さない人材を閉め出す門は無いと歓迎の意を表す。
「中佐は自分達の再就職先まで用意なさっていたんですか?」
かないませんな、と軽口を挟む。
「俺が中佐に無理を言って誘ったんだ、悪いようにはせんよ。だが近く転任の話が出ると内示があった、行く先によっては米軍に所属しない方が良い可能性もある」
またアメリカが表立って動けないならば、そう考えを巡らせる。
「自分達は保留にしてもらい大佐の転任命令が出てから形をお考えになってくださって結構です。少し休暇を楽しんでおきます」
笑いながら話すがどこに行くかなど全く考えてはいない、だが少し休みたいのも事実である。
「そうだな命をすり減らせて働いたんだ、バカンスを楽しむとよい。いった先に米軍があるならば俺から話を通しておく、基地を利用するなりして構わんよ」
島は良くても経費の面で困る者もいるだろうから素直に嬉しい話である。
「ご配慮傷み入ります、少し日本に寄ってからその後を考えます。ブラック中佐の基地、またあそこに厄介になりましょう」
「良いだろう連絡しておく。次に会うときが楽しみだよ」
手を差し出して島と握手して部屋を立ち去ってゆく。
基地に戻って随員に話をすると安堵の表情を浮かべる。
「そう言うことだから皆で中佐の母国に遊びに行くぞ」
「ヤーパンですな、かの地に行ったら日本語以外はまず通じないですな。ギリギリ英語でしょうか」
グロックがそんな説明をする。
コロラドが心配そうな顔をするが遊びに行くだけだから気にすることもないと表情を改める。
「そう言えばヌルは何語を理解するんだ?」
島が不思議な少年について名前しか知らないことに気付いて質問する。
「スペイン語、英語、北京語」
「北京語だ!? なんでそんなものを知っているんだ」
メンバーで誰一人として知らない名前が現れて驚く。
「小さい頃俺の主人が喋ったからだ」
「中国人だったのか?」
「そうだ」
相変わらずあまり多くを語らず、言葉も荒いが感情は見えない。
「なぜニカラグアに?」
「中国人の主人に売られた、新しい主人はニカラグア人だった」
「――!」
――売られただって、すると奴隷みたいな扱いだったのか!
だから感情を表さないようになってしまったのだろうかと考えてしまう。
グロックが済まなそうな顔をしている、島について行くと言った時に命を捨てられるかと聞いて答えさせたのを悔やんでいるのだろう。
今までだって出来ると強制的に何度も言わされていただろうから、知らないといえどもグロックは踏んではいけない部分を土足で踏みつけてしまった。
「ヌル、中佐について行くならば戦えないといけない、俺がお前に全て教えてやる」
ヌルの正面に周り真剣な顔でそう語ると島に視線を送ってきたので頷く。
「わかった、中佐について行くために覚える」
「今からヌル二等兵と呼ぶ、二年もしないうちに立派な兵士にしてやる」
島も二年で兵士としては充分なまでにグロックに鍛えられたものである、先任上級曹長にも弟子が出来て励みになるだろう。
「グロック、皆の分の航空券の手配を頼む、支払いは俺が当日空港でするよ」
「ダコール」
テグシガルパからロサンゼルスを経由して羽田にと向かう。
支払いにカードを使い現金も用意しようと日本で引き出しをして驚く、残高がドルで百万振り込まれているのだ。
――ニカラグアの任務を終えた成功報酬というわけか。
ロマノフスキーに聞いてみると彼にも二十万ドルが振り込まれたそうだ。
「全員に任務終了のボーナスを支給する、レバノンに戻った者にも送金するから遠慮はいらんぞ。ヌルには俺から小遣い程度にくれてやる」
必要な額だけ円で渡してやり残りをドルのまま振り込んでやる。
一人当たり二万ドルだがプレトリアスらは体を震えさせている、レバノンの貨幣価値からしたら日本人の二千万円位に相当する。
――ワリーフには十万送ってやろう。
コロラドとヌルには千ドルずつわけてやり次回以降は契約通りにすると説明を加える。
だがコロラドは貰えるとは思ってもなく、千ドルの額に天にも登る気持ちだった。
生まれてこの方自分の預金を持つことも無く、ましてやこんな大金は見たこともなかった。
プレトリアスが近づいてきて族弟らを後ろに置き改めて礼を述べる。
「中佐には高い評価をいただいた上に一族が安心して暮らせるだけの報酬を頂きました。レバノンに残っている一族の男手が必要な時にはいつでもお話ください、叔父や従兄弟らも喜んで駆け付けるでしょう」
「君達は働きに対する正当な報酬を得ただけだよ、そんなに大したことじゃない。だが気持ちはありがたくいただくよ」
大袈裟な表現ではあるが本気なのをわかっているために笑顔で応える。
奇妙な外国人集団が空港でやり取りをしていてもあまり目立たないのが東京である。
人数が人数だけに大型タクシーを二台使いグロックと島に別れて乗り込む。
どやどやとガタイが良い男が乗り込んだ為に運転手が驚く、そして皆の顔を見て何語なら通じるか迷ったが片言の英語で行き先を尋ねてきた。
――なんだ俺もついに無国籍の顔つきになったか!
アメリカ軍の基地と英語で伝えるとやけに納得してオーケーを繰り返し出発した。
基地の前でストップして円を支払うとぞろぞろと門の前に出てくる。
門番が警棒を構えて睨みつけてきた。
ロマノフスキーが代表して前に出て話しかける。
やけに門番の態度がでかいためにからかってやろうと茶目っ気を出す。
「日本に遊びに来たんだがここに泊めて貰えると聞いた、部屋まで案内してくれんか?」
「ロシアンスキー、留置場に寝泊まりしたいなら空いてるぜ」
警棒を手にペシペシと弄び意気込んで答える。
「何だお前達は留置場暮らしだったのか。海兵隊か?」
海兵隊がこんな見張りをするわけが無いのを承知で煽る。
「いいや陸軍だ。喧嘩を売ってるなら買うぞ」
「ようやく気付いたかのろまが、格闘訓練つけてやるからかかってこい」
荷物を足元に置いて手招きする。
島らギャラリーは何やってる、などと声をかけて楽しむ。
野蛮ではあるが兵士などというのはこの位で丁度良い。
ブラックジャックと呼ばれる革製の警棒、中には砂がたっぷりと詰まっていてこれで殴られると痛いでは済まない。
そんなものを手にした門番が二人詰め寄りロマノフスキーを痛めつけようと隙を窺う。
棒立ちで空手の大尉に左右から殴りかかる、警棒を振り抜く手前で手首を捕まえて力任せに引き寄せて反対側の攻撃の盾にする。
「仲間割れは良くないぞ」
「や、野郎!」
完全に頭にきて急所を狙ってコンパクトに振り抜く、だがギリギリで見切って手刀を鋭く叩きつける。
ブラックジャックを取り落として警笛を口にして異常を知らしめる。
程なく警備室あたりから分隊が駆けつけてくる。
軍曹が場を確かめてどうしたかを兵に確認する。
「ロシアンスキーが喧嘩を売ってきました」
「それであえなく返り討ちなったまで報告するんだ一等兵」
意地悪く言葉を付け足す。
「君達は何者で何が目的かね」
軍曹が冷静に質問してくる。
「俺はロマノフスキー退役大尉、ここの基地で寝泊まりして良いからと言われて部屋を借りにきた」
そう説明すると聞いていたらしく軍曹が敬礼する。
「はっ、ブラック中佐より聞いております、兵が乱暴を働き申し訳ありません」
「いやわざとこちらが仕掛けたから兵に非は無いよ。済まんな一等兵、俺は海兵隊の格闘訓練教官だったんだ」
そんな相手じゃ一生かかっても無理だと情けない顔をしてしょぼくれる。
「ご案内致しますのでどうぞ随員も」
「いや違う俺が随員なんだ」
ロマノフスキーが控えている集団のところに戻り軍曹の近くにと連れ帰る。
軍曹が面々を見回してグロックに敬礼する。
無論それに答えるが何も言わずに黙っている。
「俺が島退役中佐だ、暫く厄介になるよ」
予想外の方向から声をかけられ自分より年若い日本人の中佐を名乗る男に敬礼した。
「中佐殿でありますか?」
「ああ色々あってな。司令のところに案内してくれ、ブラック中佐の推薦なんだ」
この言葉は効いた、見ず知らずの相手ではあるが基地司令が信頼した人物と言われたら無条件である。
「承知致しました中佐殿」
大尉らを兵舎にと導いて自らは中佐を伴い司令室へと足を運ぶ。
途中顔を知っている海兵隊のマオ先任曹長とすれ違い敬礼を受ける。
「やあ久しぶりだな、スミス大尉は元気か?」
「はっ、中佐殿が来られると聞いて司令室でお待ちしております」
わかった、と軽く答えて先に進む。
案内などなくとも場所はわかってはいるが問題はそこではない為についてゆく。
以前訪れた部屋に通されるとそこにはブラック中佐とスミス大尉が待っていた。
「また戻ってきてしまいました」
「歓迎するよ島中佐。よく着てくれた!」
自らが推薦した人物が無事に困難な任務を成功させて戻ってきたのだから嬉しくないわけがない、近付くとしっかりと両手で握手する。
「中佐のお陰で私にまで幸運のお裾分けがきたよ」
「と、言いますと?」
「近く本国に転任予定だ、昇進だよ」
このまま基地司令で軍人生活を終えると思われていたが、人材の推薦能力という結果を出したために人事部に異動になるそうだ。
「おめでとうございます。世の中どう巡り合わせがあるかわかりませんね」
「全くだ。ところでジョンソン大佐から便宜をはかるように言われたが、また海兵隊の教官で一時的に契約しないか? 基地司令と階級が同じとは聞いたことないがね」
笑いながら許可はとってあると付け加える。
実際に訓練するかしないかは自由にして良いとまで優遇を示してくれた。
「お客さんでは扱い辛いでしょうからね、ご配慮傷み入ります」
「今回は一味違うぞ、結果を示したから教官の将校扱いだ。もし私が人事不省にでもなれば中佐が指揮権を継承する」
「なんですって!?」
まさかそんなことになろうとは思ってもみなかった為に声が上擦ってしまう。
「アメリカというのは良くも悪くも能力主義だ、少佐以下の指揮に従うより君に従う方がより良い結果を得られると判断したらそうする。無論それを放棄しても全く構わないよ、オプションだと考えてくれ」
こんな事は前代未聞だと思っていたがそうでもないらしい。
亡命してきた客将が帰属を間近にして指揮を執ったり、上長の判断で一時的にでも指揮権を委ねた例は珍しいのは間違いないが複数あると。
「日本で戦争が起こるとも思えませんからね、留守番位はしましょう」
規模は違えど司令は経験済みな為に請け負ってしまう。
このあたり純粋培養されたり教条的に育ったりしてきていないのを強く感じさせる。
「では早速明日に告知しておこう。呼称はどうする?」
「そうですねイーリヤにしておきますか、また日本の官憲に付きまとわれても困りますから」
日系のアメリカ人でニカラグア軍から移籍してきた、そんな形を想像しておく。
「ではイーリヤ中佐、必要と思われる資料一切は臨時副官としてカーライル中尉を送るので彼に尋ねて貰いたい」
「副官? 承知しました、次の戦いまで束の間の平和を享受させていただきます」
すでに島が戦いを中心とした道を当たり前だと考えているのに少し驚き、自らも軍人で平和が当たり前と感じていたブラック中佐は心の中で恥じた。
握手を交わして皆が待つ兵舎へと向かう手前で中尉が待機していた。
「臨時副官のカーライル中尉であります。中佐、よろしくお願いします」
「済まないね俺の我が儘に付き合わせてしまって、こちらこそよろしく頼むよ」
真面目そうな二十代前半の若者に微笑を浮かべて挨拶する。
士官学校を無事に卒業して順調に中尉に昇進したような雰囲気が伝わってくる。
「全く問題ありません。基地司令代理として必要な資料を揃えてあります、自分に尋ねていただいても結構です」
「目を通しておこう。俺の部下に紹介するから一緒にきてくれ。中尉はスペイン語は解るか?」
英語でも全員に通じたかと一瞬疑問に思ったが理解しているのに後で気付く。
「理解しません。自分は英語と一部日本語を理解します」
――最初から日本に赴任するつもりだったか。
「ならば英語でも通じる。スペイン語圏で長い者がいるから簡単な単語で頼むよ」
「イエスサー」
日本語がわかるなら自分が居ないときに部下の通訳として利用出来ないかと思い付くが止める、中尉は軍務のみ係わらせるべきだとブレーキをかけた。
部屋で大人しく皆が待っていると思いきや、グロックを教師に日本語授業が開催されていた。
「結構なことだ。紹介する、臨時副官のカーライル中尉だ。彼は副長のロマノフスキー大尉だ、他は後ほど確認したまえ」
「カーライル中尉です、よろしくお願いします」
大尉に向かい背筋を伸ばして敬礼する。
「ロマノフスキー大尉だ」
それ以上多くを語らずに紹介を終える。
資料を受け取ると中尉を下がらせて椅子に座る。
「さて講義を遮って悪いが知らせておく情報がある。皆が階級そのまま待遇を保証されるのは知っているだろうが、何と俺に指揮権が付与された」
「そいつは一大事」
ロマノフスキーが笑いながらも重大な話を理解する。
つまりはその気になれば兵に直接命令を下せるわけである、アメリカ軍は他国に指揮権を渡すことは殆どない、それを知っている面々は島がアメリカ国籍に移るものだと受け止める。
「無論副長にも指揮権が付与されている。もうイタズラは出来んな」
門番とのやり取りを指して爆笑する。
「それと暫くはイーリヤと呼んでくれ、バカンスはもちろん自由だよ」
そこに変更はないことわ付け加える、目的がすり替わるならば違う場所で休暇させてやるつもりだ。
「日本の繁華街で羽を伸ばしてきますよ」
大尉が了解を告げてお許しがでたぞ、と煽る。
「自分はヌルと買い物に出掛けます」
グロックが最初に宣言する、こうしておけば他の者も言い出しやすい。
「少尉、俺たちは将校同士仲良くアレを買いにいくか」
「ダコール、そちらの撃破数は最近延びてませんからね」
下士官らと別行動するようにと大尉がマリーを誘う、これを機会に将校教育をするつもりなのだろう。
ブッフバルトとコロラドは酒が飲めたら満足だとバー通いするらしい。
「プレトリアス達はどうするんだ?」
肌の黒いやつら四人組は予定が定まらないようで伍長らの視線が族兄に集まる。
「もしお許しいただけるならば中佐の護衛の為に同行をお願いしたいのですが」
「休暇まで俺に付き合う必要はないぞ?」
それじゃなくても特に通信担当は自由が少なかったのだから、いつアフリカーンズ語で連絡がきても良いように休みが殆ど与えられなかった事実がある。
「我々は中佐の為に何かしたいのです、ご迷惑ならば基地で待機しております」
「わかった、度重なる超過勤務の労いだ今日は同行してもらい一緒に楽しもう。だが明日はゆっくりと休め、家族に手紙を書いたりと全てを忘れて疲れをとるんだ」
これといって予定があるわけでもないので島が折れる、何せ気持ちはありがたかった。
戦場で背を任せられる者が居るか居ないかの違いははっきりと大きいものである。
「ありがとうございます」
「よし全員に告げる、一四○○を以て各自出撃だ」
冗談でそう表して解散する。
一度壊れてしまい何とか間に合わせで使っていた衛星携帯電話、あれを新しく購入しようと思い付く。
私服で正門を抜けるとタクシーを呼んで市街地までと告げる。
――電気店にいけばどこかしらにあるだろう。
久々に都会の散策を楽しむと携帯ショップなるものがあちこちに出来ていて驚く、こんなにも沢山出店して意味があるのだろうかと疑問に思ってしまう。
プレトリアスらはビルの高さに顔がひきつっているのがわかる、国力の違いをまざまざと見せ付けられた形になる。
携帯ショップに入ると黒人のグループに視線が集まるが彼らは並んで隅に黙って立ったままでいる。
「衛星携帯電話を見せて欲しいんだが」
年若い女性店員がお待ちくださいと裏に消えて暫したつと男性が現れて対応する。
「お客様申し訳ありません。衛星携帯電話は当店で取り扱っておりません」
「そうか無いんじゃ仕方ない、扱っている店は紹介できる?」
そう聞いて相手の人脈を利用しようとする。
「電波法の問題で国内で取扱いしている企業は極めて数が少なく、当店ではご紹介は難しいです」
――日本では難しかったか。
「そうかそんな事情があるとは知らなかった、すまなかった」
店を出ると黒人らも付いていったので店員は不思議そうな顔をして扉を見つめていた。
――どこかで扱っていそうな店を知っている奴は居ないかな。
ある一件を思い出してあちこちに電話をかけて目当ての番号を探し当てる。
事前に面会交渉を行うと許可が出たためにタクシーを探して場所を移動する。
突然だというのに受付で名を告げると代表がわざわざやってきて歓迎してくれた。
「お久しぶりです、突然申し訳ありません」
「いやいや構わんよ島大尉、君ならばいつでも歓迎だ」
警備会社の代表が握手をして部屋にと招く。
「今日の随員はまた強そうだね」
「実は通信担当でして、でも格闘ももちろん行いますよ」
通信? と意外そうな顔をして何か関係あるのだろうとそれ以上は追及しない。
部屋に通されると日本茶が振る舞われる、プレトリアスらにも飲むように伝えて話を切り出す。
「忙しいところ申し訳ありませんが、衛星携帯電話を探しているのですが取扱い先がわからず困っています。貴社でどこか付き合いがあるところを紹介していただけませんか?」
警備会社ならば複数の通信手段を持っていることが多いためにきっとあるだろうとあたりをつけたのだ。
「回線も希望? それとも本体のみ?」
「本体があれば回線は持っていますので」
「ならば我が社にある予備をお譲りしましょう。大尉にはレバノンで世話になった」
あの時にかなりの人数を訓練に送ってきたために逆に島が世話になったとも言える。
「こちらこそ取引をしていただけて助かりました。実は現在アメリカ軍と契約してます、臨時なので日本滞在中だけですが」
「ほうこのあたりならば第七艦隊……なわけはないか、大尉は陸軍だからな。駐日本の基地付だね」
軍隊と関わりが深い為に予測を正確にたててくる。
「はい、海兵隊基地に所属しています教官として」
「適切な役割だと思うよ、すると後ろの通信兵も一緒?」
黙って立っているため日本語は理解していないだろうなと島に問い掛ける。
「レバノン陸軍から引き抜いてきました、例の軍事ツアーの鬼軍曹ですよ。自分が居るところに彼らありです。プレトリアス上級曹長とプレトリアス伍長らです」
全員同姓の一族だと説明すると代表もなるほどと首を前後に動かす。
「教官の部下もまた教官というわけか、良い部下持ったわけだ、この分だと誘っても我が社には入社してもらえそうもないな」
「申し訳ありません、自分には実戦の場が合っているようです」
それもそうだと微笑む、第一線に立っていられるうちはそうすべきであると。
「他に入り用なものはあるかね、武装だって用意出来るよ。まあ軍人ならばそちらのほうが簡単に用意出来るだろうが」
「日本では防弾ジャケットが武器扱いになるとか、おかしな国です」
身を守るだけしか能がないものまで武器とは不思議を通り越して間違いではないかとすら感じる。
「ハードウェアの争いになるのを予め制限したと解釈しておこう。ところであれから二年程だが少佐に昇進の声はないのかね、君なら順当にいけば近年中にそうなるんじゃないのか」
年齢が三十と少しになれば経歴から間違いないだろうと話を振ってくる。
「自分では大尉すら過分だと思うんですけどね、色々ありまして現在中佐と呼ばれております」
軽く頭を掻いて評価が高すぎぎますと呟く。
「中佐だって!? こいつは参ったな、だが海兵隊基地の司令は中佐クラスだったのでは?」
流石に情報通なだけあってそんなことを指摘してくる。
「その通りです、自分は居候ですから。それと軍ではイーリヤ中佐と名乗っています」
「それは何語だい?」
イーリヤの響きが英語らしくないために尋ねる。
「スペイン語で島をイーリヤと呼ぶのでそれを」
「それは好いな、言語が違っても見つけられそうだ」
感心しながら冗談を口にするが島はそれで助かったことを話す。
「偶然気付いた者がいて助けられました、出鱈目につけるものではないと痛感しましたよ。それではご好意に感謝致します」
社員が持ってきた本体に自身のカードを挿入して起動を確認すると封筒に入れた札を差し出し立ち上がる。
その封筒に視線を投げかけて代表が一つ質問する。
「参考までに尋ねるが島中佐は最近までアメリカ大陸で働いていたかね、しかも真ん中らへんで」
「否定はしません」
ふむと軽く一息ついて封筒を手にとり島に向ける。
「私は君とビジネス抜きで付き合いたくなった、それは贈るよお祝いだ。ああ、何も言葉は要らない十年二十年先に酒を酌み交わす相手をしてもらいたい」
「それまでに逸品を探しておきましょう」
封筒を受け取り笑みを残してその場を後にした。
「島龍之介か……イーリヤ以外も調べておくとするか」
窓の外を眺めて今後の楽しみが増えたと一行を見送くるのであった。
空が薄暗くなってきて昼間から夕刻へと感覚が移り変わる。
「付き合わせてしまって済まんな、レバノンの軍事ツアーの得意先でね、上級曹長の名前も売り込んでおいたよ鬼軍曹とね」
族弟らが笑いながら「族兄は厳しいですからね」とツアーを思い出す。
「将来は警備会社に各国軍隊の訓練を仲介するような仕事でもなさってはいかがですか、自分もお手伝いさせていただきますよ」
「君がやったら良いだろう応援するよ」
言ってから案外いけるなと計画を出してみるようにと肩を叩く。
すると自分から言い出したくせに意外な顔をして了解した。
「国元への土産を送ってやるとしよう、我らが副長が目を丸くしたジャパニーズティーアンド苺大福をな」
「苺大福?」
聞き慣れない単語に首を傾げる、ものは試しだと和菓子屋を探して四つ注文してやる。
粉がたくさんついているために黒い手が白くなり顔をしかめるが一口で頬張る。
甘い味わいに突然酸味が現れるものだから目を見開く、ロマノフスキーがどんな顔をしたかが想像出来たようだ。
茶の渋みで口の中を綺麗にすると一息ついて感想を一言。
「族長宛てに郵送出来ますかね?」
「百個位あれば良いか?」
「充分です中佐」
英語で住所など宛先をメモさせて代わりに注文してやる。
百個と言われて驚きレバノンにと指定されて更に驚いていた。
いつでも良いよと代金だけ先払いして立ち去る、日本人は真面目なので代金を貰ってしまうと必ず約束を果たそうとする。
これが中国人ならば再度代金を請求し、イタリア人ならば注文を忘れてしまい、インド人ならば数年後に現れて注文しても宛先を記憶しているだろう。
頑丈で精確な時間を刻む腕時計を見て回り性能の割には安いと買い替える。
肌着を見付けて着てみて仕上がりの良さに感動し山のように買い込む。
日が暮れて腹が空いてきたなと和食料理店にと足を運ぶ。
あまり敷居が高くない店を選んでみたが彼等には驚きの数々が待ち構えていたようだ。
レバノンに限らずで特にイギリス連邦、それらでは食事とは栄養の摂取が最大の目的であり他は手段でしかない。
つまりは腹がふくれたらそれで結構、そのようなスタンスなのである。
そんなつもりで臨んで目で見て楽しみ、季節を感じさせ、更に食材一つ一つに意味があり、食べて美味しいとなり和食の魅力の虜になったようだ。
日本に居る間は全食を和食にすると興奮していた。
量の少なさはその後に酒を楽しめるようにするためだよと冗談を飛ばして場所を変える。
オープンな酒場へと入るとビールで乾杯して日本酒を振る舞う。
独特な仕上がりのすっきりとした出来映えに酒でもファンになってしまったようだ。
飲み始めるとその分出すのが人間である、便所で用を足して戻ると先ほどまでは居なかった集団が店の真ん中を占拠していた。
――やれやれチンピラか、場所を変えて飲むことにするか。
目を合わせないように遠回りに戻ろうとして声が漏れ聞こえる。
それがポルトガル語だから驚いた、一人南米ブラジル系の顔立ちの男が混ざっており、ヤクザの兄貴分らしいのが親しげに会話しているではないか。
やり取りの中でコロンビアだの五番だのと喋るのが気になった。
――麻薬だなこれは。
わざと後ろ隣に座って聞き耳を立てる。
だがチンピラが余所へ行けと意気込む。
「よう兄ちゃん、そこは予約席だ汚いケツを上げて帰るんだな」
「空席かと思っていたよ、予約席なら仕方ないなよけるとしよう」
そう言って一つ離れるがそこも予約席だと絡んでくる。
――なるほど確かにプレトリアスら以外は全員ご清算か。
チンピラもガタイが良い黒人集団には喧嘩を売らなかったらしく彼らは黙って酒を飲んでいる。
「女将さん、どこが空席かな」
黒人と連れ立っていたはずと疑わしい視線を向けられるが軽くウインクしてみる。
「カウンターならば空いてますわ」
ボックスから離れている上に女将には暴言を吐くことが躊躇われるのチンピラは舌打ちして去ってゆく。
「ビールを一杯と何かつまみを」
「お兄さん、あちらの方々と一緒だったんじゃないんですか?」
「新規客に興味があってね、あいつ等は?」
喋って良いかどうか躊躇するが迷惑な客に気を使う必要もないかと小声で答える。
「龍王会の奴らよ、最近急に羽振りが良くなって。あんな風に態度悪いから来て欲しくはないんだけど、何か言ったら嫌がらせされるかも知れないし……」
――品行方正なヤクザなんているもんか。
微笑を浮かべてビールを傾ける。
「ほっとけば消えるだろうからね、余計なことには関わらないが正解だろう」
そうわかっていながら関わろうとする自分は何なんだろうなと自問自答しようとする。
結局のところ刺激が欲しくて戦争してるのではと考えてしまう。
ただのチンピラヤクザならば放っとくが麻薬となれば穏やかではない、世界共通で政府側は麻薬を排除する側にたっている、百害あって一理なしとされている。
――利は沢山ありそうだが。
コロンビア麻薬のバイヤーらしきブラジル人が島の方をチラチラと見て何か話をしている。
チンピラがやってきて顔を近付けねめつけてきた。
「なんだここは空席だったはずだぞ」
「余裕かましてんな兄ちゃん、表出ろ勘定はこっちでもってやる」
支払うつもりは全くないだろうに、因縁の付け方すら残念なチンピラだと呆れてしまう。
「いや今支払っておこう、女将さん釣りはいらないよ。全て一緒に払っておく」
全てのところに力を入れて札を数枚手渡す、プレトリアスらの分だと理解してすっと受け取る。
流石に水商売だけあってそれ以上に言葉を必要としなかった。
「じゃあごちそうさま、邪魔者は退散するよ」
カウンターを立って店を出て行く、一部始終を目の端で注視していた上級曹長が一人に外へ行くように短く告げる。
大人しく島が出て行くとチンピラが三人ついてきて引き留める。
「まあ待てや兄ちゃん忘れ物がある」
マシな顔つきが一人で残りはただの爪弾き者だろうなとの感想が沸いてくる。
「俺はあのくらいのアルコールで忘れ物するほど酒に弱くはないぞ」
くいっと顎をやるとチンピラが左右に分かれて懐からナイフを取り出してにじり寄る。
「ちょっと口の聞き方を知らないようだから教育してやるよ、叫びたければ叫べ、誰も助けちゃくれんがな」
「世界共通で嬉しくなっちまうな、日本のチンピラもフランスのチンピラも同じ場所で学んででもいるものなのか?」
ル=グランジェでの出来事を思い出す。
人が刃物を恐れるのも多数を脅威とするのも変わらない事実なのだろうと解釈する。
目の前に核爆弾があるより、あるいはナイフを向けられた方が恐ろしくなるだろう、結果を想像しやすいがゆえに。
「入院したいらしいな、やれ」
血を見ることが楽しくてたまらないのか喜々として襲いかかってくる。
だがしかし殺意までは無いために拍子抜けしてしまった。
命を賭けずに形だけの脅しではつい先日まで殺し合いをしていた者をたじろがせることは出来ない。
始めから急所を避けて尻や股を狙ってナイフを繰り出しいたぶって楽しもうとするが不意に距離を詰めて鼻っ面を強か殴りつける。
まさかの反撃に驚いているチンピラBに向き直りナイフを無視して顎を思い切り殴りノックアウトする。
「食後の運動にもならんな」
口にしていたタバコを投げ捨てて上着を脱ぐ。
「空手か何かか極道相手にはしゃぎすぎるとどうなるか教えてやる」
「極道ってお前は昭和か、それに筋を通した生き方をするのが極道だと思ったが違うのか?」
呼び方で何も変わるわけではないが、相手をからかうのもまた戦い方の一つである。
一般人相手ならば充分通用するだろう動きもやはり殺気がこもっておらず脅威に感じない。
――俺の方が鈍感になりすぎちまったかな?
張りつめすぎも良くないものだなと小さく呟いて殴りかかる男のすね辺りを蹴り飛ばして転倒させる。
切羽詰まった男がどこからか拳銃を取り出し島に向けようと構える、刹那暗闇から伍長が飛び出して腕を蹴りぼっきりと折ってしまう。
情け無い泣き声を発するがお構い無しに伍長はそいつの口を蹴飛ばして前歯が全損となる。
「伍長助かったよ、場所を変えて飲み直そう」
「ありがとうございます。伝えてきます」
去り際に唾を吐きかけて毒づく。
――弾丸一発で死ぬのもあるいは不幸せとは言えないのかも知れないな。
入れ歯決定のチンピラを一瞥して先の角まで歩いてゆく。
プレトリアスらがやってきて角を曲がろとしたところで店からチンピラが慌てて飛び出して行くのが見えた。
「ジャパニーズラーメンって知ってるか? 酒を飲んだ後に食べるものなんだ、食ってみようじゃないか」
中国のラーメンとはまた違った発展をしたものを教えてやろうと繁華街にやけに沢山出店されているラーメン屋へと入る。
どうにも吸い込むような食べ方が難しいらしく悪戦苦闘しながら口にする姿が妙に笑いを誘うのであった。
箸も当然うまく使えるわけもなく本当に必死だったのだから。
翌日に基地の自室に中尉を呼んで少し尋ねてみる。
先日渡された資料の中にあった合同演習について。
「この小規模な演習だがブラック中佐がわざわざ参加するのか?」
日米で千人に満たない程度のものである、基地司令が出ずとも少佐クラスが取り仕切れば問題ないように思えたのだ。
「はっ、それは日本側でニ佐が出席するために合わせる必要からです」
カーライルがニ佐について呼称を説明しようとして中佐が日本人あるのに気付いて省略する。
――何でも横習えな日本人ならではの要求というやつか。少佐が出るから三佐にしろと言えば向こうが合わせそうな気もするな。
それが出来ない理由が他の何かに関係しているのだろうと受け止めておく。
司令の不在日だけを一応確認して覚えておいた。
昨晩深酒した大尉がようやく起きてやってくる。
「日本酒は翌日にきますな」
どれだけ飲んだのか聞いてみて、日本酒のせいではないぞと指摘してやる。
「プレトリアスらに苺大福を食べさせてみたら、大尉と同じ反応をしていたよ」
「苺……ああ、あれですかファンタジックな菓子。そう言えば中佐の実家には寄らなくて良いのですか?」
前に行ったときに必ず近くにきたら寄りなさいと言われましてね、と種明かしする。
「いけるうちに行っておくか、泊まりは勘弁だけどな!」
どうやったら断れるかを考えて悪知恵を出そうとする。
グロックとヌルにも声をかけて泊まれない程の人数で行くことにした。
先任上級曹長は理由も聞かずいつものようにダコールとだけ返事をする、だが今回はヌルも唱和してダコールと答えたものだから少しばかり意外だった。
電話を一本入れてから適当に茶菓子を手にして久しぶりに実家へと帰る。
玄関前でまた隣のおばさんに声を掛けられロマノフスキーがハーイマダムと返事して手を振ってやると何故か頬を染めて手を振り返してきた。
――何があったんだよ。
「龍之介――ってあらまあ随分と大勢で、お帰りなさい」
「ただいま、ロマノフスキーだけじゃなく今回は少し多めさ」
ヌルがグロックに日本では靴を脱ぐのだと説明されてウィと頷いている。
居間へと上がると父親が座っており皆を見てロマノフスキーにまず礼をする、大尉も言葉はわからないが同じ仕草をして微笑む。
「龍之介、紹介しなさい」
「はい父上、自分のフランス語の教師であったりフランスで職を世話してくれたりしたグロックさんです」
危うく呼び捨てにしそうになり不自然にさんをつける。
「初めまして、息子さんにはこちらこそ助けられましたアンリ・グロックです」
「何と日本語を。島龍之介の父の龍太郎です。愚息がご迷惑をお掛けして申し訳ございません、フランスでの面倒をみていただき感謝の念に堪えません」
腰を折り深く礼をする父に習い島も頭を下げる、事実は事実である。
「いえ今や彼は我らの上司となり逆に生活をみてもらうまでになりました。こちらこそ感謝しております」
――しまった説明をし忘れた!
「龍之介、若い彼の紹介を」
深くは追及してこずに待たされているヌルのことを尋ねる。
「ヌル・アリ君。グロックさんの今現在の教え子です」
日本語がわからないためにグロックが通訳すると同じ様に頭を下げて英語で挨拶する。
分け隔てなく龍太郎は龍之介と付き合ってくれてありがとうと頭を垂れる。
母親が茶を沸かしており座るようにと勧めてくる。
皆が座りくるべきものがやってきた。
「龍之介、お前は今どんな仕事をしているんだ」
焙じ茶に抹茶おはぎを並べられて外人組が感嘆の声をあげているところで穏やかに尋ねてきた。
「――軍人をしております」
隠しても仕方ないと素直に告白した。
「自衛隊?」
「いえアメリカ海兵隊です」
「アメリカ? なるほどだから外国人の友人なのか」
そう言って静かに茶を飲む。
大尉らは緑の塊からご飯が現れて食べると甘いものだからまた驚いていた。
グロックが目で自分が話をしようかと尋ねてくるが首を横に振って断る。
「最初にフランス軍に入りました、次いでレバノン軍、アメリカ軍、サウジアラビア軍、そしてニカラグア軍を経て現在アメリカ軍です」
「よくわからないが軍人はそんなに転々とするものなのか?」
軍人であることには拒否反応を表さずに説明を求めてくる。
――転々するのはどうなんだろう?
自分でもよくわからないためにグロックに尋ねてみる。
「普通の軍人はどうなんだろう?」
「殆どの軍人、特に下士官以下の者は軍を転じることはありません。将校以上でも少数派でしょう。その少数派でもこの回数は極めて稀な経歴です」
グロックが龍太郎に分かるように丁寧に噛み砕いて説明する。
「グロックさん、その稀な部分ですがろくでもない厄介者扱いなのでしょうか?」
「軍というのは徹底して不要な人物を雇うことはありません。逆に有能な人物には相応な条件でもって契約を持ち掛けるものです」
「龍之介、お前の待遇はどうなんだ」
説明を聞いて核心部分を確認する。
「アメリカ海兵隊中佐、将校です臨時契約の」
「グロックさん、これは一般的に如何な内容でしょうか?」
「はい、まず中佐とは中堅幹部であり平均的には三十代後半から四十代の年齢が多く任命されます、将校とは命令責任者でありこの場合は正規の官職待遇を示しております。また臨時契約はこの際マイナスではなく、中佐殿がどうしても欲しいアメリカ軍が試しに在隊出来るように提示したものです。結論として極めて稀で有能な人材として世界の軍が中佐殿を欲していると言えます」
「丁寧な説明ありがとうございます」
龍太郎がグロックにお辞儀をすると、こちらこそ説明が不明瞭でと返す。
「龍之介、お前は今の生活に満足しているか? 危険も多いだろう」
「はい、満足しています。命を預けられる仲間が出来て嬉しいです」
掛け値なしに本心からそう思っていた、人に産まれて何が大切かを問われたら様々な答えがあるだろうが、島は人が大切と胸を張って断言することが出来た。
「そうかそれならば良い、便りがないのは息災の印とは昔から言ったものだ。お前も男ならば信じた道を行け」
「はい!」
龍太郎は居住まいを正して皆様と声をかける。
「龍之介が誤った道に走るようならば諫めて下さい、もしそれで過ちを正さないようならば、その手で未然に道を外れるのを止めてもらって構いません。何卒息子を宜しくお願いします」
両手をついて畳に額をこすりつけて事後を託す。
龍之介もそれに習いスペイン語で今後とも宜しくお願いします、と同じ姿勢をとる。
皆が一様に驚いた、ヌルですら滅多に感情を表さないくせにはっきりと動揺したのだ、頭を下げられたりお願いされたりしたことなど皆無なのだろう。
「お父上、中佐殿、どうぞお手をあげてください」
グロックがすぐさま日本語で答える。
ロマノフスキーがスペイン語で起立を号令する。
「我々は祖国に見放され周りが全て敵になろうと中佐殿を裏切ることはありません。もし誤りを正せない時には共に罪を分かち合いその責任を一身に受けることを誓います」
敬礼! と声を上げると島も立ち上がり答礼する。
「母さん、地下から大吟醸を持ってきてくれ」
用意された杯に酒が注がれて乾杯する。
無言で酒を注ぐ音だけが聞こえてくるが、やけに耳に心地よかった。
「ところで、前妻に操を立てるのも良いが再婚はどうなのだ」
スラヤの代わりが居るとも思えないが、さりとて独り身を貫くにはまだ早すぎるのも事実である。
「機会があればと思ってはいます、何かきっかけがあればそうなるかも知れませんが積極的にとは」
心に傷がついたせいか女っ気が最近無いのを思い出す。
「焦ることはない人生は長いからな。そう色々とこの先もあるだろうが、慌てずに考えるとよい」
やけに感慨深い何かを口にする。
時が流れてそろそろ退去しようとの声があがる、雰囲気を察して龍太郎が何かを持ってこさせた。
「毎年クラス会の案内が着ている、今年のは間に合いそうだな」
――週末か、前回は当日だったな。
母親から受け取り場所を確認すると毎年恒例なのか前と同じホテルだった。
「もう少し日本に居るつもりなのでまた寄らせてもらいます」
龍太郎は小さく頷いて四人の姿が見えなくなるまで見送っていた。
基地の自室で目を覚ます、誰かが扉を叩いている音が聞こえる。
「中佐殿、早くに申し訳ありません、カーライル中尉です」
時計を確認すると朝八時を少し過ぎたあたりだった。
――中尉が謝る必要がないなこりゃ。
「済まん寝過ごした、今開ける」
椅子に引っかけてある上着を手にして扉を開ける。
「お休みのところ申し訳ありません、火急の確認要件が発生しました」
「本来は勤務時間だ中尉は何ら間違ってないよ。どんな内容だ?」
非常勤扱いで仕事なんて何もないのに何を焦っているのだろうと思ってしまう。
「先日確認なさいました合同演習についてです。ブラック中佐殿が急遽アジア地域会議のオブザーバーに召喚される事になりまして、イーリヤ中佐殿が代理で演習に参加出来ないか、とのことです」
どちらかを諦める必要が出て来たら何かしらの措置をしなければならないために急いでいるのがわかった。
「演習の代理を引き受けると司令にすぐ返事を伝えて欲しい」
「ラジャー」
敬礼すると踵を返して早足で去っていった。
身を繕うと海兵隊の執務室へと足を運ぶ。
全く見慣れない中佐が部署をうろついているため不審がられてしまう。
「スミス大尉の執務室に案内してくれ」
軍曹を捕まえて先導するよう命令した、こうしておけば気にはなっても不審には思わない。
部屋に入ると大尉が驚いて立ち上がる。
「命令いただければ自分が参りましたのに」
「いやいいんだ、ちょっと連絡事項があってね。米日合同演習だが、ブラック中佐の代理で俺が参加する。当日の実務は大尉だろうか?」
海兵隊の統括はスミス大尉が行っていたはずだと記憶がある、変わっていないならば先任として他の部隊もみているだろう。
「はい自分が行います。しかしそのような命令は聞いておりませんが?」
「近いうちにくるはずだ。プランのコピーをカーライル中尉に渡しておいてくれ、当日何もわかりませんとは言えんからな」
大尉を隣に置いて丸投げも可能だが、やはり性格だろうか把握しておかなければ落ち着かない。
「承知いたしました。ロマノフスキー大尉も参加なさりますか?」
「休暇を楽しめと言ってあるが、俺の部下はきっと全員参加するよ。危なかしくて俺を放っておけないらしいからな」
ジョークを投げかけると複数部資料を用意しておきましょうと受け止める。
伝えることだけ伝えると邪魔者は消えるよ、とさっさと部屋を退去してしまう。
大尉のデスクにある電話が着信を告げたのは扉を閉めて数秒後のことだった。
今回は参加するぞ、御子柴の携帯に留守電を入れて土曜日を迎える。
開始前についてあちこち見て回るのは習性になってしまっている。
ロビーで腰が沈んでしまいそうな位の椅子に座り出入りする人間を眺める。
心なしか時間に追われているような者が多いような気がした。
目ざとく島を認めた女性が早足で手を振って近付いてくる。
「龍之介、今年はこれたのね!」
「おう冴子、丁度良く仕事が終わったものでな」
そんなとこに座ってないで会場に行きましょうと腕を引かれて立ち上がる。
当然同じ年の彼女は前に逢ったとき同様に綺麗だった。
「御子柴君にあいつが来るよって聞かされてついつい早めに来ちゃったわ」
一時間近くも前にいる異常者を脇によければ確かに早めの部類だろう。
「それだけ冴子と長く一緒にいられるわけだ、御子柴の功績は絶大だな」
どうぞお手を、とエスコートして会場へと向かう。
幹事をずっとやっているのか噂の男が先乗りしているのを発見する。
「よう世話焼、お陰で同伴の誉だ」
「来たか糸が切れた凧みたいに連絡がつかないやつが」
満面の笑みを浮かべて近寄ると片手を上げてハイタッチする。
何年経とうと時間が昔に戻ったような感覚を得ることができる、学生時代こそ人生の中心であるとばかりに。
「飽きもせずに実家に連絡くれていたから運良く参加出来たよ」
「囁かな義務を遂行しようとする幹事はパーティーの参加費が無料以外に報われてもよいとは思わんか?」
「昔の悪行を差し引かねば計算出来んとも思うがね」
三人で乾杯して軽くカクテルグラスを空にする。
他愛もない会話が嬉しくて堪らない、人は過去を美化しがちになるものなのだ。
会場にある程度人数が集まった段階で御子柴が開始の挨拶と全体の乾杯音頭をとった。
「ねぇ龍之介、今度はどこに行ってたの?」
秘密を知る彼女がワイン片手に語りかけてきた。
「ん、アメリカ大陸だよ。今はバカンスの最中さ」
「日本滞在は長い予定かしら?」
「どうだろう、完全に連絡待ちだから何ヶ月先になるか明日突然終わりになるか……」
ジョンソン大佐のことだから休暇をきっちりとったあたりで連絡してくるだろうとは予想している、しかし時間が惜しい場合は迷いなく連絡してくることもあるだろう。
「忙しくたって一晩位は行方不明でも許して貰えるわよね」
しなだれかかってくる冴子を抱き寄せて耳元で許してもらうさ、と囁く。
早めに会場を抜けましょう、とクラス会をすっぽかす提案をしてくるが、一次会だけでも御子柴に付き合ってやるさ、と半ばその後の行動を約束するような言い方をする。
クスリと笑って嬉しそうに頷く。
閉会挨拶を会場の端で耳にしてその場を立ち去る。
相変わらず再婚禁止の約束を守っているようで何か達観したような態度を見せる。
≪削除記録A2≫
≪削除記録A3≫
「最高だったわ」
「俺もだよ」
暫し互いの温もりを確かめ合うかのようにじっとする。
「あなたの子供が出来たらどうする?」
「認知するよ。けどそうなると家はどうなるんだ?」
「再婚しなければセーフよ、子供出来てたらいいな」
セーフなのか? そう思ったが立ち入ったことを聞くつもりはないので黙って納得しておく。
同時に再婚して家を捨てるつもりがないこともわかった。
――強くなったものだな冴子も。
「もし子供が出来て男だったら龍の字を名前につけて欲しい」
「わかったわ。でもそれ以上は言わないで、何だかお別れの言葉みたくなってしまいそうだから」
何とも反応し難いことを言われて答えに詰まってしまう、結局のところここ十年近くの経験なぞ戦い以外は吹けば飛ぶようなものでしかないと思い知る。
彼女が望ならばそうしようと目を瞑りただ髪を撫でてやることにした。
いつしか二人とも深い寝息をたててしまい、久々に心が満たされた島は皮肉にもスラヤの夢を見て目覚める。
だが起きた途端にどんな夢をみたかを忘れてしまい切ない感覚だけが残っていた。
笑顔でまたね、と朝帰りする。
門番が島の顔を見て敬礼して道をあけた。
心中何か複雑ではあったが軍服に着替えて副官を呼び出す。
「資料を」
演習の内容を確認するために詳細情報に目を通す。
その間も部屋にいて待っているように命じる。
じっくりと内容を調べる、久方ぶりの英語での報告書に最初は時間がかかったが、スペイン語に比べたら簡略化されているため次第に読む速度があがっていった。
待っている間に中尉は微動だにせずに資料に落ち度はないと胸を張っている。
三十分程は経っただろうか、島が一息ついて部屋にコーヒーを二人分持ってくるように電話する。
「結構だ。中尉は副官部に所属して参謀に進むつもりかい」
報告書に満足してもらえたようで中尉の自尊心が満たされる。
「はい。後方勤務作戦部へと進みたいと考えております」
差し出されたコーヒーを口に運び将来の夢を語る。
「そうか。俺は正規の順路を辿ってきたわけではないから偉そうなことは言えないが、後方勤務につくにしても前線は体験しておくべきだと思うよ。経験は学の幅を広げてくれる」
「ご指導ありがとうございます。中佐殿は士官学校出身ではないのですか?」
高官にそんな人物がいるわけないと考え意外そうな声を発する。
「一般大学中退だよ」
肩をすくめて残念だと苦笑いする。
「ではどのようにして将校に?」
「ま、実戦がある場所では命知らずが重宝するらしいな」
曖昧な答えを返して目を瞑る。
どうしてハウプトマン中佐が自分を大尉に抜擢したかは結局のところわからない、出身部隊が同じだったからだけではないだろうが。
今後の自らへの課題だと受け止める、人事についての部分を。
「戦争とはいかに効率良く命を失わせるか、ですね。非情ではありますが、結果として損なわれる人命が減るのは歓迎されると」
理由を捜し当てようとして語るがそれは机上の考えに聞こえてくる。
「どうなんだろうな、手をつないで仲良く出来ない以上は別の答えを探さねばならないのも事実ではあるんだがね」
世のすべてに模範解答があるならば是非とも知りたいと心で呟く。
「中佐は哲学的な考えがお好みなんですね」
「いや、単に愚痴っぽいだけだよ。中尉を解放しよう、演習当日は仕事が無さそうだが参加してくれ」
「イエスサー」
――サーか、敬称をつけられるようなことは何もしてないがね。
本当に愚痴っぽくなったなと感じて、それが司令のストレスからだと理解するのには少し時間を待つ必要があった。
昔からそうだがこんな時には走る、それが島のスタイルである。
海兵隊の訓練所を見付けて近寄っていく。
下士官が島の姿を認めて駆け寄ってきた。
「中佐殿、何か御用でしょうか」
「マオ先任曹長、俺の我が儘を聞いてくれ。走りたくなったから混ぜて貰えないか?」
「は? いえ、どうぞご自由に」
何なんだと困ったような顔をしてから部隊に戻り大声でメニュー変更「武装長距離走に変更する急げ!」と命じる。
またかよ、そんな反応を見せる兵士にさっさと準備するよう唾がかかりそうなくらい近くに顔を寄せて怒鳴りつけて急かす。
中佐が一緒に走ると聞かされて珍しいモノを見るかのような視線が注がれる。
島も兵士から荷物を受け取り同じ条件で駆け足を始める、最初こそ勢いがあったが次第に兵士の息があがってくる。
「馬鹿者共が、中佐殿に醜態を晒すな!」
マオが鬼の形相で兵士を叱りつける、どうやらあれからみっちりと長距離走をしたようで先任曹長は大分余裕があるように見えた。
「先任曹長は随分と走ったようだな、前とは違い体力が大幅に上がっている」
「全て中佐殿の助言のお蔭です」
白い歯を見せて答えるも自身の努力だよ、と返してニヤリと笑い勝手にペースを上げる。
マオもそれに従い「遅れるな!」声をあげて伴走する、条件は同じはずなのに自身よりも更に余裕がある島を見て唖然とする。
「中佐は我等とは訓練の量が全く違うようですな!」
「生きるか死ぬかで追いかけ回されたら何日でも走れるものさ」
過酷な実戦を経験したことがないマオは耳が痛かった、普段怒鳴り散らしてはいるが、いざ戦いになれば自分はしっかりと部下を統制出来るのかどうか不安になる。
「その場に臨めば訓練が如何に有益だったかわかるよ」
先任曹長の表情を見て元気づけてやる、年は島より上でもその激励に心底謝辞を述べる姿は物事の本質を感じさせた。
兵が落伍し始めたために休憩を挟む、背嚢を外そうとした兵がいて伍長に差し止められている。
――かくて知識や体験は継承される、か。
「先任曹長邪魔したな」
「いえご指導ありがとうございました」
中隊に起立、敬礼を命じて島が離れてから再度休憩を行う。
ようやく呼吸が落ち着いてきた自身に比べ、未だに死にそうな兵を見てもう少しランニングを増やさねばと訓練メニューについて妄想するマオであった。
部屋に戻る途中でうろついている軍曹を見つける。
「コロラド、何をやっているんだ」
「中佐、基地に居ると聞いたんですが姿が見えなくて探していました」
休暇の最中に何かしでかしたのかとも思ったが表情が暗くはない。
「何だお薦めのバーでも見つけたか?」
酒場巡りをしているのを知っていて粉をかける。
「それもありますが違うんです。リュウオウカイのカシラとか言うのが中佐を探してるようです」
――龍王会の若頭、あいつ等かそりゃそうだろうな。
「なるほどな、しかし良く俺のことだとわかったな?」
日本語がわからない上に名前は名乗っておらず、さらにはそんな話は漏らしていないのに。
「黒人四人組と日本人の組み合わせで日本人が滅法強い三十位でポルトガル語を理解してそうなやつ。中佐だと思いましたがどうでしょう」
「違いないな。そして俺が追われていてお前が嬉しそうな顔なのはどうしてだ」
皮肉を言ってはみるが地顔とも言えそうな気はする。
「ホットな情報を中佐に伝えることが出来たものでつい……」
済まなさそうな顔になり下を向いてしまう。
「そいつも違いない。俺のためにありがとう軍曹、身辺に気を付けておく」
肩を叩いて労いの言葉をかけるとコロラドが破顔する。
「ですが中佐、リュウオウカイって何ですかね?」
「ジャパニーズマフィアだよ、カシラはヘッド、つまりは指揮官の意味だ」
「マフィア! ……カルテル?」
「スィン、奴らは面子――つまりは名誉を最大に気にするんだ、やり方はイリーガルだから始末が悪い」
様々な言語が入り乱れるが何とか理解したようだ。
――だがヤクザだ、こちらが米兵だろうとやるときはやるな。
護衛をつけて歩くかはたまた身を隠して海外行きを待つか、どうしたものかと悩む。
「こっちから攻撃しますか?」
「なに……そんな手があったか」
顎に手をやって暫し考える。
――個人的な清算にアメリカ軍を使うわけにはいかない。だがあちらがアメリカ軍に手を出してきたならそれは別だ、身に降りかかる火の粉は振り払っても良いだろう。
ではどのように相手に誘いをかけるか、日本政府も黙らせる妙手は無いだろうか。
真剣に考えている島をじっと期待の眼差しで見詰める、コロラドの目には今どのように映っているのだろう。
――奴らが合同演習の最中に俺を襲えば思う壺だな!
一旦罠を仕掛けて呼び込む必要がありそうだ、こんな作業は初めてだが失敗は自身の危険に繋がる為に一発で決めねばなるまい。
「軍曹、大尉と先任上級曹長、上級曹長を俺の部屋に集めてくれ」
「すぐに召集します!」
休暇なのに休まらないと文句をいう奴が居ないのを承知でどのような流れを見込むかを考える。
――何か画策して成功するだけでも愉快と言えるが、プラスアルファをどこに見出すかが問題である。
午前中のせいか案外簡単に全員が集まった。
グロックは訓練していたようで軍服姿で現れる。
「ヌルに訓練をしておりました」
聞いてもいないのにそのように疑問を解決する、年をとると色々と推察出来るものらしい。
マオに対して先回りしたことをすっかり忘れて感心する。
「中佐殿はどんな祭りを開催してくれるんでしょう」
ロマノフスキーが微笑でもって召集された理由を問う。
「実は俺はジャパニーズマフィアに狙われていたらしい。コロラド軍曹が調べてくれた」
「そのジャパニーズマフィアが何故中佐を?」
最近帰ってきたばかりで関わりがないだろうと不思議がる。
「プレトリアス達と飲みに行った先でぶちのめしたのがそいつらの手下だったんだ」
上級曹長が納得している。
「酒の上での出来事にしてはやけに大事ではありませんか?」
「それはだ大尉、あいつ等がコロンビアから麻薬を持ってきたらしい話を俺が聞いちまったからだよ。ブラジル人が居てね」
まさか理解する人間が近くにいるだなんて日本では交通事故に会うくらい低い確率である。
「麻薬ですか。それで中佐はどうするおつもりで?」
どんな楽しい命令が下るのか耳を大きくして身を乗り出す。
「合同演習の場で俺を襲わせて強烈な反撃をしてやろうと思ってな。流通網を壊滅させるまで一気に叩く」
方針を聞かされて麻薬に対する認識を再確認した、市場に流れるルートを減らすためにどうしたらよいかを各自が考える。
「そのブラジル人を捕らえて出荷元の撲滅に繋げたいところですな」
大尉が根本を排除するべきだと提案する。
「日本で売りさばく者が居なくなっても流通は減るでしょう。マフィアのヘッドが手を出したくなるなるような結果を見せつけてみては?」
島の身の安全にも繋がるだろうヤクザ組織の壊滅をプレトリアスが推す。
「先任上級曹長はどう考える」
自身に振られるまでは意見を口にしないために尋ねる。
「二つの案は共に効果的と考えます。後はどのように執行するかの手段を論じるべきと存じます」
コロラドはどうして良いか思い浮かばす黙って聞いている。
「輸入手段の捜査には日本の官憲の協力が必要だな。ヤクザ撲滅にはやはり警察組織の力が無ければ。アメリカ軍や自衛隊には動員の法的根拠がない」
そのように考えを誘導してグロックはまた押し黙る、自ら答えを絞り出せと。
――日本で動くためには軍からの要請の形を取るしかない、その道筋を用意するんだ。
「大尉はアメリカ軍を通じて日本の警察に麻薬情報があると担当者を充てるように至急要請しろ。先任上級曹長は日本国内で基地外におけるアメリカ軍人の法的扱いがどうなるかを調べるんだ。上級曹長は海兵隊の中から直接指揮下に使える分隊を特設して演習当日の護衛準備を、スミス大尉には俺から連絡しておく。軍曹はマフィアの動きをキャッチするよう独自に動くんだ」
その場の面々に適宜命令を下す、警察も米軍相手に無視も出来ないだろうからまずは橋頭堡とばかりに手配させる。
大尉に要請させるのは日本の警察が刑事を派遣してくる時の目安の為である。
警部では権限が少なすぎであり、警視が担当者になれば大尉相当になるので命令し辛くなる、そうあちらが考えたら最高だ。
警部は呼び名だけはキャプテンで大尉にあたりそうだが、警察学校卒が任じられたり逮捕請求が可能になったりと初級将校の扱いと類似している。
そのため初任を少尉、暦年を中尉とみなして、年次で昇任する警視を大尉とみなす。
この先は将校も警察幹部も同じく極めて狭い門になる。
警部補を下士官ではなく少尉扱いするのはいただけない、警部補以下は判官待遇であり幹部ではないのだから。
無論、警部補の中でも統括の立場ならば少尉ではなく准尉との呼び名で狭間にぶら下がるとの考えには納得できる。
基地司令が中佐と知っているだろうことからも警視正がわざわざ担当することは考えられない、キャリアの人数からして警視が派遣されるのが濃厚であろう。
仮に警視正がやってきたとしても少佐相当の為本来はあまり気にならないが、日本は特殊で軍との比較があまりされない国柄から、相手の警視正が下位であるのを認識しない可能性が高いのも事実である。
解散して後にマリー少尉とブッフバルト曹長を呼び出す。
概要を説明して自衛隊側が混乱しないようにするための連絡を担当させる。
「ではあちらさんにはどうしてもらいましょう?」
「当日演習で闖入者を用意するから訓練イベントの一環として扱うようにして、将校のみに知らせる形をとってもらおう」
仕込みだと思わせておけ慌てることも少なかろうと説明する。
「終わってみたら本物でビックリですか。わざわざ大尉が行かないあたりがリアルですな」
日本は形式を重くみることが多いため、事前通知があるとないではかなりの温度差があると注意を促す。
厄介な国柄ですな、と了解をすると曹長を引き連れて退室する。
――俺は組織自体を調べてみるか。
ニカラグアの旅券だけを所持して日本のを隠す、アメリカ軍人になりきるのがポイントである。
ネットを使って簡単な組織図を手に入れる。
規模や枝の関係が面白おかしく書き込まれてきた。
基礎となる知識を頭に入れておき、後に警察からの情報を使って書き換える、最初に地があると飲み込みが早くなるものだ。
――当日は先任上級曹長を通訳のために隣に置こう。
日本語を理解しない素振りをするのも有効だろう、独自にヤクザとの落としどころも探っておこうと選択肢を増やしにかかる。
麻薬が出回らないようにする、これが目的だと頭の回路を整理して一本の筋を通しておく。 目の前の問題に関わりすぎると目的が曖昧になってしまいがちになる、惑わない為に指揮官は常に局外にあり冷静さを保つよう努力する。
例のバーにあったマッチを取り出して徐に受話器を手にしてコールする。
「あっ、女将さんですか。実は――」
その日の夕刻に水野警視が部下を伴い基地にやってきた。
ロマノフスキーがカーライルと共にブラック中佐に挨拶しに行き水野警視らを紹介する。
中佐は日本警察の協力に感謝する、ただそれだけを告げて全員を追い出した。
実はこれも島の頼みであり、階級の差があることをわからせる為の演出であった。
水野警視は面白く無さそうな顔をしたが気を取り直して会議室へと足を運ぶ。
ロマノフスキーとカーライル、プレトリアスをテーブルに後ろの壁際に島、グロック、コロラドらが座る、島は階級がわからないような格好で控える。
水野警視は随員二名を席につかせて改めて挨拶してから事情を聴取しにかかる。
「麻薬の情報があると聞きました、詳細をお聞かせ願えますか」
その日本語をカーライルとグロックが通訳する。
「ここにいるプレトリアス上級曹長が龍王会なる組織の若頭とブラジル人の会話を直接バーで聞きました。それによるとコロンビアから五番を運んできたそうです」
英語が全くわからないらしくカーライルが通訳するのを待つ。
話を聞いてメモしながらインテリヤクザだな、そう呟くのを耳にする。
「話を聞いた場所と時間を教えて頂けますか」
プレトリアスが店を説明する、名前までは思い出せなかったがいけばわかると回答してさしたる問題はないと水野が聴取の後で行ってみようと決めた。
「して相手はどんな感じのやつらだった」
目下が相手だとばかりに言葉が荒くなる、ニュアンスそのままに中尉が通訳する。
「椅子に偉そうな男が一人、ブラジル人が一人座っていて、男の左右に護衛が立って店には手下が六人いて他の客を全て追い出しにかかりました」
「君は追い出されなかった?」
「自分と他に三人の伍長で飲んでいたテーブルには奴らはやってきませんでした」
体つきを見てこれが四人いたら喧嘩をしかけないだろうなと納得する。
「他に残っていた者はいたか?」
「店主の女将が一人です」
島は居なかったかのように扱う、その方がやりやすいからなのは命令を受けたときにすぐ理解出来た。
「奴らは何語を話していた」
「ポルトガル語を。意識して簡単な単語を使っている感じがしました」
意志疎通に失敗するとお互いに困るだろうなと指摘を妥当だと判断する。
「ロマノフスキー大尉、その店に行きたいのですが良いでしょうか?」
「構いません、同行します」
「その三人の伍長も連れてきてもらえますか?」
「呼び出しましょう」
プレトリアス伍長らがやってくると似たような顔の黒人ばかり現れて驚いた。
車を三台軍から出して繁華街へと移動する。
警察車両も従い何があったのかと野次馬が集まってくるがキープアウトとばかりに巡査が通せんぼした。
店に入り女将が大勢の人に少し驚愕したが後ろの人だかりに島を見付けて落ち着く。
「女将さん、警視庁の水野警視です。少々伺いますが、先日彼等は店にやってきましたか?」
黒人を四人並べて質問する。
「黒人の見分けがつきませんけど四人グループできた黒人は居ましたわ」
見分けがつかないと言われて唸るが尤もな話であるために先に進める。
「その時に他に客はいましたか?」
「居ませんわ」
一旦言葉を区切って続けるが水野の顔が何かを読み取ろうとしていた。
「龍王会のやつらが居たけれどお金を払わないから客じゃないわ」
「なるほど無銭飲食ですか。してそいつらは何人でしたかね」
メモ帳を片手に証言を集める。
「椅子に二人と他に八人だったかしら」
プレトリアスの言葉と一致するために事実だろうと推察する。
「全員日本人でしたよね?」
「一人椅子に座っていたのが褐色の肌だから外国人だと思いますわ」
わざわざ間違って質問するが正しく修正してきたために記憶力はまあまあだなと頷く。
「どこの人種かわかりますか?」
「さあそこまでは……喋っていたのは英語じゃなさそうですけど」
「その時に他に誰か居ましたか?」
「黒人客とそいつらだけです」
一瞬視線が違う場所に飛んだがはっきりと断言する。
「日時はわかるでしょうか」
これは帳簿を調べたら判るために確認を促す。
ノートを捲ってこの日ですわ、とそのまま提示する、書き換える暇もなく未払い十人の赤字が書かれている。
お借りして良いですかと既定路線の言葉を耳にした。
「防犯カメラなどはありませんか?」
「お客様が嫌がるからその類は御座いません」
確かに見張られているような感じがあったら不機嫌にもなるだろう。
「ご協力ありがとうございます、また伺うかも知れません」
アメリカ軍からの話でなければこんな捜査を直接担当するような階級ではない水野が嫌々頭を下げる。
「うちの上級曹長の言葉に信憑性はありましたか」
「事実の可能性が高いです。所轄に情報を集めさせます」
部下に指示すると一旦解散を申し出た為にそれを受け入れた。
無表情で立っている者達全員が車に乗り込んで基地へと帰着する。
日本の警察力は世界的に見ても優秀である。
その捜査結果が出るのにさして時間はかからなかった。
丘陵公園、そのように表現するのがぴったりである。
演習と言ってもその内容は多岐に渡る、戦車や戦闘機を使い大砲を発射するような時もあれば、山野に伏せてひたすら隠密活動を行ってみたりも。
今回はアメリカ軍からの提案で山間偽装や伏兵の合同演習で奇襲攻撃の訓練を予定している、明らかに島の意図からであるが書類上は常に討議の上合意により、そのようにまとめられている。
指揮官同士の顔合わせ挨拶で島は野戦仕様の顔料をたっぷりと塗った上に、戦闘服にヘルメットを目深に被って人相を解らなくしてカーライルを通訳に使いイーリヤ中佐を演じた。
自衛隊の川田二佐は真新しい軍服に素手で現れてアメリカ軍のやる気に動揺していた。
以後は実務者の大尉同士が計画に従い演習を行う。
司令部に戻ると直ぐに顔料を落として戦闘服から制服に着替えて上着を手に引っかける。
「随分な早変わりですな中佐殿」
ロマノフスキーがいよいよとばかりに面白がる。
「囮役を全力で務めてくるよ、規模の大きなイタズラだなこれは」
警察から龍王会の動員能力や幹部連中の情報をもらい、通報一本で待機中の人員をすぐにまわしてもらえるようにコネをつけてある。
水野警視もこの日は待機してもらうよう要請してあった。
コロラド軍曹の諜報は末端視点からの経験深い内容であった、こちらが知らせたい情報を意図的に漏らし、あたかも龍王会側が調べたかのような状態で若頭に報告があがっているのだった。
その誤情報、ミスリードは、とある日本人の男が黒人と繁華街界隈によく出没しているとの内容である。
それを聞いた若頭は一定地域を重点的に見回らせて男と黒人という組合せを捜索させていた。
戦闘服のズボンにランニング姿になった上級曹長は島と共に車に乗り込み演習地から少しだけ離れた繁華街へと向かう。
それとわからぬように護衛分隊を先任上級曹長が率いて四台に分乗し後を追った。
適当な場所に車を乗り捨てわざと人目をひくかのような行動をとる。
――ホンジュラスに引き続きピエロだな!
きっと大佐にまた笑われるだろうと予想しながら道路沿いにある店頭販売を見ては声を上げる。
目の端に一般人とは少し違う風体の男が入る、懐から携帯を取り出してどこかに連絡しているようだ。
――食いついたな。
なるべくそいつを視界に収めながら近くをうろうろする、次第に半端者が集まりだして雰囲気が悪くなってきた。
黒塗りの立派な外車が現れて止まる、どうやら若頭のお出ましのようだ。
プレトリアスに目で合図して繁華街の外へと歩き出す。
それを追い掛けるかのようにチンピラがごっそり付いて来る。
――釣られすぎだろ!
写真で見た幹部がちらほら混ざっている、ならば最早間違いようもないだろう。
ついに遮るような場所に三人が現れてゆっくりと向かってくる、十年前なら絶望に気を失ってしまうかも知れないような状態である。
目の前の男たちを完全に無視して進もうとすると呼び止められる。
「待てや兄ちゃん」
「パードゥン、イングリッシュプリーズ」
そう言われても英語が話せるわけもなく、少し考えてから「ファックユー!」と殴りかかってきた。
――それなら通じるな!
笑いそうになりながら拳を避けて腹に一撃、顔に一撃くれてやる。
隣では上級曹長が容赦なしで殴り飛ばし二人が鼻血を流して気絶して転がっていた。
駆け足で郊外へと向かう、最初は走って追いかけてきたが不健康の代名詞よろしくすぐにばててしまい、後続が車で仲間を拾って追いかけてくる。
十分程頑張り野原が広がる丘にまで逃げると車が島らを追い越して先回りしてチンピラを吐き出す。
後ろを見るとそちらにも沢山の男が展開して逃がすまいとあたりを囲む、黒塗りの車が最後に人を割って止まり派手な格好の男がタバコをくわえて降りてくる。
そいつが酒場にいた若頭だと確認するとスペイン語で話しかける。
「バーにいたやつが俺に何のようだ、愛の告白ならお断りだぞ」
「てっきり日本人かと思ったら日系人か。この状態を見て生きて無事に終わると思ってるならクレイジーな精神だって誉めてやるよ」
遠巻きにしてへらへらと笑うチンピラが痛い。
「龍王会若頭の金森だな。俺を探していたのは麻薬の話を聞かれたからというわけか」
「ああそうだ、だが安心したよお前が見つかってな。墓場にするには広くて快適な場所だ」
追従するかのようにギャラリーが下品な笑いをする。
動員目一杯に少し足らない位で百人少々見当だろうか。
「インテリヤクザと言われてるなら少しは疑えよ。お前のことを知っている奴がこんな場所に向かって逃げると思うか?」
言われて男達があたりに注意を払う、少ししてとある場所を指差して何か居る、と声を上げた。
「罠があったとしてもこの人数相手にどうするんだ」
小馬鹿にしたような表情を浮かべて島を睨み付ける。
「そう思うならかかってこいよチンピラ。麻薬を扱う代償を支払わせてやる」
「減らず口を叩くな。お前たち足腰立たないようにやっちまえ!」
途中から日本語に切り替えて声を張り上げる。
島が同時に右手を高く空に向かって掲げた。
その直後に四台の車が猛加速して輪に突っ込み島の周りに急停車してプレトリアス伍長らが飛び降りる。
相手は小勢とばかりに勇んで詰め寄るヤクザ集団の輪の外に戦闘服を着てライフルを手にした軍兵が一斉に現れて英語でその場に伏せるようにと叫ぶ。
遅れて自衛隊の部隊も展開して集団を無力化しようと銃を向け同じく伏せろ、と命じる。
「な、なんだこれは!?」
「アーミーだよ見たことなかったか?」
現れた兵と争いが始まるがヤクザと軍が戦うと警察とは違い容赦なしの軍が次々と叩きのめしていく。
自衛隊員は躊躇して手を下せないが海兵隊は指揮官を護るために怒声を浴びせてノックアウトの数を増やす。
五分とかからずに鎮圧されて並べてころがされた男達を横目にカーライル中尉に偽装が甘かった部隊を指摘させる。
「さて五体無事だがそちらはどうだろう」
「米兵による暴力事件だな、明日になればさぞ右翼が喜ぶわけだ」
通報を聞いて駆けつけた水野警視の一団が大量に転がる男を見て驚く。
見回すとロマノフスキー大尉が居たために駆け寄って事情の説明を要求する。
「ロマノフスキー大尉、これは一体どういう状況ですか」
「こいつらがこぞって二人を殺そうとしていたのを合同演習中の我らが阻止した次第です」
そう言って上級曹長と島を指してあの二人ですと加える。
黒人がこの前のやつなのはわかったが、もう一人の日系人も会議室に居た奴だと気付く。
「おいお前たち、いくらなんでもこれはやりすぎだろう、ここは日本だぞ」
水野は二人に向けて開口一番威圧的に出る。
先任上級曹長がそれを英語に通訳する。
「水野警視、我々は自衛権を行使しただけです」
「逸脱しているだろう、過剰な行使だ! ロマノフスキー大尉、こいつらに言い訳をしないように注意してやってください」
さも当然そうな顔でいるのに腹を立てた警視が米兵の様々な扱いを思い出してがなりたてる。
「しかし危害を加えられては大事ですが?」
「こいつら二人位いなくたってどうにでもなるだろう」
ついぽろりと本音を漏らしてしまい、先任上級曹長に通訳しないようにと慌てて告げる。
だがグロックはそのまま通訳しないようにといわれままに通訳してやる。
それを聞いたロマノフスキーが怒りを露わにして水野に詰め寄る。
「貴様、言うに事欠いて中佐殿が居なくてもどうとでもなるだと!」
「なに、中佐だって!?」
忠実に訳すグロックは一切の感情を込めないが驚きは見ていたら誰もが理解する。
カーライル中尉が横から「海兵隊基地司令代理イーリヤ中佐殿です」と説明した。
黙って見ていた島がようやく口を開く、だが英語を使用する。
「水野警視、彼らは米日地位協定の17条1ーaに従いアメリカ軍の逮捕者として扱う、よろしいな」
「そ、それは……我が国の司法により裁かれるべきだと確信しております」
若頭にもわかるようにスペイン語に切り替えて話を続ける。
「奴らが麻薬ルート撲滅の為に協力しないならばアメリカは彼らを裁くでしょう。良くて全員懲役三桁にならないギリギリだろうが」
「そこを何とか日本にお任せ願いたい。必ず麻薬は摘発します」
日本の官憲がまた負けたと言われては自身の未来にも影響すると食い下がる。
「おい悔い改めて麻薬ルートを潰すのに協力したら懲役百年は勘弁してやる、選べ頭を下げて日本で懲役になれば釈放も見込めるだろう、だがアメリカのプリズンからは死ななきゃ出られない。五秒やる」
「わ、わかった、協力するいや、協力させて下さい!」
インテリヤクザと言われ自信に溢れていた男の姿はもうそこには無かった、争いに敗れた負け犬にもう日は昇らないだろう。
「水野警視に三つの条件を出す。一つ今回の件は無かったことにし別件逮捕とする。二つ麻薬捜査情報は政府だけでなく軍にも直接報告する。三つバーの女将に危害が加えられないように贔屓にしてやれ。どうだ」
「それならば私の許容範囲内で約束出来ます」
自衛隊については全く心配していなかった。
事なきを得るならば黙ってそれに同調するのはわかりきっていたからである。
その場で念書を作成させる、日本では文書が重きを為すのを知っていたためカーライルが簡単にそれを用意する。
実務は部下に任せて警視とブラジル人について話を進める、容疑者が現れたら面通しに協力すると水野の顔を少し立ててやった。
アメリカ軍も当然問題なかった、何せ決めるのは島の役割であったのだから。
演習は無事に終了、詳細は口外無用を命令して帰還するのみである。
翌朝ブラック中佐に顛末を報告する。
「演習は無事に終わりましたが勝手に部隊を使ってしまい申し訳ありませんでした」
「ああ気にしないで良いよ、あいつ等は暴れることが出来たらそれで幸せなんだ」
会議はうまくいったようで機嫌が良い。
「勝手ついでに麻薬情報があれば軍に直接報告するように取り決めてきました」
「ホワイトハウスからも麻薬だけは絶対に許すなと厳命されている、それはナイスな気転だと思うよ」
アメリカの国力を下げようと麻薬を蔓延させる計画すらあると囁かれている。
そして実際に麻薬は人々の働く気を失わせて治安悪化を招き、地下組織の資金源としてテロリズムに宛てられると悪循環を起こしていた。
「そうだ君宛にラブレターが届いているよ」
手渡された軍事郵便、差出人はジョンソン大佐であった。
失礼して開封すると次の任地が決まったようで現地で待っていると書かれていた。
「どうやら我らの休暇に終わりが訪れたようです」
「ほう次なる戦場はさぞかし大変なところだろう。して行き先は?」
ジョンソン大佐とイーリヤ中佐が二人して当たらねば解決不能な任務がどこにあるのか興味を持つ。
「赴任先は……ナポリ!」
◇
シャルル・ド=ゴール空港、何度この場に足を運んだか分からない程に訪れた風景である。
大佐にナポリが赴任地と知らされたが同封されていた航空券はフランス行きであった。
そんな初歩的な間違いをきっちり人数分するわけもないために黙って指定の機に乗り込み日本を後にした。
待合いロビーではジョンソン大佐が島らを見付けて手招きをしている。
「フランス旅行とは気が利いてますな大佐殿」
「休暇なのにまた笑いの種を作ってくれた中佐へのプレゼントだよ」
敬礼して握手を交わす。
当然のように海兵隊での出来事を知っているがチケットはそれ以前に手配されている、元からフランスに用事があるわけだが。
「俺のところのリベラ少佐とアンダーソン中尉だ」
「島、いやイーリヤ中佐だ。こっちはロマノフスキー大尉にマリー少尉」
将校のみを簡単に紹介して歩きながら話をする。
「イーリヤ中佐とは無線で話したことがあります、ピザ屋ですよ」
「あの時のが中尉、君だったか。助かったよ」
「あのような胸が熱くなる作戦に次は始めから同行したいものです」
大佐の副官だと名乗った彼は根っからのアメリカ人の雰囲気がある。
タクシーを拾って四台に分乗した。
大佐と中尉、島の三人が一緒に乗り込みフランス行きの理由を軽く確認する。
「さてわざわざイタリアではなくフランスにきてもらった理由だが、北アフリカマグレブ地域に昨今政変が吹き荒れているのに関係している」
マグレブ地域とはイスラム教でいう日暮れの意味で、メッカから西の部分がそう表されている。
マグレブの礼拝と言葉の意味は変わらない。
リビア、エジプト、チュニジア、そしてアルジェリアあたりがその部類であり、似たような時期に政治が不安定に陥っていた。
「我らの大統領閣下が突然アラブの春等と口に出されてから、メディアがこぞって相乗りしたアレですね」
そうだ、と苦々しく頷いてそこまでは中佐が理解していると判断して先に進める。
「今回我々はチュニジアがイスラム法を容れたり、共産化をしないようにと誘導するのが任務の最終目的となる」
チュニジアは大統領が亡命した後に首相が暫定大統領を宣言してたった一日で辞任、それから議会議長が大統領になって与党が解散させられ混迷を極めている。
そこへロシアや中国がチュニジア労働者共産党を支援し始め、イラクを中心としたイスラム社会がアンナフダ党を支援し、イスラム共同体を拡張しようと手を伸ばしているらしい。
「イスラム社会民主主義ですか、世界の多様化は顕著ですね」
「そりゃあれだ、俺の幕僚チームに日本にウズベク、ドイツにベルギー、ニカラグアあちこちから集まってきているように時代の流れなんだろう」
「みな仲良くやってくれたらありがたいものですがね」
どんな無理が待っているのかタクシーが中心街に深く入ってゆく。
「全ては明日だ、フラットを用意したから使うと良い。今夜は将校で顔合わせの食事だ、それまでは自由にしてくれ」
一等地と呼んで差し支えない場所にある小綺麗な建物を指して告げる。
アメリカの国力を感じてしまう瞬間であった。
部員に自由待機を命じて二人には今夜顔合わせを行うことを告げる。
時間があるために島は久しぶりに懐かしのフラットを訪れてみることにした。
「マダーム」
後ろ姿を認めて声をかける。
「あらあらまた着てくれたのね、嬉しいわ」
元気そうに島を迎え入れてくれた管理人も七十の声が聞こえる頃だろう。
手土産に苺大福を差し出して世間話をすると、まるで自分の家族、とりわけ息子や孫に対するように暖かく接してくれた。
「大変、すっかり忘れていたわ。あなたに伝言があったの」
思い出すと引き出しをあれこれ探して首を捻る。
――俺に伝言って誰なんだ、しかもかなり前なんだろうな。
ようやく目当てのメモを探り当てて島に差し出す、伝言の主はグエン・ホアン・ニムとあった。
――ニムか!
思い出してみれば彼女との接点はほとんどなく、向こうから連絡をとろうとしたらこうするしか無かった。
日付は丁度サウジアラビアを去るあたりだった。
「その電話番号に連絡して欲しいと言っていたわ」
「すいません電話をお借りします」
にこやかにどうぞと勧めてくれる。
ベトナムの国番号から彼女宅だろう場所に電話する、長い待ち時間の後にベトナム語で誰かが電話にでた。
「すいません、島ですが伝言を受け取り電話しました、ニムさんはいらっしゃいますか?」
たどたどしいベトナム語を思い出しながら会話する。
怪しまれながらも代わりますと言われて懐かしい声が聞こえてきた。
「私ですニムです。龍之介さん?」
「ああ俺だ、今まで遠くにいて伝言を受け取れずにいた、待たせてすまなかった」
受話器の向こうで彼女が小さく良かった無事で、と呟くのが聞こえた。
「もう連絡してくれないのかと思ってたわ……」
「本当に済まない、今までアメリカ大陸にいて働いていたんだ」
他の連絡先も教えておくべきだったと後悔してからどうしたかを尋ねる。
「私、あなたの子を産みました。グエン=ダオ・ホアン・チュニョです」
「何だって!? 島の龍か、一人で苦労させてしまった、すぐにそちらに行きたいが抜けられない仕事が始まっちまった!」
大佐に何とか数日だけ抜けさせて貰えるように頼もうかと考えたがそうはいかないと自ら却下する。
せめて送金だけでもと彼女に話をするが断られてしまう。
「仕事が終わってからでいいわ、あなたが連絡をくれて子供を喜んでくれただけで私は幸せ」
身を引き裂かれるような思いがしたが自身の連絡先を教えて必ず会いに行くと答えて住所を確認して通話を終える。
国際通話の為に管理人に代金を見積もりで支払って事の次第を話した。
「おめでとう。会いに行けないならば手紙でも書いてあげたらどうかしら?」
それは名案だと謝辞を述べて足早にフラットを去っていくのであった。
何とも複雑な気持ちのまま夜を迎えてレストランで顔合わせを行う。
これから同じチームとして活動を共にすることになる。
「本格的な活動には後十五日必要となる、それまでに我々がしておかねばならない仕事が一つある。フランス軍情報部と接触して今回の任務における重要人物の情報提供を受けなければならない。その後に情報提供者を探し出して協力依頼を取り付けるまでのリミットでもある」
それが遂行されたら完全に自由だとも言われた。
「十五日というのは何故でしょう?」
ロマノフスキーがリミットがある割に達成しても十五日なのが変わらないのを不思議がる。
「そいつはだ俺達の所属はこれから第六艦隊付参謀部という部署になる、その実働支援にあたる第62打撃空母群が十五日後にナポリに入港するからだよ」
面々がなるほどと納得する、アメリカ本土から地中海に増援として投入される特別編成艦隊群を後援としての任務なのがわかった。
十五日というのが長いのか短いのか全く解らないが交渉ごとにリミットがあるのは不利な話であった。
無論作戦中にでも成立すれば良いのだろうが、事前に用意出来たならば大佐の面目躍如といったところだろう。
「仕事の話は明日にして、今夜はフランス料理を楽しもうじゃないか」
乾杯して雑談が始まり時期を見計らって島が口を開く。
「実は一昨年に関係したベトナム女から先ほど子供を産んでいたと聞きました」
「ほう、ベトナムと言うと……ニム嬢ですか」
大尉が記憶にあった名前を引っ張り出して祝を述べる、大佐らもそりゃ目出度いとワインを注いでくれる。
「本来ならすぐに飛んで行きたいだろうが情報提供者が見付からないうちはな――」
大佐が気を使ってそう言ってくれる、その気持ちだけで充分嬉かった。
「ありがとうございます。それはまた別の話、任務が終わってからの休暇を楽しみにしておきますよ」
「楽しみを先に持つのは良いことだ」
目的を何か持たないと早死にする、そんな風潮がありあながち間違いでもない。
生への執着とでも説明すべきだろうか。
翌朝にフランス情報部へと向かう、佐官ら三名で部屋に入り大尉と中尉はロビーで待機した。
フランス軍からは情報部長の大佐と中佐が臨席して形式的な挨拶が自己紹介と共に交わされる。
「フランス軍よりアメリカ軍へこちらを提供します」
ジョンソン大佐が資料を手にして内容を確かめる、一枚の写真に数枚の資料が添付されていたようだ。
「アルジェリアを拠点にしてチュニジア、リビア、マリなどのイスラミーアを指導しているようです。近い将来に彼がこの地区の最高指導者になるでしょう」
「我国の障害になるのは明白です、これを除くために全力を注ぐものです」
テロリストや麻薬組織を相手にするときは仲が悪くても協力を拒まない、取り分けEUと昨今あまり関係が思わしくないアメリカでもだ。
「情報提供者の氏名をお教え願います」
「フランス軍としては事前に提供者に了解をとっておりません、その点はご承知の程を。本来ならば軍は氏名提供を許可出来ませんが、貴政府からの強い要請があったために開示致します」
無理やりだから仕方なく教えるんだと繰り返し、政府の態度に不満があると示してくる。
「それは無論承知の上です。貴国と貴軍の協力に深い感謝を述べさせていただきます」
ジョンソン大佐が悪いわけではないが責任者とはそういうものである。
情報部長が渋々衝撃の名前を口にする。
「リュウノスケ・シマ退役軍曹です」
「えっ!?」
島が拍子抜けした声を出して驚く。
「どうかしたかねイーリヤ中佐」
情報部長が眉を片方だけひんまげて島をみる。
「いやその、ジョンソン大佐、資料を見せていただけますか?」
名前を聞いてジョンソン大佐は意味がわかったようで情報部長にちょっと失礼と資料を渡す。
大きめの封筒の中にはハッハン・ウサマ・アブダビの顔写真と撮られた場所や状況が説明されていた。
「了承します。事前でも事後でもフランス軍は本人の許可なく個人情報を漏らしていないと証明しましょう」
島は日本旅券を苦労して取り出して情報部長に提示する。
「島龍之介元フランス軍軍曹です。その写真の提供者は自分です」
ジョンソン大佐以外が全員想定外との表情で島を凝視してしまう。
大佐だけは名前を聞いた時に先に驚いた為に笑いがこみ上げてきたようだ。
「貴国の協力で色々と解決したようですな、テロリスト相手にこんな幸先良かったことはありません」
「まあ二重国籍には目を瞑りましょう。目的を優先して」
人権団体を経由して告訴されるかとすら悩んでいただけに、まさかの円満解決を諸手で歓迎する。
詳細説明も省かれて会談は短時間で切り上げられた。
部屋を出ると開口一番大佐が宣言する。
「明日から十日間休暇をやろう、ベトナムに行ってこい」
「大佐、ありがとうございます!」
「だが今夜は先に資料作成してもらうがな」
おやすいご用です、と答えて待機組と合流する。
抑えねばならないポイントが突然ゴールインの為、ご機嫌で軍務省を出る。
フラットに戻り大佐の部屋に集まり会議を始める。
「アブダビがアルジェリアからチュニジアのイスラミーアを支援している。イスラム組織の実働的な手足は奴が仕切っているため、このラインを断ち切るかアブダビを葬り去ったらイスラム法を立憲する線はまずなくなるだろう」
国外、それも遠く離れた場所からいくら熱演しても効果が出るものではない。
「共産党の線は敵が二つですか。しかしチュニジア共産党自体が小さな勢力なので前者ほどではない?」
非合法政党であり指導者もさして実力があるわけでもない。
それに比べイスラムは母体が大きくチュニジア人の殆どがイスラム教徒なのが危うげである。
「最大の注意点はイスラムだろう。革命を甘受したとしても親米政権を建てねば大統領の失点になってしまうからな」
何だかんだ言いつつも革命以前の大統領は親米と表せた、それを追いやる結果になってしまったとしても、また親米政権ならば大した問題にはならない。
「状況認識までは行えても作戦立案は司令官が命令してからだ。明日はナポリに移動するとしよう」
NATO軍としてアメリカ海軍基地があるのでそこに移ることになると説明し、移動司令部として艦艇を利用可能だと加える。
実際にチュニスに根を張って活動するまでには時間がかかるだろう。
任務の後に訪問にならずに良かった、島は我が儘を承知でそう考えていた。
戦争以外は成長していない、自己分析は全くもって適切であった。
自らの部屋に戻り大尉にナポリで待っていてくれと残して荷物をまとめると空港へと向かう。
ベトナムはホーチミン空港行きのチケットを手にして飛行機に乗り込む。
――何だかドキドキするな!
あまり感じたことがない感覚がずっと胸にある。
入国には日本旅券を使って滞在目的を婚約だと言うと、おめでとうと旅券を返された。
その住所がどこにあたるのか空港で職員に聞いてみると、ホーチミン市街地のはずれだと言われたためタクシーで向かうことにする。
三十分くらい走っただろうか、ろくにメーターもないタクシーの運転手がぼったくり価格を不機嫌そうに口にしても島は笑顔で支払って下車した。
付近の住民に尋ねてようやくその住所に辿り着く。
庭先で洗濯物を干している小柄な女性が目に入る。
ゆっくりと近付いてゆくと横顔からそれがニムだとわかる。
女性が誰かがやってきたことに気付いて振り返る、目が見開かれるが言葉が出ない、手にしていた洗濯物がぱさりと落ちてしまった。
「ニム!」
「龍之介さん!」
両手を広げて待つ島に飛び付くと涙が溢れてきた。
「長い間待たせてしまった。少しだが時間を貰えたから飛んできたよ」
「嬉しい」
それしか言葉が無くじっと抱きついたまま動かない。
どうしたの? そう声をかけて家から女性が出てきて抱き合う姿を見てあらまあ、と声を上げる。
「お母さん、紹介します彼が島龍之介さんです」
「初めまして、島龍之介です」
あまりに大きな男なのと日本人だと聞いていたのにイメージが違った為に少し間を置いて母だと名乗った。
家に招き入れると赤子を指して近付くように急かす。
「あなたの子供よ」
何とも言葉にし難い感情が産まれてくる、父親になる気構えなしにいきなりそうなってしまったわけだ。
寝ていた為に恐る恐る頭を撫でてやる。
「俺が父親か……」
ぎこちない会話を少し交わしているうちに父親が帰宅してきた。
留学に出した娘が帰国と共に腹を大きくして単身戻った時には烈火のごとく怒りを表したに違いない。
しかも父親は外国人なうえに連絡がつかず、叔父夫婦も何度も頭を下げて謝ったそうだ。
「初めまして、島龍之介です。今の今までアメリカ大陸で働いていてニムが妊娠していたことを知りませんでした」
「君が島君か。今更現れてどう責任をとるつもりなのかね」
父親としては当然の質問、いや尋問のような感じで話す。
「彼女と婚約させてください。結婚は今の仕事が終わってからするつもりです」
品定めするかのように島を睨み付けて暫く沈黙が続く。
「仕事は何をしているんだ」
「軍人をしています。彼女と知り合った時には大学で語学を学んでいる最中でした」
「二年足らずの期間で軍人か。それで家族を養えるのかね?」
甚だ疑問だと不快感を露わにする。
事実一等兵程度では無理だろう。
「はい、貯金もありますし今の待遇なら問題ありません」
「どこの軍で何をしてるんだ」
「アメリカ軍第六艦隊付参謀部中佐です」
何っと顔を前にせり出して耳を疑う、ベトナム語がまだ不得手なのだろうとニムを呼んで通訳させる。
「龍之介さん、今は何してらっしゃるんですか?」
フランス語で同じ質問を繰り返す。
「アメリカ軍第六艦隊、つまりは地中海方面の軍で参謀部に所属して中佐を拝命してるよ。コマンダーだ」
ニムがそのままベトナム語に通訳すると父親が驚く。
「しかし君は日本人でソルボンヌを中退しているんじゃ?」
「はい、日本人です。ソルボンヌでは語学を少し学びたかっただけでしたから。その時には退役大尉でした」
通訳は無くても受け答えが出来るとアピールするためにベトナム語に切り替える。
「ニム、これを」
「何かしら?」
「一万ドル入ってる、君に渡しておく好きに使ってくれ」
プラスチックカードを無理矢理に手渡して持っているようにと伝える。
一万ドルといえばベトナム人の四、五年の収入にもなる。
「そんな悪いです!」
「ニム、結婚しよう。今の任務が終わったら君を迎えに来る」
一昨日、ついそれまでは捨てられた女だと思っていた。それが昨日にはただ連絡がつかなかっただけであると分かり、今日には結婚しようと言われてニムは感情が追い付かないでいた。
「俺じゃダメかな?」
「――龍之介さん、ニムでいいの?」
「君が良いんだ」
すっと抱き寄せる。
父親はすっかり力が抜けて娘に幸福が訪れたことを感謝する気持ちになっていた。
「嬉しい。私、結婚したい!」
「しよう!」
両親の発案で五日後に結婚式を挙げようと言われた。
大した準備も出来ずに申し訳ないからと延期を提案すると「結婚式もあげずに子供だけ居ると娘が困る」と母親に耳打ちされて以来すっかりあちらのペースだった。
親戚が集まりニムが花嫁衣装を纏うと幼いと思っていた彼女が美しく映えた。
ベトナム仏教方式であり日本仏教と違いはあれども祝いにケチがつくわけもなく喜びに溢れたまま式は終了した。
与えられた時間が過ぎ去りホーチミン空港へと戻る島を見送りにニムが息子を抱いて母親と共にやってくる。
「じゃあ行ってくるよ」
「はい、存分に働いていてきてください旦那様」
「何だか照れるねそれ」
「馴れるまで死んじゃ嫌よ」
腰に手を回して抱き寄せる。
「ああ約束する。まだ初々しい気分を味わいたいからね」
搭乗ゲートを抜けてからもずっと手を振るニムが離陸してからも頭から暫く離れなかった。
イタリアのナポリ空港へと到着する。
入国にはニカラグア旅券を利用した。
これにはささやかな理由があり、アメリカ軍人はその施設を利用した出入国は自由との協定が各地にあるからだ。
イタリア語などわかりはしないが何も気にならずに海軍基地にと向かった。
ご機嫌で門衛に話し掛けて参謀部に出頭するから案内頼むよと笑顔を見せる。
よくわからないテンションだが不機嫌で怒鳴られるより遥かに良いと先導した。
ジョンソン大佐の執務室にたどり着くと申告する。
「イーリヤ中佐、只今参りました」
「きたか、どうだね調子は?」
「気分が晴れて名案が浮かびそうです」
「それは結構なことだ、中佐の活躍に期待しよう」
口元を吊り上げて笑みを返す、休暇がプラスに働いたと。
「司令官に紹介するからついてきたまえ」
「ラジャー」
連れられて行ったのは参謀部の奥にあるオフィスであった。
コンコンコンと軽くノックをして入室すると背筋が伸びた壮年から初老に移り変わりそうな男が制服姿で座っている。
「ジョンソン大佐です。閣下、イーリヤ中佐が着任しましたので参りました」
「イーリヤ中佐です、よろしくお願いします」
最早体に染み付いた敬礼を行う。
「第六艦隊司令官のミラー中将だ。大佐が一本釣りした参謀とは君か、働きに期待している」
「微力ながらお役に立てるよう努めさせていただきます」
正式な辞令が下り臨時契約が破棄された。
退室して大佐のオフィスへ戻り説明を受ける。
「第六艦隊付参謀部四課だ。俺が主任参謀で中佐は作戦参謀になる。部隊への指揮権は無いが指導は自由だ、君の部下らは四課付護衛班でロマノフスキー大尉が班長になる、班長の任免権は主任参謀にあるが指揮権は班長だ。転属前徽章は海兵隊のを着用したまえ、第62打撃空母群での受けも違うだろう。何か質問は?」
「ありません」
調べてわかることは後々にそうしたらよく、今の時点で即座に疑問は浮かばなかった。
四課の参謀室に行くとリベラ少佐が席へと案内してくれた。
「中佐、第62は三日後に予定通り入港です」
「わかった。編成表やマグレブ地域の資料を用意してくれ、合流までに幾つか草案を立てておきたい」
「承知しました」
目を通せるものは通してしまおうと書類との格闘を決意して様々頭に詰め込む、必要になれば調べたら良いのでどの情報が有ってどれが無いかを把握しておく。
少佐に渡された資料をデスクに積み上げて苦めのイタリアンローストのコーヒーを口にしながら読み進める。
――コーヒーは中米にはかなわないな。
油が出るほど焙煎されたものはあまり自分に合わないと感じつつも兵器体系など新出の略語を調べてゆく。
後進地域の軍と比べてあまりに膨大な種類や性能に便利さの代償を先払いしなければならないと溜め息をつく。
地図を確かめてチュニジアの都市分布を比較する、海岸沿いのみに集中しているので内陸部はがら空きである。
――人員や物資を潜り込ませるなら砂漠からだな!
サハラ砂漠の部分は国境も曖昧で警備はなきに等しい。
駱駝パトロールが行われているだけでそもそもの意識が薄い地域なのだ、砂漠は利用価値が極めて少ないので無理もない。
ふと時計を見ると夜も十時を過ぎていたたために作業を中断する。
スタートが遅れた分を詰めるため明日は朝一番から再開しようと自室に戻りビールを一本だけ空けて眠りについた。
翌朝オフィスに出て資料を読んでいると大尉が顔を出してきた。
「作戦参謀殿、おはようございます。よい夢は見られましたか」
「ああ現実が夢の延長かと思うくらいだよ。ニムと結婚式を挙げてきた」
「それはおめでとうございます。イタリア料理でお祝いしなければなりませんな。先にナポリ入りしていたのであれこれ偵察済みです」
護衛としてはこれといって自主的な訓練以外はまだやることが無く隙を持て余しているらしい。
「そいつは楽しみだ。それまでこの書類と仲良くしとくよ」
「ツケを払い終わったらご連絡下さい、野山を駆けめぐってきます」
このくらいなにするものぞと気合いを入れて冊子を開く。
――チュニジアやアルジェリアの歴史からおさらいか、アラブの春まで来るには何時間かかるやら。
愚痴を言っても終わるわけではないので基礎知識の仕入れを始める、自身が産まれる少し前、つまりは親の世代に世界は激動を迎えていたのがわかる。
世界大戦が終わるとあちこちで植民地や保護国が独立運動を行い、クーデターや分裂が相次ぎ世界地図は何度となく塗り替えられてきたのだ。
その動乱期に前線で活躍していた者が今の将官であり、世代が十年ずれた大佐らは湾岸戦争やアフガニスタンなどのまた少し違った経験者である。
そして現代の新任将校らは大規模な戦闘経験がなく、実戦を体験しないままに昇格しているため様々な現場知識がロストされていく懸念が持たれている。
異色の人材と島が目を付けられるのも当然であろう。
アメリカが増援してまで北アフリカに干渉したくなった情勢を把握して時計を見ると夜も七時を過ぎていた。
「待たせすぎもよくないからな」
独り言を漏らして大尉のデスクを呼び出した。
レストラン・ナポリアーノ。イタリアは国ではあってもイタリア人は居ない、そう言われるほどに彼らは都市社会に根付いている。
イタリア料理など存在しないと突っぱねられたら納得もするだろう。
広めの個室を借り切って大尉の主催でパーティーが開かれた、主賓はもちろん新郎の島である。
「我等がボスの結婚を祝して乾杯!」
ジョークを利かせた彼らは山のような便箋と封筒をプレゼントしてくれた。
「ラブレターのおかわり自由です」
「大切に使わせてもらおう」
大尉宛てにも書いてやるよとジョークを返して食事する。
世界大戦中に各国が軍事技術を開発している中に、何故か食事を美味しくするために力を注いだイタリア、確かにそれは美味しかった。
軍の兵士が戦時にコース料理を喫する程にこの国は食に重点を置いているようだ。
――そんなのが一つくらいあっても地球は回る、か。
チュニジア人が何に重点を置いているか、調べてみようと考える島であった。
「それで今回はどのような裏技をご予定で?」
既にテロリストの親玉を見知っていると聞かされたロマノフスキーはグロックがその手続きをしたと聞かされていた。
まったくもって出る幕なしですな、とナポリで呟いたものだ。
「まだ方針すら決まってないからね、パラが必要になるかもしれないぞ」
一体どこで落下傘の出番があるのか、想像も出来ないが護衛班の次なる訓練が決まった瞬間である。
「パラ徽章があるのは先任上級曹長と自分か。少尉らは落下傘連隊じゃなかったわけだ」
「はい、自分達は外人部隊歩兵連隊でした」
「護衛班は明日から落下傘訓練を実施するぞ、砂漠のど真ん中に放り込まれるつもりでな」
沿岸部ならばパラなど不要で、中部ならばヘリコプターで足が届く、わざわざ落下傘を使わなければならないならば内陸部であり、そこはサハラ砂漠という寸法である。
「無駄にはならないが出来たらそんな場所に降下しないですむように頭を使うよ」
「お気遣いは無用です、必要となればいつでもご命令を」
やれと言えば敵の陣地にすら降りるのを承知するだろう、そのような人材をすり減らすつもりは無い。
「もし護衛班が降下するならば護衛対象が必要だろう、参謀からは俺が立候補しよう」
佐官がそのような冒険行為をするのは計画の破綻だとわかっていながら口にする。
直接的に要人を排除してゆくのは相手がテロリストならば構わない、だがチュニジアの政党関係者ならばそうはいかない、そのあたりをどのように捌くかが今回の任務のポイントだろう。
解散させられた立憲党がどのように再結集したり分裂したり、その誘導も比重が大である。
政治参謀の追加を提案しようとメモに控える。
世論が独裁長期政権から離れて満足していたら危険である、目的を達するには同じ様に独裁政権にならないような憲法を作るところまでもっていかねばならない。
選挙を直接行える環境を作れば後は自浄作用が見込める。
現職有利は揺るがないが三選禁止であったり、現在のチュニジアでは七十五歳以上の立候補禁止であったりと制限の仕方は様々である。
「目下のところは第62の司令官が石頭でないことを祈ってくれ、各自の信ずるところに」
艦隊が入港して合流するまでは書類相手にするしかない、現地通貨の他に何か金目の物を用意しようと思い付く。
――この界隈ならば金貨の価値が高いな、地域を問わずに実弾に使えるだろう。
明日は露店でも見て回り金貨を幾らか購入しようと決める。
「お、何かしようとの顔つきですな、小官もお供しますよ」
大尉が目ざとくそれに気付く、しかもフィールドワークなことまであたりをつけているようである。
「大尉を前に余計なことを考えたら見抜かれちまうな」
「良し悪し半々で受け止めていただけたら幸いですよ。悪いことは先に済ませた方が間違いないですからな!」
当然のように外出ならば付いていきますと上級曹長も宣言してきた。
随員の締め切りを二名と遮った為にそこで打ち止めになるが、プレトリアスは満足げな顔をしていた。
蚤の市とも呼ばれ自由に露店を開く文化は古くからあり、店舗を持てない初級の商人を保護する意味合いからも課税をしないとの法が昔からとられている。
現実としては公平な課税を適用できなく、さらに金額も少ないために職務の煩雑さの割に合わないあたりが本音であろう。
あちこちにゴミかと思うような物から露店で扱われているのが驚くような物まで並んでいた。
早速貴金属を売っている人物を探して金貨や銀貨を品定めする。
どうせ見たところでわかりはしないのだから趣味で大きさや絵柄を選んでゆく。
実家の祖父がコレクターで他界に伴い手に入ったらしいコインが十枚並んだものを売っている男が居た。
状態は素晴らしくしっかりと保存されていたのがわかる。
鳥が好きだったらしく、ツバメやワシ、日本のツルまでごちゃ混ぜで並んでいた。
「丁度いいやこのセットくれないか、いくらだい?」
英語、フランス語と話しかけてみるが言葉が通じなかったのでドイツ語で喋るとようやく通じた。
「一万ユーロですが」
「おいおい重さ換算じゃないのはわかるが精々二千ユーロじゃないか?」
わざと高めに言ってるのを承知で値切る、そのまま言い値で買うのは日本人か金持ちくらいなものだ。
「状態が最高だから。遺産なんだ八千ユーロまでしか下げられない」
「じゃあ八千ユーロで、そこにある銀貨も十枚つけてくれ」
銀色の輝きはまた違った価値観をもたらしてくれそうだ。
「しかし何故ドイツ語なんだい?」
「祖父はイスラエル人で祖母がドイツ人だったんだ。まあ産まれた頃はイスラエルとは言わなかったらしいけど」
するとアラビア語が通じるわけだろうか、何せ美しい金貨が手に入ったのでそれ以上気にはならなかった。
額が額だけに小切手を振り出す。
「お祖父さんはイスラエルからナポリに移住してきた?」
「いえアメリカに渡ってそこのコミュニティーで暮らしてからヨーロッパにきたそうです。財産を金貨にしてね」
「なるほど、それなら世界どこにいっても安心だ」
現地通貨など紙切れになる恐れがある上に為替で手数料をとられたら目減りが激しい。
その点でも貴金属は昔からそのように使われていた、更に金貨ならば最低でも額面が保証されているわけだ。
何せ華やかな街である、女性だけでなく男性もだ。
予算を使い切り逆に懐が重くなったところでインナーポケットを作るために仕立て屋に上着を預けてランチと相成った。
それでもまだ口座には六十万ドル近くあるわけだから大した痛みは無い。
――退役したらニムと料理店でも開くか。
前に夢を聞いたときにそんなことを言っていたのを思い出す、まだ変わっていないならばそれも良いだろう。
「そう言えばこのヒゲ、ムスリムと間違われたりはしないだろうか?」
「東洋人ですから大丈夫でしょう、そのままで良いのでは?」
剃る必要が出たら剃れば良いとして納得する、今年で三十だからあと五年もしたら年齢が階級に追い付いてくると。
待っていて皿が並べられると、地中海野菜が沢山乗っかった焼きパスタが出てきた。
オリーブオイルを掛けて召し上がれと仕草で説明されて試してみる、口に入れるとイタリア勤務が楽しくなりそうな気分になるのだった。
第62打撃空母群が入港して第六艦隊に編入されると同時に付参謀部だった四課はそっくり第62の参謀部へと異動になった。
それに伴いジョンソン大佐が参謀長、島は主任参謀と名を変えた。
提案した政治参謀にチュニジアの大学教授を少佐待遇で迎えることとなる。
五隻の主力艦艇に二十隻余りの付属艦で群を成した第62の司令官はマコーミック少将、本来任務は地中海治安維持であるが、特務でチュニジアの民主化を促進する。
艦隊は副司令官を置いていたがこれは最初から特務を見込んで艦隊を分けて運用するつもりで据えていた。
そもそも陸軍大佐と中佐を海軍の参謀にするあたりに違う意図が見えてしまう。
海兵隊がたっぷりと用意されているのもまた怪しげである。
大佐に指揮された海軍陸戦隊が一千二百名余り、揚陸艦艇にヘリコプター、輸送機まで空母に搭載してきているのだ。
目的が海上でないのは編成を知ることが出来たなら簡単にわかるだろう。
テイラー准将が以後特務の責任者として行動を共にする。
彼はまさにこれからを嘱望されている人物で、より広い視野を得るためにもこの任務を引き受けた。
幕僚にニカラグア革命を成功させた中佐と、それを支援して見事部下にと引き込んだ大佐が配されると聞いた時には小躍りしそうになった。
その為、顔合わせでは自らの両腕かのように厚く遇する態度が端々に見えた。
一方が厚遇されればもう一方、つまり第六艦隊の参謀部は面白くない。
前々から近隣の情勢に網を張って情報収集しているというのに、いざ事が起きたら外様がやってきて担当するというのだから。
その点で実戦部隊のブロンズ海兵隊大佐は感情を表には出さなかった。
しかし主任参謀が海兵隊教官だった経歴を少なからず嬉しく感じていたのも事実である。
作戦会議にはジョンソンら三名と准将、海兵隊大佐のみが参加した。
会議は准将の分艦隊旗艦に宛てられている軽空母ランスロットで行われた。
ヘリコプターを主軸に少数の輸送機と垂直飛行の戦闘機が搭載されている、揚陸空母との表現もあり海兵隊にぴったりの代物とさて知られている。
粗挽き浅炒に多めの湯を注いで作るアメリカンコーヒーが配られて初回の方針会議が始められる。
「チュニジアを民主化に誘導するためには、イスラム勢力の後押しを排除または制限する必要があります。現在アンナフダ党は追放されていた有力者を帰国させ力をつけるとともに、アルジェリアに拠点を持つハッサン・ウサマ・アブダビからの援助を受けて基盤の拡張に努めております。またロシアや中国の支援でチュニジア労働共産党が力をつけてきております、そちらも注意が必要でしょう」
概要を大佐が説明して各種の資料を配布し所属や名称を確認する。
第六艦隊参謀部に一時的に所属していた際に情報を抜き出してきたようだ。
それに加えてアブダビの顔写真を添付し、イーリヤ中佐が接近した事実ありと特記してある。
「中佐はアブダビを見たら認識可能?」
准将が経緯を軽くかかれている部分を読んで本人に確認する。
「自信はありません、写真もたまたま写り込んでいただけですので。ですが声はもしかしたら聞けば思い出すかも知れません」
音は不思議なもので記憶に無くなっていても聞けば呼び起こされることがある。
幼少時に聞いた歌をフレーズ一つで思い出すのと似ている。
「イスラミーアはアブダビが死傷したら力を減退させるでしょう。末端を閉め出すよりも頭を潰すべきと考えます」
イスラムのテロ組織は横の繋がりが極めて薄く、縦のラインが喪われたら再起に時間がかかる。
代わりに横に影響が無いために一網打尽にはならず、隣の地区が生き残ることがままあった。
「立憲民主連合党が解散したならば後継を立ち上げる必要もあるな、それは政治参謀が着任してからにしよう」
共産党については軍部のクーデターでトップが共産党でなければ成立はしないと、党員のうち軍人を監視すると決定する。
「アルジェリアの情報収集を最優先課題としたいのですが宜しいでしょうか、閣下」
「良かろう、妥当な判断と考える。他に何かあるか」
准将が一応形式で皆に問い掛ける、島が小さく手を上げて発言を求めた。
「ブロンズ大佐にお願いが御座います。するかしないかは全く未定ではありますが、空挺降下が可能な編成を用意しておいて頂きたいです」
「空挺だと? ヘリで間に合わない地域は砂漠地帯やアルジェリアの南西部あたりだな……そこで何かが必要になると中佐は言うのかね」
詳細な意図を把握するために質問を投げかける、それにより携行品などが変わってくる。
「はい、テロリストがチュニジアに何かを運び込む場合、砂漠地帯を利用するのが一番リスクが少ない。苦労はしますがね。それを捕捉するには地上を移動していては取り逃がします」
「密輸か。有り得ない話ではないな、砂漠など大した警備もしておるまい。準備しておこう」
「ありがとうございます大佐」
今一度見回して声が上がらない為に初回の会議を解散する。
参謀らには一隻の軽巡航艦を割り振られて、それを利用して地中海を移動して良い許可をもらった。
数隻の対潜駆逐艦や警備偵察艇を従えている偵察群のようだ。
小型艇で軽巡航艦に移乗して群司令兼艦長にと面会する。
群の将校らが総出で三名と護衛班を迎える。
「偵察群司令マッカーサー少佐であります。ジョンソン大佐と参謀の皆様を歓迎……シーマ大尉!?」
大佐の後ろに控えていた島の顔が見えて声を上げる。
「編成を見たときにもしやとは思ったが、また会えて嬉しいよ。今は主任参謀のイーリヤ中佐と名乗っている」
「ちゅ、中佐殿、失礼いたしました」
ジョンソンが何故知り合いなのか尋ねてくる。
「実はブラック中佐の基地で教官として大尉待遇勤務していたときに、少佐の部下のマクウェル軍曹に助けられた一件がありまして面識が」
「本土に召還して第62を編成するために呼び戻している最中の寄港というわけか」
確かに数日補給の為に日本に居たなと資料を思い出す。
「皆様の案内にマクウェル軍曹をお付け致します、何でもお申し付け下さい」
咄嗟に担当を差し替えて相性が良い人物を充てる、これから数ヶ月長ければ年単位で付き合う必要がある上官らが好意的ならば少佐もやりやすくなると言うものだ。
「では案内してもらうとするか、中佐の引き出しには他に何があるかも問い詰めておかねばならんからな」
笑いながら先に行くように促す、呼び出されて駆けてくる軍曹に手を振って招く。
「マークこれからまた頼むよ」
「中佐殿のご指名にあずかり光栄です。どうぞこちらに」
懐かしの人物が二階級も昇進していてよくわからないが、まずは命令を遂行するために艦内へと下ってゆく。
「艦橋と士官室、それに将校クラブをご案内いたします」
主に立ち寄るだろう箇所を示して先導する。
現代でも一部の海軍では士官呼称が慣例的に使われていたりする、将校との使い分けはほぼ無くなってはいるが名残はあるようだ。
海軍で艦長が陸軍でいう部隊長よりも多くの権限を付与されていたことや、海上にあって船員を強く統率する必要からなど、その当時の理由は様々である。
将校権限を指揮権限、士官を担当将校などと呼び方を変えても本質は何ら変わってはいない。
耳に入ったときに瞬間勘違いさえしなければ全く支障も無いことである。
主要箇所を見て回り最後に船倉にある装備の類を一目見ることになり階段を下ってゆく。
ふと気になり一番低い位置を先に見せて貰うことにした。
「あれがキングストンバルブです。機関の排熱や船体の安定に利用されます」
――言葉だけは聞いたことがある、自沈するのに使うものかと思ったが違うようだな。
「あれは大抵の船についている?」
「はい、大なり小なりあります」
何故そんなことを聞いたか尋ねられてから理由を探す。
「船倉に火災が起きたら弾薬に引火する可能性が出てくる、そんなときに使うのかなと思ってね」
マクウェル軍曹が柔らかに笑いながら答える。
「あれを見て今そう感じられたなら素晴らしい。緊急時にはそのように使われた事例もあります」
「なんだ中佐は海軍に転向する気なのか?」
「いえ地面に両足がついてるほうが落ち着きますよ」
暫くは船での生活が続くこともあるから興味を持っただけである。
それにどうしても自由が利かない海上には馴染めそうもなかった。
「艦のことは我等にお任せください、どうぞ作戦に傾注なさっていただければ幸いです」
薄い鋼鉄の階段を登り見張りがいる船倉の扉を開く、これが船内かと疑う位に広く感じる。
狭い通路を歩き回ったせいだろう、きっちりと荷崩れしないように整理整頓されているのは軍隊を彷彿とさせる。
「最下層には重心を安定させるために重量物が置かれています」
つまりは武器弾薬や戦闘物資が並べられていた。
生活物資は中層です、と説明されてヘリや航空機は甲板やその専用収納部分にあると加える。
船の歩みは遅いと思われがちである。
巡航速度が二十ノット前後だとしても、一日中動くわけだから一千キロを切る位の機動力を有している。 これを速いとみるか遅いとみるかは状況によるが、戦闘以外の条件ならば陸路を行くより距離が稼げるのではないだろうか。
「他にもご覧になりたい箇所があればいつでも自分をお呼びください」
「ありがとう軍曹」
士官室に戻って割り振られた部屋にと収まる。
士官は全員個室で下士官は相部屋、兵士は様々なサイズが居所と定められていた。
島は一人で地図を広げ定規で距離をはかり何やら思案する。
――まずはアブダビの居場所を確認するために現地のネットワークに接触せねばなるまい。
フランス語とアラビア語になるから担当は大尉を責任者にして上級曹長か。
チュニジアはアラブ人でないと動きづらい、誰か見つけねばならんな。
この地域の不明言語は何だろうか? スペイン語は長距離無線だとスペイン本土が近いな、ロシア語はチュニジア共産党には傍受内容が流れるかも知れん、何より軍にロシア兵器が流通しているしな。
ドイツ語なら植民地もなく類似言語もない、当然日本語もだな。
イタリア語は何となくポルトガル語やスペイン語に似ているような気がしないでもない、後は相手がいるならばベトナム語も良いだろう。
アフリカーンズ語も北アフリカならば理解されないだろう、オランダ植民地が近くに無かったかを再確認するか。
椅子にもたれかかって胸の裏ポケットを探る。
自身が気に入ったのでワシが描かれている金貨をフィルムに入れて収めてあった。
――金貨か。額面二十ドルだがこれで支払われたら誰でも驚くだろうな。
投擲するものが無いときにはコインをぶつけてやろうかとも考えてみたことがある、だがぶつけるより足元にバラまいたほうが効果的だろうと、兵士が拾い集めようと必死になる姿を想像してしまったものだ。
――アラブ人と言えばエジプトにあいつ等がいるな、声をかけてみるか。
スーダンに乗り込んだ際に生き残った人物を思い出す、諜報ならば年齢がいっている方が案外有利な場面が多くなるだろうとも考える。
当然軍にもパイプを作っておかなければならない、駐在武官に依頼して一席設けてもらおうとペンを走らせる。
放送局はどうだろうかと調べなければならない部分も書き出す。
――アルジェリアには国営放送局しかないから政情が解りづらい、チュニジアはどうだったか。
欧米型の常識はイスラム社会では非常識であることが多い。
現地を踏査するにしても前情報を具に調べてからにすべきと順序を定めた。
チュニスは観光で売っている街である為に堂々と正面から入国可能ではある。
その時にはマリー少尉らのフランス旅券や自身の日本旅券が威力絶大で、ニカラグアやレバノンあたりの貧困国のものでは入国理由をしつこく問われてしまう。
女性であったりしたらムスリムでなければ入国拒否されてしまったりもあるだろう。
この際はアメリカの物も警戒される恐れがある、ナポリから大型クルーザーでチュニスに向かい観光をするようなグループツアーをまた探してみようと手段を決める。
一本立てではうまくいったとしても、経過についても評価するアメリカ軍では点数が低くなってしまう。
隣国からの輸送列車やトラックで陸路入国する案も添えておく。
空港や港でのチェックより遥かに緩いのは間違いない。
それも無理なら夜中にヘリで密入国するだけと締めくくった。
チュニジアにしろアルジェリアにしろ現地で拠点を確保しなければならない、第六艦隊の参謀らにそれらの要請をするか自力で準備するかは大佐に伺いをたてることにした。
各自が居場所を確保して落ち着き、ディナーを採った後に大佐へと昼間考えた内容を打診してみる。
「拠点かアルジェとチュニスには現地本部として必要になるな、他の地域はホテルを使わせるか」
「アメリカのエージェントに接触するか、自力で置くかどちらがよいでしょう?」
エージェントが監視をされているようだと作戦初日からハンデを受けてしまうことになりかねない。
「俺から第六に依頼しておこう。中佐はこちらとは別系統で拠点を確保する手はずを」
「どこまで知らせましょう」
「俺と中佐の部下のみの範囲で」
「承知しました、近日中に数日留守にすることになるでしょう」
自己判断で自由に動けとの許しが出たために早速会議室に皆を集めることにした。
いつ声が掛かるか楽しみにしていたようで勇んで集合する。
「少し狭いが艦上だから我慢してもらおう」
「なに、直ぐに大自然の中へ解放されますよ」
当然フィールドワークだろうと大尉が狭さが懐かしくなるぞと呼び掛けた。
「秘密の任務を割り振るぞ。アルジェとチュニスに拠点を構える。これは第62の関係者に漏れないように密かに確保しておく、いわば予備拠点となる。アルジェは大尉に統括して貰うが初期はプレトリアス上級曹長とブッフバルト曹長、伍長一人の三名で担当だ。チュニスにはマリー少尉とグロック先任上級曹長、ヌル二等兵の三名。コロラド軍曹は独自にイスラミーアの情報を集めろ。伍長二人はミューズで通信待ちだ」
地域柄このような組合せになるのは半ば決まっている話ではあった。
「して小官にはどのような特命をいただけるのでしょうか」
「アントノフ警備部長はエジプト行きだよ」
アントノフ? 何のことだと皆が考えを巡らせた。
「アルバイトの面接ですか、承りましょう!」
「適宜頼むよ、アラブ人が必要になるからな。経験者優遇だ」
二人の間では充分それで通じたようで、その線からやってみますと打ち合わせが完了する。
長いこと自主訓練ばかりであったものたちが班ごとに別れて詳細を決めるために去っていった。
――俺は大使館にでも行ってくるか。
駐在武官に目的を説明してチュニジアの武官が参加するパーティーがあったら紹介して欲しいと要請する。
快く引き受けてすぐにスケジュール表を調べてくれる、アフリカ諸国を中心としたものが見つかり、そこにチュニジアの参加があったため出席を許可してくれた。
「ただ一つ問題があるな」
眉をひそめて島を見る駐在武官はこう言い放った。
「夫人同伴とのことだ」
「夫人ですか――」
無論それに準ずる女性でも良いと説明を加えるがどうしたものか少し悩んでしまう。
「当日までに何とかしましょう」
「余ったら引き受けるから沢山用意してくれ」
冗談を言って手配を約束してくれる、度重なるパーティーに新顔大歓迎とのことであった。
――さてどうしたものかな、オフィサーに頼むのでは芸がないな。
とは言え新たに彼女を作るのでは情報漏れの心配もあった。
――いっそニムを呼び寄せてフランスの叔父夫婦に面倒を頼むか。
考えてはみるもピンと来ないものである。
――由香はどうだろうか、もしまだジャーナリストみたいなことをしているならばコネが広がる話を承知してくれるだろう。
早速現在どこにいるのか札幌の実家にと電話してみる。
既に面識があったため母親と少し話をして今の連絡先を教えてもらう。
相変わらずあちこちを転々として活躍しているらしい。
最近はザンビアにいると教えられて番号を確かめながらプッシュする。
すると四回目のコールが終わる寸前に繋がり聞き覚えのある女性の声で「ハロー」と言ってきた。
「もしもし由香かい?」
日本語で話し掛けて元気そうだね、と続ける。
「龍之介さん? よくこの番号がわかったわね! あ、もしかしてまた実家からね」
懐かしい相手に嬉しそうな声をあげる。
「いやイタリアのナポリからだよ。こっちでパーティーがあるんだが女性同伴でね、由香きてみないか?」
唐突にそう持ち掛けてみる、もし逆の立場なら怪しさ大爆発に突っ込みたくなるだろう。
「実はあれから少し仕事が不調なのよ、気分転換にいいかも。どんなパーティーかしら?」
「ちょっとした国際交流さ。ナポリ空港についたら連絡をくれたら迎えに行くよ」
お互いに世界を旅する経験が豊富なだけに殊更難しくもないとばかりに簡単にそんなことを言う。
「わかったわ、明日の午後到着予定で」
「楽しみに待ってるよ」
衛星携帯の連絡先を教えて電話を切った。
日本だけでなくアメリカ軍に所属している限り電波法はアメリカ本国の法律を適用されるようで気兼ねなく利用可能となった。
それに限らず全てをアメリカ法律で有利に運ぶことができるわけだが。
翌日予定に合わせて無事に到着した由香を出迎える。
「ようこそナポリへ、オテル・オルシリへは明日ご招待」
Hを発音しないでフランス風に表す、元はといえば単に人が集まる場といった意味である。
アパルトマン――フラットとテラスあたりが近代の賜物だろうか。
「まあ、随分と自信たっぷりの容貌になったわね。男の顔よ羨ましいわ」
すっと近寄ると唇を重ねる。
それだけでいつしかの恋人気分が戻ってきた。
「イブニングドレスは持ってきたかい?」
「そんなパーティーなの、持ってきてないわ」
本当に週末に参加するようなものかと思って大した荷物は持参していなかった。
「じゃあドレスを見に行こう、再会を祝して贈るよ」
「イタリア男にでも倣ったのかしらね、随分と乗せるのがお上手になったようね。エスコートしてくれるかしら?」
「ウィ マドマァゼル」
彼女に最後に会ったのはコートジボワールだったからかれこれ三年や四年前になるだろうか。
ナポリのやけに細い道を縫うように歩いてショップへ向かう。
左右見渡す限り色とりどりのドレスが所狭しと並んでいる、ファッションの国は伊達ではない。
――これであと引ったくりが有名でなければナポリも極上都市なんだがな。
不名誉である。そう公言されるほどに引ったくりが多いのだ。
「ああ素敵、こんなドレス見たことないわ! ところでどんなパーティーなのかそろそろ教えて貰えるかしら。ドレスが選べないわ」
それもそうだなと納得してさらりと答える。
「外交官らが集まるパーティーだよ。そうは言っても大使は少ないだろうけどね」
「が、外交官!?」
何故そのようなパーティーに出席出来るのか、何より島がそのような話に関わっているのか混乱してしまう。
「龍之介は外交官になったの?」
「いや違うよ。目的があって参加を許可してもらっただけさ」
「それでも凄いわ!」
抱き付いて自分を選んでくれたことに感謝をする。
その後どれを選んで良いかわからなくなり迷走に丸々ニ時間は付き合わされることになった。
アクセサリーも併せて用意してやるとはしゃいでしまって大変である。
――たまにはそれも良いだろう、同伴してくれることに感謝だ。
一連の買い物が終わると大尉らに紹介されたレストランへと向かう。
味は保証すると好きなものをオーダーさせる。
「今も戦場ジャーナリストを?」
「細々とやってはいるわ。でも女性お断りよ」
――それでいいんだ。
「これを機に政治ジャーナリストに転向したらどうだい。こちらは女性大歓迎だよ」
笑いながらそう勧めてみる。深く関わらなければ間違い無くこちらのほうが安全だ、しかし踏み込み過ぎると五十歩百歩だろうか。
「そうしようかしら。そう言えばベアトリスがあなたの話していたわね、凄い特ダネを融通してくれたって」
突然思い出したようで食事の手が止まる。
「そんなこともあったかな、あれは取引だったけどね。君には何も求めないよ」
正確には自分に関わらせると危険だから、ではあるがわざわざそんな指摘まではしないでおく。
「随分と控え目ね、でも良いわ都合の好い女になってあげるわ」
何とも言葉を返しづらい反応をされてしまう。
食事を終えて港へと向かう、ナイトクルージングを楽しもうとの腹積もりである。
観光客相手に商売しているヨットを見つけ夜のナポリを眺めながらワインで乾杯する。
島に寄り添ってただただ浅く揺れるのを感じて街の灯りを見つめていた。
暫く時がゆっくりと流れて港へと戻るとタクシーに乗りホテルへと向かう。
「スクイーズィ ヴォレイ オテル・エクセシオール カリビット ナポリアーナ ハーフオクロック」
「カピート アンダーレ スタティオーネ」
スペイン語で無理矢理に喋っても勘のいいイタリア人ならば通じてしまうことを最近発見して、スペイン語に英語やフランス語を混ぜて会話するようにした。
すると相手も同じようにごちゃ混ぜで返してくるのだが案外理解出来るものである。
ただしイタリアも南部になってくると訛りがきつくてイタリア人ですら聞き取りが難しくなる、日本でも津軽あたりの言葉を早口にされたら理解不能な感覚と受け止めている。
ゆっくりと見て回るように街を流して趣ある駅舎を一望する、歴史がある街並みはそれだけで人の心に何かをもたらしてくれる。
エクセシオールに着くと六十ユーロにチップを渡して受付へと足を運ぶ、予約をしたときに対応してくれたアシスタントマネージャーがフロントマンを脇によけて自身で手続きをしてくれる。
「当ホテルのご利用ありがとうございます。イーリヤ様は902号室でございます」
「手配ありがとう」
部屋までわざわざ案内してくれた彼に紙幣を握らせて感謝する。
エレベーターのすぐそばの部屋に宛ててくれるなど配慮が感じられる。
イーリヤと呼ばれたことに全く疑問を表さないのも先ほど宣言した都合の好い女の態度としては合格である。
スイートルームを一泊一千ユーロ、割安感がある。
それは無論アメリカ軍人として予約を取り付けたからに他ならない。
「こんな豪華な部屋で良いのかしら?」
「前にも言ったが俺は金に大した執着心が無くてね、由香が喜んでくれたら満足なんだ」
先にシャワーを浴びてくるようにさせて室内を確認する、チェーンロックだけでなく椅子を押していき扉が開かないようにと据えてしまう。
――我ながらやりすぎだな。
押し込み強盗がホテルのスイートルームを襲うのは考えられない、だがそのような事件が無いわけでもないのが事実である。
彼女と入れ替わりに島がシャワーを浴びる。戻るとベッドに座る彼女が笑いながら扉の側を指さしていた。
「邪魔されないか心配でね」
「あれならきっと大丈夫よ」
≪削除記録H≫
≪削除記録I≫
島はもう一度シャワーを浴びにバスルームへと入った。
ドンと音が聞こえた為タオルを手に巻いて裸のまま部屋に戻る。
由香が扉の方を指差して固まっている、自身の目で確かめると椅子が少しずれていた。
ロックが解除されたような跡がありチェーンは外されてしまっていた。
――一体誰が?
服を着るとフロントへと電話をする、数分を出ずにアシスタントマネージャーがやってきて事情を説明するとすぐに警察に通報した。
彼が謝罪してくるが責任を追及するようなことはせずに無事を強調する。
「当ホテルの名に傷がついてしまいます。御代はお返しいたします」
気を利かせたつもりが下手な結果を産んでしまったと後悔しているようだ。
「確かにことが起きたのは事件だが、君にとっては事故だよ。ホテルの対応には満足している、逆に信頼感が増したよ」
起きないのが一番ではあるが島としては咄嗟の対応がどうなるかに重点を置いていた。
「イーリヤ様にそう言っていただけてありがたい限りであります。それでは御代はそのままに私からワインを一本サービスさせていただきますので後ほど」
「そう言うことなら楽しみにしてるよ」
深々と頭を垂れて一旦部屋を離れてゆく、すぐに警察がやってくるだろうからやたらとあちこち触らないようにと注意する。
早速警官が現れると制服の者を割ってスーツの男が声をかけてくる。
「初めましてチアノ警部補です、英語は理解されますか?」
「ああ大丈夫だよ」
それは良かった、とお馴染みの警察手帳を片手に質問してくる。
「早速ですがお名前をお聞かせ下さい」
「ルンオスキエ・イーリヤ、彼女は設楽由香」
意外そうな顔でメモを取る。
「おやお二人ともハポネスかと思いましたが、イーリヤさんはスペインでしょうか?」
「いやニカラグアだよ」
平気な顔でそう告げる、疑っていたので旅券を見せてやると渋々事実を受け入れたようだ。
「侵入者が居たようですが姿は見ましたか?」
先ほどとは少し違い見下したような感じで話しかけてくる、中米の貧困国の者がスイートを利用しているのが気に入らないようだ。
「見てないね。俺はシャワーで彼女はベッドだった、音は聞いたが声は聞いていない」
「見たところ鍵は壊されてないからキーを使った犯行でしょう。何か心当たりは?」
「イタリアには着たばかりでまだ一週間と経ってない、特に無いね」
実際に何者による行為なのか全く見当がついていない。
「犯人が見つかるよう努力はするけど期待はせんでくださいよ」
手掛かりなしでは捜査する気が起きないのか熱意が感じられない。
――何なんだこいつの態度は!
「警部補、どういう意味だそれは」
「観光客狙いの物盗りの犯行ならば犯人は滅多に見つかりはしないってことですよ」
面倒くさそうにそう説明する、どうせ長くは滞在しないのだから忘れて楽しんでくれとまで。
「それは職務怠慢だろう」
「見解の相違ですよ」
「おまえじゃ話にならん、責任者に連絡をつけろ」
あまりに腹がたったために珍しくくってかかる、最初は忘れてやっても構わないと思っていたが、そのままでは済ませたくなくなったのだ。
「お宅ね、いちいちそんなこと出来ないよ」
「お前が職場放棄するのは構わんが捜査はきっちりしてもらうからな」
キッと睨みつけてから部屋の電話を手にして警察へ繋ぐように英語で通報する。
電話先でジェラール警部補と名乗る男が担当した。
「エクセシオールに宿泊しているイーリヤだが、部屋に侵入者があった為に通報したらチアノ警部補がやってきた、だが捜査は出来ないと開き直った、責任者に繋いでくれ」
受話器から面倒臭そうに答えが返る。
「チアノ警部補がそう判断したならそうなのでしょう、諦めて下さい」
「お前もか? それでは明日に今あったことを言い触らしてやるが好いのか」
断られただろうとチアノが薄ら笑いを浮かべている。
「どこで言いふらすのかわかりませんが警察を貶めるような発言は慎んでいただかないと逮捕の理由になりますよ」
「明日は外交官が集まるパーティーに出席するんだ、チアノ警部補とジェラール警部補が怠慢なやつだと名指しで批判してやる、楽しみにしておけ!」
そう捨て台詞を吐いて電話を切る。
「いいかチアノ警部補、お前が気分良く警察で働けるのはあと二十四時間以内だと覚えておけ」
「失礼ですがあなたのお仕事は?」
不安そうな顔になって今頃尋ねてくる。
「アメリカ軍の参謀中佐だ」
「ニカラグア人なのに?」
「特に招かれて働いているんだ、もういいお前は消えろ!」
顔を蒼くして脂汗を流し始める、どうして初めに聞かなかったのかと自分を呪っている。
「いえ、そのやはり捜査致します――」
「いらん、すぐに目の前から消えろ! 自分の足で出ていけないなら俺が摘みだしてやるぞ」
すごすごと部屋を出るとすぐにどこかに連絡をしているようだ。
「何も言わないのか」
「別にあたしもさっきの人は気に入らなかったもの」
少し落ち着いて次は直接112に通報する、イタリアでは警察が複数の構成で運営されているのだ。
「国家憲兵所か、私はアメリカ軍のイーリヤ中佐だ。ナポリのエクセシオール902号室に侵入者があった、すぐにきてほしい」
すると跳ね返るかのように返事があり、
「承知いたしました中佐殿」
と通報を受理した。
アシスタントマネージャーがピエモンテのドルチェット・ディ・オヴァーダ・スーペリオーレを持参してきて廊下にいる警察官らを不思議に思い視線を向ける。
「彼らは職場放棄組だよ」
余計にわけがわからないと首をかしげるがワインの口を切って振る舞う。
二人にグラスを用意したものだから島が皆で乾杯しようと誘う。
にっこりと微笑んでグラスを追加すると、乾杯をそれぞれの言葉で唱和してその一口を楽しむ。
「これは癒されるね、深みがあってずっしりくるところが満足感を与えてくれる」
「お気に召して戴けたようで私も一安心」
場がささくれ立っていたのを感じていた彼が和ませるように言った。
その時、部屋に二人の色違いの制服を着た警察官が一緒にやってきた。
「通報を聞いてやって参りました、カッシーニ憲兵大尉です」
「チアノ警部補が失礼を働いたようで申し訳ありません、ビアンテ監察官――」
ほぼ同時に名乗りを上げたが島が言い終わる前に言葉を被せる。
「ジャンダルメ、いやカラビニエリに捜査を要請する」
そう憲兵大尉を直視して地元警察を追い払った。
往生際が悪く何か用があればすぐに連絡下さい、と監察官――警視は去っていった。
「私がイーリヤ中佐だ。早速だが大尉、この絶品ワインを一杯どうだね、それから事情聴取といこうじゃないか」
監察官に対する態度と全く違ったので何かあったなと悟り、笑顔でグラスに手を伸ばして乾杯した。
「すると心当たりはないと?」
テーブルに差し向かいで話を聞いメモをとる。
「イタリアにきてからはね。テロリストやら敵軍を四桁単位で死傷させたわけだから怨みをもったやつがいないわけがないだろうが――」
「もしそうならば扉が開けづらい位では引き下がらないだろうし、何より部屋がわかっているならチェックアウトしたところで襲撃したほうが間違いないでしょう」
島のことを直接的に知らないものの犯行だろうと推測した。
「そうなんだ。その観点から俺に心当たりはない。無論彼女など皆無だよ」
ザンビアからやってきて一日たってないと説明して旅券を提示させる。
「すると中佐殿と知らない輩が金持ちだろうと当たりをつけて追跡して夜中に強盗を働こうとした、そんなところでしょうか?」
「当たらずとも遠からずだろうね。彼女と買い物をしたりしているのを見ていた可能性はある」
むしろそれ以外は確率も低い線だとはわかっている、だからと確定するような真似をすることもないが。
「ホテルの防犯カメラなどチェックさせます、二人外に立たせておきますので安心して御休みください」
「助かるよ大尉。今後ナポリで何かあったら君に連絡を取りたい」
「はっ、光栄です。もし自分に繋がらないときはアヴァロン少尉に連絡を」
個人的な連絡先を提示してきてくれるのを受け取り謝辞を述べる。
「ところで中佐殿、厚かましいお願いがあるのですが、そのワインもう一杯いただけませんか? このような最高の品には滅多に出会えなくて」
すまなそうに頼み込んでくる大尉を前にして島はアシスタントマネージャーと顔を合わせて見つめあってしまった。
「もちろん構わないよ大尉、ワインだって美味しく飲まれたいだろうからな」
にっこりと微笑んで彼のグラスに注いでやると嬉しさで顔が綻ぶ。
――ま、イタリア人といったらこんな感じだろう、憎めないな。
時計は真夜中二時を過ぎていた、少しばかり寝坊しても勘弁してもらおうと心中で呟いた。
口があいて余ったワインを欲しければどうぞと大尉に渡すと喜んで手を伸ばした、グラスを拝借と二つに少量注ぐと廊下の見張りに超過勤務手当の先払いだと飲ませてやる。
感嘆の声が妙に笑いを誘うのであった。
オテル・オルシリの会場は豪奢なドレスを着飾った婦人たちで溢れて……はいなかった。
生活の場の延長と言うほどではないが、日常的に開催され続けるパーティーらしくそこまで力が入っていなかったとの事実がある。
武官に連れられてあちこちに紹介されてまわる、目的のチュニジア武官との顔合わせは中盤を過ぎたあたりであった。
「期待の新人が綺麗な女性を連れてきてくれたよ、私は付属品だ」
「初めまして中佐、駐ナポリチュニジア武官のアル=ハシム中佐です」
右手を差し出してにこやかに語りかけてくる彼がムスリムの軍人にはとても見えなかった。
「アメリカ軍イーリヤ中佐です。イタリアは初めてでして、よろしくお願いします」
「おやヤーパンかと思いましたよ、イスパニアは意外ですな。するとキリスト教徒?」
外国人は宗教を気にしてしまう、日本にいたら全くわからないがその比重はかなりのものなのだ。
「無宗教でして。それで良いこともあれば逆も同じくらいといったところでしょうか」
実際は宗教に染まらずに損をした試しはないがそう表しておく。
「私はイスラム教徒です、敬虔なるとは言えませんがね」
手にしたワインをちらりと見る。イスラム教では酒は禁止であるのだが。
「神は寛大寛容らしいですから許してもらいましょう。実は今度チュニスを観光したいと彼女に言われましてね、女性の入国は難しいでしょうか?」
「今現在は可能です、近い将来どうなるかまでは何とも」
言いづらそうに周りを見て言葉を飲み込んでしまう。
気をきかせて大佐が挨拶があるからと場を離れる。
島がアラビア語に切り替えて話しかける。
「あちらで風にあたってきませんか?」
「ほうアラビア語を、私も少しゆっくりしたかったところです」
それは政治的な会話をすることを承知したというサインでもあった。
バルコニーに移りなるべく角地にと陣取る。
「革命自体は国を暗闇から救う上で望ましいことだったと考えています。その先が泥沼にならないようにしたいと思うのが人情かと」
曖昧な表現に終始すべきかどうかの答えを待つ、これで相手が乗ってこなければ別の手段を講じなければならない。
「カルタゴの頃から現在のチュニジアに至っても変わらない性格がチュニジアンにはありましてね、それは自己主張が正しいと思い込むことでして」
――自己主張か。内側からの声だとして推し進める必要ありだな。
「軍は国を映し出す鏡のようなもの。中佐はどのような結末がお望みで」
「民族による国を恐怖や信仰以外で建てるべきでしょう」
「アメリカはその考えを支持出来ると思います。そのためには狂気を以て対抗してくる一部の問題を解決しなければなりません」
同じイスラム教徒であってもテロリズムを皆が受け入れているわけではない、百人に一人いるかいないかの割合でしかない。
しかし分母が十億人いたら百分の一もまた大きくなる。
「負の連鎖が産み出すのは悲しみでしかありません。政治には関わることは出来ませんが、一部の問題に対する協力は惜しみません」
「ありがとうございます。後日別の場でお話の続きをゆっくり」
ワイングラスを掲げて約束を交わすと島は由香のところへとゆっくり歩いてゆく。
婦人方の注目の的になって満更でもない彼女の顔が印象的であった。




