6月 1
生徒会の名目で、椿たちクラス代表が集められたのは。そろそろと梅雨に入ろうかと言う蒸し暑いばかりの六月も半ば。いつものように生徒会室スグの第一会議室、と思いきや校舎の端の端にある化学実験室に呼び出された時点でおかしい、とは思っていたが。
「まず、今日こうして集まって来てくれた諸君にありがとうと言わせてもらいたい」
教壇の向こうには妙に恰好を付けた、と言うより今から怪談話でも始めるのではと心配になるくらい、おどろおどろしい口調の梨木が一人きり。分厚いカーテンを閉め切って明かりも付けずに盛り上がっているのは勝手だが、呼ばれたこっちは冗談じゃない!連日の蒸し暑さに耐えてはいるものの相手は生徒会執行部。言いたくても文句も言えない事実に汗をかいて耐え忍び、それに対する梨木はいたって涼しい顔。どういう神経をしているのだ?
「既にご存じとは思うが忌まわしき事に!恒例の全クラス対抗リレー大会が近付いている。ここにお集まりの諸君は運動を苦手としている者が多いと思う、そこで!断固阻止すべくメンバー大募集、来たれ若人!共に手をとり、まず手始めにテルテル坊主を逆さに吊るして…てちょっと、帰らないで!」
…改まって何を言い出すかと思えば。あまりの幼稚かつささやかな反抗と、この教室の暑さにとうとう耐えかねて五分と経たずに閑古鳥。今となっては所在なさげに延ばされた手もしおしおと、小さく丸まった背中にコホン、と咳払いで救いの手を差し伸べるのはただ一人居残った椿。
「梨木く~ん。友だちのよしみで話くらいは聞いてあげようかと思ったんだけど。こういうの、どうかと思うよ?生徒会長の、なのはさんの許可も取らないで」
「つ、椿くうん!きみだけは残ってくれると信じていたよ!でも、なのはさんは副会長、生徒会長はぼくだ。そこのところ間違えないでくれるかな」
一転。椿のささやかな突っ込みに、さっきまでの落ち込みもどこへやら。踏ん反り変えて威厳を表すことに必死になっているが…何と言った?
「確かに。入学式から何から一切のスピーチは、なのはさんにお願いしているからな。一年の間で浸透していない事は知っていたけど、まさかきみまで知らないとは思わなかった」
「…じゃぁ本当なの?なんで」
「あいにくぼくは極度の上がり症でね。それでもどうしてもって、なのはさんに言われては、断わりようが無いだろう」
「へぇ、おっどろいた!って事は梨木くん優秀なんだ」
「分かったら少しはうやまえ、君は先輩に対する敬意ってものが足りない。っと、話がそれた」
瞬時に頭を切り替えた梨木は、まずは資料を拝見。と教壇の上に山積みにしてあった書類束に手をつけた瞬間、キラ、と眼鏡が光ったような気がしたのは気のせいだろう。その間に椿は、この暑苦しい舞台を解体すべくカーテンを開けて換気でも。
「ふむ、このぼくが極秘に入手したきみの体力テスト結果を見る限り……目も当てられないな」
「ちょっ!なんで梨木くんがおれの個人情報なんかを持っているんだよ」
「それは言えないな、生徒会長として。ともかく、資料を見る限り椿くんの体力は小学生並みで、ビリの可能性すらうかがえる」
「うぅ~!ビリだとなにか都合が悪いのか?そもそも、なんだよ、クラス対抗リレーって」
悔しいけれど窓を開ける事もほっぽり出して駆けつけてしまった椿に、待ってましたとばかりの含み笑い。やっぱり恰好をたっぷりつけて眼鏡を押し上げると得意満面に、足元から大きな図解を引っ張り出して黒板に張りつける…用意のいい事で、意地でも突っ込む気になれない。
「一年生は毎年、このレクリエーションを知らないから痛い目を見る事になるのだ。まず言っておこう、ビリのクラスには罰が与えられる、毎年プール開き前の大掃除だ。これはきついぞ、冬の間にたまった藻やら、ちょっと言葉にしたくないようなモノやらでホラー映画も真っ青だ。反対に、優勝クラスには豪華賞品、なんと!夏休みまでの間視聴覚室を教室代わりにクーラー使い放題!生徒のボルテージは否応なしに上がって体育祭といい勝負になるのだ!ちなみに発案は、なのはさんだ、今年で三回目。で、リレーは全員参加。ただし、走る距離は合計さえ帳尻合わせれば、各クラスで自由に変更できる。つまり、長距離の得意な生徒は長距離を、短距離の得意なスプリンターは短距離、そもそも走ることが得意でない生徒は数歩でもいい、という事だ!」
息継ぎもなしに言うものだから梨木は、フラフラと教壇にへたり込んでしまう。やっぱり仕込んであったタクト、の代わりの菜箸を最後の力を振り絞って椿に意見を求めるが。
「聞く限り、面白そうじゃないか。必死になって走らなければいけない訳でも無いし、どうして梨木くんはそんなに反対しているのさ」
「こ、ここからが椿くんにとって最も都合の悪い話になる。聞いて驚くな、なんとアンカーはクラス代表がトラック一周四百メートルと決まっているのだ。だから二年、三年は前期のクラス代表に足の速い奴を持ってきている。ちなみにぼくも不本意ながらアンカーだ」
「…まじかよ!それで一年だけが痛い目なのか」
「今のところのビリ最有力候補はきみだ。だからこそ今こそ戦いの時なのだ、旗を持て!」
「もしかして梨木くん、全クラス代表の個人情報を?えげつない。ちなみに、中止になった場合は?」
「実力テストに切り替わる事になるが、学年トップのぼくにかかれば取るに足らないのだ」
「よっく分かりました、梨木くん一人で頑張ってください。じゃ!」
そ、そんな~と情けない声を背中で聞いて、椿は足早に教室へ向かう。頭の中には早くも、クラス名簿から足の速そうな生徒をピックアップ。作戦としてはやっぱり、足に自信のない生徒をさっさと終わらせておいて長距離、短距離と行きたいが…そう都合のいいメンバーはそろっていただろうか?ともかく。ねばった甲斐あって他のクラス代表よりは詳しく聞かせてもらったはず。実力テストなんてとんでもない!
「しかし。おれがアンカーかぁ、満を期してリレーの花形デビューじゃん!…いや、恥かくのがオチだな。仕方ない、ジョギングでも始めますか」




