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7 安堵、麻痺

「ごっ、ごめんなさい! びっくりしたからつい……」

「……うん、大丈夫。ちょっと痛いけど。それよりあんな叫び声あげて、何があった?」

「それは……」

 怖い夢を見たから、と言うのは子供っぽすぎてできない。

 どうしようかと困っているとアンディがゆっくりとベッドに近づいてきて、中腰になって私と目線を合わせた。

「落ち着いて。なにも考えちゃ駄目だ。そう、ゆっくり深呼吸して……誰も来ないから。安心して」

 言葉通りに大きく息を吸って、吐いて。ゆっくりと繰り返しているとだんだん恐怖は薄れていった。でもまだ安心できず、何かにつかまりたくてアンディの服をぎゅっと掴んだ。何をしているのだろう。アンディはランズウィック家の者なのに。気を許してはいけないのに。

「悪い夢でも見たんだろ? ……当然だよな、こんなとこに閉じ込められちゃ」

 あやすように背中を撫でる彼の手に心なしか力が加わった気がする。

「閉じ込めたのにどうしてそんなこと言うの……だったら出してよ……」

 声は震えてしまった。ああ、また弱味を見せてしまっている。

 返事はなく、アンディはただそっと抱きしめるだけだった。触れるか触れないかくらいの。認めたくはないけれどそうされているとかなり安心した。身体のぬくもりに身を任せていると、また眠れそうに思った。

 

* * *


 エレンが寝ついたのを確認するとアンディは部屋を出た。鍵を閉めて階段を上がる。何度上り下りしても慣れそうにない不気味な階段。いや、階段だけでなくこの屋敷全体がそういう不気味さを持っている。

 しかし今は、感じたことのないはずむような気持ちがしていて不気味さは気にならない。

 初めて名前を呼んでくれた。

 まだ耳に鮮やかに残るその声がどうしようもなく愛しい。

 鎖に繋がれ、恐怖におびえるか細い少女。だが彼女は抵抗している。頼りない手にちいさな刃物を握って必死に鎖を切ろうとしている。とりあえず、これで彼女は希望を手に入れた。

「ごめん、エレン」

 まだだ。まだ時間が必要だ。彼女が信じてくれるまで。警戒を解いてくれるまで。

 階段を上がって一階に出ると無表情なメイドがせわしなく歩いている。ちょうど空が白みはじめたころで寒さが身にしみる。

 かわいそうなくらい怯えていたエレンを思い出して唇を噛む。心の底に暗い感情がわいてくるのがはっきりとわかって顔をしかめた。

 助けなければ。この手で、あの子を。この呪われた屋敷から。


* * *


 とんでもないことをしてしまった。今さら青ざめてももう遅い。

 アンディにあやされて寝るなんて。本当に恥ずかしいし悔しいし。これじゃ本当に子供だ。警戒心がなさ過ぎた。

 そして、そんな後悔の念と一緒に感じる妙な安心感。

「そんなはずない。心地が良かったなんてそんなこと」

 嘘を言うな、と本当の自分が責めてくる。彼のおかげで怖くなくなっただろうと。それに否定ができない。

「違う、違う……」

 誰かに抱きしめてもらうのなんてここに来るまで一度もなかったからだ。そうに決まってる。だから動揺してるんだ。

「今まで、あんなこと一度もなかったから……?」

 そこでふと疑問を感じた。

 ああいうふうになだめられて眠るのは初めてだっただろうか。

 前にも、どこかで、こんなことーー。

「……なんか、もういいや」

 考えるのはやめにして、私はバターナイフを手にまた鎖を切りつけはじめた。

 どのくらい作業を続けただろうか。

 手を止めた時には小窓から見える太陽が空高く昇っていた。もうだいぶ時間が経ったらしい。ずっとここにいると時間の感覚がなくなってくる。

 ……アンディは、まだ来ないのだろうか。

 一人でいるのがいやに心細かった。原因はわかっている。

 人の温もりを知ってしまったからだ。

「アンディ……」

 彼は悪い人ではない。むしろ味方のような気さえする。

 もう一度ここに来て、抱きしめてほしい。

「……だめ、おかしいよ、こんなの」

 幽閉されて三日。もう自分はおかしくなってしまったのだろうか。あらゆる感覚が麻痺してきたのだろうか。

 そのとき、足音が聞こえてきた。

 一瞬はずんだ気持ちを確かに感じた。

「起きてたんだ」

 にっこりと笑って入ってきたアンディは大きな包みを抱えている。

「えっと、それは何?」

 はじめて自分から話しかけた。顔がかあっと熱くなる。

「着替えだよ」

 素直に嬉しかった。これでこの窮屈なドレスを脱げる。

「寒いだろ? この中に入ってるのはメイドに用意してもらったけど、これも持ってきた」

 そう言ってアンディが差し出したのは、やわらかなショールだった。羽織ればあたたかそうだ。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 差し出されたショールを受け取る。一瞬手が触れた。

「エレン、手冷たすぎる」

「え……」

「これかけといた方がいい。ほら、」

 ふわっと茶色い布が背中に回って肩を覆った。あたたかい。

「……ありがとう。あったかい」

「良かった」

 どうしてだろう。さっきから心臓がうるさい。

 ドクドクと速まる鼓動。それにつられてか何か喋れそうな気がした。勢いに任せて言ったのは、

「何でこんなに親切にしてくれるの? ほんとうに不思議でたまらないんだけど……」

 とうとうまともに訊いた。アンディは何と答えるのだろう。

 返ってきた答えは、あまりに思いがけないものだった。


 

 


 

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