28 無言、情熱
「まだ時間、ある?」
マフラーと手袋を着けてから、私たちはしばらくぶらぶら歩いた。雪は相変わらずひらひら舞っている。
首元を覆うふかふかの布も、手をすっぽり包む毛糸はやはりあるのとないのとでは大違いだ。とてもあたたかい。
「うん」
アンディはさっきからあまり喋らない。気にしているのだろう。
ついさっき。唇にキスされかかった。
正直に言えば、されなかったのは少し残念だ。
たとえ同情からの恋愛感情でも、二度とこんなことないだろう。ランズウィック家を潰す計画が成功すれば、私とアンディはもう関係が終わる。
なら、今のうちに。まるで夢を見ているような、彼といられる今のうちに、できるだけ触れ合いたい。
ーー私、大胆になってる。調子に乗ってるのかな。
月はだいぶ高くなってきた。
太陽がのぼらなければいいのに。太陽が顔を出すときになったら、月が逆戻りして、また今晩が始まったらいいのに。
無言の散歩は長く続いた。すっかり街の中心から外れて道に灯りがなくなっても、歩き続けた。
並んで歩けるだけで十分だ。とは思ってみるものの。
(足りない)
「……手、繋いでいい?」
本当に、今日の自分はどうしたのだろう。普段からは信じられない発言だ。
アンディは案の定かなり驚いた様子でこちらを見たけれど、私がもう一度訊くと、うっとりしてしまう微笑みを浮かべて手を差し出した。
手袋越しにしっかりと彼の手を握る。冬の風にさらされた彼の手は冷たい。あたためてあげたいと思ったからさらに強く握った。
「エレン。痛い」
「えっ、ご、ごめん!」
「嘘だよ。全然痛くない。あったかい」
「そうなの? 良かった。アンディが喜んでくれたら嬉しい」
「……エレン、どうかした?」
「どうもしてない、けど」
少し大胆すぎたようだ。さっきから本音がするする出てくる。
「あれ。笛の音がする」
一つか二つむこうの通りからだろうか? 陽気でどこかぬけている、悪く言えばだらしないメロディが聞こえてきていた。
「大道芸人だ」
アンディが教えてくれた。さすがにこの街のことをよく知っている。
「行ってみてもいい?」
「俺に許可とかいいよ」
彼が苦笑した。
私たちは笛の音が聞こえてくるほうに向かって進んで行った。雪がうっすら積もりはじめている。さくさくする氷の感触を靴底で味わいながら歩く。
また当分外には出られないのだから、今のうちに。
次に外の地面を踏むのは、計画通りに屋敷から脱出できたときだ。
大通りに出ると、笛の音がいっそう高らかに聞こえる。もう、すぐそこだろう。曲が変わって、テンポの速い舞曲のような演奏になった。
「あそこだ。人だかりができてる。あの人、ここに毎週来てるはずだ。結構有名になってきたとかも聞いた」
アンディが指さす方を見ると、たくさんの人が一人の男性を囲んで手拍子をしていた。笛を吹いているその男性はかなり背が高く、たくさんの人に囲まれても頭が見えている。
「名前はトムだったか、サムだったか……」
「サム!」
どこかで女性の声がした。
「ああそうだ、サム」
「誰か入っていったけど、誰だろう。派手な人」
黒山の人だかりに、金魚のような赤いドレスをなびかせて若い女性が飛び込んでいった。先程「サム!」とさけんだ女性だ。
「わ」
彼女は笛を吹くサムの首に飛びついた。
サムは片手で演奏を続けながら、彼女に抱擁を返した。親しい仲らしい。
もう、人だかりのそばまで来ていた。
道行く人はほとんどがここで足を止めて、見物人に加わる。
サムがいったん演奏を止めて、見物人たちに向かって話しかけた。
「ベラが来てくれたから、彼女に踊ってもらう! もちろんみんなも踊ってくれたら最高!」
曲が始まった。あの女性はベラというそうだ。踊り子なのだろう、軽快なステップで踊りはじめるとどよめきが起こった。
まるで手拍子の洪水だ。寒さも忘れる。
「すごい」
あれは彼女にしか踊れないと思う。一見単純な踊りに見えて、かなり敏捷さがいるだろう。ステップを覚えていなければ足が絡まりそうだ。
曲が終わってベラが最後のポーズをとると、割れんばかりの拍手がおこった。
私も拍手していると、びゅうっと強い風が吹いて、キャップが飛ばされた。横にいたアンディがとっさに掴んでほっとしたけれど、ふわふわした赤毛が風にあおられて邪魔だ。
「そこの可愛いお嬢さん! 私と踊ってよ?」
ベラが情熱的な声で誰かに言った。
次はもう一人加わるのかな。もっと華やかになるだろうと期待した。
「エレン、呼ばれてるよ」
アンディに肩を叩かれるまで気がつかなかった。
「うそ……いや、うそでしょう」
「この場に女の子はエレンだけだと思うんだけど」
ベラが手招きしているのはーー私だった。
周りの視線が集まっている。隣のおじさんも、前に立っている紳士も、私を見ていた。
(なんてことになったんだろう! 注目されるのなんて、一番慣れてないことなのに)
「おーおー! 別嬪さんだ。ほらほら行け」
「いやいや……無理です!」
「やっぱ若い女の子はいいなぁ」
聞こえないのだろうか。
どれだけ抵抗しようと全く無意味だった。大勢の人に行け行けと押し出され、アンディに助けを求める隙もなく、あっという間にベラの隣にならばされた。




