第3章 2
この旅行の後は、ヨーロッパに行くことになっていた。紗弓は仕事を辞め、康介の仕事の関係でヨーロッパに赴任することになる。最低五年、ヨーロッパ諸国を巡る。本人の希望があり、そちらでの働き如何によっては延期も場合によっては永住もできるかもしれない赴任だった。もちろん、康介が自分で望んで希望を出した結果だ。それは、二人の結婚式の時にはおぼろげに話が決まりかけていたもの。
「?、行くよ」
どうするか聞いた康介に、紗弓は考える様子もなくけろっと答えた。ヨーロッパに住んでみたかったんだ、などと楽しそうにしながら。もちろん、自分から希望を出した康介にしても楽しみなことだ。
後輩達との旅行先でその話になると一応今分かっている範囲での予定などを教えて康介は羨ましいだろう、と自慢している。康介が言うと嫌味にはとにかくならない。
仕事を辞める紗弓の方には、それでいいのかという声もあったけれど、本人の方はけろっとしたものだ。ちょうど、辞めないといけない時だったし、などと言って笑っている。また働きたくなったら探せばいいのだし、好きにさせてくれると言っているのだから他にやりたいことができたら自由に自分の時間をめいっぱいに使ってみるのも、この際特権だと思って甘えてもいいし、などと言っている。
カンボジア、シンガポール、タイ、インドネシアからフィジーに足を伸ばしてインド、ネパール中国とまわる。仕事があるOBがよくそれに参加できるという話だけれど、全日程を参加しなければいけないというわけではない。いつからいつまでと伝えておけば、そこから加われるように、現役が手配するのもこの旅行の仕事の一つなのだ。むしろ、まだ仕事を辞めていない紗弓と、当然続ける康介が全日程参加できる方が不思議だった。紗弓の方は有給と代休の消化、康介は有給と海外赴任前の準備期間を合わせてとっているのだけれど。
「それにしても、まだなんだか不思議な感じだな……牧村と紗弓ちゃんが……夫婦って言葉がこれ程しっくりこないとは」
「そう?」
征一の言葉に紗弓は首を傾げて笑っている。
「あんまり自覚もないしね。あ、でも同じ家に住んで一緒にご飯食べて、行ってきますとただいまを言う生活には慣れたよ?」
「……何か実感わいてきた」
征一は思わず声を殺して笑ってしまいながら頷く。この二人のなれそめを思えば、あまりにも一足飛びすぎて最初どうやって一緒に生活していたのだか想像できるような想像できないような、思わず笑ってしまうようなもので。そして慣れてきたという紗弓の言葉にこもった実感には心から、そうだろうと頷かずにはいられない。
「楽しい?幸せ?」
「飽きないよ。まだ、気恥ずかしいこといっぱいあるけどね」
そんなことを言いながらのんびりと二人でタイの屋台で冷たいものを飲んでいるところに、噂をすれば、というように後輩達と遊びに行っていた康介が通りかかる。夫婦で参加ということで泊まる時には同じ部屋にされていたけれど、周囲にしてみれば参加しているOBはもちろん現役にとってもごく当たり前に知っていた二人で、何となく最初のうちはどんな風な顔をすればいいか分からなかった部分もあった。
「ここにいたのか、お前」
と、康介が声をかけたのは征一の方だ。呆れ顔を向けた征一に、けろっとした顔で康介は言ってのける。
「そいつ、一人にしといてもぼんやり勝手に遊んでるから平気だぞ?」
「……それ、違うだろうお前」
さすがに何か言おうとする征一に康介は笑う。紗弓は、一人でいるのが寂しくなったら康介には、素直に甘えられるらしい。そんなことは他の人間の知るところではないから呆れ顔にもなるのだろうけれど。
ちょうどそこを示し合わせたかのように通りかかった久城が顔をしかめてそんな三人を一瞥していった。康介と遊びに行っていた現役達は彼らが合流したのを見ると挨拶をしてそれぞれにそのまま歩いていってしまっている。
「あのね、こういう場所に来てて四六時中一緒にいないっていうのも礼儀でしょ。単にわたし達それぞれ友達と遊びたいだけっていうのもあるけど」
「紗弓ちゃんが言うと、納得するんだけどなぁ」
征一が笑って言うのに紗弓も笑ってしまう。そんな扱いを受けているのに、不思議なほどに康介というのは人望を集める人でもあるのだ。
「オグちゃん来るの明日だっけ?」
「ううん、明後日」
「インドネシアで合流?」
「ボロブドゥールが見たいらしい」
知っているのと全く変わらない二人の会話のテンポに笑いながら征一は席を立った。一緒に四六時中いるわけではなくても、互いのことは気にかけているし学生時代と同じように一緒にはいるのだ。時折二人で歩いたりもしているし、仲間達と揃って食事をしたり観光したりもする。そういう意味では全く変わらない。
「お前等楽でいいな」
「だろ?」




