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第45話 伯爵の静謀


ラガン邸は今日も静かだった。


穏やかな陽光が中庭を照らし、白い石畳には風に揺れる花の影が落ちている。


けれどその静けさの奥では、確かに小さな波紋が広がっていた。





「ねえ、聞いた? あの子……スキルが、ないんですって」


「ほんとに? 嘘でしょう。」


「でもマリス様が、わざわざ直々にお連れしたんですのよ。しかも……王都から逃れてきたって噂も」


「……なにか、いわくつきなんじゃない?」



食器の片付けをしながら、廊下の隅で、若い侍女たちがひそひそと声を交わす。


その声は、扉一枚向こう——ちょうど廊下を歩いていた光也の耳には届かなかったが、その張りつめた空気の感覚だけは、確かに彼の心に染み込んだ。


笑い声はあっても、それが完全に無垢なものではないと、どこかで彼は察していた。





伯爵の書斎にて


ラガン邸の奥まった一角。


重厚な書斎の扉が、軋むような音を立てて閉じられる。



「……お入りなさい」



呼ばれて入ったのは、側近の老執事だった。


ラガン伯爵は書斎の机に向かい、分厚い本を何冊も広げていた。


「異世界召喚者について、王都の大学から古い記録を取り寄せた。半分は神話、もう半分は政治的脚色だ。だが……そのどちらでもない"空白"がある」


「空白、でございますか?」


「そう。"スキルなし"の召喚者という記録は存在しない。少なくとも、公には」


伯爵は銀縁の眼鏡を外し、静かに息を吐いた。


その目には、ただの好奇心ではなく、どこか暗く深い憂慮が浮かんでいた。


「通常、異世界の者は何らかの強大な力を与えられて来る。剣聖、癒術士、賢者……少なくとも"称号"に匹敵するものを得る。だがあの少年には、それがない。どころか一般人でも持っているような、ありふれたスキルさえも。まるで、意図的に……」


「……排除されたかのように、でございますか?」


「あるいは、"拒まれた"とも言えるだろう」


伯爵は立ち上がり、書棚からさらに古い文書を取り出した。


そこには朽ちかけた羊皮紙に、細かく文字が刻まれていた。


「これは、百年前に召喚されたとされる"異端の来訪者"の記録だ。名前は抹消され、存在も封印されているが……興味深い記述がある」


『この者、理を帯びずして理を乱す。ゆえに理はその者を拒み、世界の外に立たせしめた』


「まるで、光也少年のことを記しているかのようだな」


老執事は黙して頷いた。


伯爵の背筋に、どこかの神殿よりもずっと深い畏れが宿る。





その夜、ラガン邸の応接室に、再びマリスが姿を見せた。


淡い月明かりの下、火灯のゆらめきが天井に揺らめく影を投げている。



「……あなたの見立てを、聞きたい」



ラガン伯爵は、声を潜めながら切り出した。



「光也少年は……本当に"スキルなし"なのか? それとも、まだ"目覚めていない"だけなのか」



マリスは静かに紅茶を口に運んだ。



「見た目や能力の問題ではありません。……彼は、この世界の枠組みに最初から属していない。スキルは、世界と魂の接点で生まれるもの。けれど、彼にはその"接点"が存在しないのです」



「つまり、根本的に"この世界の理"と噛み合っていない?」



「ええ。そしてそれは、もしかしたら……誰かが意図して、そうした可能性もある」



ラガン伯爵は眉間に皺を寄せた。



「……王都の連中は、彼が"危険な情報を知っている"から追っているのではなく、"その存在自体が異端"だから消そうとしているのでは?」



マリスは何も言わなかった。



ただその目だけが、すべてを肯定していた。



「だとすれば……彼の存在は、政治的な爆弾になりうる。だが、同時に──」



伯爵はゆっくりと視線を上げた。



「世界を揺るがす、"鍵"になるかもしれない」





その頃、光也は庭のベンチに腰掛け、夕暮れを眺めていた。


誰もいない時間を見計らって、一人で考える時間を持とうとしていた。



どれだけ勉強しても、どれだけクラリスと心を通わせても。


ミナに抱きつかれても、温かい食卓を囲んでも——ふとした拍子に、心の奥底に"透明な壁"のようなものを感じる。



「……僕って、やっぱり"変"なんだろうな」



その呟きは誰にも届かず、ただ夜風に流されていった。



けれど。



邸の書斎では、すでにひとつの決意が固まっていた。



「この子が世界の理を越えた存在であるならば、なおのこと……見届ける義務がある」



ラガン伯爵は、封蝋で封された一通の手紙を開いた。


その宛先は、王都のとある隠された学会——「叡智の環」。



世界の"理"を問い直す者たちが集う場所。


そして、そこに"理に属さぬ存在"が加わったとき、何が起きるのか。


伯爵は、知りたかった。



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