第2話『Electric Carnival』(4)
「エエエエエェェェェェぇぇぇぇぇエエエエエえええええイイイイイぃぃぃぃぃィィィ‼」
「セエエエエぇぇぇぇぇェェェェェえええええエエエエエいいいいいィィィィィぃぃぃ‼」
第九体育館のステージ上で軽やかに潴溜が舞う。まさか彼女が風紀委員の他に薙刀部に所属しているとは思わなかったが、非常時にも関わらず冷静に自らの役目を全うしているのは彼女の性格ゆえだろう。
俺は器用に薙刀を振り回す潴溜の姿を必死に追いかけながら隣の席で静かに眠る深山先輩を一瞬見やると、先ほどまで繰り広げられていた非日常を思い返していた。
◆
「……アンタは、一体」
「……俺の名前は笹暮利世、科学者だ。……何だ、またガキじゃねえか。こんな青臭い坊主供に世界の命運を預けることになるなんて一体世の中どうかしちまったんじゃねえのか?」
目の前の男は野暮ったそうにそう呟く。
「……それだけ便利な能力を手にしておきながらまだこの世界の構造に気付いていないとはな。宝の持ち腐れとはこのことだぜ」
ゆらゆらと現れたもう一頭の虎がマリアを乗せて去って行く様子を眺めながら、利世はやれやれと首を横に振った。
「仕方がないでしょう。天野先輩はまだ自身の持つ能力に気付いたばかりなのですから」
そう言いながら文化部B棟の屋上から管制塔の屋上へと跳躍してきた潴溜が男にそう声をかける。目の前の男は無言で頭を掻きむしると、俺たちから少し距離を空けた。
「……まずは天野先輩、ご協力感謝します。天野先輩の協力がなければ私たちは確実に命を落としていたでしょう」
潴溜が俺の目の前にやって来て深々と頭を下げる。
「詳しいことは順を追って説明します。その前に、これを腕に嵌めてください」
そう言って潴溜が渡してきたのは、怜奈が嵌めていたシルバーのブレスレットと同じものだった。
「私も同様に嵌めています。決して怪しいものではないのでご安心ください」
潴溜の風紀委員の腕章の下から同様の、年季の入ったブレスレットが顔を覗かせる。俺は言われた通り腕にそのブレスレットを嵌めると、潴溜は電子携帯を出現させた。
「現在午後五時十四分……、まもなく『強制同期』が来ます。衝撃に備えてください」
体感にして二秒もなかったように思える。
奇妙な轟音が鳴った。そしてそれは吹き上がる水蒸気のように拡散し、弾ける。
まるで波動のようなものだった。
そうでなければミルククラウンのように一瞬で周りへと広がっていく何か。そんな何かが過ぎ去っていくような、そんな感覚がした。
そして、あれだけ喧噪に溢れていた未来学園が嘘のように静まり返っていったことに俺は驚きが隠せなくなっていた。
「――リヴァイアサン、それが俺たちが破壊しなければならない装置の名だ」
リヴァイアサン。夏休みの最終日に白い世界で目撃し、そしてその二週間後に未来工業最上階で見た装置の名前だ。
「――そして、そのリヴァイアサンとは『洗脳兵器』に他ならない」
「洗脳、兵器」
「……何だ、やけに物分かりが良いじゃないか。岡崎の娘はループだのなんだの言い出して説明に苦労したんだ」
潴溜が園宮先輩のことです、と説明を加えてくれる。
「……まあ、ループ物は怜奈の大好物ですから。俺は能力のおかげで失ったはずの記憶を蘇らせることができたので何とか理解することができましたが」
ほう、と男が興味深げにこちらを覗き込む。それを見て潴溜は説明を続けますと言葉を繋げた。
「未来区では一日の終わりに一度、大規模な洗脳、いわゆる『同期』が行われています。そしてそれに加えて今のように緊急時に強制的に未来区の人間の記憶を上書きさせる『強制同期』が行われているのです。そのトリガーとなるのは『この世界の真実を知る』こと。もし誰かがそれに辿り着いた場合、今のようにそれらの情報に関わる一連の記憶を全て失う設定が施されています」
夏休み最終日、俺と洸一はジルドたちに接触してこの世界の真実に関わる情報を得た。しかしそれは『同期』によって消去されてしまった。未来工業に潜入した際もリヴァイアサンによって俺は直接『強制同期』をかけられてしまったということか。
「――そして、未来区に住む者は『未来区の外に出る』ことは許されない。何故ならそれは『この世界の真実を知る』ことに直結しているからだ。リヴァイアサンの起動の主なトリガーはこの『この世界の真実を知る』ことと『未来区の外に出る』こと、この二つのトリガーに反応していることは間違いない」
文化祭二週間前、俺と怜奈は未来区から脱出しようとした。しかしこの際も同じようにその強制同期をかけられた俺は一連の記憶を失ってしまっていた。そう考えるとこの男の言っていることは辻褄が合っているように思えた。
「……だったら、どうして俺はまだ記憶を消されていないんだ? 今のが強制同期だったんだろ?」
「それはこのブレスレットに、洗脳を阻止するためのプログラムが組み込まれているからです」
俺はまじまじと自分の腕に嵌められたシルバーのブレスレットを見る。その姿を見て興が削がれたのか、男は再びポリポリと頭を掻きながらスナイパーライフルを背中に背負って屋上の入り口へ向かってそのそと歩き始めた。
「……そろそろ未来工業も動き始める頃合いだろう。俺は念のためイヴリスを回収しに行く。りん、お前はそいつを連れて未来区の外を見せてやると良い。そうすれば嫌でもこの世界の真実を知ることができるだろう」
「了解しました。アジトには宮子先輩も連れて行きます。よろしいですか?」
「……良いだろう。そもそも連れてこさせないようにしていたのはお前自身だ。それに岡崎の娘が視覚を奪われたままというのもそれはそれで困るからな」
男はそう言い残すとゆっくりと屋上を後にした。
「……それでは早速参りましょう、と言いたいところですが、少しだけ私のワガママを聞いてもらえないでしょうか?」
「ワガママ?」
唐突に潴溜の口から飛び出たこの状況にそぐわない言葉に妙なおかしみを感じてしまう。
「私ももう表舞台には立てなくなってしまいますから自分に与えられた役割を全うしてから消えたいのです。天野先輩も、くれぐれも後悔のないように」
明日の朝には、もう誰も貴方のことを覚えてはいませんから。
潴溜の言葉に、俺はもう日常に帰ることは出来ないのだと、そう深く理解することとなるのだった。
◇
そして体育館で薙刀部による演舞が終了して現在に至る。
潴溜のラストダンスを見届けた俺たちは下水道に隠された抜け道をとてつもない速度で移動していた。
「――それにしても、『電脳世界に介入する』なんて便利な能力ですね。平常時ではどれくらいの使用が可能なのですか? その白い世界? の中ではなく」
眠っている深山先輩と怜奈を背負いながら下水道をトップスピードで疾走する潴溜の背中を一心不乱に追いかけながら俺は何とか次の言葉を口に出す。これでも潴溜は俺に合わせて大幅に速度を下げてくれているというのだから陸上部二大エースのプライドもバキバキに折られてしまうというものだ。
「今可能なことといえば潴溜の電子携帯のメッセージ内容を盗み見たりトースターくらいの大きさの電子回路をショートさせて爆発を引き起こすくらいだな。他にはセキュリティが甘いプログラムを解除することができるくらいのものだろう」
「なるほど、即戦力とは言えないまでも訓練次第ではかなりの実用性が有りそうですね」
「潴溜こそ、あの身体能力はどういう理屈なんだ?」
軍事ロボット二体を相手取りながら怜奈を気にかけて戦闘を繰り広げていた潴溜の身体能力は明らかに人間離れしていた。
「私の能力は至ってシンプルで、『身体能力を強化する』というものです。神村ジルドの『視覚置換』や神影マリアの『生物操作』のようなトリッキーなものではありませんが、シンプル故に使い勝手は良いんですよ」
「『視覚置換』に『生物操作』、そして『身体能力を強化する』能力なんてまるでバトル漫画の顔ぶれだな」
「それで言ったら天野先輩の『電脳世界に介入する』能力が一番ぶっ飛んでいると思いますよ。天野先輩のその能力は私たちが最も欲していた能力の一つだったんですから」
「簡単に言ってはいるが、能力なんて一体どうやって生み出されているんだ?」
「それについてはアジトに着いてからゆっくりとお話しましょう。それはそうと、本当に誰にもお別れを告げなくて良かったのですか?」
潴溜の言葉に両親と洸一の顔が浮かぶ。
「……ああ、良いんだ。次の日には何もかも忘れてしまうんだろ? だったら全てが解決してからゆっくりと全てを話すさ」
俺の言葉に潴溜はそうですか、としか言わなかった。
トップスピードで走り続けていた潴溜が徐々に減速し、やがて天井に大きな円状の鉄扉のある場所で立ち止まる。
「ここは未来区最南端の駅の真下です。ちょうど天野先輩と園宮先輩が未来区から脱出しようとした駅ですね。……それでは脱出します」
潴溜の言葉に未来区を世界から断絶するかのように建てられた大きな壁が俺の脳裏を過る。
防国壁。
怜奈は未来区を覆う壁をそう呼んだ。
「――登ります」
鉄扉の鍵を開いた潴溜が先行し、ぐんぐんと梯子を昇っていく。俺はそれに倣って梯子を登って潴溜の後を追った。
一歩ずつ慎重に、そして着実に。
登り切る。
◆
「ここは――」
梯子を昇り切ると、俺たちはいつの間にか小屋の中に居た。
暗闇の中、カーテンの向こうから僅かに陽の光が漏れている。
ここは物置小屋か何かなのだろうか。
「ここは空き家なので出入り口として活用させて頂いています。……といってもいつ補充されるか分からないので幾つか抜け道は分散させていますが」
補充。その言い方が少し引っかかるが、俺は潴溜の次の指示を待った。
「それでは外へと出ます。未来区の外とはいえ決して安全とは言い切れませんのでしっかりと付いて来て下さいね」
潴溜がゆっくりと歩き始め、玄関らしき場所へ向かってと手探りで移動する。
扉を開く。
それと同時に、あの日のような夕暮れが俺達の行く道を照らしていた。
――外の光。
長時間暗い場所に居続けていたせいか、オレンジ色の夕景がやけに目に染みる。
そして俺は、生まれて初めて未来区の外の土地へ足を踏み入れていた。
――農村。
そんな単純な感想が最初に浮かんでいた。
見渡す限りの畑に、等間隔にプレハブ住宅が並んでいる。
「やけに空気が澄んでいるな……」
未来区という大都会にいたからだろうか。
そう遠くない場所だというのに、新鮮な空気が肺の中を浄化してくれているような気さえする。澄んだ空気に充てられて思わずリラックスしてしまいそうになるが俺はすぐに本来の目的を思い出して辺りを素早く観察する。
「見渡す限り似たような家屋が並んでいるが人の気配がない。一体どうなっているんだ?」
そう、あまりにそれは変哲が無さ過ぎたのである。
等間隔に並んでいる何の特徴もない家屋。それは「住む」という目的のみをただ果たすためだけの場所に見えた。
飾り気一つないその家群にはまるで人の住んでいる気配がしなかった。
「――この辺りの地域一体は未来区近郊にあるため、食料を供給するための専用の農業地域として特化された編成が行われているのです」
未来区近郊であるため?
まるで未来区のためにこの辺りの地域が存在しているかのような言い回しに聞こえる。
「……それでは、見晴らしの良い場所へ移動しましょう。しっかりと付いて来て下さい」
潴溜は表情を変えることなくズンズンと進んでいく。
俺は無言でそれを追った。
◇
潴溜の後を追い、森を抜け山道を登って行く。
数十分ほど歩いただろうか。やがて俺たちは山頂へと到達した。
「――さて、頂上に着きましたね。天野先輩お疲れ様でした。それではここからの景色をご自分の目でしっかりと確認してください」
俺は崖のギリギリまで移動し、そこから下の景色を見下ろした。
最初に視界に入ったのは、防国壁だった。
悠々と聳え立つそれは未来区を取り囲むようにして存在していた。そして、いよいよ未来区の外の風景が視界に入ってくる。
見渡しても、見渡しても同じ風景。
辛うじて判別できたのは俺たちが先ほど出てきた住宅街と呼べる場所と、均等に割り振られた農地だけだった。
それなのに、俺は言い知れぬ気持ち悪さを感じていた。
――気持ち悪い。
――何かがおかしい。
「――目を逸らさず、しっかりと見てください。人は居ます。一つの畑に一人ずつ」
潴溜の言葉に目を凝らしてしっかりと観察する。
そして、生気がなく統制された動きで黙々と働き続ける人たちが視界に映り始めていく。
「国際連合は、パンドラ計画と命名しました」
潴溜は言った。
「――今から十年前です。洗脳兵器の誕生に伴って、世界は混沌の真っ只中にありました。当然ですよね。あの装置一つでどんな国でも簡単に世界征服を成し遂げることができるのですから」
そう、彼らは洗脳されていたのだ。
リヴァイアサンという人道を大きく外れた洗脳兵器によって。
人権もなく。意思さえも与えられず。
それが当たり前だとさえ感じさせられている。
「そして最悪にも、最初に洗脳兵器の開発を成し遂げたのはISコーポレーションでした。ISコーポレーションが本社を置く国の名前は『メトロポリス』。――十年前、世界を混沌へと陥れた新興国の名前です」
メトロポリス、初めて聞く国の名前である。
「国際連合はこれを受け、たった一つの解決策を打ち出しました。……それが、『パンドラ計画』です」
「……それは、一体?」
少しの間を置いて、潴溜は続きを話し始めた。
「世界の崩壊。それが避けることのできない未来であるのならば、この地球に未来はない。ならば、この世界の文明レベルを下げてしまえば良い。例えば――、争いの生まれなかった縄文時代にまで」
……声が、出なかった。
「おかしい、おかしいだろ。そんなことがまかり通るはずが……」
「私もそう思います。それでもこれがパンドラ計画の全貌、この世界の真実なんですよ」
潴溜は俺と同じように崖から下を見下ろした。
「だから私はあの人、笹暮利世に力を貸しているんです。……あの人、本当に容量が悪くて小心者で不愛想ですけど、この世界でたった一人だけ、世界を変えることが出来る可能性を持つ人だから」
それに、あの人は私のたった一人の父親ですから。潴溜はそう呟くと少し寂しそうに微笑んだ。