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プロ・プロローグ

 これはとある愚かな人間たちの、世界を再創造させた、たった一つの御伽噺。





「高いな……」


 青年は、目の前に聳え立つ高いたかいビルを見上げ、その社名を反芻する。

 未来工業。設立二年目にしてあらゆる面で世界一となった大企業の名前である。


「……俺、今日から本当にここで働くんだよな?」


 青年は緊張で気分が悪くなったのか、ゆっくりと後ろに停まった車を振り返る。


「私はここまでです。このまま真っすぐお進みください」

「……ああ、ありがとう」


 ここまで青年を送ってきた運転手の老紳士はそう言うと再び車にエンジンをかけ、走り去って行ってしまった。


「まさか俺が出社するだけのために送迎車が来るとはな……」


 青年は走り去っていく黒塗りの高級車を後目に、改めてその会社を見上げる。


「……よし」


 青年は震える身体に喝を入れ、未来工業の入り口へと向かって歩を進める。

 そんな彼の背後に、何者かが近付く気配があった。



「――君、今日からここに配属されることになった笹暮利世君?」



 青年が思わず振り返ると、そこには片手にコンビニ袋を提げた綺麗な女性が立っていた。伸び切った栗色の髪が乱雑にポニーテールへとまとめられているにも関わらず、その佇まいには上流階級特有の品があった。


「そ、そうですけど……」


 女性の胸元に付いていたバッジからこの会社の関係者であることはすぐに分かったものの、ここまで綺麗な女性を初めて見た利世の声は思わず上擦ってしまっていた。


「社長から話は聞いてるよ。まだ二十代なのに凄いんだって?」


 女性は思い出したように利世の経歴をペラペラと述べていく。その姿を利世はどこかで見たような気がして、自分の記憶力に賭けてみることにした。



「……あの、もしかして岡崎玲夏おかざきれいかさんですか?」



 岡崎玲夏。旧姓、園宮玲夏。 

 未来工業の副社長でありながら研究者としての実績も確かな科学者であり、未来工業の社長、岡崎幹也の右腕としてサポートをし続けている女性である。

 また彼女は岡崎社長の妻でもあり、数年前に子供も出産されているとのことで変わらぬその美貌に驚いた記憶があった。


「あれ? もしかしてアタシと会ったことあったっけ?」

「いえ、岡崎社長のドキュメンタリー番組を拝見させて頂いた際にお見かけしたような記憶があったので……」


 岡崎玲夏は合点がいったようにポンと両手合わせると、どこか恥ずかしそうに微笑んだ。


「アタシがメディアに顔を出すなんてめったにないのにそれを見たことがあるなんて利世君って勉強熱心なのね」


 岡崎玲夏はそう言うと利世を手招きし、未来工業の入り口へと向かって歩き始める。

 利世は彼女に促されるまま未来工業へと足を踏み入れた。





 未来工業のオフィスは建設されてからあまり日が経っていない。そのため、どこもかしこも新築の香りがしていた。

 エレベーターに乗ってから約三分。ようやく未来工業の最上階である五十階へと到達する。岡崎玲夏が颯爽と廊下へ躍り出ると利世も急いでその後を追う。奥まった廊下の途中で彼女がこちらを向き直ると、そこには『社長室』と書かれたプレートが貼られた扉があった。


「ここが社長室よ。早速入るけど心の準備はいいかしら?」

「……だ、大丈夫ではないですよ。子供の頃からずっと憧れてきた人が扉越しにいらっしゃるんですから」

「あはは、そんなに期待するような奴でもないわよ。……岡崎社長、笹暮利世君が到着したのでお連れします」


 岡崎玲夏は畏まった言葉を用いながらもノックをせずに社長室の扉をぞんざいに開けた。すると、そこには読んでいた書類を机に置き、ソファに座りながらこちらを見上げている岡崎幹也の姿があった。


「玲夏か。……おっと君が利世君だね、初めまして」


 やけに殺風景な空間だった。社長室として最低限の物は揃っており、それらは一企業の揃えるグレードとしても最高峰のものであることは利世でも理解できたものの、あまりにも人間味が薄いように感じていた。

 利世は促されるまま来客用のソファに腰を下ろす。すると岡崎幹也がその向かいのソファに腰を下ろし、岡崎玲夏の淹れたコーヒーに角砂糖を二つ入れた。


「――改めて。僕の名前は岡崎幹也だ。この未来工業の社長を務めている」


 岡崎幹也。

 国内、いや国外でもその名前を知らない者はいないだろう。

 若干十六歳にして日本全体の地位を飛躍させるほどの発明を立て続けに行い、当時最高峰の技術力を持つアメリカの研究グループに引き抜かれる。その中でも彼の才能は突出しており、近年では妻の岡崎玲夏と独立してこの未来工業を立ち上げ、日本を世界の中心へと押し上げた功労者の一人として称えられている。


「……笹暮利世です。去年まで大学院で脳科学についての研究を行っていました」


 そんな岡崎幹也と比べると利世の経歴は至って平凡であると言わざるを得ない。幼い頃に知った岡崎幹也に憧れて科学者を志したものの自分は大した研究成果も挙げられず、教科書に載ることもなく死んでいく。

そう思っていた矢先、のことであった。

 就職活動を行っていた利世の元に一通のメールが届いた。

 その内容は至ってシンプルで、未来工業のとあるプロジェクトに研究者として参加して欲しいという簡素な文章に一つのファイルが添えられていた。



「……科学装置リヴァイアサンなんて名称のファイルでしたが、これ、つまるところ洗脳兵器ですよね?」



 空気がシンと静まり返る。研究に没頭するあまり世間とのズレが生じてしまうのは利世の悪い癖だが、幾ら岡崎幹也の頼みとはいえ兵器の開発に与したくないというのもまた利世の本心であった。


「視野が狭いね。もっと多角的な方面から物事を判断したらどうだい? かの原子爆弾も今では他国をけん制するための材料となっているだろう?」


 岡崎幹也による贅沢すぎる個人レッスンが始まりそうな雰囲気の中、社長室の扉が開いて新たにもう一人の男が入室して来る。その男は利世と似たような背丈の青年で、利世と同年代の人間のように見えた。


「彼は神野白夜。利世君と同じく今日から未来工業に勤務することとなっている。君から了承を得られればの話、だけどね」


 岡崎幹也が神野白夜を利世の隣の椅子に座らせる。そして姿勢を崩して腕をゆっくりと組み直した。利世の目には、岡崎幹也がこれからどうやって自分を説得するかをロジカルに順序立てて考えているように見えていた。


「まず初めに、未来工業は私的利用のためにこの装置の開発を行うわけではないということは分かっていて欲しい。何を隠そうこのリヴァイアサンの開発は政府からの要請でね。

 ……アインシュタインが善意で作り出した核エネルギーが悪意によって原子爆弾へと転用されたのは有名な話だが、その悪意に対抗し、自己防衛のため新たな兵器を開発する行為もまた悪意だと言えるだろうか」


 これじゃあまるで道徳の授業ね、なんて微笑みながら岡崎玲夏が紅茶を啜る。


「……つまり、別の国では既に洗脳兵器の開発が進んでいるということですか?」

「その通りさ。その国に存在する企業がⅠSコーポレーションと言えば、事の重大さを認識してもらえるかな?」


 ISコーポレーション。新興国メトロポリスに居を構える大企業であり、未来工業に次ぐ技術力を有していると噂される会社である。考え得る限り最悪の事態に、利世の首元には冷や汗が流れ始めていた。


「ⅠSコーポレーションが先に洗脳装置を完成させれば世界は大きく変わってしまう。だから僕たちは何としても彼らより先にリヴァイアサンを完成させなければならない」


 気付かない内にメトロポリスによって洗脳させられている自分を想像して、利世の背筋が凍る。


「このプロジェクトは日本とメトロポリスが世界を股にかけて行う大々的な科学競争となるだろう。そして僕たちは数年後、必ず英雄として歴史に名を連ねるというわけさ」


 岡崎幹也は、笑っていた。


「どうだい、ワクワクしないか? 僕も君たちも、幼い頃は世の中をひっくり返すような発明をしたくてこの世界に飛び込んだはずだ。そして、その空想は既に僕たちの目の前まで来ている。これに興奮しないで何が科学者だ」


 岡崎幹也は右腕を前に差し出して、利世と白夜に握手を求めた。白夜は最初から腹が決まっていたようですぐにその手を掴み取った。

 利世の頭は明らかにこのプロジェクトに関わるべきではないという警告を行っていた。しかし夢から現実となった目の前の岡崎幹也にたとえ説得の材料であったとしてもこんな言葉を貰って、利世にはそれを断る選択肢など存在してはいなかった。



「――こちらこそ、よろしくお願いします」



 心が爆発しているのなら誰にもそれを止める権利なんてない。利世はそう自らを納得させて岡崎幹也と固い握手を交わしたのだった。


 これが今後十年と続く未来区を中心とした長いながい戦いの序章に繋がるとも知らずに。





「おうおう利世、重役出勤じゃねェの」


 喧噪の中でもひときわよく通る品のない声が店内に響き渡る。


「斑さんやめてください。良くない視線が集まってます」


 未来区の外れに位置する下町の近くで車を下ろしてもらった利世の姿を目の前の斑に目撃されてしまった瞬間から利世はこれがよくない酒の席になることを理解してしまっていた。


「まあ良いじゃねえか。そろそろ初任給も貰える頃だろ? 利世君の格好意良いところをオジサン見てみたいねェ」

「何で俺が斑先輩の飲み代を支払わなきゃならないんですか。斑さん、政府お抱えの科学者でしょう?」

 周りの目を気にして、利世は小さな声でそうツッコミを入れた。



 斑金屋まだらかなや

 利世の大学院時代の先輩であり、俗世とは少し離れた生活を送っていた利世が人として生きるための術を教えてもらうこととなった頼れる兄貴分である。

 利世もつい最近知ったのだが、斑は現内閣総理大臣である宝条要ほうじょうかなめ首相の親戚関係にあたり、どういうわけか現在は政府お抱えの科学者として首相官邸の近くに居を構えているらしい。


 利世と斑は二件目である行きつけの安居酒屋に到着すると今度はゆっくりできそうな個室へと案内してもらい、次々とアルコールを口に入れ始めた。


「それにしてもビックリしました。まさか間接的にとはいえ斑さんも未来工業に関わっていたなんて」

「なァに、偶然が重なっての話だ。宛てもなく個人で頼まれた仕事をやりながらフラフラとしていた所を要に捕まってな。お国のために勤めを果たせっていう話をそのお国のトップに言われた日にはそれを断るわけにはいかねェだろ?」


 そう愚痴を零す斑の口元はどこかニヤついていた。斑の才能は本物であり、その確かな技術を活かせる現場が存在することが純粋に嬉しいのだろう。



「――防国壁、ですか」



「あァ。実際はもっと長ったらしい名称があったはずだが、現場ではその略称で呼ばれてる」


 防国壁。リヴァイアサンの開発と並行して行われている洗脳兵器の発信する電波を遮断するための防護壁である。利世は詳しい部分は岡崎幹也に聞かされておらず、偶然目に挟んだその防国壁を建設するプロジェクトの主要メンバーリストに斑金屋の名前を見つけた瞬間、迷わず利世は電子携帯を出現させていた。


「防国壁の建設には莫大な費用と時間、そして人手が必要となる。それなのに何のために建設する必要があるのか十分な説明が出来ないってェのがネックでな。今はリヴァイアサン設置予定の未来区の外周にのみ建設を進めてるんだ。その後には日本全土に順次建設していく予定ってのがお役所様の言い分だが、俺の目算ではもうそんな悠長にやってる時間はねェんだろ?」

「……はい。岡崎社長の見立てではほぼ確実にメトロポリスよりも先にリヴァイアサンの完成は可能とのことですがそれまでに日本全土に防国壁を建設することは極めて困難だと」

「ま、ンな分かり切った未来を岡崎幹也がどうひっくり返すのかお手並み拝見ってェ所だな。……それで、お前の方はどうなんだ? 未来工業っていやァ大企業も大企業。入社して一カ月ってェところだが職場の様子はどうなんだ?」

「……まあ、いきなり開発チームのトップに立った俺の存在を快く思ってない人間が居ることも事実ですね」


 洗脳装置リヴァイアサンの開発には、岡崎幹也をトップとした三つのチームが存在する。

 岡崎幹也の打ち出した理論を噛み砕いて実用的なものに修正していくのが利世の在籍する科学チーム。そしてその理論を洗脳装置の核となるプログラムに落とし込んでいくプログラミングチーム。最後に、そのプログラムに耐えうるリヴァイアサンの装置となる母体を制作する技術チーム。そしてその三つのチームを連携させ、岡崎幹也との良好な関係を生み出すのが岡崎玲夏を筆頭としたスタッフ陣である。


「あいつら、俺たちのやってることを岡崎社長の描いた絵を額縁に入れる業者か何かだと思ってるんですよ。特に技術チームの神野白夜とは致命的にまでウマが合わない。岡崎夫妻におべっかばかり使って俺たちのことを奴隷か何かだとでも思ってるんですよ」

「ハッハァ、悩め若人。例えばその神野白夜って奴の経歴を調べてみたらどうだ? そんなにお前とウマが合わないような人間が未来工業に、ましてや岡崎幹也に引き抜かれると思うかって話だ」

「とっくに調べましたよ……」


 神野白夜。社長室で利世と同時に採用されることとなったいわば利世の同期である。元々白夜は科学者を養成するための機関に所属していたが一転して数々の国を兵士として渡り歩いており、その後技術者として未来工業のリヴァイアサン開発における技術チームのリーダーに選出されることとなったのだが、利世とも仕事で関わる機会は多いものの、如何せん利世は彼の態度にその真意を解すことができないでいた。


「元科学者志望だっていうのに科学チームに理解を示そうとしないなんて、いよいよもって訳が分かりません」

「……だからこそ、なのかもなァ」


 シリアスな話はこれで仕舞いだ、とでも言わんばかりに斑が追加でアルコールを注文する。更に数時間の間二人で管を巻いていると、何やら店の外が騒がしくなってきた。


「何だァ? 乱痴気騒ぎじゃあるめェな」


 斑が興味深げに暖簾の下から外の様子を窺おうとする。

 その瞬間、店の外から黒い物体が投げ入れられ、途端に煙が溢れ始めた。



「スモークだ! 口を覆え利世!」



 斑の言葉に利世は急いで口元をハンカチで覆う。

 それと同時に数人のフルフェイス集団が店内に雪崩れ込んで来る。


「お前ら未来工業の関係者だな。一緒に来てもらうぜ」

「不気味な壁なんか建てやがって。いよいよこの国も終わりだな」


 彼らが利世と斑を連れ去ろうとした瞬間、また別の何者かに狙撃され倒れ込んだ。店外から数人の男たちが入店し、利世と斑を護るように彼らを取り囲む。


「――やれやれ利世、お前の会社の関係者に助けられたことには礼を言うが、これってどう見てもお前を狙った連中だよなァ?」


 カウンターの下から這って出てきた斑が利世に向かってそう尋ねる。


「……どう考えても俺と斑さんの両方を狙った行動でしょう。おちおち世間話も出来ないなんて、嫌な時代になったものですね」


 利世はこれまで以上に警戒態勢が強くなった護衛たちを見て、強く頭を抱えるばかりであった。





 利世が未来工業へ入社してから半年以上が過ぎていた。研究は順調に進んでおり、リヴァイアサンの開発は最終段階へと移行していた。防国壁も未来区への建設は完了し、現在は日本全土への建設が始まっている。しかしそれに伴い各地で詳しい事情の説明を求める反対運動が激化し、事態は難航していた。

 そして未来工業でもまた、争いは日々起こっていた。


「どうして洗脳の適用範囲域に日本が含まれているんだ! これじゃあ他国をけん制するためという軍事兵器の開発を正当化するための理由の根底が覆ってしまう!」

「……離せよ、喧嘩を売る相手が違うだろう。命令を下したのは岡崎社長、ひいては日本政府だ。俺はその命令に従ったに過ぎない」

「ならどうして科学チームにこの事実が伝達されていない! 書類では通達済みと記載されていた。これは紛れもなく虚偽報告だ!」

 白夜は利世の腕を振り払い、埃を払うようにワイシャツをはためかせて椅子の上にふんぞり返る。

「お前たちに話したところでこうやって面倒事になるのは目に見えていた。俺の裁量で円滑に話が進むようにして何が悪い」


 利世がもう一度掴みかかろうとすると白夜は椅子から立ち上がり、同じように利世に掴みかかろうとする。

 その後も言い争いは平行線を進み続け、お互いにこの議論はもはや無駄な行為であることは分かっていたのだが、これまでに積み上げてきた鬱憤が二人の燃料に薪をくべ続けていた。


 見かねた社員の一人が報告したのか、扉が開いて岡崎幹也が現れる。


「二人とも、そこまでだ。白夜は反省文の提出、利世は今から俺と首相官邸に行ってもらう。必要な書類を玲夏から預かってきてくれ」

「……はい」「はい」


 岡崎幹也の言葉に利世と白夜は渋々ながら返事をする。

 リヴァイアサン完成を目前に、科学チームと技術チームのトップである利世と白夜は幹也と供に出張に向かう回数が日に日に増え始めていた。しかしこの場合に限っては岡崎幹也が空気を読んでの判断だろうと利世は無感情のまま資料室へと向かい始める。

 

 数分後、二人を乗せた黒塗りの高級車は首相官邸へと向かって直進し始めた。





 車内での会話は無く、岡崎幹也は利世の未来工業に対する猜疑心を察したのか黙っているばかりだった。しかし首相官邸近くまで来るとその異様な光景に思わず利世は口を開いてしまう。


「これは……」


 首相官邸の周りを数千人のデモ団体が取り囲んでいた。この車はマジックミラーが用いられているため誰が乗車しているのか分からないにも関わらず、デモ団体が車に近付こうとしては警備員に剥がされる様子が利世たちの目に映っていた。

 メトロポリスの勢力伸長。これによって世界は再び激動の時代を迎えることとなっていた。中東地域で勃興したメトロポリスは自国の一大企業であるISコーポレーションの後押しをすることによって大規模な技術革新に成功。中東地域の多くはメトロポリス国に吸収合併され、ヨーロッパの一部地域もその勢力圏に与される事態となってしまっていた。


 そして、それはここ日本においても他人事ではない。


 学生の大半は出兵し、利世や斑のようないわゆる「エリート」のみが教育機関に進学することが可能な国へとなりつつあった。

 議会は総理大臣である宝条要ら政治家を中心とする帝国主義回帰派と戦争に子供を送りたくない国民を中心とする民主主義継続派に分かれ政権争いが激化している。未来工業は政府と密接な関係にある会社であるため民主主義継続派の過激派に狙われることも多く、居酒屋で利世と斑を襲った悪漢たちもその過激派の一味であることが判明している。

 最近では防国壁が突如建設され始めたことについての説明が不十分であるため民主主義継続派に賛同する国民も少なくない。このため利世を含む未来工業の重役には多くの護衛が付くこととなったのだが、それでも抑圧し切れない現状がそこにはあった。


「白夜の行いが完全に正しかったとは僕も思わないが、本来は僕が行うべき説明だったのかもしれないね。嫌われるのは疲れるから、僕も本能的に避けようとしていたのかもしれない」


 警備員がデモ団体を引きはがし、ようやく車が少し前進する。しかしまた新たなデモ団体が車の進行を止めようと立ち塞がる。


「……白夜は出兵していたから戦地で必要なことを本能的に理解しているんだ。だからどんなに非人道的な行為であっても確実に成功を導き出すために行動する。それとは反対に、利世は失敗のリスクを背負いながらも誰も傷付かないように行動する。どちらが悪いわけでもなく、ただどちらも正しく在るだけなんだ。……利世と白夜よりも優秀な人間は沢山いた。そんな中で僕は君たち二人をプロジェクトの核となるメンバーに選んだんだ。それはどうしてだか分かるかい?」


 どんどん警備員の数が増えて行く。利世はそれを眺めながら岡崎幹也の質問にただ首を横に振るのみだった。


「僕は誰よりも科学を知っているけれど、結局その技術を使うのは人間だ。だから僕はリヴァイアサンを正しく使ってくれる人間を考えた時に、まず君たちの姿が思い浮かんだ。二人だと意見が対立することもあるかもしれないが、君たちは二人で一人だ。右脳を君が、左脳を白夜が担うんだ。君たちならリヴァイアサンを正しく使ってくれると信じているよ」


 まるで遺言だと利世は感じていた。その間に全てのデモ団員が剥がされ、車は首相官邸へと到着する。離れたところを眺めるデモ団体を見ながら岡崎幹也は呟いた。


「……彼らの言い分は分かる。だがもう僕たちには時間がない。もっと簡単に真実を公表することができる世の中になれば良いのにね」


 そう呟く幹也の表情は、やけに深刻そうに見えた。





 やけに慌ただしい首相官邸のエントランスを通り抜け、利世たちは首相室へと誘導される。職員が部屋の扉を叩くと、テレビでよく聞く宝条要総理大臣の荘厳な声が帰って来た。

首相室の扉が開く。部屋の中にはたった一人で資料を読み耽る一人の男が居た。利世たちは揃ってその前のソファへ通される。


 宝条要。

 帝国主義への回帰を掲げて当選した彼の年齢は若く、岡崎幹也とそう大して変わらない。そんな彼の目は何か覚悟を決めたような、そんな雰囲気を感じられた。


「決まったよ、幹也。『パンドラ計画』の実行がね。無論、『パンドラボックス』の使用もだ」

「……やはり、そうなったか」


 岡崎幹也が力なくそう返答する。


「国連総会でも決議が取られた。だから君も彼をここへ連れてきたのだろう。おめでとう、君は選ばれたんだ。神の祭壇を祀る天使の一人にね」


 利世は何が何だか分からず、ただ茫然と立ち尽くしていた。


「君たちの製造しているリヴァイアサンよりも先にISコーポレーションの洗脳兵器である『シャリア』が完成するんだ。現在は世界征服に向けての準備中という話でね」

「……嘘だ。岡崎社長が、未来工業がⅠSコーポレーションに技術競争で負けただなんて、岡崎社長が計算を違うなんて在り得ない」


 そう。岡崎幹也が他の会社ごときの科学力を見誤る、なんてそれこそ在り得ない話なのだ。


「……企業スパイが居るんだ。未来工業内部にね。常に研究成果を横流しされていた。隅々まで捜査し尽くしたが、結局誰か分からなかった」

 岡崎幹也が利世の言葉にあくまで冷静にそう返答する。そんな話、利世にとっては寝耳に水の話である。

「だったら――」


 だったら。そう言いかけて利世は言葉を止めた。

 だって、もう、終わりなのだから。


 世界は終わる。世界中の人間が洗脳されて、意思なんてものは消え去ってしまうのだから。



「――だから、もう世界を巻き戻すしか術は残されていない。

 この世界の文明レベルを下げてしまえば良い。例えば――、争いの生まれなかった縄文時代までね」



 言葉の意味が、分からなかった。


「世界の崩壊。それが避けることのできない未来であるのならばこの世界に明日はない。ならば十年という年月をかけて全ての文明を破壊し、争いの生まれなかった時代にまで回帰させることの他に手立てはない。パンドラ計画だ。縄文時代から洗脳兵器が開発される現代に到達するまで世界は数千年の経過が必要となる。各国に数名の有識者、そして有能な指導者を残すことで更により良い、核兵器や洗脳兵器が再び製造されたとしても争いのないより素晴らしい世界を創り出すことも可能となる」


 パンドラ計画、神の祭壇を祀る天使。


 ここに入室してから耳にした訳の分からなかった全ての言葉に合点が行く。そして、車の中で岡崎幹也の話した言葉の意味さえも。それは、何て馬鹿げたユートピアなのだろう。


「……だけど、リヴァイアサンは未だ完成していません」

「起動は可能だ。ある方法を使えばね。スパイの存在に気付いてから僕と幹也は二人である保険をかけていたんだ。……幹也、これは先ほど国連総会で決定された世界の意思だ。何としてもメトロポリスよりも先に世界を変えろ。今度こそ争いのない世界へと導くんだ」


 緊張感に包まれた静寂の中、背広を着た一人の若者が部屋に入って来て、この昔話を終わりへと誘うトリガーとなる言葉を告げた。



「――大変です! 未来工業の副社長である岡崎玲夏夫人のご遺体が未来湖から発見さ、れ――」



 若者は部屋の中に岡崎幹也の姿を発見して言葉を止める。しかし、引き金はもうとっくに引かれてしまっていた。


 世界の構造が組み変わるまで、もう秒読みとなっていた。





 未来工業社長室。その社長机の上に岡崎玲夏? は座っていた。足をぶら下げながら息せき切って入室してきた岡崎幹也の姿を見て口の端を吊り上げる。


「岡崎幹也ともあろうものが社内に潜んでいるスパイの正体を見破れないなんて随分と堕ちたものだ」

「……企業スパイを玲夏だと断定するということは玲夏が死んでいることを認めることと同義だからね。悔しいが、認めたくなかったのさ。たとえその中身がISコーポレーションの企業スパイ、ヴェスパ=デュカリスという全くの赤の他人だとしてもね」

「――ハハハ、そこまで知っていたのにみすみすシャリアの完成を早めたなんて君は生粋の大馬鹿者だね」


 玲夏だったモノ? は、胸ポケットから端末のような物を取り出すと電子携帯を出現させる。そして玲夏だったモノ? の姿は、次の瞬間全く別の人間に為り変わった。


「よく出来ているだろう。何分、メトロポリスの軍事技術は折り紙付きでね」

「……未来工業のセキュリティシステムはISコーポレーションに完全敗北したというわけか。もう少し目を向けておくべきだった。自分の好きな分野にばかり目を向けてしまう僕の責任だな」


 ヴェスパ=デュカリスは岡崎幹也に背を向けて、ゆっくり窓際へと歩き出した。


「それで、わざわざ顔を見せるなんてどういった要件だ? その様子だとシャリアはリヴァイアサンよりも先に完成するのだろう。だがこんな所でうかうかしているとすぐにリヴァイアサンが完成してしまうぞ」

「……ふん。妙なことを企んでいるようだがもう遅い。洗脳兵器シャリアは完成した。すぐに洗脳は始まるだろう」


 岡崎幹也の表情の微妙な変化にデュカリスは両手を広げてにやりと笑う。


「俺が王になる前に最後まで抗った者の顔を一目見ておきたかったのさ。日本では「ラスボス」って言うんだろう? それにしてはあっけないゲームだったが。……それじゃあそこの特等席でゆっくりと世界が俺に呑み込まれていく様を見物していると良い」


 轟音が鳴り響き、社長室の窓が全て破壊される。

 デュカリスは背中から飛び降り、ヘリに乗って海の向こうへと消えて行った。





「……ああ、すまない。どうやらパンドラ計画は失敗のようだ。だが約束通り計画は遂行する」


 利世と白夜が無言でリヴァイアサンの整備を行う傍で、岡崎幹也は誰かに電話を掛けていた。白夜はともかく、利世には先ほどまでの会話の流れからその相手が宝条要総理大臣であると考え至ることは自然だった。


「要、玲奈を頼んだよ。暇があれば僕と玲夏の墓を同じ場所に建ててくれ。僕の身体が自由になるのはいつ頃なのか皆目見当が付かないけどね。……ありがとう、それじゃあ」


 岡崎幹也は電子携帯を閉じるとリヴァイアサンの隣に安置された筺体を優しく撫でる。そして利世と白夜へ銀色のブレスレットを一つずつ手渡した。


「リヴァイアサンは起動する。君たちは急いで要と合流すると良い。これは付けている人間のみ洗脳の波動を遮断するブレスレットだ。これなら未来区の外に出たとしても洗脳を防ぐことができるだろう」

「岡崎社長、俺たちは一体どうしたら……」

「パンドラ計画は破綻した。この世界を救うことはもう不可能となってしまった。……だけど、みすみす世界がシャリアによって呑み込まれていくのを黙って眺めているわけにはいかないからね。この国だけでも先に洗脳を行うことでメトロポリスからの洗脳を回避するしかない。要には『疑似パンドラ計画』だなんてバカにされたけどね」


 メトロポリスよりも先に日本全土を洗脳する。そして、メトロポリスによって洗脳されてしまった世界を救う方法を後から見つけ出す。


 これが岡崎幹也の出した答えだった。そして、未完成であるはずのリヴァイアサンの起動には別の犠牲が存在する。

 利世と白夜は何も応えない。答えなくても、分かっていた。

 あの筺体は人間の脳そのものをリヴァイアサンと接続するマシン、パンドラボックスだ。パンドラ計画を行うに当たりリヴァイアサンにはプログラムを自動更新する機能が未完成だった。シャリアは当然これからもメトロポリスによるプログラムの更新が行われていく。しかしリヴァイアサンにはこれに対抗する機能が未完成だったのである。そして、その機能を補うには、開発者である岡崎幹也の脳をリヴァイアサンに接続し続けることでしか代替は不可能である――。だが、


「……けど、そんなことをしても世界は何も変わらない。現実から逃げているだけじゃないですか」


 世界はメトロポリスと日本を完全に切り離し、その二つはこれから数十年に渡って技術競争による冷戦を続けていくことだろう。そして全世界を支配するメトロポリスに比べて、日本は比較するまでもなく小さい。その日本を支え続けた岡崎幹也の意識ももうじき潰える。その先に、希望はもう見当たらなかった。


「だからこそ、君たちに託すんだ」


 利世と白夜が岡崎幹也の顔を見上げる。


「未来工業を継ぎ、この国を意のままに操っても構わない。そしていつの日か、ISコーポレーションを圧倒する科学力を以てパンドラ計画を完遂するんだ」


 幹也は匣の中へ足を踏み入れ、内側からリヴァイアサンを操作していく。



「僕も玲夏の所に行くとするよ。後は頼んだよ、利世、白夜。僕の愛する弟子たちよ」



 そして、パンドラ計画は遂行された。





 それからの作業は、存外に単純なものとなった。

 リヴァイアサンが起動してからすぐに利世と白夜、そして宝条要総理大臣の他に選ばれていた数十名の有識者たちが未来工業の会議室に集まり今後の方針を決めることになったのだが、その場にちゃっかりと紛れ込んでいた男の姿に思わず利世は数日ぶりの笑みを零してしまった。


「……斑さん、驚きました。斑さんも祭壇を祀る天使とやらに選ばれていたんですね。神様も書類選考をミスったりするんですか?」

「馬鹿ァ言え。こういうのは一人くらいルシフェルみたいな堕天使がいる方が風通しが良くなるもんだ。ギャルしか居ないギャルサーより数人清純そうな子が紛れ込んでいるギャルサーの方が何かこう、そそるだろ?」

「リヴァイアサンを使って全国のギャルが斑さんを生理的に嫌いになる洗脳でも行いましょうか?」


 斑がそれだけは勘弁を、と年甲斐もなく頭を下げる。

 聞いた話によると、斑は独自のルートで世界の滅亡を予見しており、どうにかして生き残る道を探して宝条要総理大臣と交渉していたらしい。つくづく生存本能の研ぎ澄まされた人物だと利世は思う。

 会議の場に全員が集合し、壇上に宝条要が登った。


「私はあくまで総理大臣であり研究者ではない。だから未来工業の未来は笹暮利世君と神野白夜君の二人に任せたいと考えているが、どう思う?」


 視線が利世と、離れた場所で静観していた白夜に集中する。



『僕は誰よりも科学を知っているけれど、結局その技術を使うのは人間だ。だから僕はリヴァイアサンを正しく使ってくれる人間を考えた時に、まず君たちの姿が思い浮かんだ。二人だと意見が対立することもあるかもしれないが、君たちは二人で一人だ。右脳を君が、左脳を白夜が担うんだ。君たちならリヴァイアサンを正しく使ってくれると信じているよ』



 岡崎幹也の言葉が利世の脳裏をよぎる。



『未来工業を継ぎ、この国を意のままに操っても構わない。そしていつの日か、ISコーポレーションを圧倒する科学力を以てパンドラ計画を完遂するんだ』



 岡崎幹也の、言葉が……。


「……俺は、降ります。未来工業は白夜に任せると良い。俺よりよっぽど優秀だ。岡崎幹也は俺を必要だと言っていたが、その実重要な情報を俺に何一つ教えてくれてはいなかった」


 利世はそう言って会議室から退出する。それを追って斑が廊下へ飛び出した。

「……本来、この場に出席するつもりもなかったんです。このブレスレットを斑さんに渡そうと思っていましたが、どうやらその必要も無さそうで安心しました」


 利世はそう言って微笑むと斑の手を振り払って未来工業を後にした。





 後数分で世界は終わる。

 日本に住む全ての人間はリヴァイアサンの支配下に置かれ、未来区を中心とした無謀な技術競争に巻き込まれていく。

 もちろんそれは利世も例外ではない。

 未来工業社長の座を白夜に譲った利世は、斑金屋に政府の要人として日本列島の外れの島で隠居することを提案された。


 しかし利世は、未だ未来区の見知らぬ公園に居た。


「……ん?」


 先程からどこかから視線を感じる。

 ベンチの後ろを振り向くと、幼い子供が段ボールの中に入っていた。


「……何だ、お前は」

「……」


 今頃、幼稚園に通っているくらいの年頃だろうか。

 そんな幼子が捨て猫のように段ボールの中から視線をじっと利世に向けていた。


「……ちょりゅう、と言います。おやに捨てられたんです。かわいそうと思いますか?」


 利世はその言葉を聞いて思わず噴き出してしまった。

 こんな日に、こんな時間に、捨て猫のように段ボールの中へ入れられたヘンテコな名前の子供がよりにもよってこんな男と出会ってしまう。

 これを運命と言わずして何と呼ぶのか。


「……っは、はははっ」


 利世はギュウギュウと銀色の腕輪をその幼子の小さな手首に当て嵌めた。


「ありがとな、最後に何も考えずに笑うことができた」


 やがて、その時はやってきた。

 あんなにガヤガヤとうるさかった街の喧騒がピタリと止む。

 波動が世界を包み込んでいく。今頃は世界中で似たような光景が広がっているのだろう。しかしその光景を利世は見ることは出来ない。この小さな幼子が嵌めているその腕輪を身に付けていない限りは。


「……は?」


 急に何事かを呟き出した利世を幼子が奇妙なものでも見るようにじっと見つめている。


 考えてみれば簡単なことだった。

 岡崎幹也の性格ならば利世が腕輪を付けない可能性が多分にあることは簡単に予想出来たはずだ。

 だったら、利世を洗脳の対象から外す事は容易だ。それにここは未来区の敷地内。防国壁がシャリアの電波を妨害している今、利世を襲う波動など有りはしないのである。

 利世はその場にへたり込むと、その幼子にもう一度話しかけた。


「……そうだよな。幾ら国を守りたいからって、それが何の罪もない子供の一生を犠牲にする理由にはならないんだよな」


 利世は幼子の入った段ボールの前にしゃがみ込むと、目線を合わせてその幼子にゆっくりと問いかける。


「……おい、お前のその『ちょりゅう』っていう名前はどうやって書けば良いんだ?」

「わからない。子どもにはむずかしい」


 大人相手にそうふてぶてしく話す幼子の姿を見てまた利世は噴き出しそうになる。

 そもそも、本当にちょりゅうという読み方なのかさえ怪しい。


「そうだな……」


 利世は何かないものかと辺りを見渡す。すると、利世たちのいる公園の銘板が目に入った。



『いのかり公園』



 その名前の下に、名前の由来が書かれていた。それは潴狩という昔の地名から取ったというこの公園の歴史が簡単に書かれていたのみだったが、その中でやけに多用されていた『平和を留めた』という言い回しがやけに利世の視界に入ってきた。


「……よし、お前の苗字はきっとこうだ」


 利世は落ちていた小さな木の枝を拾って地面に『潴溜』という文字を書き始めた。


「……どうだ? 合ってるか?」


 幼子はゆっくりと熟考した後に、ゆっくりと口を開く。


「このじめちゃくちゃむずかしい……」

「そうか」


 当て字の感想を利世は待っていたのだが、まるで見当はずれな所で幼子は不満を漏らしていた。

 利世が苦笑いを浮かべたのを見ると、幼子は少し慌てたように続け様に口を開く。


「けど、べつにこれで良い。そんなにこだわらない」


 どこまでも変な子供だった。

 けれど、別にそれでいいのかもしれない。


「これは、みょうじ?」


 幼子は、キョトンとした表情を利世に見せながらまじまじと地面を覗き込んだ。


「……そうじゃないのか?」

「……ううん、これでいい。……でも、よかったら名前も決めて欲しい」


 名前。

 まさか他人に名前を付ける日が来るとは思っていなかった利世は、予想外に重い決断を迫られてポリポリと頭を掻く。


「凛。そうだな、凛が良い」


 利世は騒音一つない、晴れやかな空を見上げてそう呟いた。


「……凛。お前の名前は今日から潴溜凛ちょりゅうりんだ」

「りん……」


 幼子は、ゆっくりと利世の与えた名前を反芻する。


「そうだ。俺の気まぐれでお前はこれからとんでもない人生を経験する羽目になるだろう。だが、嫌ならいつでもその腕輪を外すと良い。きっと普通の人間に戻れる。……だけどな、その名前には例えどんな世界に生まれたとしても凛とした態度で生き抜けっていうメッセージが込められているんだぜ」

「……よくわからないけど、それでいい」

「そうか。……ったく、俺もお前もろくでもない時代に生まれたもんだな」

「むかしの時代なんてわたしは行ってみないとわからない。……だけどわたし、それじゃあ損したことになるのかな」

「……いいや、お前は損なんてしないさ。だって俺がお前のような人間が得をするような世界に創り変えてやるんだからな」


 岡崎社長。これがあなたの創った世界なら、もうあなたを追いかけるのは止めにする。

上司の尻拭いで一生を終えるなんてまっぴらごめんだ。ならば、俺が俺の望んだ世界を創ろうとして何が悪い。その世界がこの幼子にとって良い世界になるのなら、こんなに素晴らしいことはないだろう。


 利世は心の中でそう呟くと、幼子の小さな指を一本掴んで公園の外に出る。そして斑に地下研究所を作って欲しいとメッセージを飛ばすと、道なき道へと最初の一歩を踏み出した。

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