第一話 罪と罰
ぶっちゃけ、人生に意味なんて最初からなかったんだと思う。
俺の名前は田中遼、二十六歳。
これまでの人生を振り返ってみたが、特筆すべきことは何もない。虐待されたわけでも、借金取りに追われたわけでも、最愛の彼女を不治の病で亡くしたわけでもない。
ただ、毎日「朝起きて、飯食って、仕事して、寝る」という無限ループを繰り返しているうちに、ふと気づいたのだ。
「……これ、なんのためにやってんの?」
その問いへの答えは、探すまでもなく空っぽだった。
いや、最初から用意すらされていなかったのかもしれない。
というわけで、俺は人生をログアウトすることにした。感慨もクソもない。ただの「終了」だ。
……はずだったのだが。
「おかしい。死んだはずだぞ」
目を覚ました俺を待っていたのは、安らかな無……ではなく、真っ暗闇な空間だった。
床も壁も天井も見当たらないのに、なぜか視認性だけはいいという謎仕様。
そして、その空間のド真ん中に鎮座していたのは、およそインテリアには向かない一品だった。
断頭台。
それも、使い込まれすぎて血の染みが年季の入ったガチのやつだ。
死後の世界に期待はしていなかったが、まさか初手で処刑道具にお目にかかるとは思わなかった。驚くというより、もはや引き気味である。
「来たね」
背後から声がした。
振り返ると、そこには黒紫のローブを纏った「いかにも」な人物が立っていた。
フードの奥に覗く琥珀色の瞳、性別不詳の美貌。そこにいるだけで空間が重くなるような圧倒的なプレッシャー。
うん、これ絶対に関わっちゃいけないタイプのラスボス(あるいは運営)だ。
「君が田中遼だね。僕はアガナエル。贖罪を司る者だ」
「……あ、どうも」
「贖罪」とかいう物騒な自己紹介をされたが、とりあえず挨拶だけはしておく。
アガナエルは、まるでフーレム補完された動画のでも見ているような、不自然なほど滑らかな動きで距離を詰めてきた。
「そして君は、罪を犯した」
「罪……? 何かしたっけ。あ、もしかしてゴミ箱なかったから自販機の前にペットボトル置いて行ったやつとか?」
「自分の命を絶ったことだよ」 [
アガナエルは、冗談の通じないトーンで淡々と告げた。 ひぇ〜マジギレかい?
「与えられた命を勝手に終わらせるのは罪だ」
という、世間一般の道徳観をさらに重苦しくしたような理屈である。
「いやいや、勝手だろ。俺の命なんだから。俺のセーブデータなんだからデリートするのも自由のはずだ」
「そうだね」
……え、認めるの? 話のわかる系?
あっさり同意されたので拍子抜けしたが、続く言葉は全然優しくなかった。
「だから罰を与える」
アガナエルの手の中に、一振りの剣が現れた。
黒い刀身に、不気味に青光りする光沢。見てるだけで頭がジンジンする呪いの装備にしか見えない。
「受け取って」
「嫌だよ。見るからにヤバいもん、それ」
拒否権を発動した俺だったが、相手は話を聞くタイプではなかった。
次の瞬間、俺の胸にはその剣が突き刺さっていた。
「っ——!?」
刺さった。物理的に貫通した。
鋭く焼けるような痛みが走るが、なぜか血は一滴も出ない。
それどころか、剣は俺の肉体へ吸い込まれるように消えていった。ずぶずぶと、まるでお前の一部になるのが当然だと言わんばかりに。
「な、何を——」
「憂鬱の魔剣、だよ」
アガナエルは、相変わらず無表情のまま説明を始めた。
「その剣は、君が人生に見切りをつけるのを絶対に許さない。死んでも戻ってくる。何度でも、何百回でも。君が本当の意味で人生を全うするまで」
……はい?
それって、つまり。
「死ねないってことかよ!? ブラック企業の強制労働よりタチが悪いだろ!」
叫んだ俺の体は、いつの間にか例の断頭台に固定されていた。
首を枷で締め付けられ、頭上の重い刃がギチギチと音を立てる。
「待て! やめろ! 話を聞けよ、アガナエル! 説明不足にもほどがあるだろ!」
「説明は、これからの人生で理解するといい」
声が遠のいていく。
アガナエルの姿は消え、最後にその言葉だけが響いた。
「君の罰は、生きることだ。田中遼」
ドシュッ!
刃が落ち、視界が反転した。
「……うわっ、生きてる」
それが、再び目を覚ました俺の最初の感想だった。
背中に伝わる土の冷たさ。肺に流れ込む空気。俺は、呼吸を再開していた。
ゆっくり目を開けると、そこは森だった。
木漏れ日が眩しい。鳥の鳴き声がうるさい。風が吹いて、葉が揺れている。
「……マジかよ」
起き上がって自分の体を確認する。
五体満足。服は元の世界のものじゃなく、中世ファンタジーの村人Aが着ていそうな粗末な麻布に変わっていた。
そして、胸の奥。
じくり、と重い違和感があった。
『憂鬱の魔剣』
アガナエルの言葉が蘇る。
「死んでも戻ってくる。君の罰は、生きることだ」
どうやらここは、元の世界ではないらしい。
空気の匂いも、鳥の声の音程も、微妙に「なにか」が違う。
「はは……やっぱり、そうなるのかよ」
笑えない状況だが、あまりにもベタな展開に、俺の脳内は妙に冷静だった。
死を望んだ男が、絶対に死ねない剣を埋め込まれて異世界に放り出される。
普通なら絶望するか、あるいはチート能力に喜ぶ場面かもしれない。
だが、俺にあるのは、ただ胸の奥で重く沈んでいる魔剣の感触だけだ。
「逃がさないってわけか」
俺はゆっくりと立ち上がった。
右も左もわからない。目的地なんてものもない。
だが、座り込んでいてもこの「罰」は終わらないことだけはわかる。
一歩、足を踏み出した。
俺の、終わりのないはずの人生——その第二章が始まった。




