4話「懐かしい夢。オルデンローア辺境伯爵の屋敷」
『お母様、お父様、見てください!
僕、雨を降らせました!』
『まぁ、駄目よノエル。
昼間はお洗濯物を干したり、植物を乾燥させている人もいるのだから、決まった時間に降らせなくては』
『いいじゃないか。
ノエルの力は天の力。
急に雨が降っても天に文句を言うものはいないさ』
『あなたったら、またノエルを甘やかして』
『お父様は、僕が雨を降らせると嬉しい?』
『もちろんさ。
適度な雨は果樹園にとっては宝石よりも価値のあるご褒美になるからな』
『そっか、良かった。
僕ね、たくさんたくさん雨を降らせるね。
み〜〜んなに喜んで貰うの』
『ははは、ノエルは優しい子だな。
でも、洪水になったら大変だからほどほどにな』
『うん!』
◇◇◇◇◇
馬車が大きく揺れ目を覚ます。
「道が悪くて少し揺れました。
問題ございませんか?」
「うん、大丈夫だよ」
御者の問いにぼんやりとした頭で答える。
懐かしい夢を見た気がする。だけど何を見ていたのかは、もう思い出せない。
馬車に揺られること五日。
窓の外に見える景色はすっかりと変わっていた。
王都の石畳とレンガ造りの家も、王都の周りに広がる果樹園ももう見えない。
乾燥した大地が広がり、その先に大きな森が見えた。
確か森の名前は暗黒の森。
隣国ネーベルハイムとの国境にある森で、モンスターが頻繁に出現する。
モンスターを倒すと瘴気が発生する。瘴気は雨で浄化されるけど、辺境伯爵の領地は夏場は酷く乾燥している。
そのせいか、瘴気が浄化されず空気が淀んでいるような気がする。
喉にも風邪の初期症状のような違和感がある。
この地に来たのがセリアンなら、彼なら一瞬で雨を降らせることができるのに……。
そんなことを言っても始まらない。僕はこの地でできることをしないと。
でも、まずはその前に辺境伯爵に謝罪しないとな。
セリアンが来ると思っていたのに、役立たずの僕が来たと知ったらがっかりするだろうな……。
「それにしても、思っていたより乾燥が酷いな……」
僕は魔法で水を出し、ハンカチをぬらし口元を押さえた。
地味だけどこういう時に便利。
濡らしたハンカチで口元を押さえると、喉のいがいがすっと消える感覚があった。
少量の水でもこういう使い方ができる。
セリアンに殴られた左頬にハンカチを当てる。じくじくとした痛みがすっと引いていく気がした。
冷やしたのが良かったのかな? それとも少しずつ治ってた?
どちらにしても、腫れた顔で辺境伯爵に挨拶しなくて済みそうだ。
遠くに街が見える。辺境伯爵領の領主町だろうか?
領主町に入ると砂利道が石畳に変わった。町には重厚感のある石造りの建物が多く並んでいる。
王都のレンガ造りの家のような華やかさはないが、石造りの家は頑丈そうだ。
昼間だと言うのに歩いている人は少ない。空気が悪いから屋内にいるのかもしれない。
ゴトゴトと音を立て石畳の道を進んでいると、丘の上に大きなお屋敷が見えた。
あれが辺境伯爵のお屋敷。
近づくと石造りの堅牢な屋敷の姿があらわになった。
重厚感があり、耐火性に優れていそうな威厳のある二階建てのお屋敷。
その周りを鉄製の高い柵が覆っている。
辺境伯爵の人柄かな? それともモンスターが多い土地柄からだろうか?
屋敷を飾り立てる趣味はないようだ。
御者が門番に辺境伯爵の花嫁が嫁いで来たことを話すと、門が開いた。
馬車が中庭を進んでいく。瘴気の影響か水不足からか花壇の花々は枯れ荒れ果てていた。
乾季でも美しく手入れされていたエルゼンベルク侯爵家のタウンハウスを思い出す。
あの庭はセリアンの能力があって初めて維持できていたもので、あの状態が異常だったのかもしれない。
乾季は庭の手入れもままならない。そんな厳しい現実を目の当たりにした。
馬車が馬車回しに入り停車した。
御者が動かないので僕は自分でドアを開け、馬車から飛び降りた。
出迎えに来た中年男性が、驚いたような顔で僕を見ていた。
男性は綺麗に整えられた三対七の比率で分け、皺のないタキシードと白い手袋を着用していた。
歳は多分五十歳くらい。品の良い顔立ちと所作と年齢から推測して、執事長だと思う。
穏やかな笑みを称えているのは、仕事だからだろうか? それとも……。
「始めまして、僕はエルゼンベルク侯爵家から……」
その言い方だと誤解を招いてしまうかな? 侯爵家から来たのは間違いないけど、僕は侯爵家の人間ではない。
「お待ちしておりました。
執事長のクラウスと申します。
大旦那様がお待ちです。
どうぞこちらへ」
僕がどう自己紹介したものか考えているうちに、執事長さんが先に話していた。
「お荷物はこちらでお預かりいたします」
「ありがとうございます」
「お荷物はこれだけですか?
それとも後から送られて来るのでしょうか?」
「いえ、これだけです」
執事長さんが怪訝そうに眉を寄せた。
古いボストンバッグ一つで嫁いできたことが、癪に障ったのだろうか?
決して辺境伯爵家を馬鹿にしている訳ではないんだけど……。
「左様でございますか、では大旦那様の元に参りましょう」
執事長さんは何事もなかったかのように、再び穏やかな笑みを作る。
執事長さんがスタスタと荷物を持って歩いていく。
迷子になるわけにはいかないので、僕は彼の後をついて歩いた。
馬車回しから屋敷までは少し距離があり、途中に花壇があった。
こちらの花壇にも花の姿はなく荒れ果てている。
茶色く枯れた草の中に、ピンク色が混じっていた。
両サイドにピンクのリボンを付けた七、八歳くらいの女の子で、同色のワンピースを身に着けていた。
花壇の側にうずくまり何かを熱心に眺めていた。
お屋敷の子かな?
「こんにちは」
僕が声をかけると少女はビクリと肩を震わせた。
こちらを振り返った少女は、とても整った顔立ちをしていた。
肩のところで切りそろえられた髪は黒檀のように黒く、目は湖のように青かった。
「リゼット様、こちらにいらしたのですか?
お体に触ります!
お部屋にお戻りください!」
メイド服を纏った中年の女性が少女の元に駆け寄った。
少女はメイドの姿を見ると、僕の視線から逃れるようにメイドの後に隠れた。
怖がらせてしまったみたいだ。
これ以上少女を刺激したくなかったので、会釈をして通り過ぎた。
後で驚かせたことを謝りたいな。
「執事長さん、今の女の子のことなんですが」
「あの方は、大旦那様のご嫡男の長女リゼット様でございます」
辺境伯爵に後継ぎがいるのはセリアンから聞いて知っていたけど、孫娘までいたとは……。
後妻として上手くやっていけるかな?
その前に、セリアンではない事を伝えないと。
辺境伯爵は、癒やしの雨の能力持ちのセリアンに嫁いで来てほしかったんだろうから。
僕がセリアンでないとわかったら辺境伯爵は怒るからな?
怒るだけで済めばいいけど暴力を振るわれたら……。
想像したら背筋がぞわりとした。
ネガティブに考えるのはやめよう!
会ってみたら凄く良い人かもしれないし!
執事長さんは屋敷をズンズンと進み、一番凝った装飾の扉の前で足を止めた。
執事長さんが四回ノックをする。
「大旦那様、かの方をお連れいたしました」
「入れ」
中から渋みのある重い声が聞こえた。
「失礼いたします」
執事長さんが扉を開ける。
「……失礼します」
僕も彼に続いて部屋に入った。
中央に大きなベッドが配置されていた。
アイボリーのパジャマを纏った六十歳くらいの貫禄のある男性が、布団の中に足を入れ背もたれにより寄りかかるように座っていた。
ロマンスグレーの短髪に、深い皺のある威厳のある顔立ち、左頬に大きな傷がある。顎髭が顔に渋みを増している。
青く鋭い瞳がこちらを見据えている。
この人が辺境伯爵!?
こんな怖そうな人が僕の旦那様なの?!
これは「人違いです」と言って謝っても許してもらえないかも!?
終わった! 僕の人生はここまでかもしれない……。




