3話「オルデンローア辺境伯爵との婚姻」
翌日の早朝、僕はセリアンの部屋に呼び出された。
こんな朝早くに何の用事だろう? 嫌な予感しかしない。
「ノエルの結婚が決まった!
相手はオルデンローア辺境伯爵だ!」
セリアンは開口一番そう言った。
ちなみにセリアンはソファーに座っているが、僕は立ったまま話を聞いている。
「オルデンローア辺境伯爵って女遊びが派手なことで有名なんだよね。
しかも六十一歳のじいさん。
後継ぎがいるみたいだから、後妻と言う名の慰み者としてほしいんだろうね。
役立たずのノエルの嫁ぎ先としては、これ以上ない好条件だよね」
事態を呑み込めず戸惑う僕をよそに、セリアンが説明を続ける。
オルデンローア辺境伯爵……確か伯父の部屋で見た書類に書いてあった名前だ。
「恐れ入ります。
本当にその縁談は僕宛でしょうか?」
「何だって?」
セリアンが不機嫌そうに片眉を上げる。
「オルデンローア辺境伯爵の領地は、乾燥と瘴気による被害に苦しんでいます。
辺境伯爵領で望んでいるのは、セリアンの癒やしの雨の能力ではありませんか?」
少量の水しか出せない僕を欲しがる理由がない。
「仮にそうだとしたら何だっていうんだ?
僕にモンスターが頻繁に出る危険な領地に嫁げって?」
「そうではありません。
先方が望むのがセリアンなら、僕が代わりに行ってもお役に立てないと思っただけです」
「うるさいな!
お前の話なんか聞いてないんだよ!
僕が嫁げと言ったら、黙ってそれに従えばいいんだ!」
セリアンがテーブルを叩く。振動でテーブルの上のティーカップが揺れた。
「希少な能力と類稀なる美貌を持つ僕が、田舎の好色じじいの後妻なんかなるわけないだろう!」
セリアンが形の良い眉を釣り上げ、僕を睨めつける。
「僕の能力をみんなが欲しがっているんだ!
最低でもエルゼンベルク侯爵家の当主、上手くいけばアルベルト様の正妃になれる!
そんな僕が、田舎じじいの後妻?
ないない、絶対にあり得ないね!」
セリアンは鼻で笑い、顔の前で手を振って見せた。
プライドの高い彼に、老齢の辺境伯爵の後妻は無理だろう。
「例え、先方が水の能力を使える者を欲しがっていたとしてもだ。
ノエルだって少量の水を出せる。
だからお前が嫁いでも問題ない。
これは詐欺じゃない。
ちゃんとした取引だ」
セリアンが口の端を歪めニタリと笑った。
彼が僕を辺境伯爵領に送りたがる理由はなんだろう?
確か昨日見た書類には、支度金について書かれていた。
まさか、その支度金欲しさに僕を売った?
「支度金ですか?」
「何?」
「支度金が欲しくて僕を売ったのですか?」
セリアンが立ち上がり僕に近づいてきた。
彼は僕の前に立つと勢いよく右の拳を振り下ろした。
僕は殴られた衝撃で本棚まで飛ばされ、背中を打ち付けた。
床に膝をつき、殴られた左頬に手を添える。頬は熱を持っているようで触るとズキズキと痛んだ。
「居候の分際で調子に乗るなよ!」
セリアンがゴミを見るような目で、僕を見下ろしていた。
僕は立ち上がり、彼の目を真っ直ぐに見据える。
「僕はいずれレーベ男爵領を継がなくてはなりません。
なので辺境伯爵家に嫁ぐことはできません」
通常、後妻や愛人になるのは継ぐ爵位のないものだ。
今は伯父に預けているが、成人したらレーベ男爵の爵位を返してもらうことになっている。
王家の正室や側室になるとまた違って来るんだろうけど。
「あのさ、そのレーベ男爵領の管理を、誰がしてると思ってるの?」
セリアンが片眉を上げ口元を歪め、意地の悪い顔をする。
「それは……」
管理者は伯父だ。
「今まではお父様がレーベ男爵領を預かってたから、情けで雨を降らせてやってたんだよ。
ついでに通行税も免除してやってたの。
それがなくなったら、レーベ男爵家はどうなるかな?」
「……!」
セリアンが顔をぐにゃりと歪める。
男爵家の領地は小さい。セリアンに加護を打ち切られたらきっと……。
「ようやく自分の立場がわかった?
わかったら荷物をまとめてオルデンローア辺境伯爵領に行くんだよ。
婚姻を承諾する書類は早馬で送ってあるから、心配しなくていいよ」
僕の承諾を得る前に、結婚を知らせる早馬を出していたなんて……。
悔しい……こんな扱いをされて何もできないなんて!
「わかりました。
レーベ男爵領のことくれぐれもよろしくお願いします」
レーベ男爵領とその土地に住む人々を人質に取られたら、反抗できるはずがない。
僕はセリアンに深々と頭を下げた。
殴られた相手に頭を下げることしかできないなんて、屈辱だ。握りしめた拳に力がこもる。
「あっそう、ならさっさと屋敷から出てってくれる?
その貧相な顔を見てると吐き気がするんだよね」
セリアンはソファーに座り、虫を追い払うかのように手をひらひらさせた。
「今までお世話になりました。
どうか健康にお気をつけてお過ごしください」
両親を失った僕を今まで養ってくれたのはこの家だ。男爵領の管理もしてもらった。
相手が暴力的であろうと、最後まで礼節を忘れてはいけない。
僕はセリアンに別れの挨拶をし、部屋を後にした。
ドアの外にはメイドが待機していて、古いボストンバッグを手渡された。
「ノエル様の荷物はまとめておきました」
セリアンは僕を部屋に呼んだあと、メイドに荷物をまとめさせていたようだ。
手際が良いことだ。
「庭に馬車の用意ができています」
「ありがとう、君たちも体に気を付けて」
僕は使用人に別れの挨拶をし、玄関に向かった。
馬車回しには年代物の馬車が一台止まっていた。
御者席には御者が一人、馬車を引く馬は一頭。
多分、屋敷で一番古い馬車だと思う。
馬車を出してくれただけ有り難いと思うことにしよう。
歩いていけと言われるよりはずっといい。(セリアンなら言いかねない)
誰も手を貸してくれないので、自分でドアを開けて馬車に乗った。
椅子に座ると、程なくして馬車は動き出した。
窓から住み慣れた屋敷をぼんやりと眺める。
あまり良い思い出のない場所だけど、五歳から十一年過ごした場所だ。
徐々に屋敷が遠ざかるに連れて、寂しいという気持ちがこみ上げてくる。
泣いては駄目だ。
これから向かう土地では、もっと辛いことが待ち受けているかも知れないのだから。
だけど、何もできず売られていく事実に胸がキシキシと音を立て、頬を一筋の涙が伝った。
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