10話「若き辺境伯爵レイヴン」レイヴン視点
八年前、両親と祖母と叔父夫妻を一度に亡くした。俺が十歳の時だった。
祖父は勇敢な戦士だった。俺は物心がついて以来、祖父の背中を追ってきた。
だがあの事故で祖父は憔悴、その日から彼の背中を少し小さく感じるようになった。
事故があった時、いとこのリゼットはまだ赤ん坊だった。
俺が二人の支えにならなければいけないと強く思った。
彼らの死の原因は……俺にあるのだから。
それから、剣術の授業にも魔法の授業にも座学にも前以上に励んだ。
俺の父は次男だった。だから家を継ぐ優先順位は長男の娘であるリゼットにある。
リゼットを立派な淑女に育て、彼女が婿を取るまで支え続ける。
俺に子供が出来ると相続問題で揉めるので、一生独身で通すと決意した。
しかし、人生は理想通りにはいかない。
老齢の祖父が瘴気症にかかり、執務が困難になった。
辺境伯爵の仕事を続けるのは難しいだろう。
祖父は俺に後を継いで欲しいと言ってきた。
迷った末、体調を考慮し中継ぎの当主となることを条件に承諾した。
俺は、家を継ぐ前にリゼットを養子にした。
余計な憶測を避けるため、リゼットこそが正統な跡継ぎだと世間に示すために。
◇◇◇◇◇
今年は雨季の雨が少なく、乾季に入るのが早かった。
その上、モンスターは例年よりも多く出現する。
モンスターは倒せば済むことだが、問題は奴らを退治した時に発生する瘴気だ。
瘴気は雨で浄化されるので、雨季である秋〜春先にかけてならいくら発生しても問題ない。
しかし、乾季は瘴気が浄化されず空気中を漂い続ける。
風の弱い日には瘴気は地面近くに滞留し、人や馬が動くことで再飛散した。
瘴気症は風邪に似た症状で、体の弱い年寄りや子供ほど重症化しやすい。
祖父もリゼットも、瘴気症にかかり体調は悪化していくばかりだ。
なんとかしたいが、天候ばかりはどうすることもできない。
このまま秋になるのを待つしかないのかと頭を悩ませていた時、祖父に婚姻を進められた。
最初は嫁など不要だと断った。
しかし祖父はなかなか折れてくれない。顔を会わせる度に熱心に説得してきた。
祖父がここまで熱心に俺を説得するということは、婚姻相手は辺境伯爵家の窮地を救える人物なのかもしれない。
俺の頭に真っ先に浮かんだのは、エルゼンベルク侯爵家の嫡男セリアンだ。
直接顔を見たことはないが、彼の噂は何度も耳にした。
セリアンは「癒やしの雨」という希少な能力の持ち主で、一定範囲に雨を降らせることができるという。
セリアンの能力のお陰で、王都には定期的な雨が振り、瘴気の被害とは無縁だという。
彼が領地に定住してくれたら、領民と家族を救える。彼となら婚姻してもいいと思った。
何より男なら子供ができる心配もない。
しかしやって来たのは、エルゼンベルク侯爵家の親戚だという貧相な少年だった。
セリアンのいとこならさぞかし凄い能力を持っているのかと期待したが、彼はコップ一杯の水を出すのがやっとだという。
期待していただけに落胆が大きかった。
信念を曲げてまで婚姻した相手が無能だったなど、笑い話にもならない。
俺は気がつけば彼を強く非難し、「帰れ!」と冷たく言い放っていた。
だが、その言葉は本心だ。
辺境伯爵領はモンスターが頻繁に出現し、瘴気症が蔓延している。
そのような場所に留めるより、安全な王都に帰らせた方が彼の為だと思った。
◇◇◇◇◇
その日以来、祖父と顔を会わせる度にくどくどと説教をされている。
祖父はノエルという少年がいかに心根の優しい少年か説いてくるのだ。
だが、優しさだけでは領地は救えない。
戦闘要員に使おうにも、コップ一杯の水を出す魔法は戦闘には不向きだ。
あのような華奢な体では、剣もまともに振れないだろう。
危険な辺境伯爵領にいるより、王都に帰すのが彼の為なのだ。
だがノエルは、どういうわけか実家に帰らず辺境伯爵家で暮らしていた。
時おり庭でノエルの姿を目にした。彼はいつもじょうろを手に庭に水を撒いていた。
彼は俺の存在に気づくと、無邪気に近寄ってきてにこやかに挨拶をした。
俺は彼に気づかない振りをして、足早に通り過ぎた。
辺境伯爵領が危険な場所なのに変わりはない。下手に親切にして長居されては困る。
だが彼は、それでもめげずに庭の水撒きを続けていた。
◇◇◇◇◇
ノエルが来て二週間と少しが経過した。
日課となっているリゼットの見舞いに、彼女の部屋を訪れる。
以前のリゼットは、咳き込んでいるかベッドに横になっていることが多かった。
最近の彼女は顔色もよく、咳をする回数も減っている。
メイド長のヨハンナによれば、祖父とリゼットが薬を飲む時の水は、ノエルが魔法で出しているという。
その水と一緒に薬を飲むと、薬の効きが大層良いそうだ。
ヨハンナは、ノエルが出す水には不思議な力があるのではないかと感じているようだ。
ノエルがじょうろで水を撒いた場所の空気は澄んでいて、母の腕に抱かれてすやすやと眠る赤子のように気持ちが穏やかになるという。
そう言えば、最近屋敷の周りの空気が違うように感じていた。
瘴気症が流行ってから屋敷の空気はピリついていて、使用人は険しい表情をしていた。
だが最近は彼らの表情が柔らかい。言い争いなどのトラブルも減ったようだ。
ノエルが出す水には、癒やしの効果でも付与されているのだろうか?
そんなことを考えていた時、窓の外から声が聞こえた。
俺が気づいた時には、ベッドから抜け出したリゼットが窓を開けていた。
窓を開けると瘴気が舞い込んでくる……リゼットが咳き込むことを心配したが、彼女の体調に異変はなく、ほっと胸を撫で下ろす。
窓に近づくと、花壇にノエルがいるのが見えた。
彼はこちらに向かって大きく手を振っていた。
なんでもペチュニアの花が咲いたとかなんとか……。
そう言えば、二週間以上前。
リゼットが部屋を抜け出し花壇を見ていたと、ヨハンナから報告を受けていた。
リゼットは微笑みを浮かべ、ノエルに手を振り替えしていた。
人見知りのリゼットが、家族とクラウスとヨハンナ以外の使用人になつくなんて……!
俺は信じられないものを見ている気分だった。
どうやら、ノエルが能無しの役立たずという認識は改めなくてはいけないようだ。
祖父が高く評価するように、彼は何かを変える不思議な力を秘めているのかもしれない。




