9話「オルデンローア辺境伯爵家での暮らし。今できることを精一杯やる!」
オルデンローア辺境伯爵家の朝は早い。
早朝、グレゴール様とリゼット様に薬用の水を届ける。
食堂で一人で食事を済ませた後は自由時間だ。
辺境伯爵家のご飯は美味しいけど、一人で食べると味気ない。
グレゴール様とリゼット様はご病気だから部屋で召し上がるし、レイヴン様はいつ帰ってきていつ寝てるのかもよくわからない。
一応、僕の部屋の隣はレイヴン様と共有の寝室になっていて鍵も渡されたけど……。
この分だと一生使うことはなさそうだ。
グレゴール様にレイヴン様を支えて欲しいと言われたけど、あの方とはどうやって打ち解けてよいのか全くわからない。
落ち込んでいても仕方ない! 僕は今できることを精一杯やると決めたのだから!!
僕は執事長さんに園芸用の大きめのじょうろを借り、庭に出た。
僕は魔法でコップ一杯分の水を出すことができる。これだと、薬を飲む時くらいにしか使えない。
だけど、三十分ほどかければバケツ一杯分の水を出すことが可能だ。
瘴気は空気中に蔓延している。
花粉と同じで、晴れて風が弱い日が続くと地面近くに滞留し、人が動くことで舞い上がってしまう。
そのため快晴で風の強い日は、地面近くに溜まった瘴気が再飛散しやすい。
瘴気は雨で浄化することが可能だ。
僕は地面にじょうろで水を巻き、瘴気の再飛散を防ぐことにした。
領地全部の瘴気を浄化することはできない。
だけど時間をかければ、お屋敷の周りに溜まった瘴気を浄化することができる。
これが今の僕にできる最大限の努力だ。
じょうろ一杯の水を撒ける範囲は小さな花壇一面程度。
お屋敷は多いから、建物の周りを浄化するだけでも数日かかるかもしれない。
人の出入りが激しい玄関付近と、グレゴール様とリゼット様のお部屋の下辺りを重点的に浄化しようと思う。
僕のことを評価して大切に扱ってくれたグレゴール様の為に、できるだけのことはしたい。
僕はじょうろに手をかざし、魔法で水を溜めた。
溜まった水を玄関から壁伝いに撒いていく。
瘴気は目に見えないけど、じょうろで水を撒くことでなんとなく空気が澄んだ気がした。
数時間作業を続け、お昼にグレゴール様とリゼット様にお薬用の水を届け、食堂で軽く食事を済ませる。
午後はまた同じ作業を繰り返した。
◇◇◇◇◇
「ふーー、ちょっとは辺境伯爵領に貢献できたかな」
建物の正面にある花壇の縁に腰を掛け、額の汗を拭う。
重たいじょうろを持ち上げるのは、非力な僕には一苦労。
連続で水を出し続けたことがないので、魔力の消費も激しい。
これだけの時間をかけても、お屋敷の建物の外周の一部に水を撒くのがやっとだった。
「セリアンなら、こんな作業一瞬なんだろうな……」
改めて王都を覆うほどの雨雲を出し、王都中の瘴気を一度に払えるセリアンの能力の凄さを思い知る。
「弱気になっちゃ駄目だ!
まだ作業を初めたばかりじゃないか!」
僕はネガティブな考えを打ち消すように、ぶんぶんと首を横に振る。
その時、誰かに見られているような気がした。
視線を感じた方向に目を向けると、リゼット様の部屋の窓だった。
外は瘴気が待っているので、彼女の部屋の窓は閉まっている。
閉め切った窓の向こうに立ち、リゼット様はじっと一点を見つめていた。
リゼット様が僕を見てる? ……違う、彼女の視線はもっと先、別の花壇にある。
僕は彼女の視線を辿った。
「ここって、昨日リゼット様がいた花壇だ」
僕がこの屋敷に着いた時、リゼット様は花壇の前でうずくまっていた。
「何かあるのかな?」
枯れ果てている植物の中に、青々とした双葉が見えた。おそらく何かの花の実生だろう。
「もしかして、リゼット様はこれを見ていたのかな?」
乾燥にも負けずに芽を伸ばす双葉は、僕に勇気を与えてくれた。
リゼット様も僕と同じように、この実生に勇気づけられたのかもしれない。
「双葉にも水をかけてあげよう。
花が咲いたら、リゼット様にも見せてあげよう」
リゼット様が小さな植物も大事にする子だとわかって嬉しかった。
顔を上げると、リゼット様が不安そうにこちらを見ていた。
僕が植物を傷つけてないか心配なのかな?
僕は笑顔を作り、リゼット様に向けた手を振った。
「リゼット様、双葉は無事ですよ!
僕は水をかけておきました!
きっといつか花を咲かせると思います!
そうしたら一緒に見ましょうね!」
リゼット様は目をぱちくりさせたあと、窓から離れてしまった。
うーーん、人見知りな子に大きな声で呼びかけるのは失敗だったか?
仲良くなれるきっかけになると思ったんだけどな。
◇◇◇◇◇◇
それからまたお屋敷に水を撒き、夕方グレゴール様とリゼット様に薬用の水を届けた。
グレゴール様に今日のことを話したら、とても感謝された。
小さなことでも褒めてくれるグレゴール様は、本当のお祖父様みたいだ。
いつかレイヴン様とリゼット様と仲良くなれたら、グレゴール様のことをお祖父様って呼びたいな。
嫁いで来たばかりで、レイヴン様とリゼット様と仲良くなってない状態ではグレゴール様を「お祖父様」とは呼びづらい。
リゼット様の部屋に水を届ける時、彼女と少し話せないかなと思ってメイド長さんにそう伝えてみた。
メイド長さんがリゼット様に聞いてくれたんだけど、彼女の返事はノーだったようだ。
メイド長さんは人の良さそうな顔に皺を作り、申し訳なさそうに謝ってくれた。
仲良くなるにはまずは朝晩の挨拶からと思ったんだけど、それすら出来ていない。
義理の親になったとは言え、人見知りの幼女の部屋に、血縁関係のない男が尋ねるのって端から見たら不審者……だよね。
リゼット様をますます怖がらせてしまったかな?
僕がリゼット様の部屋に入るより、彼女が部屋から出てきてくれるのを待ったほうがよさそうだ。
それから食堂に行き軽く夕食を済ませて、部屋に戻った。
レイヴン様にお休みの挨拶をしたかったんだけど、執事長さんの話では彼はモンスター退治に明け暮れていて、屋敷に戻る時間は決まっていないらしい。
レイヴン様はモンスター退治の合間に領地運営もしてるみたいだ。
さすがに一人でやることには限界があるので、グレゴール様や家令や執事長さんの手も借りてるようだ。
レイヴン様は、とっても働き者のようだ。
それから、どんなに忙しくても一日に一回はリゼット様の部屋を訪ねてるみたい。
僕にはとっても怖い人に見えたけど、執事長さんの話では、リゼット様の前では優しいらしい。
あのレイヴン様が、リゼット様に笑顔で語りかける姿が僕には想像できない。
リゼット様と仲良くなったら、彼の笑顔を見られる日が来るのかな?
「ふぁ〜〜、眠くなってきちゃった」
魔力をたくさん消費したし、体も動かしたので、とっても疲れていた。
「明日は、レイヴン様とリゼット様にご挨拶できるといいなぁ……」
瞳を閉じると、睡魔に襲われそのまま深い眠りに落ちた。
◇◇◇◇◇
それから僕は屋敷の周りの水撒きと、花壇の水やり、薬を届けることをルーティンにした。
庭にいるときリゼット様と窓越しに目が合うことはあるが、すぐに逸らされてしまう。
仲良くなる道は遠い……。
僕が庭に水撒きしているとき、屋敷に帰宅したレイヴン様とすれ違うことがある。
僕が声をかけても、レイヴン様はチラリともこちらに視線を向けることなく通り過ぎていく。
彼のお付きらしきうす茶色の髪の兵士さんが、申し訳なさそうに頭を下げていく。
レイヴン様とは会話をするどころか、目を合わせるのも難しそうだ。
そんな感じに過ごしているうちにあっという間に時間は流れ、僕が辺境伯爵家に来てから二週間ちょっとが経過した。
その日の朝も、いつものように園芸用のじょうろを持って花壇に向かった。
「うわっ……! ついにやった! やったぞ!!」
感極まって、僕は持っていたじょうろを落としてしまった。
水が跳ねて服と靴を濡らしたけど、そんな些細なことが気にならないくらい気分が高揚していた。
「リゼット様ーー!
花がーー!
花が咲きましたよーー!!」
僕はリゼット様の窓に向かって勢いよく手を振った。
リゼット様の部屋の窓が開いた。
パジャマ姿のリゼット様が、目をぱちくりさせながらこちらを見ている。
「リゼット様、花壇の花が咲きました!
あの一本だけ生えていた実生です!
過酷な環境で生き抜いて花を咲かせました!
ピンクのペチュニアでした!!」
僕は彼女に向かって大きく両腕を振る。
「まだ一輪だけですが、元気に育ってます!!」
リゼット様は目をパチパチと何度か瞬かせたあと、穏やかに頬を緩めゆるかに口角を上げた。
笑った……? リゼット様が僕を見て微笑んだ!?
小さな変化だけど、僕には大きく前進したように思えた。
「またペチュニアが別の花を咲かせたら教えますねーー!」
ペチュニアは多花性なので、一本の苗からたくさんの花を咲かせる。
次々に花が咲いていくところを想像すると、自然と顔が綻んでいた。
リゼット様に向かって手を振っていると、彼女の背後に人影が現れた。
よく見るとそれはレイヴン様で、氷のように冷たい表情でこちらを睨んでいる。
僕は、瘴気症に苦しむ病弱なリゼット様に窓を開けさせてしまった。外は瘴気が蔓延しているのに……。大声で彼女を呼んだことを怒っているのかも……。
その時、リゼット様が僕に向かって小さく手を振った。可愛らしい仕草に、ほっこりとする。
レイヴン様はそんなリゼット様を見て、大きく目を見開いていた。
レイヴン様は一度目を伏せ、少しして目を開けた。
レイヴン様の眉が微かに孤を描き、口角が少しだけ上がった。
びっくりした……! レイヴン様ってリゼット様の前だとあんな穏やかな表情をするんだ。
僕はレイヴン様の怒っている顔と、険しい表情で早足で庭を歩く姿しか知らない。
レイヴン様の第一印象は綺麗な人だった。
でもすぐに怖い人に変わって、次に近づき難い人に変わった。
でも、今日のことでちょっと印象が変わったかも。
「いとこ思いの優しいお兄さん」彼の印象を上書きしておこう。
いつかあんな笑顔を、僕にも向けてもらえたら嬉しいな。
彼の微笑みを見て、少しだけ心臓がドキドキしていた。
このときめきは一体……?
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