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第7章 ターゴへ その4




第七章 ターゴへ その4


 アルバートたちを乗せた列車は特にトラブルも無くダイヤグラム通りに走り 途中、幾つかの街、そのどれもがそれなりに大きな街に、停車した。その度、少なからぬ人々が降り、また乗車してきた。アルバートはその様子を眺めていた。そうした人々には、やはり様々な感情があり、各々に行き先があった。そして、それは自分たちも同じだった。アルバートは不思議なものだと思った。何の巡り会わせか知らないが、偶然に同じ列車に乗り合わせ、顔も知らず、別れていく、そして、おそらくもう二度と会う事はない。アルバートはそれ自体が一つの曲のように思えた。感傷的になっている。


 列車はひた走りしだいに海岸線を遠のき、また、景色はさっきと同じような田園風景に変わり、だんだんと日が暮れていった。

夕闇が全てを包み、街灯や家の電灯が闇の中の光に変わるころ、列車はバンシィに到着した。バンシィは、東海岸線の終点である。ここから、列車は山岳を越えるため機関車を換えなくてはならない。険しい道を、アプト式(*1)と言われる特殊軌条で進むためである。この先、最大で千メアテ進むと六十メアテほど上がる道のりを登って行くのである。


その昔から、バンシィは峠越えの起点であり、馬すらその勾配のきつさから、死ぬと言われ。また、商隊や旅人が山賊などに襲われたことから、難所として知られている。まあ、今や列車で座ったまま2時間ほどで越える区間であり、往時をただ偲ぶだけである。


プリンストンへの山越えのルートは古くからのものだが、時間のロスや特殊な機関車の維持費が前から問題となっていて、以前から東海岸線を海岸に沿って、延長してそのまま、プリンストンへつなぐルートも計画されている。しかし、軟弱な湿地帯を長距離に渡って進まねばならず。その着工は延び延びになっているのである。

アルバートは機関車の取替えの間、列車を降り、コーヒーを買い。アルテたちにはビスケットを買った。


アルバートが降りて歩いていると、列車の最後部で、十代そこそこの少年が、赤い手旗を一生懸命、振る姿が眼に飛び込んできた。茶色に塗られた、重連の無骨な電気機関車がゆっくりと入って来ると、一旦停まり、少年の手旗に従って、連結された。不思議と惹きつけられるそんな光景だった。


アルバートが席に戻ると、リンが向かいに座っていて、難しそうな専門書を膝の上に開くと、メモ帳に何かよく分らない数式を書いていた。アルテはどこかへ行ったようだ。アルテの席には「太陽の巫女」が置いてあった。

「リンさん太陽の巫女はどうでした?」と言いアルバートはリンの隣にビスケットを置き本の感想を聞いた。


「はっきり言って、こんな話は戯言ですね。物語ってやつはどうにも性に合わない。まあ、そんな事を再確認させられました」とリンは数式を書きながら、下を向きつぶやくように言った。

「戯言ですか」

リンは顔を上げ「ええ、確かに現実にあったことかもしれない。でも、それをこんな風に、面白く、悲しく書いている。僕は小説家や脚本家というのは根っからの嘘つき、お金目当ての見世物の興行主だとそう思いました」とはっきり言い切った。ずいぶん強い否定だった。


「はあ、なるほど、お気に召しませんか。でも、科学者なら巻末にある史料や書簡は興味を惹かれるのではないですか」

「まあ、確かに、すみませんが、僕は少し集中したいんです。ちょうど、今、良い考えが閃きましてね。申し訳ない」とリンはそっけなく言い、手を動かしメモを取り始めた。


「これは失礼しました」とアルバートは言い、リンは物語のたぐいを楽しまないたちの人間なのかもしれないと思った。そういうタイプの人間は時々いる。しかし、一体、この本のどこがそんなに気に入らないのだろうか。

少し間があって「あなたは人間の歴史をどう考えますか」とリンはいきなり言った。


 アルバートは唐突なこの問いに戸惑い、真意のありかを探してリンを見つめた。リンはトーガを着て、三つ編みをたらし、幼女と少女の中間にある端正な顔の表情は水盤のようにフラットだったが、大きな茶色の瞳には暗く、まるで深い海の底を覗き込むような、深み、問いが現れていた。

「歴史ですか?」

「そうです。歴史です。人類が積み重ねてきた時間のことです」

「なるほど・・・」

「歴史とは何か?僕はあなたの考えを聞いてみたい。こういう大きな問いには幾つもの答えがありますから、特に難しくなくていい、なんでもいいからあなたの見解が聞きたい」

「なぜ、というか、どうしてそんな質問をいきなりするんですか?また、私を言葉先で弄ぶためですか、それならお断りします」とアルバートは断った。

「いや、そういうつもりはありません。いきなり言って申し訳ない。人間にとって大事なものだからですよ。物語のような嘘と真実の何が違うのか、あなたと話し合いたいんです。そのために、あなたの歴史をどう思うか聞いておきたいんです」


「はあ・・・、しかし、いきなり言われても私はたんなる演奏家ですよ。どう答えていいものか」

「じゃあ、僕が幾つかの歴史についての診かたを語りましょう。ヒントを出してあげます。何から行くか、人間の歴史とは力、つまり暴力を背景にした権力の交代劇であると言う説です。力の強いものが歴史を創って来たという話ですな。この説は三文小説から、大学の高名な学者にまで大人気の筋書きです。他にも歴史とは経済の発展だという話もあります。そうそう、技術の発展だと言う話もね。後は、現在と過去との絶えざる対話なんてのもあります。こんなふうに歴史とはこうだと色んな人が言いますね」リンはまくし立てた。


 アルバートは子どもの頃の家庭教師が歴史とは一つではないこと、つまり歴史観について教えてくれたことを思い出した。怖い初老の独身の女性だったが、彼女のいう事は的確で知的だった。

「なるほど、でも、それらの話は正しいと思いますね。どれも正解じゃないですか」

「ええそうです。こんな筋書きの一つをあなたから聞いてみたいんですよ」

 リンは歴史をどう考えるかを聞きたいらしい。それにしても、ほとんど既に言われてしまった気もするが、アルバートは思いついたことがあったので、やけくそで言ってみた。


「そうですね。歴史とは、僕は原点を知る事だと考えます。僕は音楽家ですから。いつもその曲はどこに原点があるのかとよく考えるのです。歴史とは物の始まりを忘れないためにあるような気がするのです。歴史を辿ればそのものの元々の姿やあり方に帰る事が出来るというわけですね。僕たちは生活している中で、案外にその物の元々に姿を忘れてしまう事があるんですね。けれども歴史がきちんとあれば、僕らはいつものありうるべき場所へ帰る事ができるわけです。音楽的に言えば、自分なりの演奏を作っていくにしても、始めに作曲家が意図したことは分っておく必要があるわけです。そうしなければ、自分が何をしているのか、芸術的な位置がわからなくなってしまいます」


 リンの表情には明らかに感心を示していた。彼女はアルバートの答えに知的な好奇心を刺激されたようだった。

「ふむ、まあ、それはあくまでもその歴史が正しい場合でしょうけどね。しかし、なるほど、それは歴史の真理の一つを示している。僕はそういうことが聞きたかったんだ。こういう言い方は失礼かもしれないが、ふさわしい見解だ。あなたにも知性が存在していると言うわけだ」とリンは微妙にアルバートを褒めた。ともあれ、この答えはリンをある程度満足させたようだ。

「ならば君の意見に対して、僕が歴史をどう考えるか述べねばなりません。歴史とは終わってしまった一つの可能性の軌跡だと僕は考えます」

「一つの可能性の軌跡?どういうことですか?」

「僕はあなたに前、あらゆる可能性について、よく思索を廻らせていると言ったことがあると思う。僕は様々な科学を学び、占いや魔術なども壁をもうけないで、人間の知恵について考え考究しているんです。わかりますか」とリンは力をこめて言った。

「あらゆる可能性ですか。それはどんな?全くわかりませんね、教えて欲しいですね」

「文字通りの意味ですよ。この世には全ての事が起こりうるという可能性があると言う事ですよ。例えば、この列車が地震で脱線して僕たちがみな死んでしまう可能性はどうでしょう」リンはアルバートを見据えた。

「ちょっと待ってください。それはおかしい。可能性と言っても十分に起こりうることと、そうでもない可能性だってあるんじゃないですか?それを一緒くたにしてしまったら、それこそ、例えばここめがけていきなり隕石がふってくるとか、すべてが起こりうることになってしまう。可能性は論理によって仮説を立て、絞り込むことが出来るんですよ。リンさんあなたは科学者でしょう。論理的な話をしましょうよ」

「ははははははっ、あはははははは」リンは突然大笑いした。アルバートはこれにさすがに少し怒りを覚えた。

「これは失礼、爵位を持った方に対して、いやはや無礼を。僕は科学者としてのお株を奪われてしまいました。しかし、実に楽しい。あなたは案外に論客ですな。まあ、論理とは筋道のことですが、あなたは論理を信じているわけだ。どうなんですか論理を信じているんですか?論理を信仰しておられます?」


「おかしな質問ですね。私は論理とは道具だと思います。とても便利なね。別に信仰しているわけではない。ただ、仮説を作り検討すれば、ある程度わかるといったんです。それに、もっとも起こりうることを、人は必然と呼ぶのではないでしょうか?例えば、そう、競馬があるでしょう。そこで本命の馬が一等になる。あの馬の脚力なら当たり前だとね。それに、男が明日、女になる可能性はありません。その逆もそうです。この世の中はそういう法則で成り立っているのではないですか」


「必然ね。じゃあ、君は起こり得る筈のないことが起こってしまった場合をどう考える。歴史にあっては、それこそ幾らでもあったことじゃないか?起こるべきはずのことが起こらないで別の方向に行ってしまったこともね。それこそ論理が全く用を成さなかった瞬間だ」

「それは論理のすり替えです。結局、道理はある」

「いや、君はまだ目にしていないだけさ、聡明で若く、美しい女性が恋人の不義に気がつき、ナイフを持って飛び出していく可能性、スライデルとラサミアとの戦争がこの世に阿鼻叫喚の地獄を作り出す可能性。世の中の関節が外れてしまうような、この世にはありとあらゆる可能性がみちあふれているんです」

「やめてください。可能性?確かに可能性が満ち溢れている事はわかります。だがしかし、そうだ可能性とは歴史に属することではなく、未来の事なのではありませんか、それとも、今ある歴史を新しく解釈する可能性ですか?だって、歴史とはもう終わっていることでしょう。リンさん」アルバートは疑問を述べた。


「ええ、そうです。歴史とはある意味終わったことです。だから僕は一つの軌跡と言ったんだ。つまり、果てしない選択と偶然の中で積み重なった、ある一つの結果が今の歴史です。それはあなたの仰るとおりだ。だったらですよ。いいですか、それを覆し、別の可能性を拓くことだって人間には可能ではないでしょうか?僕はそれを求めている」

「そんなこと出来る訳がない。できる・・・訳が」とアルバートは詰まった。なぜか、この少女には可能かもしれないと思ったのだ。

「僕には不可能はありません。僕の考究はある真理にたどり着きました」

「まさか、あなたが考究していることとは」

「ええ、そのまさかです」とリンは可憐な少女の顔で微笑んだ。

その瞬間。発射を告げる金属をたたく、けたたましいベルが鳴った。

 アルテが息を切らせて帰ってくると「あれ、どうしました?」と聞いてきた。

「いや、なんでもない。ビスケットはどう?」とアルバートは言った。リンは頬杖をついて外を見ていた。

「どうもありがとうございます。私、外の景色を見てきました。改札のところから町の明かりが見えて、とてもきれいでしたよ」とアルテは言った。


***


 列車は軋みを上げて、動き出した。乗客は増えたが、立ち客が出ると言う事でもなく、空いていた。

 列車はどんどんバンシィを置き去りにして、後ろから重連の電気機関車に押され、勾配を登って行く、山の縁を、旋廻するように登ると、バンシィの夜景が目に飛び込んできた。

アルテは「見てください。とってもきれいです」と声を上げた。

 

 一時間ほど登り続けると、今度は列車は下り始めた、急なカーブを右に左に、トンネルをくぐり、警笛を鳴らし、ブレーキを軋ませながら、ゆっくりと下って行く、車外は山中でしかも夜なので真っ暗である。

そして、列車はオニールという街に着いた。ここで、また、機関車を付け替えるらしい。だが、これは十分くらいで終わり、すぐに間に走り出す。あっという間に、かなりの高速に達し、山を長いトンネルで突っ切り、川を渡る。下り線も、貨物列車やら、ひっきりなしに通勤用の電車とすれ違う。通勤列車にはスーツを着たたくさんの乗客たちが乗っている。

「オニールを過ぎると、もうすぐ、プリンストンだよ。ここからは早いんだ」

「じゃあ、降りる準備をしないといけませんね。えと、リン先生は寝ていますね。おこしますか?」

 リンは寝ていた。

「まだ、大丈夫、この急行はプリンストン中央駅に着く前にもう一つ停車するから、そこで起こせばいいよ」

アルテは荷物だなから鞄を降ろし、本やら、食べかけのビスケットを入れて、自分の傍らに置いた。アルバートはバンシィで買った新聞の夕刊を読んだ。そんな事をしていると、リ・ターゴという駅に着いた。アルテはリンを起こすと、リンはアリスと入れ替わっていた。


***


 列車は速度を落とし、住宅地を進み、大規模な貨物の操作場を過ぎ、視界が開けたところで、巨大な鉄の橋梁を渡った。

目の前には真っ黒い布の上に色とりどりのガラス玉をぶちまけたように町の光が広がっていた。

 すっかり、日が暮れた闇の中に、巨大な建造物が見えた。そして、そのどれもに光りが灯り、多くの人々が活動しているのが感じられた。列車はゆっくりと速度を落としながら、進んだ。高架橋の両側にはさらに大きなビルディングが立ち並び、その間を這うように進み、ハンガーの中に入っていった。

「さあ、着いた」

「ええ着きましたね」とアルテは微笑んだ。


* アプト式 急勾配を登坂するために考案された方式。車輪の間に歯車を設け、レールの間にラックを敷設して、急斜面を登坂してゆく、日本では大井川鉄道井川線で使用されている。井川線での最大勾配は90‰、つまり、1000メートル進み、90メートル登る。


難しく書きすぎました。次回はプリンストン編が始まります。

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