9偽りの世界
商店街を抜け、寄り道した分を修正するように正しい経路である駅前を過ぎると、人気は急に少なくなる。
それもそのはず、これより先は民家が少しと小さな文房具屋くらいしかないのだから。
さらにその奥、進めば進むほど先ほどまで安定していたアスファルトの舗装路が徐々に砂利と土がむき出した部分の入り混じった荒い道へと変貌を遂げる。
この時期は特に誰も通らない道だから、背の低い草木がぼーぼーに生えていて、靴に絡みつくように行く手を阻んでいて歩きにくい。
五分ほど歩けば人の姿はどこにも見えなくなる。地元民ですら桜を見にわずかという人数しか訪れない。そんな高台に手入れがはいるわけもなく、久々に足を踏み入れたこの場所は肝試しには案外適しているように思えた。
階段は見た限りなだらかなのだが、実際に上ってみるとデコボコで段差も不揃い、足を段差に引っ掛けないよう気を付けながら錆びた手すりに掴まりながら上がり進む。
「ここって子どもも近寄らない荒地みたいな所だよね? 高台って言っても壊れかけのベンチが一つあるだけの広場だったと思うけど、……今更だけど、この先になんの用事があるか聞いていい?」
「……誰かが……誰かが俺を呼んでいるんだ。今日の頭痛の正体も、俺がなんでここにいるのかも、全部教えてくれる人物が待っているはずなんだ」
心春は首を傾げた。俺の言ったことなんて一つも理解できていない顔だ。それもそうだ、俺すら何も理解していないのだから。
階段の中腹には小休止用なのか踊り場がある。そこで一度立ち止まり、俺は、これから明かされるであろう真実の入り口を心春に伝えることにした。
心春には知っていてもらいたい。ただ、それだけの理由で、俺は言葉を口にする。
「俺はあの頭痛が起きた直後、見える景色が作り物にしか思えなくなったんだ。景色だけじゃない、聖羅や先生、俺が吐瀉した汚物にペットボトル、……心春や俺自身のことも、全てが作り物にしか見えなくなったんだ。情報の塊、数字の集合体と言うのかな、……それが気持ち悪くて、気持ち、悪くて――」
「一颯くんッ!」
突然、心春に詰め寄られたかと思うとその勢いのまま抱き着かれた。一瞬の出来事で驚いたが、俺を抱きしめる心春の腕は震えていた。俺自身も額には脂汗を大量にかいていて声が震えていたことに気付く。
「心春……?」
顔を俺の胸に押し付けて震える心春の肩を抱こうとすると、心春はゆっくりと顔を上げた。その顔は哀の表情に染まっていて、それは今にも泣き出しそうな表情でもあった。
「一颯くん……私は偽物なの?」
「……そうにしか見えなくなった」
「私の、人生は誰かが描いたものだったの?」
「分からない……」
「私の……私の感情は誰かに操作されたものだったの?」
「…………」
心春に打ち明けたことを後悔した。俺はこれから起こりうることに心春ならついてきてくれると信じていたからだ。
突然の頭痛、吐き気、高台に行きたいという謎の行動……。
そんな俺が、世界が偽物にしか見えなくなったなんて言ったら、心春が俺の言葉を一概に否定できる材料なんてない。俺は……心春に否定してもらいたかったのか?
「心春……」
「私が、一颯くんを思う気持ちだって偽物なの?」
震えてばかりで役にも立たなかった俺の腕が心春を抱きしめ返す。
「そんなわけあるか!」
気持ちが耐えられなくて叫んだ。景色が、世界が変わっても俺のことを見ていてくれる心春にこんなことを口にさせてしまった俺はとんだ愚か者だ。
俺の腕の中にいる最愛の人を偽物だと、そんなAIみたいな造形物と一緒にしてたまるか。本物というのが何か、俺には分からない。分からないけども、この感情だけは俺たちにしか生み出せない本物の感情だ。
「生まれてから今日まで育んできた俺たちの感情が偽物のわけないだろう! 俺が心春を思う気持ちが、偽物のわけないだろう……? あの楽しかった毎日が、誰かの書いたシナリオのわけ……ないだろ……」
目頭が熱くなって、ぽつぽつと浮き出てくる涙はすぐに決壊し、頬を伝って川のように流れ落ちた。
心春の顔を汚したくなくて、顔を横に背けたけども、心春は俺の横面にそっと触れて顔を間近に寄せてきた。
染み一つない赤みを帯びた健康的で色白の肌は化粧をしていないのに明るく美しい。黒く長い睫毛にぱっちりとした瞳はどこまでも透き通っていて、その奥には俺の酷い面が鏡のように映っていた。
あと、ほんの少し近づければ口と口がくっ付いてしまいそうで、心拍数が急上昇していくのを感じる。制服越しにも伝わる心春の心臓の心拍が俺の心拍と動きが重なった時、俺は気持ちが昂っていたことに気付いた。呼吸を整えて真っすぐ心春の瞳を覗き込めば、そこには気の抜けた間抜けな顔をした俺がいる。
心春は目を瞑って後ろに小さく一歩引く。
「むかーしね、私のお母さんが教えてくれた好きな人の落ち着かせ方なの。初めはそんなピンポイントで使うことがあるのかなって思ったけど、これから使う機会が増えそうだね?」
「おばさん、そんなこと教えていたのか」
でも……おかげで辛さは和らいだ。今の俺ならこの先に起こることに冷静に対処できる自信がある。
「それじゃあ、行こ? もう日が暮れちゃう。連絡しているとはいえ、早くしないと母さんにこれ以上の心配をさせちゃうよ」
「ああ、……行こう」
「うん、……私はずっと一颯くんのことを見ているからね。辛くなったらいつでも慰めてあげるから」
「ありがとう、その時は昔みたいに甘えさせてもらおうかな?」
心春の差し出してくれる手を、俺はしっかり握る。いつもよりほんの少しだけ力強く、心春をより身近に感じられるように。
――いぶきくんは、ひとりじゃないよ!
いつしかの記憶。心春の心の声が先ほど重なった心臓から聞こえた気がした。